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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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稲葉貞通 軽妙か軽薄か 第六章

 貞通の息子の典通は秀吉の不興を買い蟄居することになった。これにより貞通は再び稲葉家の当主の座に就く。一方で天下は豊臣氏の下で収まりつつあり太平の世も近づいているようにも見えた。

 天正十六年(一五八八)貞通は代々受け継いできた曽根城から郡上八幡城に移された。これは前の郡上八幡城の城主であった遠藤慶隆が秀吉の不興を買って減俸、転封されたことに起因する。

「なんとまあ皮肉な話だ。しかし大名で居られる私はだいぶにマシなのだろうなぁ」

 これに伴って曽根城は西尾光教に引き渡されることになる。だが良通の清水城はそのままであった。秀吉としては重通もそうだが良通も貞通とは別家の扱いという事なのだろう。尤も良通も七〇を過ぎだいぶ高齢であった。実際は隠居の地という扱いなのだろう。

「典通がしくじったにもかかわらず秀吉様は稲葉家を残された。貞通。お前もその期待に応えるのだぞ」

 貞通が八幡城に移る前、これが遺言だと言わんばかりに良通は言った。これには貞通もうなずく。

「勿論ですよ父上。いい加減、父上が静かに隠居できるように努めます」

「ああ。この後のことは頼んだぞ」

 そう言って良通は貞通を見送ったのであった。

 さて八幡城に移った貞通は城の改修に取り組んだ。八幡城は以前から堅城であったがいささか機構が古い。そこで現代の状況に合わせた大改修を行うことにしたのである。

「天下は秀吉様の物。とはいえ何が起こるかわからんしな」

 貞通は積極的に新たな領地での内政や軍政を行った。こうすることで稲葉家への悪い印象をいくらか取り除こうと考えたのだ。これが功を奏したのか秀吉は貞通に豊臣氏の下賜などを行っている。これにより稲葉家は豊臣氏の体制の中で一応の立場を得た。

 良通もこれを知り今後に不安もないのかと思ったのかも知れない。貞通が八幡城に移った同年中に亡くなった。

「息子たちもいよいよ立派になった。これ以上儂ができることもない。あの二人ならば稲葉家の行く末も心配いらんだろう」

 最後にそう言い残したようである。

 良通の清水城やその周辺の領地は重通に与えられることになった。尤も河内の領地はそのままである。かなり距離のある飛び地になったわけであるから重通は辞退しようとも考えた。

「私は河内にいるのだから距離がありすぎる。ならばせめて同じ美濃にいる貞通が継ぐべきではないのか」

 重通はこう訴えた。だが貞通の考えは違う。

「むしろ飛び地であるからこそ、父上の家臣たちにそのままに清水の地を任せられます。秀吉様としては父上の残した体制をそのままにしておきたいのかも知れません」

「だとしても私はどちらにいるべきか」

「父上の残した家臣たちは皆忠義も強く優秀です。兄上か河内に残り滞りなく事を進めておくことが重要だと思います」

 貞通にこう言われて重通は納得するのであった。

 それからしばらくして良通の葬儀も済んだ。喪主を務めた貞通は改めて誓う。

「父上はこれまであまりに長く稲葉家の為に働きました。ごゆっくりお休みください」

 貞通はそう言って良通の冥福を祈るのであった。


 天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉は関東で最大の勢力を誇る北条家の征伐に出陣した。秀吉自ら本隊を率いて東海道を進む。さらに東山道を進む北方隊や水軍の部隊も加わった。その総兵力は二十万を優に超えるすさまじい規模の物である。

 貞通もこの大軍に加わっている。率いる兵力はおよそ千二百。貞通の領地の規模なら大体これくらいである。

「九州での失態を挽回する機会はあるだろうかな」

 正直貞通としてはそこが気がかりなところであった。九州征伐からこれといって戦はない。そして多くの武将がこの戦いで大規模な戦は終わりであろうとみていた。そう考えると汚名を返上する機会はだいぶに少なくなる。

「本当なら典通を連れてきたかったところだが」

 貞通はこの戦に典通を連れてきて汚名を返上させようとも考えていた。しかし秀吉から命じられて大人しく蟄居している典通を連れてきてもむしろ不興を買いかねないのでそこはあきらめている。貞通としては自分の奮戦で息子に下された罰が少しでも軽くなればいいと思っていた。

 さて北条家は豊臣家の大軍に対して本拠地である小田原城など各城に籠り持久戦をする姿勢を見せていた。秀吉率いる軍勢は東海道を小田原に向けて進みながら道中の城を攻略するつもりである。そしてその道中にある城の一つが韮山城であった。

 韮山城は北条家の初代北条早雲が本拠地としたこともある城であった。今籠城するのは北条家当主北条氏政の弟の北条氏規である。そしてこの城を攻める総大将は織田信長の次男、織田信雄であった。信雄はかつて家臣であった秀吉に服属する立場である。だがまだ自分は別格だとも思っていた。

