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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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稲葉貞通 軽妙か軽薄か 第二章

 稲葉家は織田家に降伏した。その後は織田家の下で数々の戦に参加する。天下が織田家の下にまとまりつつある中で稲葉家の当主の良通は嫡男である貞通に家督を譲った。当主となり新たな一歩を踏み出す貞通。そんな貞通にある任務が与えられる。

 稲葉家の家督は貞通に譲られた。ついでに稲葉家の居城である曽根城も貞通に譲られる。

「父上はどうなされるのですか」

 貞通がこう尋ねると良通はこう答えた。

「清水城に移ろう。重通も一緒だ」

「ああ。兄上も一緒なら問題はなさそうですね」

 重通というのは貞通の兄である。だが側室の子であり嫡男ではなかった。故に家督は貞通が継いでいる。尤も重通もそこに不満などない。

「正室の子が家を継ぐのが道理。側室の子である私は臣として支えるのが常道でしょう」

 そう言って貞通の家督継承を支持した。良通に似た武骨な男である。

 さて貞通の家督継承に伴い良通は隠居した。しかしこれに納得していない人物がいる。何と主君の織田信長であった。

「良通ほどの者が隠居などまだ早い」

 そう言って隠居を認めない姿勢を見せたのである。悩んだ貞通はこう信長に伝えた。

「稲葉家の諸事は私が務めましょう。父上は信長様直臣という扱いにされてはいかがでしょうか」

 一方で良通と重通にはこう伝える。

「信長様がああおっしゃられた以上、父上は今しばらく信長様の臣として働いていただく必要があります。兄上は何とか父上の負担を減らすように努めてくだされ」

 この貞通の提案を信長も良通も重通も受け入れた。こうしてひとまず貞通の家督継承は無事に済んだのである。


 天正十年(一五八二)二月、織田家は武田家の治める甲斐(現山梨県)信濃(現長野県)に侵攻した。かつては戦国随一の大名であった武田家もこの頃には昔日の勢いを失っている。信長の嫡男の信忠を総大将とした織田家の軍勢は、瞬く間に武田家の領地を制圧していき一月ほどで武田家は滅亡に追い込まれた。

 後を追ってやってきた信長は息子の手腕を褒めたうえで今回の戦いの論功行賞を行う。かつての武田家の領地は大半が織田家の家臣の物となる。その中の一人が森長可であった。

 森家は美濃の出であるが長可の父の可成は早くから信長に仕えていてその信頼も篤い。可成はすでにこの世を去っているが息子の長可も信長によく仕え、今回の戦いでも活躍した。それゆえに信濃の海津城を中心とする四郡を与えられている。この地域は現在織田家とも敵対している上杉家と領地を接している地域であり重要な場所であった。こうした点からも信長の長可への期待や信頼がうかがえる。

 さて長可はもともと美濃の金山城を中心とした地域を治めていた。それが信濃の四郡を治めることになったのだから大層な出世である。しかしここである問題が出た。

「四郡を治めるには家臣が足らん。このあたりの領主どもはまだ信頼できんからな」

 長可は人手不足に直面した。さらにほんの少し前までは敵である武田家の領地であったわけで、そこに住む領主たちは武田家の家臣となっていた者ばかりである。本来ならそうした領主たちを家臣に組み込んでいくわけであるが、武田家と同盟を結んでいた上杉家と敵対している点に問題があった。

「上杉はこのあたりの領主たちを味方につけようとしているはず。そんな者共に城でも任せれば何をされるかわからん」

 そう考えた長可は信長の許しを得て家臣の誰か城の守備に派遣してくれるように要請した。信長も状況は分かっているのですぐに許可する。そして選ばれた一人が貞通であった。

「そういうわけですので信濃に行ってきます。兄上も一緒に」

 貞通は清水城で良通にそう言った。これに良通は首をかしげる。

「重通もか? 」

「ええ。信濃は半場敵国のようなもの。用心に越したことは無いと思うので。まあ兄上は長可殿の下につけられるようですが」

「そういう事か。まあこちらは心配いらん。行ってこい」

 そう言って良通は貞通を送り出した。この時はまだ貞通は自分の身に起きる危機を予想だにしていない。


 四月、信濃に入った貞通は上杉家との国境に近い飯山城を守備することとなる。重通は当座長可の下で待機することになった。連れてきた軍勢は二人で分け合うことにする。

「どこで何が起こるのか分かりませんので。兄上は長可殿の指示でどこにでも行けるように待機してもらえるとありがたい」

「それは別に構わん。だがお前の城も安全とは言えないだろう。上杉の領国に近い。上杉方が何かしてくるかもしれんぞ」

 重通は貞通を心配した。自身の境遇には納得し弟が家督を継ぐことにも納得している重通である。それだけに家を継いだ弟の事が色々と心配であった。

 心配している重通に対し、貞通はあえて楽観的に言った。

「今上杉の領地で信長様に通じたものが謀反を起こしています。越中(現富山県)は柴田様が脅かしていてそちらの対応にも迫られているでしょう。上杉家の動きが制限されている以上はこのあたりの領主どもも大人しくせざる負えないはずです。何かあるとしても時は稼げるはず。それまでに城の守りは万全にしておきます」

