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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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伊東祐兵 伊東家再興記 第六章

 豊臣秀吉の死によって朝鮮半島への侵攻は幕を閉じた。しかし天下人たる秀吉の死は新たなる問題を引き起こす。その中で祐兵も命を懸けた判断をすることとなる。

 日本に戻った祐兵は秀吉の形見として備前恒弘の太刀と名馬・源氏黒を与えられた。これには祐兵も感涙する。

「秀吉様は私のことをそこまで想っておられたのか。ありがたい限りだ」

 亡き秀吉からの思いを感じながら祐兵は日向に帰国する。だが飫肥城に入ってみると妙な雰囲気を感じた。具体的に言えば剣呑で家臣同士がお互いに疑念を抱いている様子である。出陣する前には感じられなかった。

 やがてその理由が分かった。何と文禄の役の折に亡くなった義賢と祐勝の兄弟は家中の誰かに謀殺されたのだという噂が流れていたのである。

「何を馬鹿な。二人が病に侵されているのを私やほかの者たちも見ていたのだぞ」

 実際宗昌をはじめとする同行していた家臣たちも戸惑っているようだった。しかし家中にはこの噂を信じ切っている者も多いようである。

 やがてある日重政が祐兵に内密の話があると申し出てきた。

「一体なんだ」

 いやな予感を覚えながら祐兵は尋ねる。すると重政はこう言った。

「この所の家中での噂、御存じですか」

「ああ知っている。くだらない話だ」

「ですが信じている者もおります。そしてその義賢さまと祐勝さまを害したのは河崎殿だと皆が言い始めております。己の血を引く祐兵様の立場を確固なものにするためとか」

 こう言われてむしろ祐兵は冷静になった。噂の中では誰が主犯かなどとは言われていない。だがここで具体的な名前が出るという事は重政がそう信じたいか、それかそういう事にしたいかという事である。

「分かった…… 考えておこう」

 祐兵は深刻そうに言った。むろん芝居である。だがそれを信じた重政は満足げに出ていった。それからすぐに祐兵は祐長と宗昌を呼び寄せて密談を行う。そこで祐兵はこう言った。

「本来なら稲津をどうにかするのだが、皆は思いのほか噂を信じている」

 この時点で祐兵はこの噂は重政が祐長を排除する為に流布した者だと確信していた。

「違いない。正直俺も疑われていますよ。しかしその数の多いこと」

「噂を信じている者たちは山田殿が私と共謀しているとも考えているようです」

「これから大変だというのに…… 」

 祐兵は嘆いた。一方で祐長は変わらない様子である。すでに考えを決めているようだった。

「ここは私が姿をくらますことにしましょう」

「お爺様…… それでは」

「お気になさらないでください。この老いぼれが居なくても大丈夫でしょう。清武城は稲津に任せれば奴も満足するでしょう」

「隙を見せたらそこで引きずり落とす、と」

「その通りです山田殿。あとはお任せしました」

 もう覚悟は決まっているようである。これには祐兵もうなずくしかなかった。

「お爺様。申し訳ありませぬ」

「なんの。お家のことが一番でございます」

 こうして祐長は出奔し代わりに清武城には重政が入った。得意な様子の重政であったが、すでに祐兵の心が離れているという事には気付いていない。


 慶長四年(一五九九)に後に庄内の乱と呼ばれる衝撃的な事件が起きた。島津家の当主の島津忠恒が重臣の伊集院忠棟を伏見の屋敷で斬殺してしまったのである。そして忠棟の嫡男の忠真が忠恒の行動に怒り反旗を翻して居城に籠城してしまったのだ。

 忠恒は島津義弘の息子であったが男子のいない島津義久の婿となって家を継いだという立場であった。一方忠棟は九州征伐の際に早期から降伏を提案して、いてその後の戦後処理でも活躍し島津家の存続に大いに貢献している人物である。しかしそれゆえに家中での権勢もすさまじく豊臣政権から実質的に独立した大名として扱われている人物であった。豊臣家の威光にも忠実であったため島津家中で忠棟に不満を持つ人物も多かったという。

