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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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稲葉貞通 軽妙か軽薄か 第五章

 賤ケ岳の戦いは羽柴秀吉の勝利で終わった。貞通を含む稲葉家は秀吉の家臣として生きていくことになる。そして貞通はあることを決めるのだがそれが思わぬ事態を引き起こす。

 賤ケ岳の戦いの後処理もひと段落したころ、貞通はこんなことを言いだした。

「私は隠居しようと思います」

 これには良通も重通も驚く。

「まだそんな年齢ではないだろう。儂は遅かったかもしれんがお前は早すぎる」

「父上の言う通りだ。それに典通はまだ若すぎる」

 貞通の息子の典通はまだ十代で元服してから二年ほどしかたっていない。まだ少年の雰囲気が残りまだまだ頼りない感じであった。

 尤もそうした点については貞通も理解している。それでも隠居を言い出したのは理由があった。一つは今後の羽柴家との付き合いに関してのことである。

「これよりは秀吉様が天下を治める存在になられるでしょう。そうなれば世の法も新しい理になるかもしれません。何より秀吉様への忠義も問われるはず。ここは私が隠居することで織田家への頃の法や忠義を断ち切り、これよりは典通が新しき時代の稲葉家を率いるようにするべきかと存じます」

 この説明に重通は納得したようだった。だが良通はもう一つ理由があるとみている。

「まだ理由があるのではないか」

 この質問に貞通は苦笑した。そして少しばかり苦々しく言う。

「先だっての戦には典通も連れていきました。ですが正直頼りない」

 一気に襲われたとき貞通は殿を引き受けた。その時まず逃げたのが典通の部隊である。嫡男を逃さなければ家の一大事だから仕様がないが、流石にあれほどの速さでは示しは付かない。

「隠居しても実務は私が支えます。ですがこれを機にいずれ稲葉家の長となるものの心構えを身に着けてもらいたいものです」

 ため息まじりに言う貞通の姿に良通も重通も同情し、納得するのであった。


 賤ケ岳の戦いの翌年の天正十二年(一五八四)、今度は秀吉と信長次男の信雄との間で合戦が起きた。信雄には三河(現愛知県東部)などを治める徳川家康の協力があり尾張を中心に様々な場所での戦となる。

 この戦いに出陣を要請されたのは良通と重通であった。いまだ良通は高く評価されているという事なのだろう。尤もまだ若い典通に重要な戦いを任せるわけにはいかないという羽柴家の判断があったのかも知れないが。

「またもや父上に骨を折ってもらうことになるとはな」

 良通はもう七〇近い。この時代の基準で考えてみれば相当な高齢であった。貞通もさすがに申し訳なくなる。一方典通はのんきな様子であった。

「お爺様は歴戦の勇士。それに叔父上も出陣なされているのですから何も心配はいらないのでは」

 こんなことを言う始末である。これにはさすがに貞通も苦言を呈する。

「いずれおまえも出陣を申し付けられるかもしれん。その時に今のような態度で居れば何か手痛い目にあうぞ」

 普段はあまり口うるさくない父親のこの物言いに典通も顔青くする。しかし反論もせず黙り込むだけであった。これには貞通もあきれ果てる。

「その気弱さがいかんのだ」

 思わずそんなことをつぶやいてしまう貞通であった。

 こんなやり取りがあってしばらくして良通と重通が無事帰って来た。そして

「秀吉様から重通に河内(現大阪府東部)の領地が与えられた」

という報告があった。これに貞通は驚きつつも喜ぶ。

「そうですか。それはよいことです。秀吉様としては兄上を別家として建てろという事でしょうか」

「まあそうだろう。お前もそれでよいな」

「ええ。兄上ほどの方が私の下におられるのはもったいないと思っていましたので」

 こうして重通は別の稲葉家として独立する。これについては素直に喜ぶ貞通であった。


 天正十三年(一五八五)羽柴秀吉は関白に就任した。さらに豊臣氏を下賜される。これにより他の大名たちと隔絶した存在になった。そして関白豊臣秀吉は天下統一の為にさらなる軍事行動を進める。

 この頃九州では薩摩(現鹿児島県)などの大名である島津家が九州統一を目指して軍事行動を行っていた。その勢いはすさまじく精強な薩摩隼人たちにより九州の大半の部分が島津家の支配下に入る。だがその中で抵抗を続けていた大友家が秀吉に助けを求めた。秀吉はこれを九州併呑の大義名分として天正十四年(一五八六)黒田官兵衛や毛利輝元、長曾我部元親らに出陣を命じる。

