北条氏邦 北条の夢 第七章
御館の乱は景虎の敗北で終わった。悲しみに暮れる氏邦たちであったがまだ北条の夢が終わったわけではない。しかしその戦いは果てしなく厳しいものであった。そして氏邦たちはある選択を迫られる。その時北条家はどうするのか。
景虎の敗死を受けて北条家中は深い悲しみに包まれた。そしてそれと同時に激しい怒りを覚える。特に氏邦の怒りは激しかった。
「よくも俺の弟を…… 必ず仇は討ってやるぞ…… 景虎! 」
氏邦の怒りは上杉家と武田家に向いた。特に援軍に向かうどころか景勝と同盟を結んだ勝頼への怒りは激しい。
「盟を軽んじるような奴らは武士の風上にも置けん。武田の連中を上野から叩き出してやる! 」
すでに氏政から上野を上杉家や武田家から取り戻すように指示が出ている。氏邦はすぐにでも奪還に乗り出すつもりだ。
一方で藤田家の中では氏邦のこの怒りの行動に難色を示すものもいた。藤田泰邦の実子の藤田信吉である。
「藤田家は景虎殿への援軍でかなり消耗しました。北条家はほかにも敵を抱えているのにわれらで上野の奪還などできるのでしょうか」
信吉にこう尋ねられたのは兄の用土重連である。重連は何とも答えに迷っているようだった。
「氏邦様の怒りもわかる。兄弟をみすみす殺されては怒るのも当然だ」
「しかしそれは北条家がすぐに援軍を差し向けなかったからでしょう」
「それはなぁ…… 」
もともと信吉は北条家や氏邦に反感を持っていた。そして最近は藤田家内部でも少しずつ不満の声が上がっている。
「一部の者は兄上に立っていただきたいと願っています」
信吉はこう言った。だがさすがに重連はこれを退ける。
「今の藤田家は北条家との関係があってこそだ。それを忘れるな」
兄にこう言われて黙る信吉。しかし不満の火種はひそかにくすぶり始めるのであった。
景虎を討たれた怒りを抱え氏邦は上野の武田家の駆逐に挑む。
「なにがなんでも武田家の連中を打ち倒す! 」
怒りに燃える氏邦であるが実はこの時の北条家はかなり厳しい状況に置かれていた。というのも周囲を完全に敵に囲まれていたからである。もともと北条家と敵対していた北関東の諸将は相変わらず激しい抵抗をしている。上杉家は関東に侵攻する様子はないが敵対していた。そして武田家との同盟が破綻し完全な敵対状態になったのは記したとおりである。この情勢を受けて氏政は武田家と争っている徳川家との同盟を進めていた。しかしそれはあくまで駿河方面のことだけであって関東にはいい影響を与えていない。
上野方面は氏邦が中心となって戦っている。しかし武田家は上杉家への備えであった北信濃(現長野県)の兵力を全力で投入してきていて苦戦を強いられている。こうなると上野で北条家に従っていた領主たちの動きにも変化が表れ始めた。彼らはそもそも自分の領地を守るために北条家に従っていたのである。それができないとわかると別の勢力への鞍替えを考えるのも当然と言えた。そしてそうした動きを見せる領主の中に氏邦としては信じたくない男がいたのである。
「由良国繁…… まさかこいつが…… 」
氏邦が手に入れた情報には由良国繁とその弟の長尾顕長が佐竹家と通じているというものであった。由良家は先代の成繁が氏邦とともによく戦ってくれた。そういうわけで息子の国繁も信頼していたのだが、こうした情報が入るといろいろと不安になる。それに加えて氏邦の領地である武蔵北部の領主の中にも北条家への不安が広がりを感じざる負えなかった。そしてそれは藤田家でも同様である。最近家臣からこんなことを聞かされていた。
「沼田城を守っている用土重連様が武田家に寝返ろうとしているらしいです。氏邦様を亡き者にして藤田家を取り返そうとしているようです」
初めこれを聞いたとき氏邦は信じなかった。重連は今まで氏邦に尽くしてくれていたし重連の姉妹をめとっている以上は義兄弟でもある。
「重連が俺を裏切るはずもない」
そう考えていた氏邦であったが最近の情勢を考えるとそれも揺らいでくる。そうしているうちに重連の家臣が武田家と通じているという情報が入った。しかしそれについてあくまでも証拠はない。そうした噂があるというだけである。だがこれが本当なら最悪沼田城は武田家のものとなってしまう。上野において武田家が優勢なこの情勢でそれだけは避けねばならなかった。
「こうなれば容赦はできん。あらゆる不信の芽はすべて摘み取らなければ」