 伊集院家の領地は日向の庄内である。そういうわけだから伊東家としても無縁ではいられない。とは言え島津家の問題に巻き込まれたくはないので様子見といった雰囲気であった。

「もしかすると伊集院殿の討伐の命が下るかもしれないな。しかし今回は伊集院殿が気の毒ではないか。忠恒殿のやられたことは主のすることではない」

 祐兵は忠棟や忠真に同情的であった。それゆえか極秘裏に伊集院家への支援も行ってしまう。尤もこれは島津家にばれてしまったので抗議を受けて中止した。

 当初は秀吉亡き後の政権の中心人物である徳川家康が調停を行い解決しようとしていた。だが島津忠恒が強硬に忠真の討伐を主張し帰国したので許可した。この際に家康は伊東家を含む近隣地の大名たちに島津家への援軍を要請している。だが忠恒が家中の内乱として独力での解決を主張したのでこれは中止となった。これにはとりあえず祐兵も胸をなでおろす。

「朝鮮での戦いの傷も癒えていないというのに。戦などできん」

 これはほかの大名たちも同じくのようであった。

 さて島津家の内乱は伊集院家の激しい抵抗によりなかなか解決しなかった。しかし忠真も攻撃は防げても攻め入ることは出来ない。よって戦況は膠着状態になった。

 個々で家康は再度調停を行い、結局忠真を前と同じように家臣にするという条件で調停が成立した。この頃には年も明けて慶長五年(一六〇〇)の二月になっている。兎も角島津家最大の内乱はここで終結したのだ。しかしこのすぐ後に日本全土を巻き込む大事件が勃発してしまうのである。


 庄内の乱の後、祐兵は重政を連れて大阪に入った。大名には大坂に屋敷を与えられ豊臣政権への忠勤を命じられる。重政を連れてきたのは自分のいない領国で好き勝手させないためであった。尤も重政はそんな思惑も知らずに自分への信頼のたまものだと得意げであったが。

 大坂の屋敷には大名の妻子が人質として居住している。佑兵も例外ではない。祐兵は久しぶりに会う熊太郎の姿に思わず涙ぐんだ。

「熊太郎はいくつになった」

「十になりました」

「そうか、大きくなったな。私はそのころにはもう城を与えられていたな」

 祐兵は自分の幼少期をふと思い出す。思えばいろいろあってここまで来た。生きていられるのが不思議なくらいの激動の人生である。故にこうも思う。

「私はあとどれくらい生きるのだろうか」

 この時の祐兵はまだ四十二歳。そんなことを考えるような年齢ではない。だがなぜかそんなことを考えてしまうのであった。

 さて大坂に入った祐兵だが、否が応でも秀吉の死後に起きた混乱の剣呑な雰囲気を感じ取ってしまう。

「秀吉様がお亡くなりになられたことでここまで豊臣の世を揺るがすことになろうとは」

 この時豊臣政権の中枢を担っていたのは徳川家康である。家康はもともと織田信長の同盟者で秀吉とも対等な立場であった。その後は勢力を維持したまま秀吉に従属することになったのだが、その影響力は非常に大きい。そして秀吉の妹を娶っているという立場もあってか強権的なやり方で豊臣政権を運営していた。だがそれに対し反発を抱くものも多くその筆頭が豊臣家の奉行である石田三成や有力大名である上杉景勝である。そんな反家康の人々と家康を支持する人々で豊臣政権は二分されつつあった。

