小笠原貞慶 小笠原貞慶の半世紀 第四章
室町幕府の滅亡を機に織田家は天下統一への道をさらに進んでいく。貞慶も織田家の家臣となり何とか生き残っていた。そして父から家督を受け継いだ貞慶は旧領復帰への思いを強くする。やがて貞慶はある大事件を目撃しそこで大きな選択を迫られることとなる。
天正十年(一五八二)二月、武田家に従っていた信濃の領主の木曾義昌が織田家に寝返った。信長はこれを好機ととらえ武田家領への侵攻を開始する。総大将は信長嫡男の信忠で旗下の領主たちと共に軍勢を率いて信濃に侵攻した。
この際、貞慶に出陣の命令は下らなかった。
「信濃には小笠原家縁の者もいる。私を連れて道案内にすればよいものを。まあ木曾殿がいるからか」
貞慶はそう考えた。そしてのちにこれを後悔することになる。
信忠の軍勢は美濃から信濃に討ち入った。さらにこの頃には織田家に従う大名となっていた徳川家も駿河(現静岡県)方面の武田家の領地に侵攻する。更に関東では北条家も武田家に攻撃していた。この時の武田家の同盟者は上杉家だけであり、その上杉家も織田家の攻撃や内紛などもあり動ける状態ではない。誰が見ても武田家の終焉は明らかであった。
「かつては天下一の大名と言われた武田家もこれで終わりか。無常なものだな」
貞慶からしてみれば自分や家族を故郷から追いやった者たちの終焉である。しかし不思議と喜びの感状は湧かなかった。ただ時代の激動をひしひしと感じるばかりである。
「大小どんな家でも生き残るのは難しい。本当にこの戦国の世は恐ろしい」
そう改めて感じる貞慶。しかし信長が天下を取れば戦国の世も終わるだろう。そうなれば自分のような領地を追われるものもいなくなるはず。そう考えると少しばかり気が楽になる貞慶であった。
貞慶の見込んだ通り武田家はあっさりと滅亡した。織田信忠率いる軍勢の素早い侵攻に領主たちは次々と離反してしまったからである。これもまた戦国時代の無常の一つと言えよう。
この時期小笠原家の本拠地であった林城は破却されて存在しなかった。代わりに旧小笠原家領の中心であったのは深志城である。ここを攻め落としたのは信長の弟の織田長益であった。貞慶はすぐさま長益のもとに向かう。理由はもちろんこれを機に小笠原家の旧領の回復を願うためだ。
無事に長益に拝謁できた貞慶は平伏しながら言った。
「此度の戦勝おめでとうございます。織田家の名は天下に轟くことでしょう」
努めて恭しく言う貞慶。そんな貞慶に対して長益は冷笑を浮かべて言った。
「私に頭を下げたところで元の領地には戻れんぞ」
そう言われて固まる貞慶。さらに長益はこう言った。
「そもそも貴殿は何の武功もなかろう。そんなものが恩賞にありつけるわけもないではないか」
これに貞慶は反論できなかった。全く長益の言う通りであったからである。
貞慶は屈辱と口惜しさに震えた。しかし努めて冷静にこう言って立ち上がる。
「まことに戦勝おめでとうございます。浪々の身で生きてきた者としては晴れて故郷を見られて感激しております。もともとそれ以外の何を望みましょうか。では失礼します」
そう言って長益のもとを去った。
その後論功行賞で小笠原家の旧領の大半は木曾義昌に与えられた。これも仕方なしと受け入れるしかなかった貞慶であった。
武田家は滅亡したものの小笠原家の旧領の完全な復帰は叶わなかった。肩を落とす貞慶。一応筑摩群は旧小笠原良ではあるがごく一部である。
「これで旧領復帰の望みは永劫にかなわんか」
天下は織田信長の作り上げた体制に統一しつつあった。おそらくは旗下の武将たちの領地も固定化されるであろうから、木曾家から旧小笠原家の領地を取り戻す可能性は絶無といえる。
「父上にも兄上にも叔父上にも申し訳が立たない。だがいつまでも泣いてはいられん」
幸い筑摩群は与えられた。旧領復帰は叶わななかったが信濃に戻ることは出来たのである。それだけは唯一の救いと言えよう。貞慶は一族郎党を引き連れて筑摩群に移る準備を進めた。ところが天正十年六月にとんでもないことが起きる。何と主君の織田信長が重臣の明智光秀に討たれてしまったのだ。場所は京の本能寺。屋敷にいた貞慶はこの信じがたい事態に対して思いのほか冷静に対応できた。
「門を閉じ静かにしているのだ。誰が何をしたかわからんが我らは標的ではない」
この時貞慶は何が起きたかをそこまで深く知っていたわけではない。だが
「(おそらく狙われたのは信長様。誰かは分からぬが本能寺でお休みのところに討ち入ったのだろう)」
という風に理解していた。尤も流石にそのあとで明智光秀が討ち入ったと知ったときは驚いている。
こうした冷静な対応に驚いているのは貞慶の息子の貞政であった。貞政はかつての貞慶のように慄いている。
「父上はこのようなことが起きて恐ろしくないのですか」
