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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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波多野秀治 大河の石 中編

 幕府の内紛に伴う戦いの中で秀治は一度城を落ち延びざる負えなかった。だが父元秀の奮戦により返り咲く。勢力を取り戻した波多野家は新たな時代の大きな流れに飲まれていくことになる。

 波多野家は八上城を奪還し返り咲く。またこの時点で三好家の影響力は大分に衰えていて勢力は丹波から駆逐されつつあった。このタイミングで元秀はある決断をする。

「家督を秀治に譲る」

 城内の一間に秀治を含む一族郎党の前で元秀はそう宣言した。これに一番驚いたのは秀治その人である。秀治は戸惑いながら元秀に近寄りこう言った。

「私はまだ若輩者。家の主には不足でございます」

 弱気な表情をしながら小声で言う秀治。これに対して元秀はこう答えた。

「そんな弱気な顔をするな。先だっての畠山家への援軍などでお前は十分武功を挙げている。当主になるには十分すぎる」

「しかし…… 」

 そう不安げに言って元秀を見る秀治。だがそこで驚く。元秀はどこか疲れ切ったとも弱り切ったともとれるような顔をしていたからだ。元秀は弱弱しく微笑んで言った。

「私ももうここまでのようだ」

 後で秀治は知ったのだが元秀の体は長年の無理が祟り限界が来ていたのだった。体は弱り切り、表には出していないが病も抱えているらしい。

 秀治は悟った。父親がもはや限界であるということに。ゆえに表情を引き締め、力強く宣言した。

「承知しました。これよりは私が波多野家を取り仕切ります」

 先ほどとは打って変わっての力強い表情にその場の一同驚いた。だが元秀だけは満足そうである。そして何より肩の荷が下りたのか安らかな表情であった。

 これよりしばらくして波多野元秀はこの世を去った。

「父上。ご心配しないでください。波多野家は私が守って見せます」

 秀治は父の葬儀でそう強く誓うのであった。


 秀治が家督を継いだころ畿内の混乱もいよいよ極まりつつあった。三好家の内紛はいまだとどまることを知らず足利義輝亡き後の将軍の座も空いたままである。幸い丹波には戦火は及んでいない。秀治は状況を見定めるつもりである。

「三好家のどちらが勝つか。それを見定めてからでも遅くはあるまい。どちらが勝っても力は衰えているだろう。付け入るスキはある」

 そんなことを考えていた秀治だが予想外のことが起こった。永禄十一年(一五六八)尾張(現愛知県)と美濃(現岐阜県)を納める大名の織田信長が、義輝の弟の足利義昭を奉じて上洛してきたのである。信長は圧倒的な戦力で三好三人衆の軍勢を打ち払い、三好義継と松永久秀を支配下に置いてしまった。これにはただ驚くばかりの秀治である。

「信じられん。分裂していたとはいえあの三好家がこうも簡単に敗れるとは」

 名前も聞いたこともなかった織田信長という人物に驚嘆する秀治。だがいつまでも驚いるわけにはいかなかった。

「義昭様を次期将軍として奉じているのだ。関わらないでいるわけにはいかない」

 秀治はほかの丹波の領主たちと協議し信長と義昭に従うことにした。これは信長が丹波に対して積極的な姿勢を見せなかったことが理由である。

「我らとしてはこのままにしてもらいたいだけだ」

 信長も従順な姿勢を見せた丹波の領主たちに穏やかな対応をとった。丹波の領主たちはそのまま領地を認められて家を存続させたのである。

「これで丹波も平穏になるか」

 幼いころから動乱の中にあった秀治にとってはありがたい話であった。しかしこの平穏も終わる時が来るのである。


 信長の上洛と足利義昭の将軍就任によって畿内は安定したかに見えた。しかしまだ機内には信長に反抗し義昭に抵抗する者もいる上に周辺地域にも信長に反抗する者も多い。

 こうした情勢の中で元号が元亀に変わると京周辺の空気が変わってくる。具体的に言うと信長と義昭の不和が目立ち始めたのだ。

 義昭は将軍として親政を行って天下を差配したい。一方で信長は義昭を尊重しつつもその権威を利用し己の支配を確かなものにしようと考えていた。やがて信長の野心は天下を統一せんというところまでくる。こうなってくると幕府の長として全国を統治したい義昭との溝は深まるばかりであった。