 そうした状況になると祐兵も色々と考えなければならない。

「秀吉様への恩義はある。だがせっかく取り戻した領国を失うわけにもいかない」

 そう考え必死で情報を収集する祐兵。だが一方で体調の不良を感じるようにもなっていった。

「こんな時に病に倒れてなるものか」

 そう気を吐く祐兵であるが体調不良は収まらずやがては病に倒れる。そしてその矢先大事件が起きてしまうのであった。


 慶長五年六月徳川家康は上杉景勝が豊臣政権への謀反を企んでいるとして、豊臣政権に従う大名たちを引き連れて出陣した。むろん病の身の祐兵は出陣できない。家康もそれは分かっていたので祐兵には出陣を命じなかった。

 それから一月ほど経つと大阪がにわかに騒がしくなった。だが病に侵された祐兵はその喧騒をただ聞くことしかできない。しかしてこれから起こりそうな事態に心当たりがある。

「(おそらくは家康様の留守をついて誰かが挙兵しようというのだな)」

 これはおおよそ事実であり、祐兵の考え通りのことが起きた。まず石田三成が挙兵し大坂で秀吉の遺児の秀頼を補佐する長束正家らの奉行がそれに同調する。さらに中国地方の大大名の毛利輝元もこれに同意し家康を弾劾する書状を各大名に送付した。こうした動きを祐兵は家臣に命じて病床にありながら把握している。その上で自分たちが今どうするべきかを考えた。

「(これで秀吉様の作り上げた天下は終わりよ。ならば今は伊東家の存続を考えるのみ。奉行たちは家康様を廃しようとしているが家康様に付くものも多い。おそらく天下は二分されよう)」

 祐兵は朝鮮出兵の頃から豊臣家臣団内部での対立を知っていた。九州では加藤清正と小西行長が反目し合い激しく対立している。そうした対立が豊臣家臣団の様々なところで起きていたのだ。さらに祐兵と同様に自家の存続を図る者たちは勝ちそうな方に付こうと考える。だがそれがどちらなのかははっきりとわからない現状であった。

 祐兵も悩んだ。一つの手段としては家を二つに分けて双方の陣営に所属し勝ち残った方にすべてを託すという方法である。だがこれは今の伊東家では難しい。二つに分けるのならば親子か兄弟か同等の正統性を持たせる必要がある。しかし祐兵は病気の身で熊太郎はまだ幼い。家を二つに分けるという選択肢は取れそうになかった。

 ならばどちらかに加担してその勝利に貢献しつつ手柄をあげる。それしか道はなかった。幸い祐兵には決断に踏み切れる材料が手元にあったのである。そして熊太郎と重政を呼び寄せるとこう言った。

「熊太郎、そして重政よ。これより飫肥に戻り家康様にお味方するのだ」

 これを聞いて重政は顔を青くした。そして祐兵に尋ねる。

「確かに天下は二分されるでしょう。しかし安易にどちらかに味方するのも危ういのではないでしょうか」

 この重政の発言に祐兵はうなずく。だが無言で懐から書状を出すと重政に見せる。それは黒田官兵衛からの書状であった。内容は自分が家康に加担すること。その上で祐兵たち伊東家も家康に味方するようにと呼びかけるものであった。

「私はかつて黒田様の慧眼に助けられている。あの黒田様が味方するのだから家康様が勝たれるだろう」

「しかし…… 」

 重政はまだ不安そうであった。そんな重政に祐兵はこうはっきりという。

「奉行たちは毛利様を担ぎ上げるようだがそれでまとまるとは思えん。各々が己の目的の為に毛利様を持ち上げているだけだ。それに毛利様も己の目的の為にあえて担がれようとしているのだろう。それではまとまらん。しかし家康様に従うものはその天下を望んでいる。家康様もそれに応えるつもりだろう。ならば必然的に皆がまとまり強固な集まりとなろう。戦で勝つのは一つにまとまった者たちなのだ」

 こう言われて重政も納得した。それを確認すると祐兵は書状を熊太郎に渡す。

「これが伊東家の命運を決める物。熊太郎。お前はこれより伊東家の主として国に帰り家と家臣たちを守るのだ」

 熊太郎は無言でうなずく。祐兵はそれを満足げに見つめるのであった。

 その翌日熊太郎と重政は大阪から旅立った。祐兵はこれが息子との今生の分かれになるだろうと感じている。

 

