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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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木曽義昌 一所懸命 第一章

 信濃(現長野県)の武将、木曽義昌の話。境目の領地を代々守る木曽家に生まれた義昌は、いったいどのような運命をたどるのか。

 信濃(現長野県)の木曽家はその名の通り木曽谷を代々の領地とする一族である。源平の合戦の頃に活躍した源義仲の嫡流を名乗っているが真偽は怪しい。そもそも義仲の嫡流は断絶したとされている。

 木曽谷はその名の通り谷で地域の大半を急峻な山地が占めている。ゆえに農耕地は少ない。だが豊富な森林資源を有しており林業の盛んな土地であった。一方で信濃と美濃、飛騨(ともに現岐阜県)の境に近い土地でもある。そういう意味では要所と言えた。そんな土地を守り続けたのが木曽家である。

戦国時代信濃は群雄が割拠している一方でそれらの上に立つ勢力というものがいなかった。木曽家十八代当主である木曽義康も木曽谷を守り栄えさせることで手いっぱいである。もっともそれで満足していたのだが。

「我らは木曽谷を守り民と領地を栄えさせる。それが本領だ。それを忘れてはいけない」

 義康は父からそう教えられてきたし自分の嫡男にも教えている。この義康の嫡男が木曽家の十九代当主となる木曽義昌であった。

 

 義昌は天文九年(一五四〇)の生まれである。その義昌の幼い頃の信濃は大きな激動があったころである。先にも記したが信濃はそれぞれの領主が割拠して己の領地を守るという状況であった。そこに強大な外敵が現れたのである。それは甲斐(現山梨県)の武田信玄であった。

 領土の拡大をもくろむ信玄は信濃の支配を目指し侵攻してきたのである。これに対して木曽家は村上家や小笠原家と共同して対抗した。

「我らが代々守り抜いてきた木曽谷をよそ者に渡すものか」

 義康はそう息巻いていた。実際村上家の村上義清は武田信玄の侵攻を幾度も跳ね返しており信濃の領主たちの連携もうまく行っていたかのように見える。しかし小笠原家の小笠原長時が天文十七年(一五四八)塩尻峠の戦いで大敗を喫すると、徐々に武田家の優位に情勢が傾き始めた。武田信玄は比類なき名称でもあった。戦では村上義清に後れを取ることはあったが、一方で調略などを用いて戦況を有利に進めていたのである。

 これらの戦いは信濃の北部で行われていた。木曽谷があるのは信濃の南部である。信濃は南北に長い形をしているので義康が村上家や小笠原家の支援に向かうことは容易ではなかった。

「ただ手をこまねいているしかない。我らも自分の土地を守るので精一杯なのだ」

 境界の地にある木曽谷はいろいろと複雑な利害が絡んでいる。いつだれと敵対するかわからない現実もあった。そのため遠方に軍勢を送ることは難しかったのである。

 結局天文十九年(一五五〇)には小笠原家が、天文二二年(一五五三)には村上家が領地を追われてしまう。北信濃の大部分は武田家に制圧された。

「次は我ら。しかしどうするか」

 頭を抱える義康。そんな父を幼い義昌は見つめるしかなかった。


 天文二四年(弘治元年、一五五五)三月武田信玄はいよいよ木曽谷への侵攻を始めた。信玄は軍勢を三つに分けて木曽谷向けて進軍する。義康はこれを迎撃するために出陣した。

「何とか敵の出鼻だけでも挫かなければ」

 そう考える義康であるがその表情は暗い。何より戦う前からいろいろとあきらめているようにも見えた。そんな父の姿に義昌は失望を覚える。

「せめて家臣たちを勇気づけるようなことでも言えないのか。あれで木曽谷が守れるのだろうか」

 そんなことを考える義昌。だが実際武田家の軍勢は多勢であり村上義清等を打ち破ってここまで来たのだ。そんな強敵に対して立ち向かうのは木曽家の将兵のみである。心細くなるのも致し方ないことと言える。最もそんなことは若い義昌にはわからないが。

 若いといえば義昌はこの年に元服する予定であった。ただ武田家の侵攻が始まったので先延ばしにされてしまっている。この点が父に対する不満につながっていた。

 それはともかく義康は武田家の迎撃に向かった。ここまではいい。両軍は徐々に近づいていく。しかし当時では敵の正確な位置を知るというのは今以上に難しくとても困難であった。ゆえに先に敵の位置を知ることができた方が圧倒的に有利である。