 京の都に近い丹波でも剣呑な空気が漂い始めてくる。

「最近信長殿と義昭様が不和という風聞を聞いている。お前たちはどう思う」

 秀治は二人の弟を呼んでそう尋ねた。まず秀尚はこれを聞いて驚く。

「公方様と信長殿は仲が悪いのか」

 秀尚は武辺ものである。しかしこうした情勢の機微にはいささか疎かった。これには秀香もあきれる。

「兄上は戦以外のことに疎すぎます」

「秀香の言うとおりだな」

 秀治も秀香の言葉に同意した。これに対して秀尚は苦笑しながら頭をかく。

「仕方ないだろう。そういう頭を使うのは兄者や秀香の方が得手だ。俺が口出ししても邪魔になるだけだろう」

 秀尚は自分の考えを素直に言った。こうした素直さが兄や弟にとってはとても好ましい人物に映っているのである。そしてこの素直さゆえの率直な意見を秀治は大事にしていた。

「それで、改めて秀尚はどう思う」

「そりゃあ何あったら義昭様につくべきだろう。俺たちは代々そうしてきたのだから」

「なるほど。その通りです」

 秀香も秀尚の意見に同意した。確かに三人の兄の元秀も管領である細川政元に逆らう三好長慶と敵対し続けている。あの時将軍の義輝は晴元方であった。

「波多野家の平穏を思えば大義ある方につくのが正道か」

 秀治は二人の意見を受け入れる。そしていつかやってくる選択の時に備えて動き出すのであった。


 織田信長は各地の敵と戦い着実に領地を広げていく。その中で元号が元亀から天正に変わった。この元亀四年改め天正元年(一五七三)にある大きな出来事が起きている。それは将軍足利義昭が信長と敵対し、結果京を追い出されたのである。そして室町幕府は事実上滅亡した。

 これらの動きに波多野家を含む丹波の諸将は関わっていない。しいて言うなら内藤家が義昭に味方したぐらいである。しかしこの出来事に対する動揺は大きかった。

「信長殿は敵対すれば公方様すら追い払うのか」

 秀治の中で信長への恐れが生じ始めていた。むろんそれは秀治や波多野家の人々だけの話ではない。丹波の領主たちの間で信長への恐怖心と疑心が芽生え始めていたのである。

 それでも丹波の領主たちは表面上、信長への忠義を誓っていた。また信長が直接丹波に攻め入るような行動をとっていなかったことも理由である。だが天正三年(一五七五)になるとそれも危うくなった。

 この時追放されていた足利義昭は京への復帰をねらっていた。そしてその支援を荻野直正に依頼し直正もこれを受け入れたのである。しかしこれが信長に露見してしまった。信長は重臣で名将と名高い明智光秀に兵を預け直正の討伐を命じたのである。そして丹波の諸将にもこれに参加することを命じた。

 こうした信長の動きを受けて秀治は直正と秘密裏に連絡を取った。そしてこう提案する。

「信長殿が丹波の地を手中に収めようとしているのは明白。もはや従うことはできません。このうえは直正殿に味方し丹波の地を守り抜いて見せましょう。ほかの丹波の領主たちも同じくです」

 そしてこう告げた。

「私にある策があります。これがうまくいけば必ず織田家の軍勢は追い払えましょう」

 こうして波多野秀治は巨大な勢力である織田家との戦いを決意したのであった。


 天正三年明智光秀率いる軍勢は直正のこもる黒井城に向かった。そしてこの軍勢に秀治を含む丹波の領主たちの大半が参加している。この状況を光秀は大いに喜んだ。

「丹波の皆の忠義には感じ入った。今後の領地の安堵や信長様への取次はこの光秀に任せてくれていい。皆の今後は必ずや保証する」

 光秀は出陣する前にそう言った。これは心の底からの言葉であり本心からそう思っている。光秀は秀治をはじめとした丹波の領主たちが織田家の威光に従っていると感じていたのだ。

 喜色満面に言う光秀。その前に秀治が進み出てきてこう言った。

「これも信長様の御威光によるものにございます」

「そうかそうか。信長様は新たな時代をおつくりになられる方。その威光はだれでもわかるのだろう。波多野殿は荻野殿と違い世の流れをご理解されておる」

「ありがたきお言葉にございます。これよりは丹波の皆は信長様をお支えする所存にございます」

秀治はこういったが事実は違う。この時光秀に従っている丹波の領主の大半が光秀を裏切るつもりでいたのだ。これこそが秀治の考えた策である。

「明智殿は我ら丹波の領主たちに直正殿征伐に参加するように言ってきた。おそらくこれに従わないものをのちに討伐するつもりなのだろう。それを見定めるつもりだのだ。だが逆にこれを利用する。黒井城は丹波の奥深く。城を囲んだら我らは明智殿を攻める。その時直正殿が城から出られれば挟み撃ちにできる。そうすれば明智殿を討つことも可能だ」

