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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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波多野秀治 大河の石 後編

 丹波の領主たち一同は力を合わせて明智光秀を退けた。この結果丹波の領主たちの独立は守られる。だがこれですべてが終わったわけではなかった。明智光秀は、織田家は丹波をあきらめてはいない。そして秀治は再び立ち向かうことなるのだがそこには悲劇的な結末が待ち受けていた。

 黒井城での戦いが終わった後の丹波は驚くほど平穏であった。織田家の影響力はほとんど消え各々の領主たちが己の領地でのびのびとしている。波多野家も同様であった。

「もう織田家の連中も攻めてこないのではないか? 」

「そうですね。どうやら他の方面に軍勢を展開しているようです。松永久秀殿も裏切ったとか。我らに攻めかかる余力はなさそうですね」

 秀尚も秀香もそんなことを言っている。実際織田家がこちらに攻め込んでくるような気配はなかった。それゆえに二人そろってこんなことを言っているのである。

 一方で秀治だけは違った。確かに織田家の丹波への干渉は消えている。しかし一方で何の音沙汰もないというのもおかしかった。

「何もない、というのはおかしい。和睦しろとも下につけともいわないのはどういうことだ」

 実際戦いが終わってから和睦したわけでもない。実情はともかく織田家と丹波の領主たちは今でも抗争状態にあった。それはいつ戦が始まってもおかしくないという証でもある。

 また秀治には気がかりなことがある。

「直正殿の体調がすぐれないらしい」

「そりゃあ…… 本当か。兄者」

「それは心配ですね」

 秀治の言葉に二人の弟は驚く。なんでも秀治の聞くところによると黒井城の荻野直正が最近病気がちでしかも重病らしいというのだ。

「直正殿は丹波の将の要。何とかよくなってほしいものだが」

 嘆息する秀治。その内心には言いようのない不安が渦巻き始めている。そしてそれは早くも現実のものとなるのであった。


 秀治の懸念を現実のものとしたのは明智光秀である。光秀は主君から任された大役である丹波攻めの失敗を巨大な屈辱と感じていた。

「信長様のご期待に沿えないばかりか敵方の思惑に乗り危うく討ち取られるところであった。この屈辱をすすがなければ末代までの恥である」

 そう感じていた光秀であるがすぐには丹波への再侵攻を行わなかった。理由は二つあり一つは他の方面での戦いを優先していたことである。この時織田家は周辺の勢力との戦いを優位に進めていて、特に畿内は平定に向かって進み始めていた。離反した松永久秀や長きにわたり敵対してきた石山本願寺との戦いもいよいよ決着が近づいてきている。そして光秀はこの二つの戦いに注力していた。むろんこれは信長の命によるものであるが、光秀もその理由は十分理解している。

「丹波の者共は攻め込んでくるわけではない。ならば敵対している者どもを優先しても何の問題もないだろう。あの者共は丹波における自分たちのことしか考えていないのだ」

 実際光秀の考えている通りで秀治ら丹波の領主たちは自分たちがこれまで通り生きていけるようにということしか考えていない。それは間違っているわけではないが、大局的な視野にかけているということも事実であった。

「織田家と敵対するならほかの者どもと手を組めばいい。それを怠っているのがやつらの弱みよ」

 光秀も織田家もそう見ていいたし実際そうだった。だから手を出していないのである。もっとも丹波の大半勢力が敵対しているのは変わらないのでそこは警戒している。そしてこれこそが光秀が丹波に攻め入っていない理由のもう一つであった。

「今の丹波は敵だらけ。攻め込むなら入念な準備が必要だ」

 別に光秀は丹波の領主たちを見くびってはいない。先の評価もあくまで客観的なものであった。ゆえに勝利のために入念な準備を怠っていない。

 光秀は各地で戦いながら戦力の充実に努めた。一方で丹波侵攻の拠点となる亀山城の築城も進めている。亀山城は数少ない織田家に従う丹波の領主たちによって築城された。そして亀山城が完成すると光秀はいよいよ動き出す。

「二度もしくじりはしない。油断もだ」

 こうして明智光秀による第二次丹波侵攻が始まるのであった。

 

 天正六年(一五七八)亀山城を完成させた光秀は丹波への侵攻を再開した。以前は降伏したように見せかけた丹波の領主たちを伴っての出陣であったが、今回は自らの手勢と織田家からつけられた軍勢のみである。また丹波の奥深くに切り込んでいくのではなく勢力圏に近いところの敵から個別に攻め立てていった。

「もはや前のような失態は犯さん。時間をかけていいから着実に攻め落としていく」

 光秀は偽装の降伏に騙されて丹波の奥深くで窮地に陥ったことを深く反省している。ゆえに着実に攻め落としていく方向に切り替えたのだ。

 丹波のそれぞれの領主たちと光秀の軍勢では質も量も違う。攻められた領主たちはたまらず降伏していく。するとこれを見た丹波の領主たちに危機感が芽生えた。しかしそれは以前とは違うものである。