「だといいのだがな…… 」

 それでも重通は心配そうであった。貞通もこれが自分を侮っているからではなく心の底から心配しているのだろうというもの理解している。そういうわけであえてこう言った。

「まあ何かあったらまず兄上を頼りますよ。その時はよろしくお願いします」

「それはもちろんことだ。二人そろって無事に帰り父上を安心させよう」

 そう誓いあう二人であった。そして貞通は飯山城に向かい重通は長可のいる海津城に向かう。この時はまだ再開は先だと思っていた二人だがその時は思いもよらず、すぐに訪れた。


 さて海津城に入った長可は新たに手に入れた北信濃四郡の領主たちを支配下に組み込む作業を始める。差し当たって自分の下にやってくるよう領主たちに命令したのだがこれに従わない者もいた。その一人が芋川城の芋川親正である。親正は武田家からの信頼が厚く上杉家と武田家が敵対しているときはその国境をよく守っていた。武田家もその働きを認めており、親正も武田家への強い忠誠心を持っていたのである。そういうわけだから武田家を滅ぼした織田家への反発は強い。長可の命令を無視したのもそれが理由である。

「主家を滅ぼしたものの家臣になるつもりなどない」

 尤も長可はこうした反応をするものがいることなの予想済みである。今回の呼び出しは自分や織田家に敵対的な領主をあぶりだすことが目的であった。

「芋川は我らに刃向かうつもりらしい。この上は滅ぼしてほかの者も見せしめにするとしようか」

 長可はむしろ親正の反応を喜んでいた。

 一方の親正は長可が自分を攻撃するだろうという事は予期している。そして攻撃されるのを黙って待っているつもりなどなかった。

「機先を制してこちらから仕掛けよう。なに、手はある」

 親正は同じく北信濃の領主である島津忠直と連絡を取った。忠直の領地は北信濃の上杉領にある。そして上杉家家臣でもあった。親正は忠直にこう訴える。

「武田家が滅んだ以上、上杉家も危うい。だが織田家はまだ甲斐や信濃を抑えきれてはいないだろう。実際まだまだ武田家に忠義を誓うものも多い。ここは我ら北信濃の衆が一揆をおこして織田家の者を追い出そう。そうすれば織田家も大人しくなるはず」

 この親正の提案を忠直は喜んで受け入れた。ここで北信濃から長可を追い出せばこの辺りは上杉家の勢力圏になる。それは忠直にとっても上杉家にとっても好都合であった。

「芋川殿の言う通りだ。ここは我らで力を合わせて織田家を追い払おう」

 こうして親正を中心とする一揆の計画は迅速に始まった。そして第一の目標としたのが貞通の守る飯山城である。このことをまだ貞通は知らない。


 芋川親正の行動は迅速であった。忠直の協力が得られるとすぐに信濃の領主たちや織田家に反発している一向宗の門徒などを扇動して一揆を作り上げる。集まった兵の数はおよそ八千。その兵を一度大倉城に集めてから飯山城に向けて出陣した。

 この一揆の報せを聞いた貞通は驚嘆する。

「いくらなんでも早すぎる。織田家はそれほどまでに嫌われていたのか」

 ともかくは対応しなければならない。とは言えこちらの兵数は一揆勢に大きく劣っている。これは貞通の連れてきた兵が少ないというよりも一揆が多すぎるのである。

「長可殿にこれを報せ対応してくれるように伝えるのだ」

 貞通は長可に向けて使者を出した。どう考えても貞通だけで対応できる数ではない。貞通は現状できる限りの準備を整え籠城の構えを取った。そこに親正率いる一揆勢が到着しあっという間に飯山城を包囲してしまう。貞通は防備を固くし援軍を待つ。

「この事態なら長可殿も迅速に動くはずだ」

 実際長可は迅速に行動した。貞通からの使者が到着するや重通に出陣を命じる。さらに上野(現群馬県)北部に待機していた信忠にも援軍を要請した。信忠はこれを快く受け入れ家臣の団忠正に兵を与えて援軍に送る。忠正は重通と合流して飯山城に向かう。一方で長可も自ら出陣した。向かうのはかつて島津忠直が居城としていた長沼城である。

