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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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伊東義祐 変貌 第三章

 宿願である飫肥城の奪取を成し遂げた義祐。伊東家の勢力はいよいよ増し日向の統一も目前に迫ったかに見えた。しかしここで予想だにしない事態が起き、伊東家に激動の時が迫る。

 念願の飫肥城を手に入れた義祐は有頂天であった。何せ過去の伊東家当主が挫折してき事業を果たしたわけであり、宿敵の豊州家を追いやることになったのだから当然ともいえる。有頂天になるのも仕方のない話であった。

「もはや日向において伊東家にかなうものはおらん」

 このころ日向には伊東四十八城と呼ばれる城たちがあった。これらは日向において伊東家の支配を浸透させる存在であり同時に伊東家の権威を象徴する存在と言える。実際これだけの城を構えられるというのはそれだけの権力があるということであった。

 義祐はまさに日向の支配者になりつつあると言えた。しかしながらそんな義祐に不満を持つ者もいる。祐安であった。

「最近の義祐様は様子がおかしい。落合殿はそうは思わないか? 」

 祐安は苦々しい顔で兼朝に尋ねる。しかし兼朝の反応は鈍かった。

「確かに以前に比べれば明るくなられたというか朗らかになられたというか。だがそれは良い変化ではないのか」

 確かに最近の義祐は以前に比べて明るくなっている。前は複雑な経緯で家督を継いだゆえにどこかとげとげしく冷たい雰囲気をしていた。それが消えたことは家臣としては喜ばしいことだと兼朝は考えている。しかし祐安は違った。

「正直明るくなりすぎというか、以前のような迫力がなくなられたように思える。それに京文化に金をかけすぎではないか」

「京の文化を取り入れるのは別によかろう。なに、心配はいらんさ。すぐに前の鋭さは戻ろう。明るさはそのままで」

 兼朝は暢気に言った。一方で祐安の不安は消えていない。

「だといいのだが… 」

 そう消え入るように言った祐安の言葉は兼朝には届かなかった。


 飫肥城を手に入れた義祐の次なる狙いは日向の南部山沿いにある真幸院という地域であった。院とはもともと献上米を収める垣に囲まれた倉庫のことで、真幸院とは真幸にある院という意味である。そしてそれがいつしか院の一帯の地域を示す言葉となっていた。

 真幸院は肥沃な穀倉地帯である。この一帯を手に入れることができれば日向全域の支配に大きく近づく。そのため真幸院は飫肥に次いで義祐が確保したい地域であった。小林城の築城も真幸院制圧のための一環である。そしてこの段階で島津家の飯野城を除いた真幸院は伊東家の支配下にあった。

「あとは島津の飯野城を残すのみ。もはや制圧したも同然だ」

 そう余裕しゃくしゃくに言う義祐。これに祐松と兼朝も同意する。

「今や伊東家の勢いは島津を越えております。まさしく義祐様の御威光のなせるものでしょう。まったくめでたい限りです」

「島津の本家の者共は米良殿が一度退けております。何も恐れることはありませぬ」

 この会話を祐安は苦々しい顔で聞いていた。しかしそんな顔をしているのは祐安だけである。祐安だけが現状に不安を感じていた。ゆえにこう進言する。

「島津は飫肥を奪われた以上は何が何でも飯野城を守るでしょう。そうやすやすと攻め落とせるとは思えませぬ」

 祐安は思い切ってこういった。すると義祐は祐安にこう言った。

「臆したか? 祐安」

 これに対して祐安は何も言わなかった。


 飫肥城奪取の同年のうちに伊東家に好機がやってきた。飯野城の城主であった島津義弘が敵対している菱刈家攻略のために出陣したという情報が入ったのである。これを聞いて義祐はすぐに動いた。