「織田家は今度ばかりは本気らしい。戦っても無駄ではないか」

「そうだそうだ。こうなったらとっとと降伏してしまおう。そうすれば領地ぐらいは保障してくれるかもしれん」

 領主たちは皆現実的なものの見方をしたのである。前とは違いまともに戦えば勝ち目などないと理解したのだ。だったら無駄な損害が出る前に降伏した方がいいと踏んだのである。

 この判断は領主としては正しいものである。だがこの動きに頭を抱えたのが波多野秀治であった。

「我らに断りも入れず我先に降伏するとは。なんということだ」

 秀治は丹波の領主たちが一丸とならないと戦いに勝てないということをしっかり理解している。だというのにこのありさまではどうしようもなかった。

「ともかく何か手を打たないといかん。荻野殿とも連絡をしなければ」

 そう考えた秀治であるがこの目論見もすぐに崩れ去ることとなる。

 

 今回の侵攻における光秀の動きはともかく迅速であった。丹波の領主たちが降伏し始めたのと時を同じくして八上城に兵を向けたのである。その動きはともかく早く波多野家では迎撃の準備もままならぬほどであった。

「何という早い動き。しかも兵力は我らより上だ」

 光秀の率いる軍勢の兵力は波多野家の兵力よりはるかに上であった。打って出たところで迎撃どころか足止めすら危うい差である。

「兄者。ここは籠城するしかないんじゃないか? 俺らが時間を稼げばほかの連中も動くかもしれん」

「私も秀尚兄上と同意見です。今のうちに荻野殿に連絡を取って後詰を頼みましょう」

 この弟二人の意見に秀治はうなずいた。もとより同じ意見である。

「秀尚は城の守りを固めておいてくれ。秀香は兵糧の準備を。私は荻野殿へ書状を書く」

「「承知」」

 兄の命に従い弟二人は動き出した。秀治も急いで書状をしたためる。

「ここが正念場だ。八上城が落とされなければ明智殿に従っていた者たちも不信を抱こう。そのうえで荻野殿の援軍とともに明智殿の軍勢を打ち払えればこちらに寝返るものも出てくるはず。そうすればあの時と同じくみなで一丸となって戦える体制ができるはずだ」

 秀治はそうした希望的観測を抱きながら書状を書いた。そして家臣に持たせて直正のもとに向かわせる。光秀の軍勢が到着したのはそれをほぼ時を同じくしてであった。

 包囲が進むのを見て秀香は頭を下げた。

「兵糧が思うように集まりませんでした」

 これを秀尚は慰める。

「致し方あるまい。急なのだったから。ともかく今ある分で何とか耐えしのごう」

「秀尚の言うとおりだ。伝令は城を出られたのだからいずれ荻野殿もやってくる。それまでしのぐ分の兵糧は十分だ」

 秀治も秀尚をそう慰めた。少なくともこの時まではそうなると信じていたからである。

 だがこの時の秀治は知らなかった。頼みの綱の荻野直正がすでにこの世を去っているということに。それを秀治も弟たちも知らなかった。


 天正六年三月に秀治たちの籠城戦が始まった。秀治は明日の勝利を信じて将兵たちに檄を飛ばす。

「おそらく長い苦難を味わうことになるだろう。だがその先には我らの勝利が待っている。皆一丸となって戦い抜こう! 」

「「応! 」」

 将兵たちも秀治の檄に力強く答えるのであった。

 籠城戦の初期は八上城内の士気も高く兵糧も潤沢であった。また光秀たちの包囲も穴があったらしく隠れて兵糧を運び込むことができた。

「この分なら耐えしのげるだろう。敵も思った以上に兵が足りないのかもしれんな」

 秀治は少しばかり安堵した。援軍を頼んだとはいえいつ来るかわからない状況である。兵糧の搬入もいつまでできるかわからない。ただ助けを待つというのはかなり精神的な労力を伴うものである。できるだけ早く決着をつけたいと考えている秀治であった。

「織田家も我らだけに構っているわけにはいかないだろう。どこかで撤退するかもしれん」

 そう考える秀治であったが、これは甘い考えであった。この当時の織田家は有力な武将を各方面に展開して各個対応に当たらせているという状況である。武将たちは基本的に自分に旗下の兵力で対応し、必要であれば織田家の本隊から援軍をもらうという状況であった。

 一方で例外もある。光秀は丹波の方面を担当する武将であると同時に遊撃隊として各武将の支援に回ることもあった。八上城の包囲が秀治の想定よりも甘かったのは遊撃に戦力を回しているという理由もある。ただなんにせよ攻撃が緩むことはあっても以前の用に完全に撤退するというのはあり得ないことであった。

 さらに光秀は別の手も打っている。四月には援軍と供に抵抗する丹波の領主たちを撃破していった。さらに波多野家と赤井家との連携を阻止するために中間地点に城を築いている。これは効果てきめんで、直正を失っている赤井家ではこの城を突破するどころか戦いを挑むこともできないという有様であった。

 こうした状況を秀治も弟たちも波多野家の将兵も知らない。知らないがゆえに士気は高かったのである。だが籠城戦が半年を越えてくると若干士気にも陰りが出てきた。それは秀治も感じている。

