表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
264/414

伊東義祐 変貌 第五章

 木崎原の戦いでの敗戦から義祐は大名としての責務を厭い始めた。そしてそれに乗じた側近たちが蠢動し、志ある家臣たちの心は義祐から離れていく。やがて内側が腐り始めた伊東家の崩壊が始まる。

 天正四年(一五七六)、ついにその時が来た。島津義久が自ら三万の軍勢を率いて出陣し、伊東家の領地に侵攻してきたのである。目標は伊東四七城の一つである高原城。城主は長倉祐政。長倉家は伊東家初代の伊東祐時子の長倉祐氏が祖であり、日向に下向した際に家臣となった譜代中の譜代であった。祐政も実直な男で義祐からも家中からも信頼も厚い。高原城の城主になったのは木崎原の敗戦の直後であったが、それからもわかる通り信頼されている人物である。

 島津家三万に対して高原城の城兵はおよそ四百。戦いにならない戦力差である。

「こうなれば殿に援軍を頼むしかない」

 城主の祐政は即座に判断した。高原城は領地の境に近い位置にある。この城が落城すれば伊東家にとって危機的な状況に陥るかもしれなかった。

「高原城は要所。殿もそれはわかっているはず。すぐに援軍を送ってくれるだろう」

 この時祐政はそう信じて疑わなかった。しかし祐政は知らないのである。この時の伊東家の内情を。


 このころの義祐はいよいよ政務を放り出して京文化の諸芸に勤しんでいた。もはやそこに昔日の姿はない。祐松はそれをいいことにやりたい放題していた。義祐の周囲にいる家臣たちは皆祐松の息のかかった者たちばかりで、都合のいい情報ばかりを義祐に伝えている。兼朝らの気概のある家臣たちはみな自分の城に戻って軍備を進めていた。もはや義祐、というか伊東家を頼らず己の力で自分の家を守ろうとしていたのである。

 そんなところに祐政からの援軍要請が届いた。最初は無視しようと考えた祐松だが、そこに書かれていた三万という数を見てさすがに思い直す。

「高原城を落とされるのはまずい。しかし三万の兵に勝てるはずもない。どうするか」

 悩む祐松。しかしこうした事態に有効な打開策を出せる男ではない。するとどういうわけか義祐の耳にこの情報が入った。そして義祐は意外なことを言い出す。

「私が自ら出陣しよう。私が打って出て戦えば島津の者共も逃げ出すに違いない」

 何の根拠もない発言である。しかし義祐は自信満々であった。そして祐松の制止も聞かず出陣してしまう。

 こうして出陣した義祐率いる軍勢は高原城の救援のために出陣した。この時高原城は完全に包囲されていたものの祐政率いる将兵の奮闘で落城を免れている。しかし水の手を絶たれて風前の灯火であった。

「援軍は必ず来る。それまで何としてでも耐えるのだ」

 そう祐政は将兵を励ましていた。そして待望の義祐率いる援軍が来る。ところが

「な、なんという数だ。勝てるはずもない」

島津軍の大量の兵を見て義祐は怖気づいてしまった。その挙句

「ここで戦っては無駄死にするだけだ。撤退するぞ」

そのまま戦わず撤退してしまったのである。その様子を見ていた高原城の将兵たちは絶望した。祐政も同様であった。そしてすぐに決断する。

「城を明け渡そう。こうなれば我らが生き残る道を探すのだ」

 この早い決断もあってか祐政ら将兵の助命を条件に高原城の開城は受け入れられた。祐政たちは城を出ると近くにある野尻城に向けて撤退していく。高原城には島津家臣の上原尚近が入った。これが伊東家崩壊の始まりとなる。


 島津家が高原城に攻めかかるより以前、小林城の米良矩重には寝返りの誘いが来ていた。むろん矩重と義祐の間にあった諍いは承知の上である。

 矩重は答えを保留にしていた。確かに義祐との関係は破綻している。祐松たちがのさばっている伊東家の状況にも腹は立っていた。しかしそれでも伊東家自体に対する忠誠心は消えてはいないのである。それは兄の重方が最後まで伊東家に尽くしてきたということがあった。何より今は頭も冷えて兄の遺領の一部が取り上げられたことにもある程度納得している。