 先に気づいたのは武田家の武将の原昌種であった。昌種は義康の軍勢が近づいていることを知り先んじて攻めかかろうと鬨の声をあげる。

「鋭鋭! 」

「「応! 」」

 それはなかなかの大音声であった。それはまさかそこまで敵か近づいてきているとは知らなかった義康や木曽家の将兵たちにとって、とてつもない恐怖を与えるものである。

「ひ、退くぞ! 」

 義康の号令とともに木曽家の軍勢はその場から撤退していった。昌種は驚いたが罠だと警戒し追撃をせずに陣地の確保に努める。その後義康が本当に逃げていったことを知り唖然としたのであった。


 戦わずして逃げた木曽義康。しかし意外なほど家中で非難の声はなかった。

「もうあそこまで進出してきているのならあの場で戦ってもしようがない」

「もう城に籠って戦うしかあるまい。だがそれで何とかなるとも思えんが」

 武田家の脅威に木曽家の家臣たちの戦意もくじけていた。そんな中で義昌だけが気を吐いている。

「このままでは木曽谷を守れない。何とか戦う方法を探さないと」

 そうは言うが義康を含めた皆の戦意は低いままである。それに義昌はまだ若かった。皆を説得できるだけの風格もない。

「このままでは木曽家はどうなるのか」

 憂う義昌だがここで思いがけないことが起こった。武田家の軍勢の主力が撤退し始めたのである。これに義康も義昌も木曽家の家臣たちも戸惑った。

「何の憂いもないのになぜ撤退するのだ」

 首をかしげる義昌。実はこの時北信濃の情勢が急変していたのである。

 村上義清は武田信玄に敗れた城を追われた後、越後(現新潟県)の上杉謙信を頼った。謙信は義清や武田家の脅威にさらされている信濃の領主たちを救援するために北信濃に進出したのである。

 上杉謙信は信玄にとって強大な敵であった。それに対応するために南信濃に進出させていた部隊を撤退させたのである。なにはともかく木曽家は一時的にではあるが命拾いしたのだった。


 武田家の思わぬ撤退によりわずかであるが時間は稼げた。義康もこれを天啓とでも受け取ったのか一転して武田家への反抗の思いを強くする。

「この機を生かして武田家を返り討ちにするのだ」

 家臣たちの戦意も僅かであるが高まってきた。義昌もこの流れを歓迎する。すると家臣たちの中に義昌に期待する声が出始めた。するとここで義康は思いもがけぬことを言い出す。

「義昌の元服を執り行おう。そして初陣に出てもらう」

 戦意が高揚しつつある中で主戦派と言える義昌の元服を行えばさらに戦意も高まる。義康はそう考えた。これには義昌も賛同する。

「いい機会です。ですが戦も近いので簡単なものにしていただければ」

「いや、木曽谷の者たちにも時代の木曽谷の主を見せねばならぬ。大丈夫だ。戦の準備も進める。心配はいらん」

 自信満々に言う義康。実際その通りで義昌の元服の準備と武田家との戦いの準備は並行して行われどちらも満足のいくものとなった。義康は戦が不得手であるがこうしたことは得手である。木曽家の代々の領主たちはどちらかというとこうした傾向にある。

「なんにせよ元服も戦の準備も滞りなく進んだのはいいことか」

 義昌は少しばかり父親を見直すのであった。


 弘治元年の八月、武田家の侵攻が再び始まった。義康はこれを迎え撃つべく上之段城に入る。そして義昌にはこういった。

「義昌。お前は小丸山城に入るのだ。我らが攻められればお前たちが城を出て武田家を背後から襲う。逆にお前たちが攻められたら我らが出る」

 義康は武田家を挟撃して撃退しようと考えていた。木曽谷は奥に進めば進むほど大軍は展開できなくなる。城を包囲する場合でも同様であった。その点を生かせば相手が多勢でも勝てると義康は踏んだのである。

