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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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小笠原貞慶 小笠原貞慶の半世紀 第一章

 信濃(現長野県)の武将、小笠原貞慶の物語。

 小笠原家は武家の有識故実を伝える由緒ある家である。小僧丸、のちの小笠原貞慶はそんな家に生まれた。そして思いもよらぬ激動の人生を歩むこととなる。

 小笠原家は由緒のある家である。鎌倉幕府の頃から信濃(現長野県)に領地を持って各地に分家も多い名家であった。武家の有識故実を伝える家でもありその格式も非常に高い。戦国の世にあっても一定の勢力を保持し、近隣の勢力とも連携して家を守っていた。

 当代の当主は小笠原長時。長時の父の長棟は分裂していた小笠原家を一つにした傑物である。長時も武勇に優れた武将であった。

 長時には男子が三人いる。その三男は小僧丸といった。本人は知る由もないが、この後に激動の人生を送る羽目になる男である。

 

 小僧丸が生まれたころ、信濃は甲斐(現山梨県)を統一した武田信玄の侵攻を受けていた。これに対して信濃の諸勢力は協力して対応している。この結果一進一退の攻防を繰り広げていた。

 天文十七年(一五四八)二月、信玄は信濃の上田原で村上義清と合戦に及んだ。義清は勇将で知られた人物であり、この合戦では数に勝る武田家の軍勢に勝利して見せるほどである。信玄はこの敗戦で重臣を失う大きな痛手を被った。

 こうした状況下で小僧丸の父の長時はこう考えた。

「この勢いをかって武田の者どもを信濃から追い出してしまおう。その戦を指揮すれば儂の名も上がるはず。さすれば皆も儂が信濃を治めるにふさわしいと思うだろう」

 長時は自分が信濃を統べるにふさわしい存在だと思っていた。しかし先だっての大勝で村上義清の名声は著しく上がっている。その義清は長時の妹の夫、つまりは義弟であった。武田家に大勝した件については喜ばしいが、自分を上回る存在を見せ始めているのは面白くない。

「名家小笠原こそが信濃の主に相応しいのだ」

 そう考えた長時は急いで兵を集めて武田家の勢力下にある諏訪に攻め込もうと考えた。七月のことである。だがこの時長時の舅の仁科盛能は

「このように急いで事に当たってはむしろしくじる。村上殿と協力してゆっくりと攻め入ってはどうか」

と、提案する。しかし長時はこれを一蹴した。

「舅殿は儂が義清に劣っているとでもいうのか。舅殿は戦を知らんのだ」

 こう言われて怒った盛能は兵を引いてしまった。さらにこの事件のせいで小笠原家の軍勢は動揺する。そもそも長時が急いで寄せ集めた軍勢なので結束力などなかった。

 結局小笠原家の軍勢は塩尻峠で武田家の奇襲に会い大敗する。これで小笠原家は一気に権勢を失うのであった。しかしまだ幼い小僧丸には理解できぬことである。


 天文十九年(一五五〇)小笠原家の本拠地である林城が落城した。これをもって信濃小笠原家は一時滅亡する。しかし長時親子は生きていた。命からがら林城を脱して九死に一生を得ている。

 この時の小僧丸はまだ四歳。物心がつき始めたぐらいである。従ってよくわからないまま自分の住んでいた場所を追われて浪々の身になったわけであった。

「この無念は忘れん。いずれは家を再興して見せるぞ」

 怒りと口惜しさで号泣する長時。小僧丸は自信満々な父の姿しか知らなかったので大いに困惑した。ただ何か大きい感情が動いているという事だけは理解できている。

 さて居城を追われた長時であるがこのまま山の中に隠れているわけにもいかない。どこかの大名なり領主なりを頼らなければいけなかった。

 まず家臣が提案したのは村上義清のもとで会った。親戚でもあるし領地も近いのでちょうどいい。しかし長時はこれを拒否した。

「義清の下に甘んじるなどできん」

 長時はこの期に及んでまだプライドを捨てられなかった。結局話し合って一時長時の弟の信定のもとに向かうことにする。しかし信定の領地も信玄に攻め込まれるのは時間の問題であった。

「何処からか、武田を打ち破れるものを呼び込まなければならぬ」

 そう考えた長時は越後(現新潟県)の長尾景虎を頼ることにした。景虎は若くして名将との誉れも高い人物である。また越後と信濃は隣接しているのでいずれは武田家とも敵対するであろう場所にいる。