「皆も疲れてきているようだな…… 」

 このころには兵糧の搬入に滞りも出てきた。また外部からの情報も入りにくくなってきている。徐々に包囲が厳しくなってきたのだ。

「赤井家からの伝令もない。皆不安に思っているらしい」

 ため息交じりに秀治は言った。もっとも赤井家との音信不通に一番不安を感じているのはだれであろう秀治である。そんな秀治の不安を察したのか秀尚がこういった。

「一度俺が手勢を連れて攻めてくる。兵糧を入れやすくすれば皆も生き返ろう」

「ああ、頼んだ。だが無茶はするなよ」

「任せろ。そこまで馬鹿じゃあないさ」

 そう快活に言って秀尚は出陣した。そして包囲軍に痛手を与えると無傷で帰ってくる。これには波多野家の将兵も喜んだ。

「秀尚様ほどの武辺ものはそう相違ないだろう。我らの秀尚様がいればこの戦にも勝てる」

「さようさよう。それにしても敵どもの情けなさや」

 この後で翌年の天正七年(一五七九)一月に秀尚はもう一度出陣し、包囲軍の将を討ち取って見せた。これで城内の雰囲気も明るくなる。

 秀治は涙を流して秀尚に感謝した。

「よくやってくれた。本当によくやってくれた」

「何の。兄上の役に立つのが俺の務めよ」

 照れくさそうに言う秀尚。そんな兄二人を秀香は優しく見つめていた。ともかくこれで八上城内の雰囲気は明るくなった。この時だけのことであったが。


 秀尚の出撃の翌月、城内の秀治から見ても包囲軍の雰囲気が変わった。初めは再度の攻撃を警戒してかと思ったが雰囲気が違う。

「包囲の厚みが違う。兵が増えたのか? 」

 まさしくその通りであった。この時光秀は与えられていた遊撃隊の任務を終え、丹波平定に全力を費やせる状態になったのである。

「我らに抵抗しても無駄に苦しむだけだということを教えてやろう」

 この言葉通り光秀による包囲は徹底的なものになった。単純に兵力が増えたので秀治たちから攻撃を仕掛けることはできないし、警備の目のさらに厳重になったので兵糧を運び込むのも不可能となった。悲しいかな秀治がそれに気づけたのは包囲が完全に完成されてからのことである。もはや逃れることもできないほどの包囲であった。

「あとは援軍が来るまでに兵糧が足りるかどうかか」

 こうなった以上秀治の希望は赤井家の援軍である。だが直正を失った赤井家は家中の統制も取れず抵抗すらできない状況であった。だが秀治はそれを知らない。

 厳しい包囲の下で将兵たちは消耗していった。それでも戦えたのは援軍の希望があったからである。皆援軍を期待して餓死者が出ても戦い続けた。

 こうして籠城戦を続けて一年と三ヶ月がたった天正七年の六月のことである。秀香が秀治をひそかに呼び出してこう告げた。

「先ほど場内でこんなものを見つけました」

 やつれ切った表情で秀香は書状を差し出した。それは光秀による内応を誘う書状である。そしてそこには荻野直正が病死したこと、それにより赤井家は混乱し戦えるような状況でないということが書かれてあった。これを見せられた秀治はもはや絶句するしかない。そんな秀治に秀香はこう言った。

「最近城内で不穏な動きがあるように見えます。もしやすると我らをとらえて降伏する気なのかもしれません」

 もはや秀治は答えられない。秀香は沈痛な表情のまま言った。

「秀尚兄上が信頼居できるものを連れて脱出の準備をしています。せめて兄上だけでもここから逃れてください」

「ひ、秀香…… 」

 もはや何もかも限界なのだと秀治も悟った。そして無言でうなずくと自室に戻り脱出の準備を始める。だがこの準備は意味のないものとなった。この日、秀治と弟二人は家臣たちに捕らえられたのである。捕らえる方も捕らえられる方もやせ衰えていた。秀治たちは抵抗もせず縛られたが縛る方もその力がないのですぐに抜け出せるような代物であったという。しかしそれでも逃げられないほど秀治たちも衰えている。

 家臣たちに突き出された秀治たちは信長の居城のある安土に送られた。そこで三人そろって磔に処される。これにより波多野家は滅亡した。

 この後丹波は織田家に制圧されて明智光秀の領地となった。その光秀は後で信長に謀反を起こす。そこから新たな時代の流れが始まるのだがそのころには丹波の地で大事が起こるということも関わるということもなかった。波多野家は時代という大河に流れに乗れなかった一つの石に過ぎなかったのかもしれない。しかし秀治たちはこの時代を必死で生きたということは確かである。


 秀治ら三兄弟は家臣に裏切られて突き出されるという悲劇的な結末を迎えました。籠城戦の厳しさが起こした悲劇と言えます。早く降伏していればもしかしたら波多野家の将兵に被害も少なく済んだのかもしれません。しかし以前だまし討ちをしている以上は三兄弟、とくに秀治が生き残る道はなかったのかもしれませんね。

 さて話話変わって次の話の主人公ですが、今度は長野県に代々の領地を持っていたある武将です。長野県は広いので該当人物も多いでしょうがそこはお楽しみにしていてください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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