長宗我部国親 野の虎 第十章
長浜城攻略のまたとない機会を得た国親。嫡男の元親も隠し続けた牙を見せ始める。親子そろっての初の出陣で国親は驚くべきものを見る。
国親は急いで種﨑城に兵を送った。だがこの動きは目立つものであるので孝頼は懸念を抱く。だが元親曰く
「本山家は種﨑城への輸送も妨害しています。種﨑城に兵を送るのもそこへの対応だと考えるでしょう」
とのことらしい。これには国親や孝頼も感心している。
「元親様は我々の思っていた以上のお方なのかもしれません」
驚嘆した様子で孝頼はそう言った。実際国親もそう思っている。
そんな元親だが国親や兵ともども種﨑城に入っている。相変わらず大人しくしていてのんきにどこかを見つめていた。その姿に家臣たちの不安は募る。
「あの様子で大丈夫なのか。本当に初陣を果たせるのか」
「我らで守ってやらなければ命も危ういのではないか」
家臣たちはそんなことを隠れず言っていた。しかし国親はそれらが元親にも聞こえていることを理解している。
「(そこを考えればむしろ堂々としているとも取れるな。親貞とは真逆だ)」
こちらも初陣の親貞は声を上げて槍を振り回していた。周りの家臣たちは
「気合十分のようだ。全く勇ましい」
「あれならば大層な武功も期待できよう」
と、みている。だが国親の眼には違って見えた。
「(あれは不安を紛らわせようとしているのだろう。だがあそこまで動いてはむしろ戦の時に疲れてしまう。そこは言っておいてやらなければ)」
そう考えて国親は親貞に声をかけようとする。だが一足先に元親がゆっくりと親貞に近づいてこう言った。
「あまり動くと疲れる。今はじっとしてればいい」
変わらずのんきな様子で言う元親。これに親貞も
「そうですね。兄上のようにしていましょう」
と、素直に従った。そして二人そろってどこかを見つめている。これに家臣たちはあきれたりため息をついたりしていた。だが国親は違った。
「(二人そろって目指す先を見ているという事か)」
元親と親貞の目線の先。そこには長浜城がある。
永禄三年(一五六〇)五月二七日の夜、国親率いる長宗我部家の軍勢は種﨑城から出陣した。手はず通りなら福留右馬丞が開門の準備を進めているはずである。
「ことは迅速に進める。急ぎ川を渡るのだ」
国親に率いられ長宗我部家の軍勢は次々と川を渡る。川は元親の予測した通り水量が少なく容易に渡れた。
「元親め。いつの間にこのようなことを調べていたのだ」
思いもよらぬ息子の慧眼に喜ぶ国親。当の元親はさっさとわたっていた。国親は元親が馬に乗る姿を始めてみたがなかなかにうまい。周りの家臣たちも驚いている。
「元親様は馬に乗れたのか」
「驚いたな。しかも堂々としておられる」
失礼なことを言いだすものもいたが皆一様に一応は元親を見直しているらしい。これには国親も満足であった。
それからしばらくして長浜城についた。ここまで明かりをつけず夜陰に紛れての行軍である。だが誰もはぐれることなく到着できた。国親は足軽に命令する。
「松明に火をつけろ」
足軽が松明に火をつける。すると城門が開いた。これが右馬丞への合図である。開いた城門から右馬丞とその家臣達が現れた。
「城内の者はみな眠りこけています」
「そうか。ならば手早く済まそうか」
そう言うや国親は城内に突撃した。これにほかの者たちも続く。一方の長浜城の将兵は突如の侵攻に驚き慌てふためいた。
「て、敵襲だと!? 」
「いったいいつ城に入ったのだ? 」
いきなり城に侵入された上に城兵の数は少なかった。本山家は長浜城が攻撃を受けるとは思っていなかったのである。ましてや右馬丞が裏切り長宗我部家を城に引き入れるなどという事は考えていなかった。この段階まで本山家は右馬丞を疑ってはいなかったのである。兎も角これでは戦うことは出来ない。城将はすぐに判断を下す。