氏邦はこの情報の件で重連を鉢形城に呼んだ。そして噂の件を問いただして判断しようと考えたのである。だがこの時藤田家の家臣の一部が重連を守るために兵を動かしてしまったのである。これを察知した氏邦はこの動きを謀反の兆しと判断した。
「これが重連の考えかわからん。だがああした動きを招くものを残しては置けない」
重連は氏邦と対面する前の控えの間で切り殺された。しかし実際は潔白の身であったのである。だがここまでした以上は氏邦もこう言うしかない。
「用土重連は武田家と通じて沼田城を明け渡そうとした。ゆえに誅殺した」
家臣たちは半信半疑であったが、この時点で氏邦を疑うようなものはいなかったのである。ただし藤田信吉だけは違った。
「兄上がそんなことをするはずがない。氏邦は兄上が目障りであったのだ」
この件はかえって藤田家の中に火種を残す結果となった。
天正八年(一五八〇)、この年から北条家の関東の情勢、特に上野の情勢は厳しいものとなっていた。上野の領主たちの離反が相次いでいったのである。氏邦は戦線を維持して踏ん張っていたが、主に上野方面を担当していた武田家の真田昌幸は将としての能力だけでなく調略や策謀にもたけていた。そしてその優れた手腕を存分に生かし上野領主たちの切り崩しを図ったのである。そしてその調略を受けて武田家に寝返ったものの中には用土重連の弟の藤田信吉もいた。信吉は兄から引き継いだ沼田城ごと武田家に寝返った。
「もはや北条家の命脈は尽きた。このうえは武田家に従い家名を残すべきだ」
そう言って武田家に従ったわけであるがこれが表向きのことだろうというのはだれの目にも明らかである。兄が謀殺された以上藤田家にとどまり続けるのは危険だし何より氏邦を許せなかったのである。
この動きに氏邦は怒れなかった。兄を殺されたのだから当然とも思っている。そんな信吉に沼田城を任せたのは一応の幕引きを図りたかったのが目的であったがそれもダメだったらしい。
「致し方ない。だが沼田城ごと寝返られたのは痛いな…… 」
これも己の不徳の致すところと考える氏邦。だがこれで情勢はより一層悪化したことになる。何か打開策が必要であった。
こうした情勢の中で氏政はある決断をした。それは畿内で大勢力となり天下統一も夢ではないというところまできた織田家に従うことである。
「今や織田信長様は天下に号令をかけんという勢いだ。いずれは天下を治めるだろう。他国の者たちも織田家によしみを通じてそのもとに集おうとしているようだ。ここはわれらも参じるべきである。そして織田家の下で関八州を北条家が治める」
織田家は徳川家と同盟を武田家と敵対している。そういう意味ではちょうどいい立場であった。しかし氏邦には不満、というか不安がある。
「大丈夫なのか氏政兄上。俺たちは武田に負けそうだから従うという形になる。織田家はそんな奴に関東を任せるのか」
これに対して氏規が反論した。
「氏直と信長様のご息女の縁組の話が進んでいる。そうなれば北条家は織田家の一門だ。粗略には扱わないだろう。もちろん徳川家にも手伝ってもらい関東の儀はわれらに一任してもらえるように交渉する」
今回の織田家への従属の件に一番積極的だったのが氏規であった。氏規は徳川家との交渉でも活躍し中央の情勢も把握している。織田家の勢いなら武田家も恐れるに足らないということなのだろう。
氏照は沈黙していた。あくまで氏政に従う姿勢である。四人中三人が前向きなら氏邦もうなずくしかない。何より上野方面での戦況の悪化は自分の責任だという意識があった。
「北条の夢を果たすのによその連中の力を借りんといかんとは」
ため息をつく氏邦。しかしてその不安は的中してしまうことになる。
北条家は織田家に服属して以降も苦戦を強いられた。こうした中で氏政は家督を嫡男の氏直に譲る。最も実権は握ったままであった。あくまで対外的に人心の一新を図りたかっただけである。ともかくこうした手段をとらなくてはいけないくらいこの時の北条家は劣勢であった。特に上野に関しては武田家の猛攻の前にほとんどの支配を奪われてしまう。
氏邦はこの劣勢に怒り、嘆いた。
「織田家に服従したとて何の意味もないではないか。しかしそもそも俺が弱いからこうなっているのか…… 」
織田家への怒りはあるがそもそもは自分の無力への嘆きである。時が流れるにしたがって武田家と佐竹家らの反北条家の勢力の連携はさらに有効に作用し北条家を苦しめていたのだ。