「長尾殿が兵を出してくれるよう頼んでみるか。名家である小笠原家を見捨てることもないだろう」

 この頃には信定も追い詰められていた。長時は一族郎党連れて越後に入る。景虎はこれを快く受け入れた。

「いつか準備が整い次第信濃に向かおうとしようか」

 そう言ってくれたもののこの時の長尾家は内部の抗争を終わらせた段階ですぐに兵を出せるような状況ではなかった。せいぜい未だ反抗している義清への支援ぐらいである。

 すぐさま兵を出せるような状況ではないと知って落胆する長時。そんなときに信定はこう言った。

「今の公方の義輝様は各地の争いを収めようとしているようだ。ここはいっそ京に向かって義輝様を頼るのはどうだろうか」

「公方様を? しかしいかにして公方様に取り次いでもらうのだ。いくら名家といってもすぐに公方様に会えるはずもないぞ」

「なんでも今実権を握っている三好長慶殿は小笠原家と同族らしい。この長慶殿を頼ってはどうか」

「ふむ、それならよいかもしれん」

 長時は即決した。そして景虎に許可をもらい京に向かう。この頃には義清も信玄に押され始め危機的状況に陥っていた。そんなことは露も知らず長時たちは京にたどり着く。以外にも三好長慶は簡単に会ってくれた。

「われわれは小笠原家の分家。本家の方々が頼ってくれた以上はお助けしない訳にはいきません」

 そう言って長時たちを保護してくれた。こうして一時の安息を得る長時たちであった。


 小笠原家が信濃を追われてから十年近くたった永禄四年(一五六一)。小僧丸は元服し小笠原貞慶と名乗った。慶の字は世話になっている三好長慶からもらったものである。幸い長慶の心遣いで、長時は将軍の義輝への謁見は出来た。室町幕府の権威の復興を目指す義輝はその活動の一環として各地の大名たちの戦闘の調停に介入している。

「武田に信濃への侵攻を辞めるように言っておこう。もし聞かぬようであれば幕府の名で武田を討伐することを許す。長尾にはお前たちが領地に復帰できるよう取り計らうように言っておいた。安心して待つがよい」

「あ、ありがたき幸せ…… 」

 あまりの心遣いに落涙する長時であった。だが武田信玄は幕府の勧告を無視して信濃に侵攻している。長尾景虎は村上義清ら信濃の領主と幕府の要請を受けて信濃に出陣して信玄と戦った。しかし決着はつかずその後も何度か抗戦しているという状況である。

 この現状にすっかり肩を落としているのは長時であった。

「長尾殿は稀代の名将というではないか。そんな御仁が勝てないのであればもはやどうしようもあるまい」

 肩を落とす長時。この頃には流浪生活の疲れと分家の長慶の世話になっているという現状ですっかり丸くなっている。一方で貞慶は違った。幼さもあるが父から受け継いだプライドもあって妙に強気である。

「我らのような歴史ある家が本領を追い出されたままでいいはずはありません。いつかきっと信濃に戻れる日がやってきます」

 そう言って長時を慰めるのであった。

 だが実際はそううまくはいかない現状であった。長尾景虎は信濃の領主たちだけでなく関東管領の上杉憲政を庇護している。そして憲政からは自分を関東から追い出した北条家の討伐を依頼されていた。景虎はこれにも応じており現状武田家と北条家の二つの家を相手にしている状況である。しかしこの二つの家は容易に打倒することができるような存在ではなかった。景虎は北条家との緒戦では勝利するものの打倒するまでには至っていない。

 そして貞慶が元服した永禄四年に上杉憲政の関東管領の立場を継ぎ上杉政虎名乗るようになった。とは言え関東の情勢は膠着状態に陥る。しかもここで信玄が信濃へ侵攻した。政虎はこれに対応し信濃の川中島で合戦となる。しかし双方痛手を被り決着はつかなかった。

 こうした情勢において京にいる小笠原家の人間にできることは無い。幼い貞慶は持ち込んのことである。

「もっと立派な侍になって家の役に立ちたいのに」

 嘆く貞慶。だがここからさらに事態は悪化していくのであった。


 永禄四年に行われた川中島での合戦の後、上杉政虎は将軍足利義輝から一字拝領し名を輝虎と改めている。しかしこれ以降輝虎による信濃への軍事行動は収束していってしまった。理由は関東方面へ集中するためである。こうした動きを知って貞慶は怒った。

「我等や義清殿たち信濃の領主たちを見捨てるつもりなのか」

 実際問題武田と北条を同時に相手取るのは困難である。輝虎がどちらかを選ばなければいけない段階になっていた。そこで結局関東管領の跡を継いだという事を重視したに過ぎない話である。ある意味現実的な判断をしたといえる。もちろん貞慶の言う通り信濃の領主たちを見捨てたともいえないこともないのだが。