「今は逃げよ。朝倉城に逃げ込んで体勢を立て直すのだ」
この判断は迅速かつ的確であった。長浜城の将兵は取るものも取らずに長浜城から逃げ出していく。国親も長浜城の確保を最優先にして追わなかった。
「まずは敵を追う事のみに努めよ。隠れている者がいないかも調べるのだ。火でもつけられたら城を奪った意味もない」
国親の命を受けて長宗我部家の将兵は長浜城の隅々まで敵を捜索する。だが本山家の将兵は逃走を最優先としていたため隠れている者もおらず火をつける者もいなかった。
こうして長浜城は国親の策略もあり大した戦闘もなく手に入れられたのである。だがこれで警戒を解く国親ではない。
「逃げるの選んだのはすぐに攻め込むためだ」
国親はそう見ている。そのため何名かに逃げる敵の追跡をさせておいた。
「父上。皆に出陣の準備を命じておくべきでは」
元親がそう言った。元親も緊張を解いていない。国親は元親の言葉に同意する。
「ああ。一時でも休んだら気が萎える。お前も親貞にそう言っておいてくれ」
「承知しました」
親貞は緊張が解けたのか気の抜けた表情をしている。そんな親貞に元親は出陣が近いことを言ったようだった。すると親貞はすぐに緊張感のある表情に戻る。その様子を見て国親は思わず苦笑するのであった。
本山茂辰は長浜城が落城したことを城から逃げてきた将から聞かされた。もちろん右馬丞が裏切ったことも含めてである。
「何という事だ。懸念が当たってしまったという事か。だがよく逃げてきてくれた。これで巻き返せる」
茂辰は長浜城からそれほど遠くない長浜城で待機していた。むろんここにもそれなりの兵はいる。そして長浜城から退避してきた将兵も集結しつつあった。長浜城の将兵はほとんど無傷である。つまりは朝倉城と長浜城の将兵を合わせた兵力で出陣できるのだ。
「直ぐに出陣の準備を整えよ。長浜城に長宗我部家の援軍が入る前に攻め入るのだ」
この指示に従い準備を進める本山家の将兵。準備は迅速に済み夜が明ける前には万全の状態であった。
「よし出陣する。ここで国親を討ち長宗我部家との戦いに決着をつけるのだ」
茂辰は国親が出陣していることを聞き及んでいた。それだけに意気は高い。
「父上。見てくだされ」
今は亡き父への誓いを胸に茂辰は出陣した。
一方の長宗我部家だがこちらも準備を万端に整えていた。
「ここに我らの援軍を呼ぶのは厳しい。ここは打って出て敵を押し返すのだ」
国親は帰還してきた斥候の情報と合わせて兵力が劣勢であることを知っていた。しかし籠城しても援軍を待つのは難しい。城を落したとはいえまだここは敵の勢力圏である。城攻めの時のように気付かれずに川を渡らせることは難しかった。
「我らは兵で劣っている。だがそれぞれが一騎当千の力の持ち主だと私は信じている。皆の奮闘があれば数の不利は覆せるだろう。期待しているぞ」
国親は半場願望をこめて言った。だが本心でもある。ここにいるのは岡豊城周辺の一領具足ら精兵なのだ。一騎当千の実力という言葉もあながち嘘ではないと国親は考えていた。それは長宗我部家の将兵も同じである。皆国親の言葉に意気をあげるのであった。
こうして一致団結した長宗我部家の家臣達。だが国親が一人になると静かに近寄ってくるものがいた。秦泉寺家の秦泉寺豊後である。豊後は武芸にも兵法にも通じていたので秦泉寺家の降伏以来重用していた。そんな豊後がやってきて気まずそうにこう言うのである。
「元親様は城に置いた方がよろしいかと…… 」
「何を言うのだ」