 この義康の策に義昌も文句はない。というかまだ若い義昌はそこまで考えるに至らなかった。そもそも初陣でもある。

「父上に任された務めは必ずや果たして見せます」

「ああ。期待しているぞ。義康」

 こうして再び武田家との戦が始まった。武田家は以前と同じく部隊を三つに分けて進んでいく。義康の想定では城に到着する前に敵は合流するはずであった。

「この先は軍勢を分けられるほどの道はない。結局動きにくい大軍になるしかないはずだ」

 そう考えた義康であった。ところが武田家の軍勢は一部隊を先行させて残りの二部隊を待機させる。一部隊だけでは城を落とせるほどの兵力はないはずであった。

「どういうことだ? 」

 疑問に思う義康。すると先行していた部隊は義康の上之段城を素通りし木曽家の本城である福島城に向かっていった。これに義康は動転した。

「いかんぞ。あちらに兵はほとんどいないのだ」

 現在木曽家の兵力はほとんどを上之段城と小丸山城に割り振っている。そうなると福島城が危険であった。

「ともかくいかん。ひとまず打って出ねば」

 義康は出陣することを義昌に報せもせずに出陣した。一方武田家の軍勢は小沢川で悠々と義康を待ち構えていたのである。すべては武田家の手のひらの上であった。

 やがて義昌のもとに義康から伝令がやってきた。そして悲痛そうな表情でこう告げる。

「義康様は小沢川で敗れ、城を奪われました。何とか生き延びて残りの兵とともに福島城に逃れたようです」

「な、何をやっているのだ父上は」

 せっかく見直した父親への評価もまたも地に落ちた。ともかくこれで木曽家迎撃作戦は完全に頓挫したのである。


 福島城に戻った義康の判断は早かった。

「このまま戦っても勝ち目はない。武田家に降ろう」

 そういうや否や降伏の使者を送ってしまった。ほとんどの家臣にも話さずにである。むろん義昌にも話していない。

 これを知った義昌は怒った。

「木曽家が滅んでもいいというのか。ほかの家を見ればわかるだろう。皆滅ぼされているのだぞ」

 確かに義昌の言う通り村上家も小笠原家も城も領地を奪われている。大名家としてはほろんだといえよう。もっとも当主たちは生きているので家としてほろんだかどうかと言えば別であるが。

 義昌は怒ったが当主の義康が降伏の使者を出してしまった以上はどうしようもない。ここからあとはもう武田家の考え次第であった。だがこの時点で武田家は進軍をやめている。これがどのような意味を持つか。それは人それぞれである。

 しばらくして武田家からの返答があった。その内容は

「木曽家の降伏を認める。領地もそのままで構わない」

というものであった。その後武田家は撤退していく。木曽家の領地は武田家に奪われた分も戻され元通りになった。

 福島城に戻った義昌は混乱していた。それもそのはずでこの裁定では木曽家に得しかない。武田家も軍勢を動かしたのに骨折り損ではないか。義昌はそう思った。そしてこの疑問を義康に問うた。

「何故武田家は我らの降伏を受け入れたのですか。それにわざわざ軍勢を動かしておいて我らの領地はそのままとは」

「確かに我らと武田家の関係だけ考えれば不思議に思うかもしれんな」

 義康はもったいぶった様子で言った。これに義昌は不満な顔をする。すると義康は笑いつつも説明を始めた。

「そう拗ねるな。なに武田家の敵は我らだけではないということよ。おそらく今は越後の上杉殿との戦に注力したいはず。三月の時のことを考えれば確実だ。それに美濃との国境に近い我らを手なずけておけば後々の役に立つだろうと踏んだのだろう。我らも武田家もそれほど長く戦をしていたわけではない。遺恨も大して無い以上は降伏を受け入れてしまった方が得だと考えたのだ」

「なるほど。そういうことですか。わかりました。私は戦のことしか考えてなかったので、このような方法もあるとは。感服しました」

 そう言って義昌は平伏した。今度ばかりは心の底から父を尊敬しての行動である。一方の義康は難しい顔をしていた。

「あくまで状況を利用してのことだから結局は運がいいということだ。何よりこうなれば武田家の旗下として動くこともあろう。そうなれば別の苦労がある」

「別の苦労? 」

「そうだ。それはこれからいやでも味わうことになる」

 この義康の観測は当たった。武田家は木曽家から人質をとると同じくして信玄の三女を義昌に娶らせる。一見して好待遇のように見えるが、三女の輿入れと同時に武田家の家臣が何人か木曽家に入ってきた。彼らは木曽家が武田家の思うとおりに動くかどうかの監視ために来たのである。

 むろん家中に不満の声が上がる。しかし義康はこういって家臣たちをなだめた。

「これも木曽家と木曽谷を守るためだ。受け入れてくれ。それに向こうも我々に裏切られたら面倒だとも思っているだろう。輿入れは友好的に接したいということでもある。そこは信じていいはずだ」

 この義康の言葉に皆一応納得した。義昌も納得する。しかし同時にこう考えた。

「これよりは武田家のために戦うことが木曽家のため。しかしそうならなかった時のことも考えていかなければ」

 武田家は強いがこの先どうなるかわからない。義昌はそう心に留めておくのであった。


 現在の長野県にあたる信濃で有名な戦国大名と言えばおそらく真田家になるのだろうと思われます。しかし戦国時代が後半に差し掛かるころまでは群雄割拠と言える状況であり、武田家の支配が長く続いた地でもあります。以前取り上げた小笠原貞慶の時も感じましたが、信濃の武将たちはそれぞれの土地への思いが特に強いように感じます。それこそまさしく一所懸命の精神なのでしょう。木曽谷の領主として木曽義昌がどう生きてどう木曽谷を守ったのか。今後もお楽しみにしていてください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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