この時の貞政は元服したての十三歳。慄くのも無理はない。一方の貞慶は努めて冷静にしていた。こういう時に年長者が冷静であれば周りの同様の自然に治まるものである。貞慶はそれを今は亡き叔父の姿から学んでいた。
「(義輝様が討たれたとき叔父上は兎も角冷静だった。そして小笠原家の行く末を考えておられた。私もそうしなければ)」
貞慶としては京でこうしたことが起きるのはそう珍しくないという感じである。故に冷静であった。だがしかし動揺はないが懸念はある。それを貞政が口に出した。
「信長様が亡くなられてはこの先どうなるのでしょうか」
それはおそらく小笠原家だけでなく多くの人間が懸念していることでもあった。天下統一を目前とした信長の死、それはおそらく新たな戦乱を巻き起こすかも知れない。尤も希望はある。
「信忠様は聡明なお方だ。この先うまくやってくれるだろう」
信長嫡男の信忠は先の武田家の征伐で見事な指揮をして、後継者としての立場を確立させている。織田家の体制も整っているのでそこは心配はいらないと貞慶は考えた。少なくとも義輝が討たれたときよりも混乱は小さいだろうとも考えている。
ところが情報を収集しているととんでもないことが判明した。何と信忠も討たれてしまったという。これには貞慶も驚くほかない。
「(これでは跡継ぎをめぐって争いが起きる。そうなれば信長様が収めかけた戦乱も再びまきおころう。だがそれはもしやすると我らに利するかも知れない)」
信忠死亡の報せに慌てる貞政や小笠原家家臣達。だがこの時貞慶はあることを考えた。そして幸か不幸かそれを実現に近づけるような情勢に変わっていくのである。
信長を討った明智光秀は周辺地域の制圧にかかる。一方貞慶は息をひそめて動向をうかがった。今後情勢がどう転がるかわからなかったからである。尤も光秀も近畿に領地を持たない小笠原家などどうでもよかった。おかげで貞慶も安心して情勢を見極められる。
「明智殿は信長様を討った。だがそのあとをやすやすとは継げまい」
貞慶は織田家が畿内を固めた光秀に従うものと、信長の仇を討つべく集まった者との二つに分かれると踏んだ。その上で勝ちそうな方に着くというのが貞慶の考えである。
こうした考えに幼い貞政は難色を示した。
「主君が討たれたのにその仇を討とうとは思わないのですか」
貞政もまた武家の名門である小笠原の血をひくものである。そういう名門意識といい意味での真面目さの合わさった発言ではあった。だが戦国時代で生きる、しかも小笠原家のような弱小勢力の考え方ではない。故に貞慶は息子をこう諭した。
「何をおいても家を守ること。そして小笠原の血を絶やさぬことこそ大事なのだ。お前もそれがゆくゆくは分かるはず」
「そういうものですか…… 」
少しばかり不服そうにうなずく貞政。とは言え納得しているようではあった。
さて貞慶は混乱がしばらく続くと考えていた。ところが中国に出兵していた羽柴秀吉がすさまじい勢いで戻ってきて明智光秀を討ってしまったのである。これには貞慶も驚いた。
「何という早業か。しかしこれはこれで混乱が起きるのではないか」
この予測は当たり、光秀討伐から数日後に開かれた今後の織田家についての会議では信長の仇を討ち存在感を高めた秀吉と、それに反発するものとの対立が浮き彫りとなってしまった。この対立もあり織田家の天下統一事業は一時中断され内部での対立が進行することとなる。
一方で貞慶の狙い通りになった点もあった。それは信濃に関することである。信濃や甲斐などの武田家の旧領は織田家が制圧してから日も浅かった。そのため信長の不慮の死で混乱に陥り旧武田領を拝領していた武将たちは撤退していたのである。つまり旧小笠原家領を含む地域は空白地帯となっていた。
「もうここしかない。これの好機を逃すわけにはいかないのだ」
貞慶は千載一遇のチャンスを前に行動を始めるのであった。
貞慶がまずとった行動は徳川家康の家臣になることであった。家康は空白地となった旧武田領を手に入れようと画策しており、織田家の了承も得ている。それを知った貞慶は家康の野心に便乗し目的を達成しようと考えたのだ。
織田家にとっての貞慶達小笠原家は正直どうでもいいような存在であった。いてもいなくても構わないぐらいの存在である。一方で家康にとっては少し事情が違った。何故なら小笠原家の領地であった地域を手に入れるにあたって、小笠原家の正統な当主である貞慶の存在は十分に利用価値があったのである。
むろんこれは貞慶も分かっている。そういうわけで家康に仕えること自体は容易であると考えていた。
「(むしろ旧領の奪還にどれほどの力を貸してもらえるか)」
そこが悩ましいところである。そしていざ対面した貞慶に家康は思いもよらぬことを言った。
「小笠原家は武門の名家。それを助けるのは武家として当然の事。助力は惜しまん」
