北条氏邦 北条の夢 第一章
関東の武将、北条氏邦の話。
戦国時代関東に覇を唱えた北条家。その三代目の氏康の子の一人が北条氏邦である。関東地方を制覇せんと進む北条家。その一員として氏邦はどう生きて何を望んだのか。
相模(現神奈川県)の小田原を本拠地にする北条家は関東に覇を唱える大大名である。尤もそもそもは室町幕府に仕える伊勢家であり、初代の盛時が関東に進出したのが始まりであった。そして二代の氏綱から北条家を名乗り今に至る。当代は三代目の北条氏康。関東の公儀である古河公方や関東管領との戦に勝ち北条家の名を天下にとどろかせた名将である。
氏康には子が多い。最終的には七男六女をもうけるほどである。当然のことであるが全てが正室の子ではない。側室の子もいる。天文十七年(一五四九)乙千代丸もその一人だ。
乙千代丸の母は低い身分の出自であった。従って乙千代丸の扱いもいいものとは言えない。他の正室の子等とは周りの扱いは目に見えてわかるくらいに違う。他の子等が「お世継ぎ候補」として扱い接しするものが多いのに対して乙千代丸にそうした人間は寄ってこない。尤も無駄なしがらみにとらわれずに済んでいたともいえるが。そしてそんな周囲の目線など気にせずに乙千代丸は元気に育った。もともと頑丈に生まれたのかよく動きまわる子である。そんな息子を見て父親男北条氏康は
「乙千代丸はゆくゆく大変な武辺者になるだろう。北条家にとっては無くてはならぬ男になる」
といった。
また乙千代丸を異母兄たちは可愛がった。特に次兄の松千代丸や三男の藤菊丸は特に可愛がっている。
「いつかは私たちがお父上をお助けしよう」
「「はい! 」」
松千代丸の言葉にうなずく二人。するとそこに氏康がやって来た。そして三人にこう言う。
「私のお爺様、盛時さまが関東に入り、父上が家を大きくなされた。私もまた父上の跡を継いで家を大きくしている。我ら北条は乱世のやまぬ関東を治めて平穏をもたらす使命を持っているからだ。お前たちもこの北条の夢のために強くなるのだぞ」
この父親の言葉にうなずく息子たち。尤も意味はよく分かっていない。だが乙千代丸の心に「北条の夢」という言葉は強く残り続けるのであった。
永禄元年(一五五八)乙千代丸が十歳の時、武蔵(現東京都と埼玉県)北部の有力な領主である藤田家の養子に入ることになった。この頃の北条家は駿河(現静岡県)などを治める今川家と甲斐(現山梨県)などを治める武田家と相互に婚姻同盟を結び後背を固めている。これにより北条家の悲願である関東の制覇に邁進できるようになった。そして乙千代丸の養子入りは関東に代々勢力を持つ領主達を取り込むための策の一環である。
乙千代丸はこれを最初嫌がった。
「兄上たちと離れ離れになるのはさみしい」
しかしこれを元服した松千代丸こと氏政が説得する。
「これも北条家のためなのだ。私も本来は家を継ぐはずもなかったが兄上が亡くなられた今そうも言っていられない。皆で北条家の為に頑張らなければならないのだ」
氏政の言う通り兄で嫡男の氏親は病に倒れ亡くなってしまっていた。ゆえに次男の氏政が家を継ぐことになったのである。しかしこの思いもよらぬ事態に氏政は正直不安であった。自分はうまく父の跡を継げるのか、と。故にこう乙千代丸を説得する。
「私は父上のようなことは出来ないかもしれない。だから乙千代丸が藤田家を継いで大きくなったら私を助けてくれ」
氏政は真摯にそう言った。これに乙千代丸も納得したようである。
「分かりました兄上。きっと見事な武将になってみせます」
「ああ頼んだぞ」
こうして乙千代丸は藤田家の養子になった。そしてその翌年松千代丸こと氏照が武蔵の有力な大名である大石家の養子に入ると同時に氏康は家督を氏政に譲った。実権は氏康が握ったままだがこれで新たな北条家が始まったといえる。つまりここから新たな北条家の夢が進んでいくことになったのであった。