国親としては連れていくつもりである。開いては重辰が出てくるらしい。それに自分の跡継ぎの元親をぶつけて勝利すれば周囲の目も変わるものだ。だが豊後はそれを理解したうえであることを国親に告げた。
「先ほど元親様が私をお呼びになられました。それでお伺いしますと槍の使い方を教えてほしいと。家中随一のお前ならだいじょうぶだろう、と」
これには国親も絶句する。豊後も気まずそうであった。だが国親気を取り直して豊後に尋ねる。
「それで槍は教えたのか」
「あとで教えますと言って今ここに参りました。どういたしますか」
豊後は心底困惑しているようである。国親も困っていた。だが槍の使い方もわからないのでは流石に不味い。
「元親は連れていく。お前はあやつが自分の身を守れるように槍を教えてくれ」
「承知しました」
そう言って豊後は去っていった。残された国親は大きな不安を抱えることになる。心なしか少しばかり体も重い。しかし国親は苦しいなどとは言っていられないと出陣の準備を進めるのであった。
やがて夜が明けた。国親達長宗我部家の軍勢は長浜城を出陣し、城から南方にある慶雲寺に陣を張った。一方の本山家の軍勢は慶雲寺から西側にある日出野に陣を構える。両軍は準備を整えるとほぼ同時に進軍し激突した。
「下がらずに前に出続けるのだ! 兵の強さならこちらが上だ! 」
国親の号令に従い長宗我部軍はひたすらに突撃した。初めは数で勝る本山家の有利に進む。だが突如として本山家の攻撃が緩んだ。
国親は近くにいる小姓に尋ねる。
「何が起きた? 」
「分かりませぬ。ただ秦泉寺殿が敵陣に切り込んだのを見たと言っている者がおります」
「豊後か! 流石だ。良い機を作ってくれた」
この隙を逃す国親ではない。すぐに全軍に号令をかける。
「敵方は動揺している。こちらから切り込むのだ! 」
この一声に長宗我部家の将兵皆が反応した。そして皆が死力を尽くして切り込んでいく。その凄まじい勢いに本山家の軍勢は更に動揺し討たれていく。やがて茂辰は劣勢を悟り決断した。
「こうなっては仕様がない。退くぞ! 」
茂辰は残った将兵を連れて浦戸城に撤退していった。だが甚大な被害を被ってしまっている。しばらく合戦は出来なさそうだった。
国親はひとまずこれを追わず慶雲寺に帰る。損害は二割ほどで思ったより少ない。大勝利といってもいい結果であった。
「ひとまず皆よく戦った」
そう言って国親は家臣たちの顔を見回す。そこには青い顔をした親貞もいた。初の戦で色々と衝撃を受けたらしい。尤もそれが普通の反応である。
「(まあ生きているだけでも良しとするか)」
そう思った国親だがそこで気付く。元親と秦泉寺豊後がいないのだ。
「元親と豊後はどうした」
家臣たちもそこで気付いたのか慌ててあたりを見回す。確かに二人の姿が見えない。やがてその場にいた全員が最悪の事態を想定する。だがそこで元親の声が聞こえてきた。
「元親ただいま帰りました。豊後も一緒です」
そう言って現れた元親の衣服は返り血に染まっていた。さらにその手には元親が討ち取ったのであろう武者の首が二つある。
その姿に皆が絶句する中で元親は首を国親に見せた。
「この二名は騎乗の侍でした。それなりの身分の者かと思われます。あとでお調べください。では行くぞ豊後」
そう言って首を置くとその場を去ろうとする。これを流石に国親は止めた。
「何処に行くのだ! 」
これに対して元親はこう答えた。
「この先の潮江城を攻め取ります。敵の逃げた方を考えると兵もそうおりませんでしょう。私の手勢だけで充分」
そう言って立ち去ろうとする元親を国親も家臣たちも止めようとした。だが元親はそれを聞かずに豊後を連れて出陣してしまう。そして暫くして元親からの伝令が来た。潮江城を落したので。待機している、父上は本山家の追撃の為に準備をしておいてください、とのことらしい。