「島津家は近いうちに攻めてくるのだろう。その時に義祐様がどうするか、だ」

 ここは事態を静観することにした矩重。そしていよいよ島津家は攻め込んできた。それに対して義祐は出陣するも戦わずに逃げてしまう。これには矩重もあきれるしかない。

「わざわざ出陣したというのに一戦も交えず逃げるとは。敵が多勢でもやりようはあるだろう。あれは本当に何も調べす考えず慢心して出てきただけだ」

 もはや怒りも湧かなかった。むしろ頭は冷えている。冷静に米良家を守る決断を下せた。

「島津家に降る。それよりほかに兄上から継いだ家を守る方法はない。もはや伊東家は滅びるしかないだろう」

 このタイミングでの寝返りがどういう意味を示すか。矩重にはよくわかっている。それがわかるから今寝返ることにしたのだ。

「おそらくは俺が呼び水になるだろう。ならば俺は伊東家を滅ぼした大悪人だな」

 矩重の返答が義久のもとに届いたのは高原城が降伏したその日だった。矩重の出した寝返りの条件は所領安堵のみ。

「たやすい条件だ。無欲にもほどがある」

 義久もこれから起こることが予測できている。それを考えれば所領安堵だけというのは大分に欲がないと言えた。

 高原城が開城した翌日島津家の将兵が米良家の城に入った。戦いもせずに城に入ったことで米良家の寝返りは周知される。これを受けて事態はさらに加速していくことになる。


 矩重の離反は多くの伊東家家臣に二つの衝撃を与えた。一つは伊東家のために奮戦してきた米良家が離反したこと。もう一つは要所である小林城が島津家の手に落ちたことである。この二つに加えて高原城の救援失敗と落城を合わせれば、伊東家の凋落はだれの目から見ても明らかであった。そうなると伊東四八城を預かる各城主たちもいよいよ行動に移る。

「もはや伊東家はだめだ。こうなれば早く島津家に降ってしまおう」

 そう考えた三ツ山城、野首城、岩牟礼城の城主たちは矩重に続いて島津家に降伏し城を明け渡してしまった。

 この時島津家との最前線に位置することになったのが野尻城である。三つの城の寝返りを受けて野尻城の城主の福永祐友は窮地に追いやられていた。

「こうも続けて寝返るとは。しかし岩牟礼城が敵の手に落ちたのは痛手だな」

 岩牟礼城は野尻城を補佐する城であった。それが落城してしまっては野尻城の防御力も大分に下がる。

「この窮地。義祐様のお力をお貸しりなければ」

 祐友は城の守りを固めつつ事態打開のための行動を義祐に訴えた。しかし義祐は一向に動かない。

「義祐様はなぜ動かれないのだ」

 この時祐友の救援要請はことごとく義祐の側近たちに握りつぶされていた。そのため義祐は何も知らず相変わらずの生活を送っていたのである。そして祐松ら側近たちはこの窮地に見て見ぬふりをした。そもそも打開策を思いつける面々ではない。できるのは現実逃避ぐらいである。

「今日も平穏か。それでいい」

「まったくその通りでございますな。義祐様」

「日和もいいし茶会でも開くか」

 何も知らずのんきな義祐。もはや高原城救援の失敗など忘れている。一方の祐松は知っている。だが知っていることを言い出せない。言い出せば今の生活が崩壊するかもしれないからだ。

「(島津の連中のやることなどうまくいくか。どこかで負けて引き返すに違いない)」

 こんなことを考えていた祐松。だが自分自身この考えに半信半疑であった。


 島津家は着実に伊東家の領地を制圧していった。義祐が有効的な対策を撃たないでいるのだから当然である。野尻城は包囲されまだ伊東家に従う家臣たちも個々で対応するにとどまっていた。

 こうした情勢を義祐は知らない。祐松たちが何も知らせないのだから当然である。このような状況下で佐土原城下には妙な噂が流れ始めた。それは祐友が島津家に内通しているというものである。

 心ある家臣はそれを信じていない。なぜなら祐友は今も野尻城を必死で死守しているからである。一方祐松たち義祐の側近たちはどうか。

「福永が内通? あ奴め、援軍を求めたのはうそだったのか。福永の家は伊東家とも縁戚であるというのに。何を考えているのだ」

 祐松はこの噂をあっさりと信じた。それだけでなくこの噂だけを義祐に伝える。

「義祐様。福永祐友が島津家に内通しているそうです。これは私が調べた確かなことです」

「何だと! 祐友め。伊東家の縁戚だからと目をかけてやったというのに」

 義祐はあっさりと信じた。祐松が確かなことだといったのならばそうに違いない。義祐はそう考えている。そして祐松はそれとなく祐友の援軍要請を義祐に伝えた。

「実は福永から援軍の要請が来ております。なんでも城を包囲されているとのこと。ですが信じられませんな。きっと義祐様をおびき出して討ち取ってしまおうと考えておるのです」