「秀吉め。私をこんな城攻めに使うとは。私が主筋であることを忘れたか」

 今日もそんなことを愚痴っている。いまだに自分の立場が理解できていないのだ。今回貞通はそんな信雄の旗下として韮山城攻めに参加することになった。

「兵力は十分。しかし信雄様の指揮でうまくいくかな」

 織田信雄という人物はいささか評判の悪い人物である。それは性格的な面以上に能力的な面であった。尤も韮山城を攻囲している兵力は城に籠る兵の十倍以上である。まともにやって負ける戦力差ではない。ともすれば容易に城を攻め落とせる兵力差であった。

 だが韮山城はなかなか落ちなかった。城将である北条氏規の指揮の下で城兵は奮戦し城を守り抜いている。これには貞通も感心した。

「北条氏規という御仁は大した方だ。流石は関東に覇を唱える北条家御一門の方だ」

 こうした感想は貞通だけでなく攻城方の誰もが抱いている。信雄以外は。

「さっさと降伏してしまえばいいものを。無駄に時間をかけさせて」

 苛立つ信雄。一方でこの氏規の評判は秀吉の耳にも入った。

「なるほど大したものだ。信雄殿では城落とせぬな」

 この時点で秀吉の本隊は小田原城を包囲している。そうなると無理に韮山城にこだわる必要もなかった。そう考えた秀吉は信雄にこう命令する。

「最低限の包囲のための兵を残し、小田原の包囲に加わるように」

 これを聞いて信雄は怒る。

「私があの程度の城を落せぬとでも言いたいのか! 」

 そんな怒る信雄を貞通はなだめた。

「信雄様。秀吉様は小田原の包囲に信雄様のお力が必要なのだとおっしゃっているのです。ここはその願いにこたえるべきではないでしょうか」

 こう言われて少し怒りも落ち着いたのか信雄はさっさと兵を率いて小田原に向かった。その後徳で川家康が氏規を説得し韮山城を開城させることに成功している。

 それからしばらくして北条家は降伏し小田原城は開城した。北条家はこれで滅亡し東北の大名たちも豊臣氏への臣従を申し出る。これにより豊臣秀吉による天下統一は成し遂げられた。

「これで天下泰平か。まあ稲葉家が存続してよかったという事か」

 典通のことは置いておいてひとまず安どする貞通。そんなときにこんな話が耳に入った。何でも織田信雄が改易されたらしい。理由は関東への転封を拒否したからだという。

「なんとも仕様もない方だ」

 こればかりはあきれ果てる貞通であった。


 北条家を滅ぼして豊臣秀吉の天下統一は成し遂げられる。しかし秀吉の野望はここで終わらなかった。

 文禄元年(一五九二)秀吉は大陸への中国大陸の制圧を画策し手始めに朝鮮への出兵を決める。後に言う文禄の役の始まりであった。そして各地の大名や武将たちに対して朝鮮半島への出陣の命令が下る。もちろん貞通も含まれた。

「わざわざ海を渡り朝鮮まで行って、果ては明国まで攻め落とす。秀吉様でもそんな大それたことが本当にできるのか」

 そんな風に疑問を抱く貞通であるがどうしようもない。せっせと渡海の準備を進めるのであった。そんなとき貞通の前に驚くべき人物が現れた。息子の典通である。

「もう出ても良いのか。秀吉様の許しが出たとは聞いていないぞ」

 こう言われて典通も驚く。

「いえ、実は秀吉様より秀勝様に付いて朝鮮に渡るようにとの命が。それでひとまず準備をするために父上の下によったのです」

 この典通の言っていることは本当のことで、このすぐ後に貞通へ秀吉より典通に関する通達が届いた。

「まあ何はともあれ許されたのだ。これはよい」

 貞通はこれを素直に喜んだ。典通も安どしたようである。

 さて典通が仕えることになった秀勝は秀吉の甥にあたる人物である。兄と弟がおり、兄の秀次は子供のいない秀吉に後継者として養子になっている。秀勝も同様に秀吉の養子になっていた。そして弟の秀保は秀吉の弟の秀長の婿養子となっている。

 秀次はこの時秀吉から関白職を譲られていた。実権はまだ秀吉にあるが順調に後継者としての道を歩んでいるといえる。秀勝は秀次の弟なのだからゆくゆくの栄達を約束されているようなものであった。