 この秀治の策に直正も丹波の領主たちも皆乗った。この時の丹波の領主たちの大半が織田家の干渉を嫌って、独立を保とうと考えていたからである。

「丹波は今まで三好家にも屈しなかった。よそから来た織田家などに従う道理はない」

 これが丹波の多くの領主たちの考えであった。もっともこうした考えは戦国時代ではあまり珍しいものではない。基本的に大小問わず各地方の多くの領主たちが干渉を嫌い独立していようと考えていたのである。一方で織田家のような巨大な勢力はそうした独立した領主たちを自分の勢力に組み込もうとしていた。結局今回の明智光秀の出陣もそうした両陣営の思惑が対立したことによる結果なのである。

 この時点ではどちらが時代の流れに即したものなのかは誰にもわからない。だが秀治は己の選んだ道が波多野家を守る道だと信じて疑わなかった。


 光秀率いる軍勢は何の障害もなく黒井城にたどり着いた。表向き丹波の領主たちは大半が従軍しているのだから当然である。光秀は黒井城を包囲して直正たちの降伏を待った。

「波多野殿やほかの者たちは皆我らに従っている。これを見れば荻野殿も抵抗をあきらめて自ら降るだろう。無用な戦いは無駄な人死にを出すだけだ」

 包囲軍の大半は丹波の領主たちである。そして彼らは皆光秀を裏切るつもりであった。だがここで若干の齟齬が生じる。それは裏切りのタイミングである。つまりはすぐに攻撃を仕掛けるか、それとも若干の間をおいて攻撃を仕掛けるかであった。

 秀治もこれについては悩んでいた。というのも丹波の領主たちが皆信頼しあっているわけではないのである。

「今は織田家への抵抗ということでまとまっている。しかし少し前までは敵対したり領地の境目を争ったりした者たちもいるのだ。疑心があるのも仕様がない」

 当初は織田家への抵抗で領主たちは一致して抵抗する姿勢を見せていた。それは皆織田家の勢力の大きさをある程度認識していて一丸とならなければならないと考えていたからである。だがここに至るまでの経緯は驚くほど簡単に行った。ゆえにどこか織田家や光秀を侮る気持ちが出てきて、それが結果的に団結を緩めることにつながったのである。すると今度は一度団結したことで隠れていた疑心が生じ始めたのだ。そのうえ攻撃のタイミングに関しての考えで対立まで始まってしまっている。

「明智殿を完全に油断させるには若干の時を置いた方がいい。だがそれを裏切らないつもりなのだというように見ている者もいるのだ」

 秀治はそう秀尚と秀香に吐露した。秀治にとって何をおいても信頼できるのはこの二人である。そしてこの二人も秀治を何よりも信頼していた。

「どうにか間を置くことを説得できる方法はないのか。正直俺には思いつかん」

 悩まし気に首をかしげて秀尚は言った。秀香も頭を抱える。

「ここまでうまくいくことでかえって亀裂が生じるとは。こうなった以上間を置くにしてもあまり長く時は稼げません」

「そうだな。しかし丹波の大将は兄者なのだろう。兄者が言えば皆いうことを聞くんじゃないのか」

「そうはうまくいかん。私を同格とみる者もいる。そういうのは誰にでも格上と認められたものでないと」

 そう言ってから秀治は気づいた。その誰にでも格上と認められた人物がいる。

「小々危険だがこの手しかないか」

 そう考えた秀治は秘密裏に黒井城に使者を送った。そして直正にこんな書状を書いてもらう。

「敵方を油断させるにはできるだけ長く間を置くべし。時が経てば敵の意気も下がり戦もしやすくなる。この際はふた月ほど待ち仕掛けるべき」

 秀治はこの書状を丹波の領主たちに見せた。書状を通して名高き荻野直正の兵法を聞きみんな納得する。

「直正殿のおっしゃられている通り、これより二月のちに攻めかかる」

 丹波勢の心はまとまった。そして黒井城の包囲から二か月後、秀治は光秀の軍勢に攻撃をしかけた。ほかの丹波の領主たちも同時にである。

「我らを謀るとは。覚えているがいい」

 光秀はそう言い残して敗走していった。秀治たちの圧倒的な大勝である。一同大喜びであった。

「これで丹波は守られた」

 喜ぶ秀治。だがここで光秀を逃がしたことが秀治たちの運命を決めることになる。


 今回の話は織田家による丹波への第一次侵攻に関する話でした。明智光秀は大敗し織田家は丹波からの撤退を余儀なくされたわけですが、一方で織田家は周辺勢力との戦いに勝利を収めていき着々とその勢力を広げています。それを知らなかった秀治は織田家と戦うことを選んだわけですが、それが吉と出るか凶と出るかは次のお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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