北条氏邦 北条の夢 第九章
本能寺の変は日本全土を再び戦乱に引き戻した。関東は織田家の支配から逃れ再び北条の夢も動き出す。しかし時代は着実に戦乱の終わりに近づいているのである。それは北条の夢の終わりも意味していた。
沼尻の対陣の結果由良国繁は北条家に従った。これにより真田家が治める部分以外の上野は北条家に制圧されたことになる。だがそれゆえに氏邦は不満であった。
「真田をそのままにしておいては後々まで禍根になるぞ。この際徳川と一緒に真田を攻めて滅ぼしてしまえばいいのだ」
そう氏政と氏直に訴える氏邦であったが現在北条家は反北条連合との戦いに専念している状況である。そのために佐竹家と対立している奥羽の伊達家とも同盟を結んだのだ。
「真田のことは佐竹のことを済ませてからだ。今は徳川家に任せるがよい」
氏政はそう言って取り合ってはくれない。これにはさすがに不満を覚える氏邦であった。
さて関東は北条家の手で席巻されつつある。だが天下という目で見れば羽柴秀吉がいよいよ統一のための路を進み始めていた。秀吉は織田信雄と家康との和睦が済むと主に西日本で羽柴家に敵対している勢力の制圧に臨む。そしてこれを着実に成し遂げていった。天正十四年(一五八六)には豊臣の姓を賜り関白に就任する。これで天下の政を行うことのできる名分ができた。そして秀吉はさらに天下統一の事業を進めていくのである。そしてその影響は関東にも及び始めるのであった。
北条家に圧倒される反北条連合は対抗策として豊臣秀吉への臣従を選んだ。天下統一を目指す秀吉としても喜ばしいことであり受け入れている。
一方北条家は徳川家との同盟を背景に順調に関東制圧を進めていった。しかし家康は秀吉の関白就任の前後に秀吉妹の旭姫を娶りそのうえで豊臣政権に臣従している。つまりは全国的に見れば北条家は孤立しつつあったのである。
こうした中で危機感を抱いたのは北条氏規であった。家康を経由して中央の情勢に通じている氏規は豊臣政権が西日本を制圧しつつあることを知っている。そして西日本の制圧が終われば次は東日本。立地で考えればまずは北条家が攻撃目標であろう。また秀吉は北条家と反北条家連合に対し抗争をやめて豊臣政権に従うようにと通告している。現状北条家はこれを無視して戦っているわけであった。
「これでは秀吉様への覚えも悪い。最悪、攻め滅ぼされてしまうのではないか」
こう考えた氏規は氏政や氏直への説得に移った。この説得に対して氏直は氏規の言うことに比較的賛成である。
「今攻め落とした領地をそのままにしてもらえるなら従うのもよいと思う。家康様も取り持ってくれるのでしょう? 」
「それは間違いなき事。家康様は関東の平穏を望んでおられます」
一方氏政は乗り気でなかった。
「従ったところで領地をそのままにしてもらえる保証などない。そもそも秀吉殿は反北条のものと通じているのだからそちらに有利な裁定をするに決まっている」
「兄上。秀吉様はそのような方ではございませぬ。何より家康様の領地はそのままにされておいでです」
「われらと家康殿では立場が違う。素直に従ったところで織田家に従ったときの様なことになるのではないか」
氏政の懸念はそこにあった。織田信長は結局北条家から上野を取り上げる決定をしている。秀吉は信長の後を継いで天下を統一しようとしている立場であった。だからこそ同じような裁定を下すことも考えられる。
氏照も氏邦も同じ考えであった。
「氏規の言うことはもっともだ。しかし私は兄上と同様に秀吉殿を信じ切ることはできない。正直不安だ」
そう不安を口にする氏照。一方氏はもっと過激であった。
「この際一戦交えてまえばいいのだ。相手が何だろうが小田原城は落ちない。奴らが攻めあぐねれば豊臣に不満を持っている連中が動くんじゃないか? 従うにしてもいったん返り討ちにしてそのうえで従えばいい。徳川殿もそうしたのだろう」
「口を慎め氏邦。確かに家康殿は小牧・長久手の戦で勇を示し秀吉様に認められた。だが今では状況が違う。お前の案は家を滅ぼすばかりだ」
「なんだと…… 」
「まあ、まあ。落ちつきなさい。二人とも」
険悪な雰囲気になる氏邦と氏規。それをなだめる氏照。ともかくなかなか意見はまとまりそうになかった。結局氏政の考えは
「氏規は家康殿とともに秀吉殿との交渉を。われらは万が一に備えて戦の準備をする」
という折衷案ともいえるものであった。氏直も弟たちもこれを受け入れて納得するのであった。
