伊東義祐 変貌 第六章
島津家の総攻撃を受けた伊東家それでも。すでに内部から崩壊が始まっていた伊東家からは離反者が続出する。着々と近づく滅亡を前に義祐はどうするのか。
祐兵の敗走と飫肥城の包囲を受けて少しばかり目が覚めた義祐。しかしもはや今更な話である。なぜならさらに状況が悪化したからだ。
「土持家が攻めてきたか。この機を逃すまいということか」
義祐の耳に入った情報は日向北部の領主である土持家が攻撃を仕掛けてきたということだった。土持家は伊東家と敵対関係にある領主である。ここしばらくはおとなしかったが島津家の大攻勢を受けて動き出したようだった。これで伊東家は三方に敵を抱えたことになる。そのうえ伊東家内部はガタガタであった。
「せめて家の立て直しだけでな成さねば」
「そ、それはどうなさるおつもりですか」
祐松はおびえながら義祐に尋ねた。もしかしたら自分が粛清されるかもしれないという恐怖からである。この男はこの期に及んでも自分の身しか考えていない。
実際伊東家をここまでの状況に追いやった大きな原因は祐松にある。しかし義祐の行ったのは全く別のことであった。天正五年の八月に義祐はこんなことを発表する。
「家督を義賢に譲ろう」
義祐が行ったのは孫の義賢への家督の移譲であった。もっとも義賢はまだ十歳。要するに表面上のものである。
「これで人心も少しは変わるだろう」
そんな甘い考えをしている義祐。だがもはや事態はその程度で収まるようなものではなかった。
年の瀬も近づいた天正五年十二月。野尻城の城主の福永祐友が離反し島津家の兵士を城内に引き入れた。これを聞いた義祐は怒り狂う。
「やはり島津に通じていたか。あの裏切り者め」
これに祐松も同意する。
「まったくです。あの援軍の要請も義祐様を罠にはめるために策だったのでしょう」
「おそらくはそうだ。だがしかし気になるな」
冷静になった義祐はそう言って首を傾げた。
「何故今更なのだ。もっと早く離反していれば島津の覚えもめでたかろうに」
「それは分かりませぬ。所詮裏切り者のすることゆえ」
祐松は鼻で笑ってそういった。義祐も祐松がそういうので一応は納得する。
さて祐友がこの時期に離反した理由であるが、それは単純明快なものであった。ただ今まで島津家に抵抗をしていたからである。だがもはやそれもこの時で限界だと悟ったからで、島津家の説得をやむなく受け入れたのだ。
祐友を説得したのは島津家の武将の上原尚近である。
「いやぁ。よく受け入れてくださいました」
そう明るい顔で言う尚近。一方で祐友の表情は暗い。
「いくら城の者のためとはいえ主君を裏切る羽目になるとは」
「いや、致し方ありませぬ。福永殿に非はありません。悪いのはすべて福永殿を見捨てた伊東義祐にございますよ」
そう笑って言う尚近であった。これに祐友は返事もせずにとぼとぼと去っていく。その後姿を見て尚近はほくそ笑んだ。そして心の中で自分を喝采する。
「(こうもうまくいくとはな。私の知恵も捨てたものではない)」
実は先だってより佐土原で流れていた祐友の悪いうわさは、すべて尚近が流したものであった。うわさを流すことで祐友を孤立させてことを有利に運ぼうとしたのである。そしてそれは何もかもうまくいった。
そして尚近のたくらみを祐友も義祐も誰も気づいていないのである。これでは勝てるはずもなかった。
伊東家と婚姻関係にある福永家の祐友が離反したことは伊東家の家臣たちにますますの衝撃を与えた。
「福永殿までもが義祐様を見限られた。もはやどうしようもないではないか」
「あれだけ戦った福永殿を義祐様は見捨てられた。我らなどが助けを求めようとも応えてくれるはずもない」
これでどうなるかというと以前の米良重矩の離反の時と同じである。連鎖的な離反が起きた。具体的には伊東家領地の西部にある内山城と紙屋城が島津家に寝返ったのである。これで伊東家の西の守りは完全に崩壊した。
ここまでくると義祐の危機感も最大のものとなる。
「このままでは西からくる島津家を抑えられない。ともかく城を取り戻さなければ」
十二月八日、義祐はすぐに軍を編成し出陣した。ひとまずの目標は紙屋城である。とりあえず戦えるだけの兵は集められたのは、まだ一応義祐を見限らないでいてくれる家臣がいるということである。
「ありがたい話ではあるな」
こういう窮地だからこそ優しさが身に染みるというものであった。これで調子を取り戻した義祐は意気揚々と紙屋城に向かう。ところが途中で祐松からの伝令がやってきた。
