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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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北条氏邦 北条の夢 第四章

 三増峠の戦いは武田家の勝利で終わった。これに勢いづく武田家は駿河での攻勢を強める。一方北条家は逆に苦境に追い込まれていく。この苦しい状況の中で氏邦は一体どう動くのか。

 三増峠の戦いは北条家の大敗で終わった。この痛手により北条家は軍事力の再編成と武田家の勝利で勢いを増した反北条家の勢力への警戒に迫られる。これにより駿河方面への軍事行動を縮小せざる負えなくなった。

 こうした事態に先頭に立って対応しているのが氏政である。氏康の意を受けて対武田の戦いの中心人物として戦っていた。それゆえに沸き立つのが上杉家への不満である。

「我等との盟があるというのに京の公方が言ったことを優先する。それでは何のための盟かわからぬではないか」

 現在駿河方面の戦いは武田家が優位に進めている。駿河の中心部である駿府も占領されてしまった。氏政は上杉家がもう少し武田家への攻撃に積極的であればこのような事態は起らなかったと考えている。それゆえにああした不満が口から出るのだ。

 一方の氏邦はかなり気落ちしていた。三増峠での敗戦が堪えているのである。しかもあの戦いの後遺症で駿河の情勢が悪化したことも気にしていた。

「あそこで俺があせらなければ…… 氏政兄上を待って戦っていれば」

 悔やむ氏邦だがもはやどうしようもない。氏邦も武田家との戦いの最前線に位置しているのだから。

 そうなってくると気になることがある。

「上杉の連中はあてになるのか」

 ずっと内に抱えている疑問を口に出さずにはいられない氏邦であった。


 実際のところ三増峠の戦い以降の越相同盟は相変わらずうまくいっていない。双方がお互いの要請に応えたりするもののなかなかうまく連携は出来なかった。

 そうした中である問題が浮上した。それは同盟の条件である氏政の次男の国増丸を謙信の養子にするという条件を氏政が実行しなかったのである。

 これには氏政にも言い分はある。

「我が子を上杉のもとに送るなどという事は人質に送るという事。幼い国増丸にそのようなことは出来ませぬ」

 氏政は上杉家を信頼していない。この時の国増丸は僅か十歳であったのでそんな幼い我が子を敵地同然の場所に送ることは出来ないという考えなのだろう。

 それは誰もが共感できるし理解できる。だが同盟が成立している以上は条件を果たさなければならない。

 結局条件が変更されて氏康の七男、つまりは氏政や氏邦の弟の三郎が養子に入ることになった。三郎は元服を目前とした年である。しっかりともしていたので問題は無かろうという事であった。

 尤も氏政としては心苦しい。

「我が子の代わりに弟を差し出すことになるとは。情けない」

 一方で三郎は妙に自信満々であった。

「七男の私が氏照兄上や氏邦兄上のようにどこぞの家に養子に入り、それを継ぐなどという事は考えられませんでした。それが上杉の家を継ぐ立場になろうとは。氏政兄上のおかげで思いがけぬ僥倖に出会えました」

 皮肉の様であるが三郎としては本心らしい。兎も角養子縁組の話についてはどうにかなりそうだった。

 永禄十三年(途中改元して元亀元年、一五七〇)氏邦は上杉方の沼田城に向かった。謙信は沼田城で三郎と対面するつもりらしい。三郎はまだ小田原城にいるが、その到着までの人質の役が氏邦である。ここで氏邦は初めて上杉謙信を見た。

「(なるほど。ただ物じゃないというのは一目でわかるな)」

 氏邦は三増峠で信玄を遠目だが見ている。その時は北条家が優勢で勢い良く切り込んでいた時だが、それにも動ぜず堂々とした貫禄のある姿であった。一方で上杉謙信はいささか違う。堂々としているのは同じだがどこか超然とした雰囲気である。

「(自分は毘沙門天の化身だ、などと言っているらしいが、確かにこれなら周りの連中は信じるな。しかし、父上はこんな化け物と戦ってきたのか)」

 そう考えると信玄とも謙信とも戦ってきた氏康が一番の怪物のような気もしてくる。

 さてそれから一月ほど後に三郎が沼田城に現れた。そして謙信と共に越後に向かう。旅立つ弟に氏邦はこう言った。

「何かあったら手紙をよこせ。山を越えて助けに行ってやる」

「それはありがとうございます。兄上こそ、私の力が必要なら何なりと」

 人質に向かうとは思えない言葉であった。これには氏邦も苦笑する。そして三郎について行くことになった遠山康光にこう言った。

「万事あの調子だ。苦労もするだろうが助けてやってくれ」

「無論です。しかしあの堂々たる姿。心配はいらぬかもしれませぬな」

「確かになぁ」

 氏邦は半ば飽きれつつも感心しながら旅立つ弟を見送るのであった。


 北条三郎はだいぶに上杉謙信に気に入られたらしい。正式に養子入りが成されると謙信から景虎の名を与えられた。これは謙信がかつて名乗っていた名である。ここからも三郎改め景虎が気に入られていた事実がうかがえる。