 兎も角貞慶たちにとっては、自分たちが旧領の復帰できる大きな当てが外れてしまったという事であった。嘆き怒るのも無理はない。だがここでさらに追い打ちをかけるようなことが起きている。

 貞慶は最近長時の元気がますますなくなっていることが気になった。そこで叔父の信定に相談する。

「父上は最近ますますお疲れです。何かあったのですか」

「ああ、それがな。長慶様の弟の十河一存様が亡くなられていたらしい」

 肩を落として言う信定。これには貞慶も驚いた。

「ええ…… それは本当ですか」

「ああ。兄上はお前たちには極力隠しているようだしな。長慶様も隠されていたようだし」

 三好長慶の弟であり三好家の重鎮でもあった十河一存は川中島での合戦の数か月前に急死していた。むろんこれは隠せるものではないのだが、そこまで周辺の事情に関心を向けていなかった貞慶は知らなかったのである。もちろん長時が隠していたという事もあるが。

 貞慶は信定に訊ねた。

「弟君が亡くなったのならば長慶様もだいぶ悲しんでおられるのでは。まだ若いはず」

 長慶は長時より年少である。その弟ならばまだ四十にはまだ入らないぐらいではないか。貞義はそう考えた。実際十河一存は長慶の末弟で享年は三十歳である。当時の基準でもだいぶ若い。

 信定はうなずいた。

「ああだいぶ心を痛めておられるようだ。だいぶに意気消沈しているらしい」

「なんと。それは心配です」

 貞慶は本気で心配した。長く世話をしてくれている恩人である。そんな人物が深く悲しんでいるというのならそれはとても心配ではあった。それは信定も同じである。

「何とか元気になってもらいたいものだ」

「本当ですね」

 長慶を心配する貞慶と信定。だがここから事態はさらに悪化していく。

 

 一存が亡くなった翌年に長慶の一番上の弟の三好実休が戦死してしまった。さらにその翌年には長慶の跡継ぎである義興も病死してしまう。

 義興の死は貞慶にとってとても悲しい出来事であった。義興の方が若干年上であるが年齢も近い。気さくな人柄であったので貞慶とも立場を気にしない交流があったのである。

「義興様が三好家を継いだのならばその家臣になってもいいと思っていたのに」

 嘆く貞慶だがそれ以上に嘆いているのは可愛い嫡男を失った長慶である。余りの悲しみに体調を崩してしまうほどであった。そして三好家内部での不和も徐々に表面化し始める。そうした噂は貞慶の耳にも届く。しかし気落ちしている父親に相談することもできなかった。そういう時に相談できるのは叔父の信定だけである。

「叔父上。三好家の家中に不和があるというのは本当ですか」

 こう問われて信定は苦々しい顔をする。しかし答えないわけにもいかないので渋々話し始めた。

「長慶様は松永久秀殿を重用しておられる。しかし三好一門の方々に松永殿の覚えはよくないようなのだ」

「それはなぜですか? 松永殿はとても優秀で長慶様への忠誠も熱い方と聞きますが」

「それはそうなのだが、松永殿は何分新参の身であるらしいからな。そういう御仁が重用されていると優秀であろうがなかろうが疎まれるものよ」

「はあ、そういうものですか」

「それに一存様を松永殿が亡き者にしたという噂まで流れているからな…… 」

 この発言に貞慶は驚いた。そして慌てながら尋ねる。

「そ、それは真実なのですか!? 」

「あくまで噂だ。信じるな。かような噂に惑わされるようではいかんぞ」

 信定に諭されて落ち着きを取り戻す。しかし不安は消えなかった。

「どちらにせよ三好家中は収まっていないという事ですか」

「まあ、そうなるな。その上に長慶様のご病気も重いらしい」

 そう言ってため息をつく信定。それを見てますます不安になる貞慶であった。そして永禄七年(一五六四)三好長慶はこの世を去る。そしてこれが新たな動乱の始まりとさらなる小笠原家の苦難の始まりを告げるのであった。

 前の話の伊東祐兵も幼いころに戦いに敗れ故郷を追われた人物です。とは言え十代であった祐兵と一桁の年齢であった貞慶ではだいぶに違います。それに現状貞慶は京で過ごした時間の方が長いのですから故郷の思い出というのはそれほどないかもしれません。しかしこの後貞慶は旧領回復の為に活動し続けます。当時の人たちにとって自分たちの生まれた土地というのはそれほど大事だったのでしょう。

 さて今回の話で貞慶は最大の庇護者である三好長慶をなくしました。そしてこれから起こる大混乱にいやおうなしに巻き込まれます。貞慶は一体どうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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