氏政の代になってから関東はますます激動の時代に入る。というのも越後(現新潟県)の上杉謙信が関東に出兵し北条家と敵対し始めたからだ。
上杉謙信は越後守護代の家の生まれでもともとは長尾景虎といった。今は亡き越後の守護は上杉家で関東管領の上杉家とは同族である。北条家に敗れた関東管領の上杉憲政はその縁を頼りに上杉謙信のもとに逃げ込んだ。そして自身の旧領復帰の為に関東への出兵を要請したのである。また関東の領主たちの中にも謙信の出陣を望む者がいた。彼らは北条家の躍進を快く思っておらず、敗れて従っても逆襲の機会をうかがっていたのである。
こうした情勢をまだ幼い乙千代丸は分っていない。この時はまだ養父の藤田康邦が健在であった。康邦はこの情報を知り対応に追われていた。
「北条家に従った以上は対応するしかない。しかしどうなることか」
不安を覚える康邦これは的中した。上杉謙信が関東に出陣してきたのである。しかもこれに反北条の関東の領主たちがこぞって参加した。これにより大軍になった上杉軍は悠々と南下し小田原に迫ったのである。
この事態に対して康邦は自分の城を守るので精一杯であった。乙千代丸も養父がせわしなく対応しているのを見て事態の大変さを悟る。
「父上や兄上たちは大丈夫なのだろうか」
幼い乙千代丸にはその程度のことしか思い浮かばない。だが何か巨大なものが北条家に襲い掛かっているという事は何とか理解できた。
「養父上様。小田原の父上たちは大丈夫でしょうか」
乙千代丸はそう尋ねる。これに康邦はこう答えた。
「きっと無事であるはず。氏康様を信じまよう」
何の確信もないがそう答えるしかなかった。
この後氏康と氏政は謙信の攻撃を耐えきる。謙信は撤退を決断し越後に帰って行った。
藤田家にも平穏が帰る。皆安堵しているようだった。だが乙千代丸だけは違う。
「いつか大きくなって、俺が父上や兄上を守るのだ」
そう新たに決意する乙千代丸であった。
上杉謙信はその後も幾度となく関東に出兵しては撤退していった。北条家はその対応に追われて領国の拡大に歯止めがかかる。北条の夢である関東制覇にとっての大きな障害であった。
こうした状況で乙千代丸は文武両道の習得に励んだ。いつか自分が藤田家を継いだ時に父や兄の援けに成れるようにという事である。そうした乙千代丸の姿勢は藤田家の中でも好感を抱かれた。乙千代丸が優れた将になり北条家との関係も良くなれば藤田家の今後も素晴らしいものになるからである。それが藤田家の望みでもあるし生き残りの戦略でもあった。
こうした動きを受けて永禄七年(一五六四)藤田康邦は決断した。
「乙千代丸に家督を譲ろう。これからも上杉家の攻撃は激しくなる。北条家のとのつながりが第一だ」
この時乙千代丸は元服し名を氏邦と改めた。そして康邦の娘を娶り藤田家の家督を継いだのである。
「これからは御家の為に一層奮起して見せる。養父上も俺に力を貸してくれ」
「そのことだが藤田家の名字は氏邦に継がせようと思う。私は用土城に移る。名字も用土に変える。これで氏邦も好きにできよう」
「養父上…… ありがとうございます。藤田家は必ず俺が守る! 」
こうして氏邦は無事に藤田家の家督を継ぐ。だがこれに複雑な思いを持つ者もいた。康邦の嫡男の重連、次男の信吉である。
「氏邦殿が家を継いだのは藤田家のため。父上が別家を立ててくれたのは私を慮ってくれてのことであろう」
重連はそう言って自分を納得させた。一方の信吉は露骨に不満である。
「本来は兄上がお家を継いだはずのものを」
ほどなくして康邦はこの世を去った。重連と信吉は氏邦の家臣となる。これが後々にある騒動を引き起こすこととなる。
家督を継いだが氏邦はまだ若い。正直未熟である。尤もそれは氏邦自身が自覚していることであった。
「家を継いだはいいが俺はまだ若輩者。これからどうするか」