「内通するだけでなくそのような謀を企てるとは。馬鹿にしおって。そうはいかぬぞ」

「勿論です。義祐様は佐土原にとどまり、お家のことはわたくしにお任せくだされ」

「ああ。頼むぞ。祐松」

 頼られた祐松はほくそ笑んだ。これで自分の立場は安泰だと思ったからである。もっともその立場はすでに崩れかかっていた。そしてそれは義祐も同じくである。


 年が明けて天正五年(一五七七)になった。佐土原城下は平穏であり城内も驚くほど平穏である。義祐も安心して年始の祝いをできるほどであった。

「我が領内に入った島津家の者共は攻めあぐねて年を越したようだ。今年は身の程を知って引き返すだろう」

 年始の挨拶の場で義祐はそう言った。これをその場の家臣一同満面の笑みでうなずく。もっとも義祐以外はだれもそうは思っていない。しかしこうなれば自分たちの都合のいい話であるから笑顔でいたのである。

 実際のところ戦況は厳しい。伊東家の城主たちは個々に耐えてはいたものの現状を打破する手段はない。せいぜいできるのは足止めぐらいである。もしくはあきらめて島津家に寝返るかであった。しかし義祐のところにはこの家臣たちの窮状は届いていない。相も変わらず祐松ら側近たちがすべて握りつぶしている。義祐は何も知らず佐土原のみが平和であった。だがさらに時が進んで六月になるとそうもいっていられなくなる。

 この六月、伊東家の領地の南端に位置する櫛間城が落城した。櫛間城は伊東家の南の守りの要である。この城の落城はさすがに衝撃的な出来事であり、祐松も義祐の耳にいられずにはできなかった。

「櫛間が落城したのか。だが、どういうことだ。攻め入られているなど私は知らんぞ」

 こう問われて祐松は答えに窮した。やっとひねり出したのが

「敵の動きが思うように早く。ですが敵方の被害は甚大のようです。すぐには動けないでしょう」

というものであった。だがこれを聞いた義祐はすぐに決断を下す。

「よし。ならば飫肥の祐兵を出陣させよ。敵が疲弊している隙に一気に攻めかかり、櫛間城を奪還するのだ」

 これを聞いて祐松は絶句した。確かに祐松の情報が正しければ上策と言える。飫肥と櫛間はそれをほど離れてはいない。ならば疲弊している敵を倒して城を奪い返すのは不可能な話ではない。だがそれは祐松の情報が正しければ、である。

 実際のところ櫛間城はそれなりの期間を経て攻め落とされている。無理な力攻めをしたわけでないから疲弊もしていなかった。むしろ万全と言える。

 祐松はそれを知っていた。しかし言い出せなかった。なぜならばここでうそを言っていたのがバレれば一気に義祐からの信頼を失うからである。

「(もしかしたら祐兵様が島津の者どもを打ち払ってくれるかもしれん。城は取り返せずとも一戦交えてもらえばいいわけは作れる)」

 結局義祐の命令通りに祐兵は出陣した。この時祐兵は十八歳の若武者である。経験は浅いが利発で家臣からの評判も高かった。それゆえにこの命令に疑問を持っている。

「父上は敵が衰えていると伝えてきた。しかし私のもとにはそんな情報はない。どういうことだ」

 疑問を持つが父の命には逆らえない。祐兵は兵を引き連れて櫛間城に向かった。すると櫛間城を攻め落とした武将である島津忠長は逆に打って出てくる。

「ちょうどいい。返り討ちにしてこのまま飫肥まで攻め入ってやる」

 祐兵たちは迎撃に出てきた忠長たちと激突した。城を攻め落としゆっくり休んだ島津の兵たちは衰えるどころか勢いを増している。一方思わぬ反撃を受けた祐兵は驚嘆した。

「父上の情報とまるで違う。これは勝てない」

 祐兵は直ぐに撤退を決断した。しかし忠長たちの勢いはすさまじく追いつかれて散々にやられてしまう。それでも何とか飫肥城に逃げ帰った。だがそのまま飫肥城は包囲されてしまう。

 飫肥城包囲の知らせを聞いて義祐は怒った。

「何故疲弊している敵に打ち負かされるのだ。しかも城まで包囲される」

「そ、それは。祐兵様が戦慣れしていないからで」

「そのようなわけあるか! そうだとしても疲弊している者共が追撃して城を包囲できるか! 」

 義祐の怒りの声を受けて祐兵はただただ平伏した。一方で義祐は事態が想像以上に悪いことにここで気づいた。

「一刻も早く何か手を打たねば」

 そういう義祐の瞳にはかつての英明さが少しだけ戻ってきている。だが今さらそれでは何もかも足らなかった。


 いよいよ最大の山場である伊東崩れの始まりです。佞臣を信じて功臣が離れていくのは滅びゆく大名家のわかりやすい姿でしょう。栄枯盛衰という言葉がありますが、伊東家の崩壊はまさしくそれそのものと言えます。次回ではいよいよとどめがさされるわけですがいったいい義祐はどうするのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