「あいつ本当に上杉の家を継ぐことになるかもな」

 話を聞いて驚く氏邦。もし景虎が上杉家を継げば北条家は関東一円だけでなく越後も手にすることになる。そうなればもはや東国で北条家を止められる勢力はいないだろう。尤もそれはえらく先の話である。今は目の前のことに注力しなければならない。

「駿河の方はうまくいっていないらしいからな。どうにか氏政兄上を助けられんか」

 この頃駿河はいよいよ武田家の手に落ちようとしている。今北条家が抑えている地域は駿河と伊豆(現静岡県、伊豆半島部)、相模の国境付近だけであった。氏政はたびたび出陣し信玄と対峙するがなかなかうまくいかない。合戦になることはあるが負けることは無くとも痛手を与えることもできなかった。信玄としては駿河の大半は占領しているので着々と領国化を進めていけばいいだけである。そういう意味で武田家と北条家の戦いの意味が消えつつあった。

 一方で関東の反北条家の勢力も活発な動きをしている。特に上総(現千葉県)の里見家は積極的に北条家の領地に侵攻して城も攻め落としていた。北条家としてはだいぶに苦しい状況にある。

 そうした中で武田家が上野に侵攻してきた。狙いは上杉家の沼田城である。これに対して謙信自ら沼田城に入り、一方で氏政は武蔵の多摩方面に出陣して信玄をけん制した。こうした動きに信玄は沼田城を攻め落とすのを諦め代わりに鉢形城に攻撃を仕掛けてくる。

「馬鹿にしてくれるな。今度は無様を晒さんぞ」

 氏邦は迎撃に出て武田軍を撃退した、と言っても本格的な戦には至っていない。信玄も損害を出してまで得るものは無いと考えたのだろう。結局北条家とも上杉家とも本格的な戦いをせずに撤退していった。

 この戦いで氏邦は武田家の動きの鈍さを感じている。そしてその理由も理解できた。

「そもそもの目当ては駿河を手に入れること。それがもはや成され様としているのなら俺たちと無駄に争っても仕方ないと思っているのか」

 氏邦は大きくため息を吐く。それは自分たちも同じだと考えているからであった。

 元亀元年の年末、武田信玄は駿河の深沢城を攻撃した。深沢城は駿河における北条家の最前線の城の一つである。もう一つの最前線の城である興国寺城ともども北条家の生命線の一つといえた。逆に言えばこの二つの城が攻め落とされたら駿河をめぐる武田家との戦いは敗北したと言っていい。

 現在深沢城には北条綱成が入城していた。この点だけでも北条家が深沢城を重視していることがうかがえる。そして今回の進言の出陣に際しては氏政も小田原から出陣して対応することになった。

「また氏政兄上が出陣したのか。やはり父上の体調は思わしくないのか」

 最近北条家内部では氏康の体調がすぐれていないとのうわさが流れていた。実はこれは事実で氏邦は氏規からこれを聞き及んでいる。氏規曰く

「最近は体が思うように動かなくなっておられる。もはや元通りになるのは難しい」

とのことであった。もうすでに政務は取れなくなっているらしい。

 氏康は隠居の身であったが氏政を補佐して北条家の運営にもかかわって来た。しかしこの状態ではそれも出来ない。氏規は重臣や信頼のできる一門の身に氏康の現状を伝えていた。それは氏康亡き後のことを見通してのことである。

「父上が亡くなれば武田も上杉の動きも変わるでしょう。そうなると氏邦に任せる仕事も多くなるかもしれない。その時は頼みます」

 そう氏規からの手紙には記してあった。それに関しては氏邦も望むところである。

「何があろうと北条家の為に生きる。それが俺の役目だ」

 そう決意する氏邦。だが北条家を取り巻く状況はさらに悪くなる。年が明けて元亀二年(一五七一)武田家の軍勢に包囲されていた深沢城が落城したのだ。これには北条家の誰もが衝撃を受ける。もちろん氏邦もだ。

「叔父貴が居ながらこんなあっさりと城が落ちるのか? 」

 重要拠点が奪われたのもそうだがそれを守っていた綱成は北条家屈指の名将である。綱成はかつて自軍の十倍以上の敵に囲まれても城を守り抜いたこともあった。それだけに重要な深沢城を任せていたのである。

 実はこの時の攻城戦で武田家はある奇策を打っていた。それは金山で採掘を行なっている金堀衆を動員し、城の破壊工作に参加させたのである。この予想外の攻め手に綱成も耐えきれなかったのだ。

