木曽義昌 一所懸命 第三章
稀代の名将である武田信玄の死。この事態に義昌も驚愕し動揺するしかなかった。新たな当主を迎え進み始める武田家の中で、義昌は木曽家のために奮闘する。
武田家の新たな当主は勝頼となった。義昌から見れば義兄である。ただし真理とは母が違う。また、かつて勝頼は母方の家である諏訪家の当主になる予定であった。それが嫡男である義信が家中での紛争の末に死んだことで後継者に据えられたのだ。
こういうわけで勝頼に対する武田家中の目線は微妙なものである。また勝頼自身の武功というのが無いわけではないが信玄の陰に隠れてしまって、誰もがその力量を図りかねているという状況であった。
義昌は勝頼と面識はない。というかそもそも武田家のほかの親族ともそこまで面識はないのだが。ともかく義昌から見た勝頼というのはいまいちよくわからない人物という評価に落ち着いていた。ただこれから自分の上に立つ人物なのだからよくわからないままというのは義昌としてもよくはないと思っている。なのでとりあえず真理に尋ねてみた。
「勝頼様はいったいどのような方なのだ。信玄様の跡を継げるような方なのか」
これ対して真理は何とも言えない顔をした。
「申し訳ありません。私もあまり顔を合わせたことはないのです」
勝頼の母は信玄の側室であった諏訪御料人である。諏訪御料人は信玄に滅ぼされた諏訪家の生まれであり側室とはいえ微妙な立場であった。甲斐府中でも別に屋敷を与えられており勝頼もそこで育っている。そして元服する年になると信濃の高遠城に入ってしまったので真理ともあまり面識はなかったのだ。
義昌もそうした事情を知って真理の返答を攻めなかった。真理も安堵したのかこんなことを言い出した。
「主が変わろうとも武田家は変わりませぬ。これより先も木曽家と武田家は強い縁で結ばれ続けましょう。何も変わりませぬ」
そう穏やかに、だが自信満々に言う真理。義昌はこれに無言でうなずく。たとえ勝頼のことがよくわかっていなくても武田家への信頼は揺るがない義昌であった。
信玄死亡の翌年の天正二年(一五七四)勝頼は織田家への圧力を強めるために東美濃への大規模な侵攻を行った。義昌も動員されその一翼を担うこととなる。
「此度の戦ぶりで勝頼様の将器も見えてくるか」
義昌は期待と不安の入り混じった中で出陣した。だが結果として不安は払しょくされることとなる。勝頼の戦ぶりは目覚ましく遠山家の軍勢を一周し次々とやすやすと遠山家の領地に進軍していったのだ。これには義昌も驚く。
「何と見事な戦ぶりか。これは信玄様にも劣らぬ武辺だ」
勝頼の進軍は迅速であった。これは織田家の援軍が到着する前に決着をつけるつもりであったからである。勝頼は遠山家の城である明知城を攻め落とさんと包囲した。だが織田家の援軍も早くしかも武田家の軍勢を上回る数である。だがここで勝頼は山形昌景に手勢を率いさせて織田家の進軍を遮るように動かせた。織田家はこの動きに対応できず大軍をうまく動かせないでいる。勝頼はこの隙に明知城を攻め落としてしまった。これにはますます義昌も勝頼への敬意を強くする。
「勝頼様は信玄様以上かもしれぬ。やはり武田家についた我らの選択は間違っていなかったのだ」
その後武田家の軍勢は各個で遠山家の城を攻めていた。義昌も阿寺城の攻略を任され見事これを成し遂げている。
「東美濃が武田家のものとなれば木曽家は安泰だ」
義昌は木曽家にとっても意味のあることと理解していたので奮戦したのである。こうして遠山家の城は見事攻め落とされていき東美濃の大部分は武田家の支配下にはいった。だが上杉謙信が動き出したので勝頼は撤退していくことになる。
こうして勝頼が当主となって最初の軍事行動は見事な成功を収めるのであった。
勝頼は東美濃をある程度支配下に置くと今度は遠江に出陣した。目標は遠江の支配の要である高天神城。この城は武田信玄でも攻め落とすことができなかった城である。しかし勝頼はこの城を攻め落とすことに成功した。これにより勝頼への声望は大分に高まる。義昌もこの現象を大いに喜んだ。
「武田家の声望が強まれば我が家も安泰。いいことばかりだ。しかしあれだけお強い義兄をもって私は幸せ者だよ。真理」
「はい。わたくしも兄上のご活躍はうれしく思います。それが木曽と武田の縁をより深めてくれますから」
