表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
253/401

北条氏邦 北条の夢 第五章

関東の巨星、北条氏康はこの世を去った。最愛の父の死を受けて決意を新たにする氏邦。そして北条家は新たな当主氏政のもとで新たな戦いに身を投じる。

 氏康の死後北条家の外交方針は大転換した。つまり越相同盟を破棄し武田家との同盟、甲相同盟を締結したのである。

 この甲相同盟の交渉は氏康の存命時から行われていた。氏康も氏政も越相同盟の有効性には早いうちから疑問を抱いていたのである。尤もこれは北条家中の多くの人間が考えていたことである意味当然の帰結と言えた。

 氏邦は甲相同盟の交渉を知っていた一人である。越相同盟の締結に一役買った立場であるから当然のことと言えた。だがこの秘密裏に行われていた同盟の交渉に不満を持つ者もいる。越相同盟の締結に一役買った由良成繁である。

「この同盟は私の面目を潰すものだ。しかも何の断りもなく行うとはどういうことなのだ」

 この怒りは当然のことである。北条家もそれは分っていたので素直に謝罪した。氏政は弁明の書状をしたため氏邦は成繁に頭を下げる。

「この度は本当に申し訳ないことをした。言い訳はしない。本当に済まない」

 素直に心から謝罪する氏邦に成繁は面食らった。さらに越相同盟の破棄に伴い謙信から送られてきた手切れの書状と武田家からの証文も渡された以上は文句も言えない。

「我らは己の領地を守るのに命を懸けております。それをご理解いただけるよう」

 それがいえる精いっぱいのことであった。実際問題、成繁も北条家の立場や考えは分るので武田家との同盟に関しては呑み込むしかない。尤も由良家の領地はそのままだったのでそもそも何の問題もなかったと言えなくもないのだが。

 この展開で成繁が気にしているのはこの一点である。

「謙信殿は山を越えてくるでしょうな」

「ああ。俺もお前たちも忙しいのには変わりない」

 氏邦も成繁もこれから起こりうるであろう戦いを予感するのであった。

 

 越相同盟に破棄により再び敵対関係となった北条家と上杉家。この流れに誰よりも怒り心頭であったのは上杉謙信その人である。

「道理を捻じ曲げて手を組んでやったというのに。もはやあの者共は許しておけん」

 謙信としては渋々行った同盟という意識があったのだろう。北条家はそもそも相容れぬ敵だと同盟中も認識していたのかも知れない。兎も角謙信は再度関東の反北条勢力と同盟して北条家の関東制覇に立ちはだかった。

 氏邦もこうした謙信の動きを見て改めて警戒を強める。一方で気になることがあった。

「三郎はそのままなのか。よほど気に入られたらしいな」

 気にしていたのは上杉家の養子になった弟の北条三郎こと上杉景虎のことである。景虎は変わらず謙信の養子として後継者候補として扱われているらしい。北条家と敵対したからと言って追い返されるようなこともなければ殺されるようなことも無かったのである。氏邦としては不思議でしようがない。

「あれほど北条家を嫌っていたのに、北条生まれの三郎を養子にしたままにする。本当にわからん男だ」

 もし景虎が家を継げば上杉家は北条家の下に入ることになるとみていい。実際氏康も氏政もそうしたことを見越して養子に送り出したという側面もないではなかった。とは言えこうなると氏邦としては心苦しい。まだ謙信は健在だし早々に関東に攻め入るだろうからだ。

「戦場に出てきた三郎と戦うこともあり得る。そうなったらもう討つしかないのか…… だが致し方ない」

 氏邦は覚悟を決めている。それでも弟と殺し合わなければならないかもしれないというのは心苦しかった。しかし、幸いというべきか景虎が関東に出陣してくるようなことは無かったのである。しかして後々に別の問題を発生させることにもなるのだが。それはまだ先の話である。


 甲相同盟は元亀三年(一五七二)正式に締結された。これは北条家と上杉家との戦いの再会を意味する。謙信はさっそく越山して上野の厩橋城に入った。上野は上杉家にとっての関東の最前線といえる地域である。一方で一部の地域は武田家の手に落ちていた。さらには北条家が手中に収めようとしている地域でもある。そして上野の攻略を任されているのが氏邦であった。

「これからが本領だ。北条の夢を果たすためにもやり遂げて見せる」

 今回の謙信の出陣に際して武田信玄も出陣している。北条家も氏政自ら出陣し氏邦と共に対応に当たった。これに対して不利を悟ったのか謙信は対決を嫌い撤退している。尤もこれは同時に侵攻していた越中の情勢が悪化したこともある。兎も角甲相同盟はすぐに効果を発揮したのであった。これには氏邦も氏政も苦笑する。