 この時出陣を命じられたのは中国や四国の大名たちであった。従って美濃の稲葉家には声はかかっていない。

「九州まで呼ばれるようなことなないでしょう。父上」

 典通は気楽な様子である。しかし貞通は違った。

「天下人となる方の戦はただ戦に勝てばいいというものではないからな。いかに派手に大きくその力を見せつけるかというのも重要だ。要するに見栄の話だが、それに一番効果的なものは何だと思う? 」

 貞通は息子にそう尋ねる。典通は首をひねったが何も出ない。あっさりとあきらめた典通は貞通に尋ねた。

「いったい何が必要なのですか」

「大軍だ。誰にもまねできないような大軍を率いられれば偉大さを見せつけられるというものだ」

「そういうものですか。しかし我らに声がかかりますかね」

「何が起こるかわからんのがこの世であるからな。臆病なくらいに用心しておいた方がいいさ。こういう時に万全に動けなければ島津殿でなく我らがひねりつぶされるぞ」

 おどけて言う貞通。とは言え言っていることは本心である。だが典通には通じていないようであった。

「まあ気楽に過ごしましょうか」

 そんなことを言う始末である。

 さて黒田官兵衛らの島津討伐軍は九州に入りひとまず大友家の救援に成功した。さらに官兵衛は島津家に従っている領主たちに書状送る。秀吉が大軍を連れて出陣することと降伏すれば許すが敵対すれば容赦しない、といったものであった。即時の降伏や寝返りを求めるものではないが、領主たちに時間を与えることで鈍らせると一体との策である。ともかくここで官兵衛が言っている通りに秀吉は着々と出陣の準備を進めていた。そしてその数は総勢二十万を超える。そしてその中には稲葉家も含まれた。今回は貞通、そして典通も出陣することになる。典通が当主になって初めての出陣であった。

 出陣にあたって良通は貞通にこう言った。

「典通は大丈夫か。あれはまだ戦に慣れてはいまい」

「まあ大丈夫でしょう。それにこの大軍なら負けることはありますまい。何かしくじりを起こさなければ無事帰って来られるでしょう」

「まあそうか。兎も角長旅だ。無事に帰ってきてくれ」

 こうして貞通、典通親子は良通に見送られて出陣した。誰も何も心配していない。だがこの戦で予期せぬ事態が稲葉親子を襲うのである。


 天正十五年(一五八七)秀吉は九州に向けて出陣した。戦況は膠着状態であるというが実質は豊臣家の有利であるという。秀吉の出陣は万全の仕上げをするためである。

 秀吉は軍勢を二つに分け片方を弟の秀長に任せた。そして秀長を先行させ自分は後を追う形にする。

 貞通たちは秀吉の率いる軍勢に加わっている。とは言え十一個ある部隊のうちの一つを構成する一部隊程度で大した役目もなかった。

「これならばそれほど気負わずに済みますね」

 典通はのんきにもそう言った。これには貞通もきつい口調で言う。

「ここで軍務を果たせなければ稲葉家の行く末にも災いが降るかもしれぬ。それを肝に銘じて働くのだ」

「はあ、承知しました」

 わかったのか分かっていないのか。典通は気の抜けた返事をするのであった。

 さて秀吉率いる軍勢は九州に入ると島津方の岩石城を攻撃した。堅城と知られた岩石城に挑むのは名将の前田利家と蒲生氏郷。この二人の猛攻の前に岩石城は一日であえなく落城する。さらに秀吉は島津家に従う秋月種実の古処山城を大軍で包囲した。思いもよらぬ大軍で包囲された種実は三日で降伏する。するとこの動きを受けて島津家に従っていた領主たちが次々と降伏を申し出てきた。これは以前に官兵衛が行っていた工作の効果の表れと言えよう。ともかくこれにより九州平定は苦も無く進んでいく。

 こうした状況もあってか典通の気は緩むばかりであった。

「秀吉様のご威光は大変なものだ。戦もせずに敵を従えていく。これならば我らは何もやらなくていい」

 実際今回貞通や典通は戦いに参加したわけではない。ただひたすらに従軍しているだけである。だがだからといって気を緩めていいわけではない。貞通はそう考えていたので典通を叱った。

「そんな気の持ちようでは武家の当主は務まらんぞ。そのような気の持ちようを秀吉様に知られたらいかなるお叱りを受けるか考えてみろ。稲葉家も危ういかもじれんぞ」

「父上は心配しすぎです。第一我らのところまで目は届きませんよ」

 いくら叱られても考えを変えない典通。当主がこの有様だから必然的に率いられる将兵にも影響は出る。幸いまだ貞通の威光もあるので全員が全員ではないが、典通に近いものたちの間で気のゆるみも目立ち、若干であるが軍務にも問題が出始めた。しかし豊臣家の力は圧倒的でそうした問題も異に帰さず島津家を降伏させるに至る。