「そうだな。双方の家のためにも私は頑張らなくてはいかんな」
そんなことを考えている義昌。この時はこの夫婦にとって幸せの絶頂であったのかもしれない。だが高天神城を攻め落とした翌年の天正三年(一五七五)に衝撃的な出来事が起きる。この年三河の徳川方の長篠城を攻めた勝頼は救援に来た織田、徳川連合軍と設楽原で合戦に及んだ。そして大敗を喫してしまったのである。さらにこの戦いで信玄の頃から家を支えてきた多くの重臣が討ち死にしてしまったのだ。この敗戦が武田家に大きな影を落とし木曽家との関係にも大きく影響していくのである。
勝頼の敗戦の報を聞いた義昌は大いに動揺した。確かに織田家は巨大な勢力になりつつあったが武田家があそこまでの大敗をするとは思いもしなかったからである。何よりこれまで圧倒的な勝利を続けていた勝頼が負けたということも義昌の動揺を強くした。
「勝負は時の運とはいえ…… ここまでの大敗を喫するとは」
うろたえる義昌であったがここでさらに追い打ちをかける事態が起きた。織田家は合戦の勝利の余勢をかって東美濃の奪還に動き始めたのである。目標は秋山虎繁がこもる岩村上であった。
これに対して勝頼も軍勢を派遣し対応しようとした。義昌も出陣することになったが大敗の後である。まともな戦力を集められるはずもない。
「此度の戦は勝てましょうか」
真理は不安げに義昌に尋ねた。これに義昌は答えられない。義昌も不安であったし勝ち目は薄いと考えていたからだ。
実際武田家は援軍を派遣したものの撃退され岩村城は落城。秋山虎繁は捕縛され処刑された。そして東美濃は大部分が織田家の影響力の下に戻る。それはつまり木曽家が織田家との最前線に位置することになるということでもあった。
「勝頼様なら大丈夫なはずだ。武田家についていけば問題ない」
命からがら帰還した義昌は不安げな家臣たちにそういった。だがこの言葉をほかならぬ義昌自身が信じられないでいる。
秋山虎繁の処刑の後は一時武田家と織田家との間での表立った動きはなかった。織田家は各方面に敵を抱えている。何より武田家は敗戦からの立て直しをしなければならなかったのである。しかし武田家の敵は織田家だけではない。
この時武田家は北条家と同盟を結んでいた。だが天正六年(一五七八)に起きた上杉家の内紛の対処で北条家と敵対し同盟は破綻している。一方で上杉家と同盟を結んだが内紛の痛手も大きい上杉家は同盟相手としていささか心もとない存在である。
一方この時期の木曽家はというと特に目立った動きはなかった。織田家が領地を脅かすような動きをしてくるようなことはなく、木曽家としても取り立てて動かなければならないということもない。だが当主である義昌の考えが今まで通りというわけにはいかなかった。
木曽家は武田家の勢力として織田家の領地との最前線と言ってもいい位置にある。いくら動きがないとはいえ緊急時に備えて情報収集や武田家との連絡に気を配らねばならなかった。それは今までもやっていたが武田家が織田家に対し劣勢になった今はその重要性は増している。そうなるとどうしても真理とともにやってきた武田家の家臣達は武田家を守るために木曽家の内部で武田家のための行動をした。しかしそれが木曽家の負担になることもある。そうなるとどうしても木曽家の譜代と武田家から来た外様家臣の間も今までのようにとはいかなかった。見えない壁が生じ始めたのである。
こうした状況に心を痛めていたのは真理であった。真理としては武田家と木曽家が仲睦まじくあり続けるのが理想である。
「このところはお家の方々がいがみ合っているようにも見えます。どうしたらいいのでしょうか」
真理はそう義昌に尋ねた。真理なりに何かしなければという思いによるものである。これに対して義昌はこういった。
「お前は何も心配しなくていい。木曽家の皆はだれもがお家のために働いている。そのやり方が違うだけなのだ」
「そうですか。目指す先が同じならいずれはどうにかなりましょう」
義昌の言葉に真理は納得したようだった。だからか義昌の言葉に隠れた悩みに気づけないでいる。
現状義昌は武田家との関係について重く悩んでいた。武田家からの要求や負担日に日に増しているのである。
「(真理は武田家についていくことが木曽家のためだと信じている。しかしこのまま武田家に従っていて大丈夫だという保証はどこにもない。武田家がどうこうというより織田家が巨大すぎる)」