「氏政兄上よ。武田との同盟は上杉と違いすぎやしないか」

「ああ、全くだ。父上がおっしゃっていたのは、謙信は義を見るが信玄は利を見る。手を組むならば利を狙うものとするべきだと。それがこんなに分かりやすく出るとは」

 二人ともあきれ半分に甲相同盟の効果を喜んでいた。しかし対上杉の戦いでここまで有効性が発揮できるのはありがたい話である。

「我らの敵は上杉だけではないからな…… 」

 そうつぶやく氏政。実はこの時北関東の下野、常陸などの勢力が反北条家で結束し始めていた。これは皮肉にも越相同盟の影響が大きい。かつては上杉謙信を頼っていた北関東の領主たちは、越相同盟を受けて謙信から離反。武田家と同盟しつつ独自の路線を目指していた。そして再び北条と上杉の衝突、武田家との同盟を受けて反北条の領主たちは再び上杉家と同盟を結んだのである。しかしかつてのように上杉家の指揮下に入ると言うよりは対等の同盟という形式であった。つまりは謙信の指示で行動するわけでなく独自の戦略で動き始めたのである。

 こうした動きにたいして主に氏照が対応にあたっていた。しかし苦戦しているという情報も入っている。氏政もそれは認識していた。

「あやつらはもはや上杉とは別の難敵。なかなかに悩ませてくれる」

 半分感嘆が入り混じった感じで氏政は言った。ここにきて新しい脅威が生まれたわけである。謙信だけでも厄介なのに。

「北条の夢を果たすのもまだまだ遠いというわけか」

「ああ、そうだ。しかし着実に進まなければならない。父上や、代々の方々の為に。氏邦。お前がここで上杉を防いでくれれば我らは思う存分戦える。頼んだぞ」

「任せろ兄上。子供のころの約は忘れてはいないぞ」

「ああ、それは頼もしいな」

 力強く笑う氏邦。それを頼もしそうに見つめる氏政であった。


 甲相同盟は北条家にとっては関東の制覇を助ける物である。一方武田家にとっては西に向かって領国を拡大するための有効手段であった。元亀三年九月、武田信玄は大軍を率いて甲斐を出陣。駿河を通って徳川家の領国に侵攻した。これは徳川家の領土の侵攻だけでなくゆくゆくは京への上洛を見越してのことである。現在畿内は将軍の足利義昭を擁する織田信長が確保しつつあった。一方で義昭は信長の傀儡であることに不満を抱いておりその点についての反発もあってか周辺の勢力と協力し信長の排除を目論んでいたのである。これには武田信玄も勧誘されていた。

「義昭様は織田殿を排除して室町幕府を再興しようとしているそうです」

 氏規はそう氏邦に告げた。氏邦が今後の方針のことで小田原にやって来たのだ。その際久しぶりに会った氏規と一献傾けている際にこうした話になったのである。氏規はこうした遠方の情勢にも詳しい。一方で氏邦はこうしたことには疎い。そもそも

「ほかの家と手を組むかどうかとかそういうのは兄上たちに任せる。俺は不得手でな」

と考えている。かつて越相同盟を結んだ際に重要な役目を任されたことすら氏邦には意外であったのだ。

 氏邦は相変わらずそういうところがあった。

「正直京のこととかはよく分からん。それにそんな遠方のことなど俺らが知っても仕様がないんじゃないか? 兄上」

「そうも言っていられん。我らが関東を制覇すれば、ゆくゆくは幕府やそうした人々とも関わらなければならない。氏邦も一軍の将なのだから少しは知っておくべきだ」

 この氏規の発言に首をかしげる氏邦。正直いまいちよくわからない。そんな氏邦にさすがにため息をつく氏規であった。


 元亀四年(途中改元して天正元年。一五七三)西進していた武田家は突如行軍を中止し領国に引き返した。これに北条家を含む周辺国は訝しがる。無論氏邦も同様であった。

「戦には勝っていたというじゃないか。それが引き返すという事は…… 何かあったのか? それも急に引き返さなければならないような大事だ。つまり…… 」

 氏邦の頭によぎったのは武田信玄の身に何かあったのではないかという事であった。信玄は齢五〇を超えている。当時では十分な老齢であった。何かあってもおかしくない年齢である。しかし北条家には何の報せもないらしい。