「やれやれ。やっと帰れますな」

 そんなことを言う典通の姿に肩を落とす貞通。だがそんな典通に九州平定の戦後処理が行われるとき思いもがけぬことが起きるのであった。


 秀吉は九州の筑前(現福岡県)筥崎八幡宮で戦後処理を行った。主な内容は新たに手に入れた領地の分配と島津家を含む降伏した大名や領主たちの処分である。この戦後処理は滞りなく進み無事に終わった。

「あとは無事に戻るのみか」

 貞通はそう考えて帰還のための準備を進める。すると秀吉の小姓が現れた。そして

「秀吉様がお呼びです。典通様もご一緒に来られるようにとのことです」

と言われた。

「いったい何の呼び出しでしょうか」

「私が分かるわけなかろう」

 二人とも秀吉に呼び出される理由など分からない。ともかく秀吉の前にそろって参上する。そこで貞通は気付いた。

「(秀吉様がお怒りになられておられるのか? )」

 どうも秀吉は不機嫌であった。少し前の戦後処理の際には上機嫌であったはずなのに。貞通は嫌な予感がする。一方の典通は秀吉が不機嫌であることに気づいていないようだった。

 二人が来ても秀吉は不機嫌なまま黙っている。しかし貞通たちから口を開くわけにはいかない。しばらく重苦しい空気が流れていた。だがやがて秀吉がゆっくりと口を開く。

「此度の戦、そち達には退屈であったようだな」

 ここで貞通は秀吉の不機嫌の理由に気づいた。秀吉は典通や家臣たちの気のゆるみに気づいていたのである。ここで典通もそれに気づいたようだった。

 秀吉は何も言わない。つまりは貞通か典通の発言を待っているようである。だが典通は何か言えるような状態ではなかった。貞通は覚悟を決めてこう言った。

「この度の不手際はこの私の責任でございます。誠に申し訳ありませんでした」

 貞通は何の言い訳もせず素直に謝った。実際のところは特に大きな不手際などない。だが全面的に自分たちの非を認めるためにそう言ったのであった。

 この発言に秀吉も多少は態度を柔らかくした様子であった。だがここで典通が余計なことを言ってしまう。

「こ、此度の秀吉様の将卒の方々は多士済々でして。わ、私などが居なくても大して変わらぬとぞ、存じます」

 この典通の発言はまるで自分の怠慢への言い訳のようであった。これを聞いて秀吉は怒った。

「主君に呼ばれ出陣したのならばいかなる時も油断なくしておくもの! それをほかの者がいるから油断してもいいだろうとは何事だ! 恥を知るがいい! 」

「も、申し訳ございません」

 そう貞通が言った。典通は秀吉の剣幕におびえて何も言えない。それを見て秀吉はさらに怒る。

「若輩とは言え一城一家の主ともあろうものが父の背中に隠れて物も言えんとは。そちの祖父は勇猛果敢で無き信長公にも信頼された武士であるというのに…… 情けない! 」

 こうなれば稲葉親子は平伏しかできない。秀吉はしばらく怒っていたが最後にこう言った。

「追って決を降す。それまで反省するがいい」

 そう言って秀吉は出ていった。典通は平伏したまま震えている。貞通はそんな息子の姿に頭を抱え、己の判断の過ちを痛感するのであった。


 しばらくして貞通たちは領地に帰れた。良通は典通が秀吉を怒らせたことを聞き

「もはやどうしようもあるまい。秀吉様の決を待つだけだ」

と、投げやりに言った。良通ももうどうすることもできないと理解しているのである。それは貞通も同じであった。

 やがて秀吉から典通を伊勢の朝熊に蟄居させよという命が下る。そして貞通が稲葉家の当主に復帰せよとのことであった。

「すべて私に責があります。私に罰が下るだけで稲葉家に累が及ばないのは幸いでした」

 すっかり反省した様子の典通は、肩を落として伊勢に向かって行った。残された貞通は肩を落とす。

「すべて私が招いたことではないか」

 だがそれでも自分が家を守って行かなければならない。そう考える貞通であった。



 実のところ秀吉が典通に怒った理由はよく分かっていません。ただ当主の座を下ろされ蟄居させられたぐらいしか無いのです。そのため理由については筆者が考えたものですのでその点はご容赦を。

 他にも秀吉の不興を買った何人かいるのですがその中には処刑された人物もいます。典通は比較的ましな処分であったといえるのでしょうが一歩間違えれば稲葉家自体の存続にもかかわるところでした。何とも危い話です。何事も油断はいけないという事なのでしょうね。

 さて思いもがけず稲葉家の当主に復帰することになった貞通。ですがこれからも様々な戦いがあります。貞通はどうかかわり稲葉家はどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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