「義祐様の留守中をねらい謀反を起こそうとしている者がおります。どうかお引き返し下さい」
これには義祐も動転した。しかしこうなれば仕方ない。
「引き返すしかあるまい。せっかく皆が集まってくれたというのに」
出陣の時とは一転して肩を落として引き返す義祐。実際のところ謀反は本当のことであったらしく、迅速な鎮圧に成功した。しかしこれでいよいよ伊東家将兵の戦意は失われる。また今度はだれが謀反を起こすかと疑心暗鬼になるのであった。
翌日、義祐は軍議を開いた。集めた家臣は信頼のおける側近たちである。つまりは祐松をはじめとした面々であった。正直軍議の場では役に立たない。しかしこの面々以外、佐土原に信のおけるものもいないというのが今の伊東家の現状であった。
「これよりこの状況を打破するための策を考えたい」
義祐はそういうが皆黙り込んでいた。もともと戦は不得手なものしかいない。そのうえでこの状況である。だれも何も思い浮かばないし打つ手もないというのが現状であった。
もっともそれは義祐もわかっている。わかっているが何とか一縷の望みに賭けたいと考えていたのだ。だがその望みもこの沈黙で断ち切られる。
重い沈黙が軍議の場を包む。するとそこに伝令が駆け込んできた。
「祐兵様が戻られました」
驚く一同。そこに祐兵がやってくる。疲労困憊であったがまだ力強い瞳をしていた。義祐たちとは大違いである。
「よく帰ってきた。祐兵」
感極まった義祐は祐兵に駆け寄る。しかし祐兵はそれを制してこういった。
「私たちは何とか飫肥城から脱してきました。しかし城の城は必須。何より島津軍は飫肥を越えて佐土原に迫っております。何か手を打たなければお家は滅びましょう」
まだ十代の少年は力強く絶望を告げた。義祐たちは打ちひしがれる。
「もうこうなってはどうしようもないではないか」
嘆く義祐。打って出ても兵力差がありすぎる。籠城しても援軍など来ないだろう。もはや戦うすべはなかった。しかし生き残るすべは一応ある。それはそれで厳しいものだが、生き残るためにはそれしかない。義祐は迅速に決断した。
「城を捨てる。そして日向から逃れるぞ」
「な、何を申されるのですか」
祐松は驚嘆した。義祐の言うとおりのことを実行すれば今まで築いてきたものはすべて失われる。それを恐れて反射的に反対したのだ。そんな祐松を義祐は睨みつけた。
「ならば手はあるのか。この情勢を打破する手はあるのか? 」
そう問われて祐松は沈黙した。祐松だって打つ手がないし思い浮かばないのである。
「もはや猶予はない。急ぎ逃げるぞ」
こうして義祐たちは日向を脱出する決意を固めた。そしてそれは戦国大名伊東家の滅亡を意味することでもある。
義祐たちの脱出の準備は迅速に行われた。その日の午後には出立できるほどである。女子供を含む総勢一五〇名ほどの一行が目指すのは豊後(現大分県)の大友宗麟の下であった。宗麟は義益の妻阿喜多の叔父である。その縁を頼って落ち延びようということであった。
縁はあるにはあるがそこまで深いものではない。これには祐兵も不安に思う。
「宗麟様は我らを助けてくれるでしょうか」
「信じるしかあるまい。ほかに頼れるものいないのだ」
義祐にも不安はある。しかし他に行く当てもない。義祐たちは佐土原から北上し豊後に向かった。道中は可能な限り味方側の領地を通っていく。それは家臣たちを見捨てていく姿を見せるわけでもあるから義祐の心もいたい。それでも伊東家の血筋を絶やさぬためにも進むしかなかった。
そうして進んでいるうちに落合兼朝の領地である財部に近づいた。
「一度落合の城に入って休もうか」
そう考える義祐。一方祐松の顔色は悪い。それもそのはずで祐松はかつて兼朝の息子を成敗していたからだ。その復讐がここで行われるかもしれないとおびえていたのである。一切それはその通りになった。だが祐松にも義祐にも思いもよらない形である。
義祐たちが財部と隣の領地の境に入るとそこには武装した兵がいた。
「兼朝の迎えのものか? 」
そう考える義祐だがそれにしては様子がおかしい。こちらを睨みつけているかのような様子なのである。やがてその中から将であろう男が進み出てきてこういった。
「我らの主君、兼朝様は島津家に降りました。もし義祐様が財部に入られるのならばその実をとらえて島津家に差し出します」