「城主のいない空城などたやすい。祐安。行って取ってまいれ」

 義祐は飯野城の攻略を祐安に任せた。出陣することには祐安も文句はない。

「好機は好機である。だがこの数で大丈夫か」

 祐安が引き連れた兵力はそれほど多くない。飫肥城攻略からそれほど日が経っていないのもあるが、おそらくは激しい戦闘になることはないだろうという義祐の判断である。

「万が一と言うこともあるだろうに。うまくいくか」

 若干の不安を抱えながら祐安は出陣した。しかしてこの不安は的中してしまう。義弘が伊東家の出陣に気づき引き返してきたのだ。

「俺の留守をねらうとはいい度胸だ。この際、二年前の借りを返してくれる」

 もう小林城を攻めた時に負った傷は癒えている。何なら今すぐにでも攻めかかりたいのを周りに説得されて我慢されているような状況であった。

 結局祐安が飯野城付近に到着するころには義弘は城に戻っていた。祐安が引き連れている兵力ではとてもではないが城攻めはできない。祐安は直ぐに義祐に援軍を要請する。だが動きはなかった。

「こうなれば仕方ない。私が直接援軍を頼んでくるか」

 祐安は飯野城を見張る桶平城を築きわずかな供を連れて義祐のいる佐土原城に向かった。ところが佐土原城についてみるとなんと城代として残していた家臣から城が攻められ大敗したという情報が入る。これを聞いた義祐は怒った。

「祐安。お前ともあろうものがなんという失態。すぐに戻れ! 」

 祐安は黙って帰るしかなかった。当然援軍も得られない。結局祐安は桶平城に入り義弘とにらみ合いを続けるしかなかった。


 永禄十二年(一五六九)。真幸院をめぐる戦況は膠着状態に陥っていた。しかしこれに対して義祐は何の手も打たない。これには兼朝をはじめとした家臣団の一部も首をかしげる。

「義祐様はいったい何を考えておられるのだ」

 このところ義祐は政務や軍事にあまり関わらないようにしていた。それは一応の考えがある。

「そろそろ実権を義益に移すべきだろうな。私は飫肥に移って島津への備えになるか」

 義祐は飫肥の奪取を機に実質的な権力も現当主である義益に譲ろうと考えていたのである。幸い義益の家中での評判は良く当主としての力量も問題ないと目されているほどであった。現在伊東家の本城である都於郡城やその周辺領地をよく治めている。

飫肥の奪取は伊東家の悲願である。それを成し遂げたのだから新たな体制に移行すべきだと祐義が考えるのもそこまでおかしい話ではない。ただそれを周囲には明かしていないだけである。

「義益なら伊東家をさらに大きくしてくれるだろう」

 そういう期待と義祐だけでなく家臣たちの多くがしていた。ところは信じられない情報が義祐の耳に入る。

「義益様が亡くなられました…… 」

 沈痛な面持ちで告げるのは都於郡城からの伝令であった。なんでも都於郡にある岩崎稲荷に参詣した際に病にかかり、そのまま死んでしまったという。

 この悲報を聞いた義祐はしばらく茫然自失の体であった。そして正気を取り戻すと悲嘆にくれる。

「何故だ! なぜ私より先に逝くのだ義益よ! 」

 嘆き悲しむ義祐。家臣たちもかける言葉もない。義祐を労わることもできなかった。

 将来を嘱望された後継ぎの死。これが伊東家を暗澹たる未来に引き込むきっかけとなる。


 桶平城の祐安は義益の死に強い衝撃を受けた。祐安も義益に期待していた一人だったからである。

「このような不幸が起きるとは…… しかし城を捨てて帰還せよとはどういうことだ」

 義祐は義益の弔いのために祐安に帰還しろと命令してきた。しかも桶平城を破棄し完全に撤退しろとの指示もついてきている。祐安は義益の死を悲しんでいるもののこの命令には納得できなかった。

「私一人に弔いしろというのはわかる。しかし兵を退けというのは…… 」

 桶平城は伊東家が島津家の飯野城をけん制するための城である。しかし同時に伊東家と同盟を結ぶ相良家の支援の城という側面もあった。それを勝手に破棄しろというのは道理に合わない話である。

 祐安は迷った。しかし義祐から重ねて同様の命令が届くとあきらめるほかない。祐安は桶平城を破棄して佐土原に撤退した。そのうえで義祐の部屋に向かい面会しようとすると兼朝に止められる。