一つの家の当主としてやらなければいけないことは多い。家臣団の統率、軍備の拡張、そして内政である。特に内政には重点的に当たらなければならない理由があった。それは上杉謙信の関東侵攻である。
「わざわざ越後から山を越えてやってきて、しかも領地を荒らして帰るとはとんでもない奴だ」
上杉謙信は後世に義の将として知られている。関東侵攻も領地を追われて上杉憲政の救援に応えて物もであった。他にも庇護を求める武将を庇護して領地奪還の支援をしている。こうした点から義の将と呼ばれるようになったのだろう。
対して北条家は元々京の幕府に仕える侍で関東の外からやってきた勢力である。関東に古くから住む領主たちに侵略者ととらえても仕方のない立場であった。だが関東で生まれ育った氏邦にそんな自覚はない。氏邦にとってはむしろ謙信が侵略者である。
「そんな奴に負けないためにも、何より領地の民を守るためにもいろいろと考えなければ」
そう考えてみるも簡単に思いつかない。とりあえず父の氏康に倣って色々とやってみて一応の効果はあった。しかし民の暮らしが劇的に楽になるほどではなかった。困った氏邦は養父の用土康邦に相談した。
「何かいい手はないか。養父上」
「そうは言われても…… 氏康様のやり方以上のことを私が思いつくはずもなかろうて」
「別に手を考えてくれ取っているわけじゃないんです。何か昔からあるもので民の暮らしに役に立ちそうなものは無いのかと」
康邦は少し考える。
「そう言われてもなぁ。せいぜい養蚕をやっているところが多いくらいか」
この発言に氏邦は喜んだ。
「そりゃあいいじゃないですか。生糸を作っているところが多いならそれをもっと大きくすればいい」
「だがなぁ。生糸ならどこの領地でも作っている」
「うちは質も良くして量も作るんだ。それが関東で広まれば養蚕している農家も暮らしが楽になる。よし、そうしよう」
思い立ったが吉日、氏邦はすぐに行動に移った。考えたのはそれまで家々でやっていた生糸の生産や販売を管理し流通を円滑にすることである。
「直ぐには無理だがいつかは必ず成果が出る。俺を信じてくれ」
氏邦は家臣や領民を説得して養蚕事業の発展に尽力した。家臣や領民たちも氏邦の熱心さに感化されて氏邦に積極的に協力していく。
一方で氏邦は養蚕事業以外にも目を向けていた。例えば林業などの殖産興業の発展にも尽力し、農業を守るための河川の整備なども行う。
こうした氏邦の姿勢は家臣だけでなく領民たちからも慕われた。そして藤田家の領地は少しずつ強靭なものになっていくのである。
「これなら上杉のやつらがやってきても大丈夫だ」
領主として自信を深めていく氏邦。だがこれから関東と北条家ははますます激動に呑み込まれていくのであった。
今回の話は区切りの関係上いつもより若干短くなっております。特に気にする方もそれほどいないでしょうが一応ご報告しておきます。
今回の主人公は北条氏邦。彼は北条氏康の四男と知られております。これが信長の野望などをやっている人だと三男じゃないの? と思われるでしょう。尤もそれも仕方のないことで本編中にある通り北条氏康の長男の氏親は夭折しており家督を継いだのは次男の氏政です。この氏親がゲームには出ないという事などの理由で知られていないのでそう考えている方が多いのが現状です。そしてさらに近年の研究で氏邦の生年が改められ五男だと思われていた氏規が四男で氏邦が五男なのではないかと言われ始めました。現在はこの説が主流になりつつあるのでこの話では五男説を採用しております。その点はご容赦を。
さて北条家を出て藤田家の家督を継いだ氏邦。そんな彼に様々な出来事が襲い掛かります。氏邦はどう動くのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