「これほど早く動くのなら上杉の手の物、おそらくは島津だろう。奴の息がかかっているのなら長沼城にも兵を送っているはず」

 長可は重通たちを見送ると素早く長沼城に向かう。

 こうした迅速な行動が功を奏したのか貞通が籠城をしてからほどなくして援軍がやって来るという情報が入った。

「何と素早い。長可殿は大したお方だ」

 関心もそこそこに貞通は出陣の準備を進める。援軍がやって来たのならば協力して包囲軍を挟撃するのが定石である。一方の親正ら一揆勢は援軍がまだ来ないと思っていた。

「この城の守りは中途半端だ。我らがここまで早く動くとは思っていなかったらしい。援軍はいずれ来るだろうが、それまでに何としてでも飯山城を落すのだ」

 実際親正の動きの速さは驚くべきものである。防備が整う前に攻め入ることができたのも事実であった。しかしかえってそれが慢心を生んでしまったのである。

 やがて重通と忠正率いる援軍が到着した。そして一気呵成に包囲軍に攻めかかる。まさかこんなに早く飯山城への援軍が到着するとは思っていなかった一揆勢は動揺した。そこに城から打って出た貞通たちが攻めかかる。これで一揆勢は混乱に陥りかけた。だが事態を理解した親正は急いで決断する。

「こうなってはいかん。退くぞ! 」

 親正の号令の下で撤退を始める一揆勢。一方の貞通たちはこれを追撃しなかった。再来襲に備えて城の守りを固めることがせん稀有であったからである。

 貞通はまず忠正に礼を言った。

「団殿は上野におられたはず。ここまでの御足労。本当にありがたく思います」

「気にするな。こんなに早々に城を落されては武田を滅ぼしためでたさも随分と盛り下がるだろうしな」

「全くです。おかげで私の首もなんとかつながりました」

 笑う貞通と忠正。そして今度は重通に頭を下げる。

「こんなに早く兄上を頼ることになろうとは。父上に会わす顔がございませぬ」

 神妙そうに言う貞通。一方の重通は渋い顔をしていた。

「間に合ったからよかったものを。せっかく家を継いだお前が死んでは私が父上に会わす顔がない」

「ならば間に合って本当に良かった。お互い父上に顔を会わすことができまする」

 そう言って笑う貞通。これには重通も苦笑するしかなかった。


 飯山城の包囲から撤退した一揆勢は大倉城に戻った。しかしこの城は廃城であったものを再利用したに過ぎない。つまりは防御力に不安があった。

「かつて島津殿が主であった長沼城に向かおう。あそこなら周囲の者の理解も得られるはずだ」

 親正はそう考えて大倉城から出る。しかし長沼城はすでに長可が制圧していた。それを知らぬ親正ら一揆勢が向かっていることを知った長可は逆に打って出る。

「この好機に我らに刃向かう者どもを根絶やしにするのだ」

 長可は「鬼武蔵」とも呼ばれた猛将である。そんな長可の激しい攻撃に合い一揆勢が大損害を被った。もはや戦いを続けられる状況ではない。親正は長可の執拗な追跡を潜り抜けて上杉領に逃げるのが精いっぱいであった。こうして芋川親正が起こした一揆は沈静化したのである。

 事態が収まると貞通は信長に召喚されることになった。今回一揆勢に攻撃を受けたことの説明等が主な理由である。尤も貞通は違うことを考えていた。

「恐らくはお叱りを受けるのだろう。下手をすれば家督は取り上げか」

 貞通は自分がまだ信長に認められていないと感じていた。そんな中でのこの騒動なのだから必然的にそうした考えになる。だが悲観的にはなっていない。

「まあ死ぬようなことは無いだろう。父上に会うのはしばらく先になるだろうが」

 貞通は気持ちを切り替えることにした。悲観的な考えに浸らないのが貞通の長所である。貞通は平然とした様子で信長のいる諏訪に向かった。そこでは今回の一揆の件についての説明を求められたぐらいで特にそれ以上のことは無い。だが信長にこう言われた。

「しばらくは余のところで働け。少しは良通に近づけるだろう」

 これにはさすがに驚く貞通。だが拒否することなのできない。

「喜んでお供させていただきます」

 こうして貞通は信長のそばで仕えることになった。だがこれは驚くほど短い時間に終わる。何故ならばとんでもない大事件が起きるからである。


 武田家の滅亡によりその旧領の多くは織田家の家臣に与えられました。しかしその後に起きる大事件によって家臣たちは旧武田領から脱出することになります。そういうわけで長可をはじめとする織田家臣たちによる支配はごく短期間しか行われませんでした。芋川親正の一揆はその短期間に起きた事件であるわけです。しかも長可が支配を始めてすぐに起きたわけですから大変迅速に発生し迅速に鎮圧されたことになります。このスピード感はほかの事件ではそうそうみられませんね。ある意味面白い事件です。

 さて貞通は信長の下で働くことになりました。しかしこの後すぐに大事件が起きます。その中で貞通は、そして稲葉家はどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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