「開いた口がふさがらんな」
国親はあきれ半分に笑った。やることなすこと無茶苦茶である。だがこの元親の行動により家臣たちの目も変わった。
「普段あのような姿を見せておいていざ戦になるとああなるとは。元親様はすさまじいお方だ」
「ああ。姫若子などといっていた自分が恥ずかしい。あの武勇は我らが主に相応しい」
「もう姫ではない。あれは鬼じゃ。鬼若子じゃ。全く末恐ろしいお方よ」
今まで元親を軽んじていた家臣たちも皆元親を尊敬するようになったのである。これには国親も満足であった。
「こうなればいつ死んでも大丈夫だ」
そんなことをつぶやく国親であった。
長浜城で態勢を整えた国親たちは浦戸城に向けて出陣する。
「この勝利の余勢をかって浦戸城も攻め落としてしまおう」
途中潮江城を攻め落とした元親たちも合流する。国親と顔を合わせた元親はこう言った。
「父上…… お顔の色が悪くありませんか」
国親は笑って答える。
「それはお前が無茶ばかりするからだ」
この答えに元親は複雑そうな顔をした。そうではない。そう言いたそうである。
ともかく長宗我部家は浦戸城に到着すると包囲を始めた。すでに茂辰は脱出しているようである。国親は浦戸城を包囲し降伏を待った。ここで国親は自分の体の変化に気付く。
「(何やら体が重い。これは疲れなどではない)」
自身の体に疑問を抱く国親だが気にせず攻撃を続けた。ほどなくして浦戸城は落城する。皆が勝利に沸き立ち口々に讃えあった。だがここで国親に限界が来た。国親は浦戸城の落城を見届けると倒れてしまったのである。動揺する家臣達。すると元親が叫んだ。
「浦戸城と長浜城に兵を残し少数で父上を守って岡豊城に戻る。殿は私が引き受ける」
これに答えた長宗我部家臣たちはすぐに行動し、国親たちは無事に岡豊城に帰還することができた。だが国親の体はもうすでに限界である。
岡豊城で意識を取り戻した国親は元親と孝頼を枕元に呼んだ。そして孝頼には
「長い間世話になった。これよりは元親を支えてくれ」
といい、元親には
「家臣を大事にし民と兵を慈しめ。お前は私を越える器だ。お前なら大丈夫だ」
といった。そして最後にこう言った。
「本山家を討ち父上の仇を取れなんだ事のみが私の未練。本山家を駆逐することが私への最大の供養と心得よ」
これに元親は強くうなずいた。
「お任せください。父上」
これを聞いた国親は満足げにうなずく。そしてそのまま息を引き取った。享年五七歳。一度は滅んだ家を再興しさらに大きくした野の虎はここに力尽きたのである。
この後家督を継いだ元親はさらに長宗我部家を大きくした。そして国親の死の二年後に本山家を降している。その後元親は一条家も打倒し土佐を統一し、その偉業から土佐の出来人と呼ばれた。
元親はそれからも長宗我部家の勢力拡大に尽力したがそれはまた別の話。野の虎、長宗我部国親の物語はここでおしまい。
国親は宿敵本山家を追い込んだもののそこで命を落としました。さぞ無念であったと思います。ですが憂いはなかったでしょう。跡を継いだ元親は見事な戦いぶりを見せて家臣たちの信をえました。元親ならのこの先のことも任せる。国親の遺言はそういう意味のものであったのだと思います。心残りはあっても憂いがないというのはかなりいい最期なのだと思いますね。
さて次の話は……と行きたいところですが個人的な理由により来週の投稿はお休みさせていただきます。従って次の話は5月29日の予定です。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