義昌はいろいろと情報を調べる中で織田家がとてつもなく巨大な勢力になりつつあることを知った。もっともこれは勝頼も把握していることで、先の敗戦から何とか織田家との関係修復を図っている。しかし信玄の頃からの遺恨が大きすぎてまるでうまく行っていないというのが現状であった。そしてそれは義昌も把握している。
「(もし武田家が攻められるようなことになったらまずは我らだ。その時武田家の力を借りれば抵抗はできる。しかし其れすらもできないのであれば)」
義昌は悩んでいた。そしてそれを一番身近な存在に打ち明けられない現実に苦悩するのであった。
終わらぬ悩みを抱える義昌。それでも武田家の一員としてあり続けていた。しかし天正九年(一五八一)に起きた二つの出来事をきっかけに義昌の心は武田家から離れることになる。一つは高天神城の落城であった。
高天神城は信玄でも攻め落とせなかったものを勝頼が攻め落とし手に入れた城である。勝頼の武勇の象徴ともいえる城であり徳川家との戦いにおいて重要な拠点であった。それが落城したのである。だが義昌にとって落城したことより重要な問題があった。
「勝頼様はなぜ援軍を出さなかったのだ! 時間はあったというのに」
高天神城は前の年から長い間包囲されていた。その間に勝頼は高天神城へ援軍を出していない。これには武田家が北条家との戦いに追われていて兵力に余裕がなかったこと、高天神城を攻める徳川家と戦うことで織田家との講和交渉に悪影響を与えたくなかったことなどがあった。だが何にせよ勝頼が高天神城の将兵を見捨てた結果になったことには違いない。高天神城に籠っていた将兵は皆城から打って出て討ち死にしていた。
「力は貸さぬが死ぬまで戦えということか。それが勝頼様のお考えなのか」
高天神城の将兵の末路を聞いて義昌は怒った。そして同時にこう考える。
「我らも攻められれば見捨てられるのか」
実際に起きたことを思えば無理もない考えである。そしてそうした考えが頭に浮かんでいる義昌の不信感をさらにあおるようなことが起きる。
その命令を聞いた義昌はまたも怒った。
「民への税を増やせだと! その上に材木ももっとよこせというのはどういうことか」
武田家からの命令は領内の増税と木曽谷で産出される材木をさらに送るようにというものだった。
「お家が苦しいのに城など造るからだ。それがわからんのか」
この時勝頼は新しい本拠地である新府城を築城していた。これは武田家の体制の立て直しの一環で、以前より使いやすい城を作り領内の統治を円滑に進めたいという勝頼の考えである。実際のところこの考えは悪くないのだがタイミングが悪かった。武田家は信玄の頃は領地を拡大することでさらなる富を得ることができたが、勝頼の時代は周辺を同格以上の勢力に囲まれていたので領地を拡大することができなかったのである。ゆえに領内への税などの負担を増やすしかなかったのだ。だがそれは信玄時代を知る領主たちにはとてもではないが受け入れられないものである。そして何より義昌を怒らせたのがさらなる材木の要求であった。
「この勢いで木を切り倒してはいつか木がなくなるぞ。それに税の一部だから大した金も出さないと言っている。そんなことになったら木曽谷の民は生きていけなくなる」
勝頼の要求通りに材木を供出していれば森林の再生に追いつかなくなる。しかも代金も売るより少ないらしい。木曽谷の人々の主な生活の柱は林業である。このまま勝頼の要求を呑んでいたら木曽谷の人々の生活は立ち行かなくなってしまう。だから義昌は怒ったのだ。
「もはや武田家は頼むに足らぬ」
義昌の中で覚悟は決まった。そして秘密裏に動き出す。そしてある悲劇を生みだし、それは義昌にも予測できたのだがもはや義昌に止まるつもりはなかった。
今回の話は木曽家から見た武田家の凋落の始まりといったところです。武田家が衰えれば木曽家も危うくなるのでこの時代の義昌は次々と起こる事態に相当困ったと思います。ただそれが戦国時代の小大名ともいえる領主たちの運命ともいえます。
さて今回の話で義昌はある決意をします。そしてそれが大きな事態を引き起こすことになるのですがそれは次回のお楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