北条家はひとまず和戦どちらともとれる体制で豊臣政権に臨んだ。一方で豊臣秀吉は九州の島津家を征伐し従えるといよいよ関東への圧を強くする。これを受けて焦ったのは氏規であった。氏規の得た情報では秀吉はすでに北条家の討伐を考えているという。そしてそれは豊臣政権に従う多数の大名を従えた大規模なものらしい。
「そこまでの規模になるのなら、小田原城が天下の堅城でもどうしようもないではないか」
さらに徳川家もそれに参加する姿勢を見せていた。一方で家康は氏政、氏直に書状を送っている。その内容は家康が秀吉に北条家のことをとりなすというものと氏政の兄弟の誰かが上洛して秀吉と謁見することなどであった。そして最後に
「もしそれで豊臣政権に従わないのであれば督姫を離縁する。そのうえで北条攻めの先陣を務める」
と書かれてあった。これには氏直も氏政も顔色を変える。
「家康殿はそこまでの危機感を抱いておられたのか」
「父上…… こうなればもう」
「ああ。致し方あるまい。氏規に任せよう」
氏政と氏直は氏規を上洛させることを決定し、それをもって豊臣政権への従属のあかしとすることにした。そして氏規は氏政氏直親子の意を受けて上洛。秀吉に謁見し豊臣政権への従属を認められた。
これらの動きに氏邦は関われなかった。
「俺に何の相談もなく…… 降伏するとは。結局北条の夢は潰えるのか…… 」
嘆く氏邦。だがもうどうすることもできないと受け止めるしかなかった。
豊臣政権に従ったことで北条家の領土の確定が行われた。この結果北条家が現状確保している領地はそのままとなる。そして天正十七年(一五八九)に真田家が支配していた上野の沼田領についての裁定が行われた。沼田領は沼田城を含む三分の二を北条領とし、残りの三分の一を真田領とする決定を下す。北条家に対しての大幅な譲歩といえる条件であった。
この裁定結果にだれよりも喜んだのが氏規である。
「はやり秀吉様に従って正解であった。我々の望みはほぼ果たされたし北条の家も残る。万事めでたし、だ」
一方で不服なのが氏邦である。
「結局上野は完全には手に入らなかった。そればかりか真田の領地も残したままとは…… あ奴らはまた北条に牙をむくぞ」
氏邦としては信頼できない真田家の領地が残ったままなのが気に入らない。とはいえ今更反対する気もなかった。
「もはや北条の夢も終わりだ。結局俺の人生は何だったのか」
北条の夢を果たすために上杉謙信や武田信玄などの大敵と戦い続けてきた。しかし結局はその意味もなかったといえる結果になってしまっている。本当に自分の人生は何だったのかと問いかけたくなる有様であった。
「父上…… これでよかったのか? やはり戦うべきではなかったのか」
そう今は亡き父に問いかけても答えは返ってこない。もはや全てがむなしいだけである。
さて北条の夢は果たされなくともすべてが終わったわけではない。氏規としては何とか氏政に上洛してもらいたい。それが豊臣家への完全な臣従の証となるからだ。
「兄上。早急な上洛をすべきです」
「私も叔父上と同じ意見です。ここ見誤ってはお家の大事」
氏規だけでなく氏直も父を説得した。しかし氏政の反応は鈍い。氏政はまだ豊臣政権への不信感がある。
「正直いくら何でも我らに配慮をしすぎではないか。何かの謀ということはないのか」
「何をばかなことをいうのですか父上。この決定は秀吉様がわれらに関東を任せるといっても言っても過言ではないのですよ」
「しかしだな氏直。いまだ北条討伐の風聞が消えんのはどういうことだ。氏直は私を上洛させると秀吉殿に伝えたのだろう。なのに風聞が消えないのはどいう言うことか」
「それは兄上。根拠のないうわさにございます。秀吉様はそんなことを考えらえてはおりません。おそらくは佐竹家たちの策にございます」
「しかしなぁ。お前もその噂を聞いているのではないか」
この氏政の言葉に氏規は言葉に詰まる。確かに北条討伐の風聞は消えておらず豊臣政権に従う諸大名が戦の準備をしているという情報もあった。もっとも氏規からしてみればそれも上洛すれば問題ないと考えている。
「ともかく兄上早急な上洛を」
氏規はそう氏政を説得するのであった。
一方氏邦はそんなことを露も知らない。とりあえず割譲された沼田領の管理を任された状況である。
「邦憲。お前が沼田城に入れ」
氏邦は猪俣邦憲を沼田城の城代にすることにした。邦憲は対真田家の戦いで活躍している。なあにより氏邦からの信頼も厚い。
「お前が入って真田への睨みを利かせろ。妙なことをすれば尻尾をつかんでやる」
「承知しました。お任せください」
「ああ、頼む。ただし戦を仕掛けるようなことをするなよ。そんなことをすると氏規兄上や氏直の苦労が水の泡となる」