義祐たち一同は絶句した。兼朝は祐松と並んで義祐の側近であった人物である。それが裏切ったのだ。
兵たちは武器を構えて威嚇している。兼朝の本気がわかった。義祐たちは一旦引き下がるとどうするか話し合う。
「とりあえず使者を立てて落合殿のもとに送りましょう。領内を通ることだけでも見逃してもらえればそれで充分です」
「そうだな。そうしよう。ともかく領地を通してもらえればいいのだ。あ奴はかつて私のそばに仕えていたのだ。それくらいの恩情はあろう」
義祐は祐兵の提案をそのまま取り入れた。そして家臣の栗木太郎五郎と山伏の東光坊を兼朝のもとに送る。兼朝の前に通された太郎五郎は領地の通過を訴えた。
「今は違えど落合殿は義祐様に恩義がありましょう。攻めて領地を通過させていただくことはできませぬか」
こう言われて兼朝は笑った。それを見て太郎五郎は願いが通ったと安心する。だが次の瞬間兼朝は持っていた鉄鞭で東光坊を撲殺した。そして太郎五郎にこう告げる。
「伊東祐松の首を持ってきたら受け入れましょう」
そう言った兼朝の目は恐ろしいほど冷淡であった。兼朝は息子を成敗されたことを忘れてはいない。そしてもはや義祐には何の恩義も感じてはいなかった。
東光坊が撲殺されたのを見て太郎五郎は慌てて逃げだした。その足元に足軽の放った矢が刺さる。これが兼朝の返答であった。
太郎五郎から兼朝の返答を聞いて義祐は絶望した。
「兼朝はそこまで。ああ、私はなにも知らなかった。何も知ろうとしなかった。なんと愚かだったのだ」
義祐の悲嘆と悔恨はすさまじく、その場で切腹をしようとするほどであった。一方の祐松は青い顔をして部下の陰に隠れている。そんな祐松を義祐は一瞥して言った。
「今は皆で生き残ることのみ。祐松。お前への責めは後々にだ」
「は、ははっ! 」
祐松は地面に額をこすりつけて平伏した。だがそれで状況が好転するわけではない。
こうなった以上は財部を通過することはできない。しかしそうなる選べるルートはおのずと限られた。
「敵の追撃をかわし、人知れず豊後に逃れられる道となればもはや米良山中を経て高千穂を通るしかない」
米良山中はもちろん高千穂も険しい道のりである。しかも今は十二月で珍しく雪が降っていた。そこまでの困難な道のりである。だがそれでも義祐は決断した。もはや日向から脱出する道はそれしかないのである。
「皆、厳しい道のりになるがついてきてくれ」
義祐は土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。そんな姿を見せられれば家臣も一族の者たちも承知するほかない。一同は困難な道に挑むことになった。
道中の険しさはすさまじいものであった。ただでさえ悪い足場に雪が積もっている。さらに島津家の追撃を逃れるためには急がなければならない。そのうえに道中山賊まで現れた。追撃の手や山賊と戦って命を落とす者。険しい山道で足を滑らせて転落死する者。疲労と寒さの苦しさから逃れるために自決する者。すさまじい地獄絵図であった。
道中で義祐は命を落としていく者たちを見て自責の念にさいなまれる。むろん義祐へ恨み言を残して死ぬものもいた。
「こうなったのもすべては義祐様のせいでございます」
そうはっきりと言って死んだ者は一人や二人ではない。そのたびに絶望した義祐は何度も腹を切ろうとした。しかしそのたびに祐兵や家臣に止められる。
「ここで腹を切るのは父上が苦しみから逃れたいがためのもの。そのようなことは決して許されませぬ」
「ああ、そうだな。祐兵の言うとおりだ」
そう答える義祐はめっきりと老け込んでいた。数日前佐土原にいた時より十歳以上老け込んでいる。正直この道中で死んでしまうのではないかというほどの憔悴であった。
そんな険しい道中を歩き続けること数日、ついに豊後に入った。その時に人数は八十人ほどになっていたという。しかしそれでも義祐は生きて豊後にたどり着いたのである。そのおかげか少しばかり希望を持つ義祐であった。
伊東家の崩壊は盛者必衰そのもののと言えます。かつては日向を手中に収めかけたものの、堕落し家臣の信を失っていく様は何とも哀れに見えます。義祐は自らの過ちに追いつめられてから気づきました。それが幸いと言えるかどうかは各人によって分かれるでしょう。
さて何とか生き残り日向を脱出した義祐。この後いったいどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