「このところは何日もお部屋にこもり念仏を唱えておられる。私が入ることも許されん」

「でしたら私のもとに届いた書状は? 」

「一度目は殿のものだが二つ目は祐松殿が出したものだ。祐松殿だけが部屋に入ることを許されている」

 兼朝は苦々しくいった。祐安も言いたいことはわかる。

「(今の殿は祐松殿の言うことだけを聞くということか。これは危ういな)」

 祐安も苦々しい顔つきになる。二人の耳には義祐が重苦しい声色でいう念仏が聞こえてくるのだった。


 義益の死後の義祐は仏事への傾倒を深めていった。さらに京文化の振興にも惜しげもなく費えを出し佐土原は小京都と呼ばれるほどの発展していく。むろんこの状況に祐安や兼朝などの家臣たちは危機感を抱く。

「兼朝殿。義祐様を御諫めできませぬか」

「無理だ。もはや私の言うことは聞かぬ。祐松殿やその周りの者の言うことばかり聞いておる。奴らは義祐様のお心を慰めているなどと言って、好き勝手している」

「なんと…… そのようなことに」

 祐安は頭を抱えた。今でも義祐は伊東家の実権を握っている。だがその周りにいるのが祐松のような者たちであれば家の衰退は間違いない。

「せめて祐兵様がもう少し早くお生まれになっていれば」

 兼朝が言った祐兵は義益の弟で現在は飫肥城の城主であった。もっともまだ十歳の少年である。利発であるらしいが家臣たちに支えられて何とか城主の務めを果たしているとのことであった。とてもではないが義祐の代わりに当主の務めを果たすのは無理そうである。

「伊東家はいったいどうなるのか」

 祐安はそうつぶやいた。もっともこれは大半の伊東家の家臣が抱いている不安である。だが結局何も起こらず二年たって元亀二年(一五七一)になった。この年島津本家の当主である島津貴久がこの世を去った。すると大隅の肝付家が島津家の領地に侵攻し始めたのである。するとこれを好機ととらえたのか義祐は突如としてこんな命を出した。

「この隙をついて飯野城に攻め入り真幸院を制圧するのだ」

 これを聞いた祐安は勇躍する。

「義祐様もついに目を覚まされたか」

 祐安だけでなく誰もがそう思った。しかしすぐに困惑する。命令がそこで途絶えたのだ。

「戦の準備を始める気配がない。一体どういうことなのか」

 混乱する祐安たち。実はこの時義祐は入念な準備を考えていた。しかしうまく考えがまとまらず手間取っていたのである。この二年ですっかり義祐は武将として衰えてしまっていたのだ。しかも祐松ら側近たちは戦に関しては不得手で役に立たない。兼朝のような戦にたけた家臣はすでに遠ざけられていて相談もできなかった。

 それでも何とか戦の準備は済んだ。しかしすでに一年弱の時が流れている。この間に肝付家は当主の急死により島津家との戦いができない状態になっていた。

 もはや好機とは言えない状況である。しかし義祐はこういった。

「祐安を総大将として飯野城に攻め入るのだ」

 もはや機ではない。祐安はそう思ったがすでに出陣の準備は整えられている。

「こうなった以上はやるしかない」

 祐安は覚悟を決めて出陣した。


 祐安率いる軍勢はまず小林城に入った。ここで米良重方も合流し軍議を行った。

「飯野城の近くの加久藤城は兵が少なく守りが手薄。軍勢を二つに分け、まずはここを攻めましょう。そして敵をおびき出して挟撃するのがよろしいかと」

「そうだな。兵力はこちらが上。重方の言う通りでいい」

 加久藤城向かう軍勢の対象は伊東祐信が選ばれた。祐信は祐松の孫であり、父の祐梁は飫肥城をめぐる戦いで活躍している。今は飫肥城の祐兵の補佐についていた。

 祐信はまだ十代後半の若者である。経験も浅いので重方が補佐につくことになった。

 翌日祐安たちは出陣した。

「ここで勝てば義祐様も目を覚まされるだろう」

 そんな希望を持ち出陣する祐安。だがこの時は知らなかった。実はこの出陣に関する情報はすでに飯野城の城主である島津義弘の耳に入っていたのである。義弘は小林城での敗戦の屈辱を晴らす目ために絶え間なく伊東家の情報を探っていたのだ。当然祐安たちの動きも筒抜けである。