邦憲は力強くうなずいた。氏邦も満足そうにうなずく。こうして猪俣邦憲は沼田城代になった。二人ともこの後に起こる事態など想像などしていない。
沼田城が北条家に引き渡されてからは氏政を上洛させるための準備を徐々に進めていった。氏邦は主に上洛のための費用の捻出などを行っている。一方で氏政から不可解な指令もあった。それは北関東の宇都宮家を攻撃せよというものである。これに氏邦も首をかしげた。
「宇都宮は反北条のものそれを攻めるのはわからないでもない。しかしやつらも豊臣に従っている身だ。そんな連中を攻めていいのか? 」
その点について氏政や氏直からの連絡はない。ともかく氏邦は宇都宮家を攻撃するために出陣した。
一方そのころ沼田城の猪俣邦憲のもとにこんな書状が届いた。それは真田家臣の中山九郎兵衛からのものである。その内容はこのようなものであった。
「私は名胡桃城の城主の鈴木重則様に仕えるものです。実は重則様は太閤殿下の決定に背き沼田城を攻め落とそうとしております。そんなことをすればお家の大事。しかし真田の殿もこれを捨て置いているようです。私は何とか重則様にあきらめていただくようにお願致しましたが断られました。そのうえ命を狙われております。こうなれば北条の方に庇護していただく思います。そしてこの際名胡桃城も差し上げたく思います」
名胡桃城は沼田城を睨む場所にある。その城主が攻撃を仕掛けようとしていたという内容であった。だがそれに反発する家臣はそれを止めようとしているが、かえって命を狙われているということらしい。
この書状が来てから邦憲はいろいろと調べた。そして実際に九郎兵衛が命をねらわれているということも事実らしい。
「こうなれば先手を打って行動すべきか。北条の地をねらうものを許すわけにはいかぬ」
邦憲は九郎兵衛と共謀して名胡桃城を奪うことを思いついた。それは邦憲なりに北条家の領地を守ろうという考えである。しかしそれが北条家の上に立つ豊臣家の裁定に背くものだとは考えてもいない。
「ことには速さが必要だ。氏邦様にはあとで申し上げよう」
これが戦国のただなかであったら正しいかもしれない判断である。だがもはやそういう時代ではない。しかし邦憲はそこまで思い至らなかった。
邦憲は迅速に動く。そして重則を偽の書状でおびき出した。そして重則がいないうちに九郎兵衛に名胡桃城を奪わせたのである。
名胡桃城はあっさりと手に入った。そして邦憲は氏邦に連絡する。
「真田のものが寝返り名胡桃城を引き渡しました」
間違いではないが細部の足りない報告である。だが氏邦はこれを信じた。邦憲が自分を謀るということはしないと考えていたからである。とはいえさすがに行動が早すぎるとも感じた。
「寝返ったのなら仕方ない。ともかく小田原の氏政兄上たちにも報告しろ。お前の持っている寝返りの書状も一緒に小田原に送れ」
邦憲は素直に言うことを聞き九郎兵衛からの書状も氏政たちのもとに送り名胡桃城奪取の件も報告した。これに氏政たちは困惑した。
「関東に出されているのは戦を禁じる命。氏規よ。攻め落としたならともかく寝返ったのならばわれらに非はないのではないか」
「いえ…… そうはならないかと思います、おそらく。とりあえず秀吉様にこれを説明し上洛の際に弁明か謝罪すべきではないでしょうか」
「私も同意見です。しかし猪俣は早まったことを。せめて先に我らに一報あれば…… 」
「氏邦も先に我らに知らせればいいものを」
とりあえず氏政たちの意見はまとまる。ところがこの事件を知った真田家は徳川家を通して秀吉にこの事件を知らせた。むろん内容は邦憲が調略を用いて名胡桃城を奪ったという内容である。
秀吉は怒った。それも当然で譲歩したにもかかわらずそれを反故にしたからである。
「もはや北条を許せん! 滅ぼしてくれる! 」
怒り心頭の秀吉は豊臣政権に従う各大名に動員をかける。こうして北条家最後の戦い、小田原征伐が始まるのであった。
今回の話にあたって北条家の豊臣政権への対応も調べました。するとなんとも苦慮しているのがよくわかります。北条家としてはやはり素直に降伏はしたくなかったのでしょう。現状はある程度理解していたものの家中での様々な思惑も関わり対応に苦慮したのだと思われます。
北条家は豊臣政権にはなかなか服属しなかったものの、織田家には意外なほどあっさりと服属しました。状況に違いはあれど全国政権への対応の違いがみられるのは興味深い点ですね。
さて次の話はいよいよ最終話。北条家最後の戦が始まります。氏邦はいったいどのような運命をたどるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