 これについて氏政は

「我等にもやすやすと話せないことが起きたのだろう。もしくは話せないような状態か」

と考えている。氏規は

「本来跡継ぎであった義信殿はもういない。信玄殿がどうなっているかわからないが、家中がまとまっているわけではないという事なのだろう」

と考えていた。

 それからしばらくして武田家から信玄が亡くなり跡を四男の勝頼が継いだという連絡が届いた。氏邦はこれをほかの兄弟たちともども小田原で知る。予期していたとはいえ信玄が死んだことに大きな衝撃を受けた。

「人は死ぬもの。とは言えあれほどの男が病であっさりと逝ってしまうとは。父上もそうだったが病にはどんな人間でも勝てないのだなぁ」

 氏邦はそうしみじみと感じるのであった。氏照も同様である。

「三増峠での戦。あれは今でも私たちは忘れていない。あの戦で我らもいろいろと学んだ。ある意味では師であったともいえましょう」

 そう言って氏照は悲しむのであった。

 一方で氏政と氏規が気になっているのは跡を継いだ勝頼のことであった。

「氏規。勝頼殿は確か以前、諏訪の姓を名乗っていたのではないか? 」

「はい。勝頼殿のお母上が諏訪家の出だそうです。本来ならば諏訪家の名跡を継ぐはずだったのですが、義信殿の一件の後は跡継ぎとなったらしいですね」

「なるほど…… 本来は別家を継ぐ予定であった。それが例の件で急に、という事か。しかし勝頼殿とは一体どういう人物なのだ」

 氏政は勝頼と会ったことは無い。それは氏規も同じである。だが氏邦は三増峠の戦いで相対していた。

「三増峠の時に相対しているな」

「そうか…… それでどのような男であった? 氏邦」

「まあ言っても戦場のことだからな。ただ攻めかかる俺たちに退かずむしろ向かってくるような男だった。勇猛な男なのは間違いないだろう」

「なるほど。武勇に長ける男という事か。他には? 」

 氏政がそう尋ねると氏邦の顔が陰りを見せた。それを不思議がる氏政たち。心配した氏照が訊ねる。

「どうした? 」

「いや、あの時の勝頼には何と言うか必死さを感じてな。その必死さが何だか俺にもわかる気がしたんだ」

「どういうことだ? 」

「勝頼も側室の子だろう? だからこそ、家の為に必死だったんだろうなと」

 氏邦はどこか寂しげに言った。この言は自分も側室の子だからわかるという事なのだろう。それを察せぬ氏政たちではない。

 氏政は氏邦にこう言った。

「我らはみな北条の子。母の違いなど関係ない。そうだろう? 氏照、氏規」

「その通りです兄上。我らは皆で力を合わせて北条の夢をかなえるのです」

「今更気にすることじゃない。我らが成すべきことは一つ。そのためにはお前の力も必要だ」

「兄上…… 」

 兄たちに励まされて氏邦も少しだけ元気を取り戻すのであった。


 信玄の死後その跡を継いだ勝頼は主に織田家や徳川家との対決に力を注いだ。一方上杉謙信は北関東の反北条家の領主たちの要請に応じて出陣することはあったが、こちらは主に北陸方面の攻略に力を注いでいる。これに伴ってか北条家の戦いは房総方面や下野、常陸などの北関東が主戦場となった。

 この方面の主な司令官は氏照である。氏政も房総方面が北条家の優位に進み始めると氏照と共に北関東の攻勢に集中した。

 こうした情勢の中で氏邦は上野の掌握を求められることになる。上野は上杉領国と武田領国に加え北条家の支配下の部分もあった。氏邦の仕事は上野の領主たちの切り崩しと上杉家への備えと言えよう。

「血の気に任せてやる仕事じゃないな。まあ戦がないのなら領地を栄えさせるのが道か」

 この頃になると藤田家の家督を継いでから行ってきた殖産興業の振興や河川の整備なども目に見えた成果が出始めていた。力を入れていた生糸の生産販売は東国の一大拠点となるほどに発展している。河川の整備では巨大な堤防を作り上げた。この堤防は北条堤と呼ばれ領民たちも喜んでいる。

「氏邦様の代になられてからずいぶんと生きやすくなった」

「ああ水害にやられることも無いし生糸で儲けることもできる。本当にありがたい」

 尤も氏邦としては自分の仕事をやっただけである。

「藤田家の当主として、北条の人間として領民の暮らしを楽にする。それが俺の当然の仕事だ。別に褒められるようなことではない」

 そう言って褒められても気にしない氏邦であった。


 この年代は氏邦目立った動きのない期間です。実際関東の戦いもどちらかというと下野や常陸など北関東の方に移っていきます。氏邦の担当している方面ではないのである意味仕方のない話ですが。しかし次話では氏邦に大きな役割が再びめぐってきます。それにどう立ち向かうのか、お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