「これで城を失うとは。義兄者に申し訳がねぇ」

 綱成は幸い城から逃れることができた。しかし深沢城を失ったことで駿河方面の情勢は決定的になったといえる。氏邦はこの情勢の悪化にどうすることもできなかった。そして北条家にとって最悪の出来事がこの後起るのである。

 

 元亀二年の初頭から九月の末まで北条家の領地は各方面で武田信玄の侵攻を受けていた。これに対して主に氏規と氏邦が対応している。また氏規は武田家への対応と共に里見家に攻め落とされた地域の回復も成し遂げている。これには氏邦も舌を巻く。

「氏規兄上は謀に長けていると思っていたが戦も上手いとは。頭が下がる」

 尤もこの頃の氏邦は幾度となく武田信玄の攻撃を受けてそれを退けている。それはそれで大したものであるが氏邦としては自慢できるものではなかった。

「信玄の首を取れていないのだ。敵を退けたところでそれがどうしたという事だ」

 正直のこの頃の氏邦は焦っていた。北条家の夢を果たすために藤田の家を継いだのに、いざ当主となってからは何か役に立った記憶はない。それどころか三増峠では作戦のミスで敗北してしまっている。

「俺は北条の夢の為に生きるしかないのだ。それに俺は妾腹の子。北条のために働かなければならない」

 最近はこんなことを考え始めてしまっている。幼いころには考えもしていないことであった。それほどこの頃の氏邦は色々と気に病んでいたのである。そしてたびたび耳に入る氏康の病状の話がさらに氏邦を追い詰めた。自分がふがいないせいで氏康が気を病みそれで病気が治らないのではないか、と考えてしまっているのである。

 そしてついに氏邦の耳に一番聞きたくないことが入った。

「氏康様が亡くなられました」

 その報せを急使から聞いた氏邦は声を失った。元亀二年十月三日、北条氏康死去。享年五七歳である。氏邦は人目もはばからず泣き叫んだ。


 いくら隠居の身で近年は表舞台に出ていなかったとしても氏康ほどの大物の死を隠せるはずもない。氏政はこの事実をあえて公表した。北条家の領民たちはその死を悲しみ喪に服したという。

 北条家の後継体制はすでに整っていたので体制に動揺はない。差し当たって行うのは氏康の葬儀であった。

「父上ほどのお方の葬儀なのだから華美ではなくとも多くの費えを使って行いたいものだが…… そうもいかんか」

「それは…… 如何様に。仕方ありませぬ」

「武田との戦いに費えを使いすぎましたからな」

 話し合っているのは氏政と氏照と氏規である。氏邦はこの場には来られなかった。武田家への備えがあるからである。

 氏政もそこは気にしている。

「できれば氏邦もこの場に呼んでやりたかったが」

 これに氏照も氏規も沈痛な表情をする。二人にとっても母は違えど兄弟には違いない。本来なら父の弔いに関して言いたいこともあったのだろう。それを思うと三人とも氏邦に申し訳なくなる。

 だが少なくともこの話し合える三人だけで話を進めなければならなかった。いまだ武田家との戦いは継続している。そして反北条家の勢力の蠢動は止んでいない。北条家は新体制の下で対応していかなければならなかった。

 その点については氏政に考えがあった。それは氏照も氏規も知っている。

「父上は例の件についてはうなずかれた。それは二人も知っていよう」

「ええ。結果から見ればその判断の正しさは明白です」

 氏政の言葉に氏規はうなずく。しかし氏照だけは浮かない顔である。氏規が訊ねた。

「どうなされたのです。氏照兄さま」

「いや、氏邦に伝えられるのが申し訳ないな」

 この言葉に再び黙り込む三人。ただでさえ重苦しい空気がさらに重くなるのであった。


 それからしばらくして氏康の葬儀が行われた。列席した一門は越後の景虎を除けば全員集まっている。そうなると必然的に序列というものが出てきてしまう。そして側室の子というのは正室の子に比べてどうしても扱いが悪くなる。それは些細な差であったが氏邦の心には重々しく刺さった。しかしそれを苦にする氏邦ではない。

「父上は側室の子の俺にも目をかけてくださった。その想いに報いるために北条の夢を必ずや果たして見せる」

 父の葬儀の場でそう誓う氏邦。それがいかなる結末につながるのかはまだ先の話である。



 今回の話は巨星墜つ、といった最後になりました。関東の雄として武田信玄、上杉謙信、今川義元らとしのぎを削った傑物の死は周辺情勢に大きな変化を与えます。その中で氏邦の務める役目もより重くなっていきます。果たして氏邦にどのような運命が待ち受けているのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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