 熊太郎たちが旅立った後、いよいよ祐兵の病気は悪くなった。さらにそこに三成たちの勢力、西軍から矢継ぎ早に使者が来る。伊東家を西軍に加えさせようという魂胆であった。

「これが私の最期の仕事か」

 祐兵は使者に対して病気の身であることを理由に参戦を断っていた。使者も門前払いさせている。だがこれを疑った西軍は何度も何度も使者を送って来たのだ。詐病であり家康たちの勢力、東軍に加担しているのではないかと考えているのである。

「病気は本当だというに」

 あきれる祐兵。同時にこれでは東軍に勝てないだろうとも思った。兎も角何とか騒動が治まるまで時間を稼がなければならない。だがそこに思わぬ客が来る。

 やって来たのは島津義弘であった。義弘は西軍に与するらしい。とは言え祐兵を勧誘しに来たわけではない。

「お主が嘘をつくとは思えん。ただ門前払いなどしては疑われるばかりだぞ」

 義弘は純粋に祐兵を心配してきたのである。こればかりは祐兵も迎え入れるしかない。祐兵は自分の部屋に義弘を迎え入れた。

「お久しぶりです…… 義弘殿」

 そう言って布団から出ようとするが動けない。祐兵は驚いた。ここまで自分の体が衰えているとは思ってもみなかったからである。そして義弘もそれに勘づいたようだった。そして落涙しながら言う。

「貴殿がここまで病に侵されているとは。知らぬこととは言え奉行共が迷惑をかけた。済まぬ。あの者たちには貴殿の潔白を伝えておこう。だが全く何もしないではあやつらはまた貴殿を疑う。ここは少数でもいいから家臣を参加させてはどうか」

 こう号泣しながら言われては祐兵もうなずくしかない。祐兵は若干の将兵を義弘に預ける。それから西軍からの勧誘は無くなった。あとはもう祈るしかない。

「熊太郎。頼んだぞ」

 祐兵は病床の身で祈るのであった。

 日本の各地で東軍西軍に分かれて戦が行われる中で祐兵の病状はどんどん悪化していった。九月にはもはや起き上がることもできないくらいになっている。

「私はもういかん。後は頼むぞ熊太郎。伊東家は長きに渡り残れるように…… 」

 この月、関ヶ原で東西両軍の決戦が行われ東軍が勝利した。これを以て一連の騒動は徳川家康を擁する東軍の勝利で終わる。そして論功行賞が行われた。伊東家は黒田官兵衛の仲介で東軍所属し九州で活躍したとして所領を安堵される。しかしそれらが確定する前に伊東祐兵はこの世を去っていた。享年四二歳。

 伊東家は江戸時代を通して飫肥藩として存続している。祐兵の願いはかなったといえるだろう。


 今回の話はあくまで伊東祐兵の話です。ゆえに関ヶ原の戦いの折に日向で起きたことや、祐兵の死後に起きた稲津重政に関わる騒動などはあえて記しませんでした。その点についてはご容赦を。

 今回の話の主人公の伊東祐兵はまさに激動といえる人生を歩みました。幼くして城主になるも戦いに敗れ領地を追われます。その後苦しい思いをしますが奇跡的な縁でのちの天下人に仕えることができました。そして大名に復帰し朝鮮出兵を生き抜くも関ヶ原の戦いの際には病に倒れます。ですがその病床にあっても一計を案じて息子にすべてを託しました。四二歳という当時としても短い人生でしたが、その人生は激動としか言えないものです。この激動の人生が幕末まで存続した伊東家の基礎を築いたともいえます。そう考えれば祐兵の人生は大きな意味があったのだろうと思いますね。

 さて伊東祐兵は激動の人生を歩みました。次の話の主人公もなかなかに激動の人生を歩みます。いったい誰なのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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