 秀勝は現在岐阜城主である。典通が招集されたのは美濃とのつながりの深い稲葉家の人間を取り込んでおこうという意図なのかもしれない。

「私が秀勝様の物でよく働けばゆくゆくは稲葉家の為になるはずです」

 こう意気揚々と言う典通。その姿は以前のどこかやる気の薄い雰囲気は無くなっていた。これには貞通も

「(思いのほか蟄居が堪えたのだろう。いいことだ)」

と、喜ぶのであった。


 それからしばらくして軍勢の渡海が始まった。貞通と典通は別の部隊であった。尤も典通は秀勝の家臣であるのだから当たり前であるが。

 続々と渡海した日本軍は順調に進軍し朝鮮の各地を制圧していった。しかしそれは大陸の奥深くにどんどん進んでいくという事でもある。

「こんなところまできて大丈夫なのだろうか。美濃に帰れるのか」

 貞通も思わずそんな不安を口にしてしまうほどである。一方軍事的に見ても急速な戦線の拡大は補給線の果てしない延長を招く。これは補給線が攻撃を受ける可能性を高めてしまう事にもなった。

「手早く朝鮮を手に入れられればいいのだが」

 そんなことを考える貞通。だが実際はうまくいかない。この朝鮮不利の状況を見た明が軍勢を派遣したのである。さらに年が明けるころには朝鮮国民はゲリラ的な活動も行い補給線が伸び切っていたことも相まって日本軍は苦戦を強いられた。こうなってくると長期の渡海という事もあって日本軍の中でも厭戦気分が漂い始めるのを貞通は感じる。

「緒戦で勝っても一揆がたびたび起きては政もできん。これでは疲れるばかりだ」

 さらにこの頃には渡海する補給船団が朝鮮の水軍に襲撃されるという事態も起きている。こうなると物資も滞り益々の士気は落ちる。

「何故秀吉様はこうまでして明を討ちたいのだ。せっかく日本を一つにできたというのに」

 益々やる気がなくなる貞通。さらに典通こんな報せも届いた。

「秀勝様が亡くなられた? 」

 典通からの報せは秀勝死亡の報せであった。秀勝は巨済島で日本水軍の支援を行なっていたが、急に病を発してそのまま亡くなってしまったらしい。これを聞いて貞通は嘆く。

「異国の地だ。わからぬ病もあろう。ああどうか典通の身に何事もない様に」

 ただでさえ気分が落ち込んでいるのに息子まで死んだらと思うと背筋が凍る。この頃には貞通は何とか美濃に帰ることだけを考えていた。

 やがて戦線は膠着状態に陥った。日本はもちろん明も疲弊し始めたのである。結果一応講和が成立し日本軍は一部を残して撤退することになった。これに貞通も典通も含まれる。

「結局くたびれもうけだったか」

 すさまじい疲労感を感じながら貞通は帰国の途に就くのであった。


 帰国した貞通は典通を呼び苦労をねぎらった。

「なんでも戦功をあげたそうだな。しかし秀勝様が急に亡くなられるとは。大変だっただろう。今はとにかく休むといい」

「ありがとうございます父上。ですが心配はいりません。秀勝様亡きあとはほかの方々が務めを引き受けていただいたおかげで何の心配もいらずに働けました」

「ならばいい。だがお前はこれからどうするのだ。稲葉家に戻れるのか」

「それが実は秀次様からお誘いをいただいております。朝鮮での戦功がお耳に入った様でして。私もお受けしようと思います」

「そうかそれはよかった。本当に良かった…… 」

 ひとまず息子の先行きが明るいもので安堵する貞通であった。何せ未来の豊臣氏の長の家臣になったわけである。

「秀次様が跡を継がれれば、その家臣である典通も安泰であろうな」

 しかしこうした貞通の安堵は文禄三年(一五九六)に秀吉に実子が生まれたことで打ち破られる。これにより秀吉と秀次の間で微妙な空気が流れ始めた。その剣呑さは貞通も容易に感じ取れるほどである。

やがて不穏な空気がいよいよ強くなった文禄四年(一五九五)、とんでもない事態が起きた。秀次が謀反を企てたとして高野山に追放されたのである。そして秀次は謀反の咎で切腹した。その上に秀吉は秀次の係累を残らず処断したのである。

 秀次の家臣たちの中には処断されるものもいた。だが幸い典通は含まれていない。

「不幸中の幸いか。しかしこのようなことをして豊臣の世はどうなるのだ」

 朝鮮出兵と秀次の処断。この二つをきっかけに秀吉の作り上げた政権に暗雲が立ちこみ始める。そしてそれが新たな騒乱の火種となるのであった。


 朝鮮出兵と秀次事件は豊臣政権の未来に多大な影響を与えた事件です。前者は政権内部での亀裂に発展し、後者は豊臣氏、秀吉への不信感につながりました。典通を始めこの二つの事件で人生が大きく狂った人物も多数います。この後の展開を考えるとそうした人々の感状が歴史を動かしたのかも知れませんね。

 さて続いてはいよいよ天下分け目のあの合戦に関する話です。一体貞通は、そして稲葉家はどのような運命をたどるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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