だが他方で武田家は織田家や徳川家との戦いで苦しめられていた。また長く続く戦いのために領民への負担も限りなく増していったのである。そうした負担による不満は武田家臣の中にも浸透していった。そしてそれは天正十年(一五八二)の二月、武田家臣の木曽義昌の離反という形で具現化する。
義昌を離反し織田家についた。これをきっかけに織田家の武田家への総攻撃が始まるのである。
この総攻撃の情報は北条家においてはまず氏邦にもたらされた。この急な報せに驚きつつも素早く氏政にこれを報せる。
「初めから小田原に送ればいいものを」
そこは不満であったが武田家への攻撃が始まればこちらも優位に動けるはずである。氏政もそれはわかっているので手早く準備を整え総攻撃の日を待った。
やがて始まった織田、徳川、北条家による武田領への同時侵攻。織田家は美濃(現岐阜県)から南信濃に侵入し、徳川家は遠江から駿河に侵攻した。北条家は上野と駿河に侵攻する。駿河方面の総大将は氏規、上野方面は氏邦である。
「いくら機を一にしての攻撃とはいえ相手は武田。慎重に進むべきだろうな」
氏邦は着実に上野を制圧していく。一方で真田昌幸などにも降伏勧告を行うがこれはうまくいかなかった。それでも北条家の軍事行動は一応、順調に進んだのである。
「とりあえず上野は確保できるか。あとは織田家が武田家をどれほど追いつめられるか」
このとき氏邦は武田家が所領の大部分を失うであろうと考えていた。だが実際はその想像をはるかに超える事態になる。二月の中ごろから始まった織田家の武田領への侵攻は三月には本拠地である甲府に攻め入るところまで行ったのである。そして武田勝頼は甲斐の天目山に逃れるも追手に追いつかれ自刃した。こうして武田家は滅亡したのである。
これを知った氏邦は戦慄した。
「武田家がこうも簡単に攻め滅ぼされるのか…… 」
自分たちをあれほど苦しめた武田家のあっけない最期を見た氏邦は、かつて抱いていた激しい怒りも忘れて愕然とするしかなかった。
宿敵のあっけない滅亡を受けた氏邦の驚愕をよそに、小田原の氏政や氏直たちはご機嫌であった。なぜならこれで天下を統一するであろう織田家の公認を得て関東を支配できると考えていたからである。
「これもまたお家を守るために必要なことだ。なんにせよ代々受け継いできた関東をこの手に収める北条の夢が今果たされようとしている」
「本当にめでたいことです父上。おじいさまも墓下で喜んでおいででしょう」
「氏直、お前は信長様のご息女をめとり一門となる。それに恥じぬように関東をよくお治めるのだぞ」
「はい。父上」
何とも浮かれた様子の氏政と氏直の親子であった。だがしかしこれが一瞬にして絶望に代わる。
信長は滅ぼした武田家の領地を再配分した。氏政はここで上野が引き渡されると思っていたのである。しかしそうはならなかった。信長は信濃と甲斐を家臣に与え、駿河は家康に与えた。ここまではいい。氏政としては武田家が抑えていた関東の領地、
つまりは上野を手に入れたかったのであるから。ところが上野は今回の戦いで勝頼を追いつめた滝川一益に与えられたのである。そして一益は織田家の代行者として関東に入り、一切を差配するのだという。これを知った氏政は愕然とした。
「信長様はわれらに関東を任せるつもりではなかったのか…… 」
打ちひしがれる氏政であるがこれには仕方のない点もあった。北条家は不利な状況を打開するために織田家に服属した身である。織田家から見ればその家が残るだけでも十分といっても過言ではなかった。さらに織田家は全国の統一を目指している。そのためには関東や東北を監視するために自分の手のものを送りこむのは必定である。結局氏政はその点を見誤っていたのであった。
氏邦はこの結果を知って怒った。しかし同時にあきらめもする。
「腹立たしい話だ。いわんことはない。だが武田家をあのように攻め滅ぼす者たちに歯向かっても家が滅ぶだけだ…… 」
北条家一同同じ考えである。こうして北条の夢は潰えた、かに見えた。しかしある大事件が北条の夢を甦らしてしまうのである。
北条家が織田家に服属したことはあまり知られていません。これは後の北条家の選択では考えられないものだからでしょう。もっともこの出来事が後の行動に影響を及ぼしたのかもしれませんね。
さて次の話ではあの大事件が起きます。その余波は関東にまで向かいます。北条家は、氏邦はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