そう言って全面的な支援を表明したのである。貞慶は驚くばかりであった。
「それはありがたき幸せ。家康様のご温情に縋るとします」
感謝は本心であるが一抹の疑念があるのも事実である。流石にこんな簡単に快く応じてくれたのはいささか不信であった。尤も家康が快諾した理由はあっさりとその口から判明する。
「本当に良いところに来てくれた。実は貴殿の叔父の洞雪斎が上杉家の援けを受けて深志城に入ったのだ」
「ええ! 叔父上が!? まさか生きていたのですか」
これには貞慶も驚いた。洞雪斎は信定とは別の叔父であるが信濃を脱出する際にはぐれてそれっきりだったのである。貞慶も長時も死んだ者と思っていた。
家康はさらにこう続ける。
「信濃に残っていた小笠原家の旧臣たちは小笠原家の再興を喜んだらしい。ところが洞雪斎は上杉家の言いなりで、一緒にやって来た上杉家の家臣が好き放題にしているそうだ」
「なるほど…… 叔父上も助けられた手前強く出られないという事ですか」
「そうなってくると小笠原家の家臣たちとしては不服なのだろう。そこで縁あって儂を頼ったのだ。そしてどうにか織田家に居る貴殿を呼んできてほしいと頼まれたのだ」
「そ、それは真実ですか!? 」
貞慶の言葉に家康はゆっくりとうなずいた。これに貞慶は感涙する。まさか自分の帰還を信じている家臣達がいるとは露にも思わなかったのだ。
感涙している貞慶に家康はこう言った。
「もはや何をためらうこともない。今すぐ信濃に向かい小笠原家を真に再興してくるのだ」
「はは! 」
こうしてあっさりと貞慶の目論見通りに事が運ぶのであった。
貞慶は小笠原家の旧臣たちと共に深志城に攻め入った。これに慌てたのが上杉家の家臣達である。
「なぜ小笠原家の者どもは敵対したのだ」
「洞雪斎め。家臣もうまく扱えないとは」
一方の洞雪斎は落ち着いていた。そして嘆くどころか内心喜んでいる。
「あの小僧丸が大きくなったものよ。こうなれば儂などは吹けば飛ぶ張り子よ。しかし無駄に戦をして死者を出すのも忍びないな」
貞慶の率いる軍勢は旧小笠原家臣たちをどんどん取り込んでいき膨れ上がっているという。どう見ても洞雪斎方の勝ち目のない戦であった。
ここで洞雪斎は決断する。そして上杉家臣たちにこう訴えた。
「われわれに従うものはろくにおりません。貴殿らも戦をすれば無駄死にするだけだというのは分っていることでしょう。ここは潔く城を出て越後に帰るべきかと思います」
この発言に一部の上杉家臣は激怒した。
「景勝様のご恩を忘れたのか。ここは援軍を待ち戦うべきだ」
「なるほど。ですが援軍が来るまでに持ちこたえられましょうか」
こう洞雪斎が言うと上杉家臣たちは沈黙した。もうすでに貞慶達は深志城の目前まで迫っているらしい。
沈黙する上杉家臣たちに洞雪斎はこう言った。
「皆さまが無事越後に逃れられるようにはします。それが景勝さまへのご恩に報いる道と思います」
こう言われては上杉家臣たちも沈黙するしかなかった。
それからしばらくして貞慶達は深志城の目前まで来た。そこに洞雪斎が一人で現れる。
「久しいな小僧丸、いや貞慶か」
「ええ。お久しぶりです叔父上」
にこやかに言葉を交わす二人。そして洞雪斎はこう言った。
「今上杉家の家臣たちは城を出て越後に向かっている。城は空だ。お前の好きにするがよい。儂は潔く去るとしよう」
そう言って洞雪斎は去ろうとした。しかし貞慶はこれを引き留める。
「そんなことを言わないでください。一族の者として私を支えてはくれませんか」
これに対して洞雪斎は首を横に振る。
「儂はお飾りとしても何もできなかった。そんな者がおらなくてもお前は大丈夫だ」
「叔父上…… 」
悲しげな顔をする貞慶。そんな貞慶に洞雪斎はこう言った。
「そんな顔をするな。お前は見事小笠原家の再興を成し遂げたのだ。胸を張って城に入るとよい」
そう言うや今度は振り返らず洞雪斎は去っていった。それを見送った貞慶は家臣たちを引き連れて深志城に入る。
「家を再興させたのだな。私は」
正直実感はない。だが成し遂げたのも事実である。
こうして小笠原家は旧領に復帰し家を再興させることに成功したのであった。
貞慶はついに念願の旧領復帰を果たしました。ただここで終わればめでたしめでたしなのですが、貞慶の人生はここからまだ波乱が待ち受けています。しかし本能寺の変は本当に多くの人間の人生を変えました。変の発生から一年ほどで各地、特に信濃、甲斐などの情勢は激変しています。これを機に転落していく人物もいれば成功する人物もいて多くの人間にとっての大転換となった事件でしょう。しかしここで死ななければ人生はまだまだ続きます。貞慶もこの先どうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