「いよいよ雪辱を晴らす時が来たか」

 義弘は迎撃すべく動きだした。そうとも知らず祐信の部隊は加久藤城に向けて進軍する。だが加久藤城の道は隘路であり祐信の軍勢は長い縦列になっていった。そこに城から大量の矢や大石が放たれる。これに若い祐信は混乱した。

「重方。進むべきか退くか。どうする? 」

 これに重方は答えようとした。だがそこに加久藤城の将兵が討って出てきた。これを受けて重方は即座に叫ぶ。

「祐信様! 私が殿を引き受けます。その隙にお退きください! 」

 重方の叫びに正気を取り戻した祐信は一目散に逃げだした。兵士たちはそれに続く。重方は自分の手勢とともにそこに残った。

「私の命運もここまでか…… 」

 米良重方はここで討ち死にした。一度は島津家の大軍を退けた男の最期である。一方退いた祐信は近くの川で休息をとっていた。だがそこに義弘率いる精兵が突入してくる。

「もはやここまで! ならば攻めて大将首を落としてくれる! 」

 覚悟を決めた祐信は義弘に挑んだ。

「若造のわりに見事な覚悟だ。俺が相手をしてくれよう! 」

 この一騎打ちに勝利したのは義弘であった。大将を討ち取られた祐信の部隊は命からがら撤退していく。一見して決着がついたかに見えたこの戦い。だがここでは終らなかった。


 命からがら逃れてきた祐信の部隊の報告を聞いて祐安は動転した。

「重方殿も祐信も討たれたというのか…… 」

 思った以上に敵が多勢であったのか。それとも敵の軍略が巧みであったのか。祐安にはわからない。だが今やらなければならないことは一つである。

「一度退くぞ。ともかく体制を立て直さなければ」

 祐安は高原城に撤退しようと考えた。小林城よりは近くにある。途中白鳥山を通ることになるのだがここに敵兵はいないはずであった。

「山を抜ければ敵も追いつけまい」

 だがここで祐安は仰天する。白鳥山にいないはずの島津軍の幟が見えたのだ。

「まさかこんなところに伏兵を置いていたのか。だとしたら敵の数は我らよりも上か? 」

 実はこの伏兵は島津家の軍勢ではなかった。義弘が白鳥山の寺の住職に依頼し僧と農民を兵に偽装させたのである。そしてその効果はてきめんであった。

「山は越えられん! こうなったら追ってくる敵を打ち破るしかない! 」

 祐安は急いで山を下り追いかけてきた義弘の軍勢に襲い掛かった。兵力で上回る祐安の軍勢は義弘の軍勢を後退させることに成功する。

「何とかしのいだか」

 安堵する祐安だがすぐに義弘は引き返してきた。しかも兵が増えている。加久藤城の軍勢が合流したのだ。さらにそこに義弘があらかじめ後方に回り込ませていた軍勢が祐安の軍勢に襲い掛かる。思いもよらぬ挟撃を受けた祐安たちは完全に統制を失った。そして大混乱のまま島津家の将兵に討ち取られていく。祐安は必至で戦線を離脱しわずかな兵を連れて撤退しようとした。

「ここで死ぬわけにはいかぬのだ」

 しかし途中で島津家の軍勢に追いつかれる。そしてそこで討たれた。

 こうして合戦は島津家の大勝で終った。そしてここから伊東家の凋落が始まるのである。

 前回の話から登場した小林城はもともとは三ツ山城と呼ばれていました。というかそもそもこの話の時代は一貫して三ツ山城です。今回は後世の名に倣って小林城としました。その点についてはご了承ください。

 さて前回とは打って変わって伊東家の大敗で話は終わりました。ですがここからが本当の地獄だといわんばかりの展開に移っていきます。お楽しみに、とも言いづらいですがご期待ください。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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