長宗我部国親 野の虎 第九章
本山家の家臣である秦泉寺家を従属させた国親。これで長宗我部家と本山家の対立は決定的なものとなる。果たして両家の戦いはどように展開していくのか。
秦泉寺家を服従させたのちは、いよいよ長宗我部家と本山家の対立は抜き差しならないものとなった。とは言えすぐに大きな戦に発展したわけではない。茂辰は主に小規模な攻撃を繰り返した。主に長宗我部家の輸送船を攻撃して物資を奪うなどの攻撃も仕掛けている。国親にとってはこれが思った以上に厄介だった。
「茂辰もなかなかやる。これならそうそう国力は失わないな」
「それにこちらもそれなりに疲れます。何とも面倒なことを仕掛けてくるものです」
国親も孝頼も素直に感心していた。これだと双方疲れる者のリスクは最小限にできる。本山家は一条家の領地にも少しずつ進行していた。これならば長宗我部家の侵攻を抑えつつ領土を広げられる。このままでいけばじり貧に追い込まれることも考えられた。ついでに去就に迷っている一部の領主たちの思わぬ行動も招きかねない。
「何処かで一戦交えてこちらの優勢を見せつけられれば良いのだが」
そう言ってため息をつく国親。本山家の守りは固くなかなか好機に恵まれなかった。だが溜息の理由はそれだけではない。孝頼はそこをためらいがちに尋ねた。
「国親様。元親さまの初陣はどうなされますか」
この質問に国親は口をつぐんだ。元親というのは国親の嫡男の弥三郎である。少し前に元服して元親と名乗るようになった。国親としてはこれを機に気持ちを切り替えてほしかったと思っていたが、相変わらずぼんやりとした雰囲気をしている。そんな元親だがまだ初陣も済ませてはい居ない。もう元服もしたし年齢も二十を超えているのだから本当ならすでに初陣は済ませているような段階である。しかし国親が元親を戦場に出すのを心配したせいか元親が戦場に出る機会はなかなかなかった。
孝頼としてはこの現状ではますます元親の家督相続への不安が高まるだけと思っている。ゆえにどこかで国親に決断をしてほしかった。
「何処か小さな戦でもよいのです。本山家との小競り合いでもよいのではないですか」
「それはそうなのだがな…… すまん。もう少し待ってくれ」
いつになく弱弱しく言う国親。こんな主君の姿は初めてである孝頼であった。
「吉田様よろしいですか」
国親との諸々の相談を終えた孝頼は家臣の一人に呼び止められた。何でも内密の話があるらしい。そのため別室に来てほしいとのことだった。孝頼には内容が容易に思いつく。
「(おそらく元親さまの事なのだろうな)」
元服しても大して変わらぬ元親にいよいよ家臣たちの不安は高まりつつあった。実際孝頼もどうにか元親に跡を継がせようとしている国親に疑問に感じていないわけではない。そういう事もあって孝頼が素直について行くとそこには数名の長宗我部家臣がいた。重臣格の者もいる。そして孝頼を連れてきた家臣は思い余った様子でこう言った。
「我らはみな長宗我部家を助けて殿を助ける一心で努めてまいりました。そこに二心はございませぬ」
孝頼は何も言わず頷いた。それは本当にそう感じられたからである。家臣も孝頼が自分たちの思いを理解してくれたのだと受け取り、思い切った様子でこう言った。
「正直元親さまは頼りなく思えます。この先、本山家との戦も厳しくなりましょう。国親様が御存命の間に決着をつけられれば何も問題がありますまい。しかし本山家のこともあります。我ら家臣としては万が一のことを考えなければならないというのは吉田さまも御承知でしょう」
だいぶに縁起でもない話であるがこれも道理である。この時代戦にしろ病にしろ主君が急死してしまうという事は何度もあった。それは家臣だけでなく当主も考えなくてはいけないことである。
孝頼はここまで話を聞いて彼らが何を考えているのかをズバリと言い当てた。
「親貞様を跡継ぎにしようというのだろう」
この発言にその場の者たちは驚いた。具体的に人物名まで出されるとは思わなかったからだ。家臣の一人が感嘆したように言う。
「まさしくその通りです。流石吉田様」
親貞というのはかつて弥五郎と名乗っていた国親の次男である。先だって元服し名を親貞と改めていた。
親貞は幼いころから武芸を好み、その性格も豪快で勇猛であった。一方で偉ぶったところもなく下の者から慕われる器もある。家中で跡継ぎに通す声も陰日向に高まりつつあった。
孝頼も親貞を推したいという気持ちはわかる。だがいくつか懸念があった。
「親貞さまは元親さまを慕っておられる。我らが推したところで後を継いではくれないのではないか」
これに家臣たちは言葉に詰まった。長宗我部家の三兄弟は仲が良く、親貞も香宗我部家に養子に行った弥七郎改め親泰も元親を慕っている。家臣達には理解できないことであったが三兄弟の仲がいいのは歴然であった。
孝頼はこれに加えてもう一つの懸念を言う。
「国親様は元親様を跡継ぎにするおつもりだ。そこの意志は固いぞ」
これが最大のネックであった。国親は元親に跡を継がせようという意志が固い。これに関しては国親自身がはっきりとした根拠はないのだが、元親を信じているという危い根拠のものであった。それゆえに孝頼をはじめとした家臣は元親が跡継ぎであるという事に疑念を持っている。国親は全面的に家臣の信頼を得ているがここだけは別であった。
孝頼としてはここにいる面々の考えもわかる。だが国親が決意している以上はそれを覆すことは難しい。そう考えたともかくここにいる面々を落ち着かせようと考えた。
「とりあえず私からそれとなく国親様に跡継ぎの件について改めて話してみよう」
「ありがとうございます」
そういうと家臣たちは去っていった。残された孝頼は一人ため息をつくのであった。
長宗我部家と本山家の戦は一進一退の攻防を続け膠着状態が続く。これは長宗我部家にとって頭の痛い問題であるがそれは本山家も同様である。茂辰も好転しない状況に苛立ちつつも妙手も浮かばずただ時間が流れていくばかりであった。時間がたつという事は物が劣化していくという事でもある。そのため茂辰にこんな報告が入った。
「長浜城の城門が腐り始めておりまする。急ぎ修繕をしないとなりませぬ」
長浜城は土佐湾に面する本山家の城である。本山家の重要拠点である一方で長宗我部家と領地を接しており幾度となく攻撃を受けていた。しかし堅城でもあったので落城したことは無い。本山家としても生命線の一つであるのだから死に物狂いで守る。故に当然の結果というわけだが、そんな城に欠点の一つでも増えたら大変であった。
「直ぐに修理を手配しよう。ついで城門をさらに強固にしてしまえばいい」
そう考える茂辰だが一つ問題があった。迅速に修理するにしてもさらに強固にするにしてもそれを実現できる技術者が配下にいないのである。
「どこか在野に城造に長けた者はいないのか」
茂辰が家臣にそう尋ねると一人が進み出てきてこう言った。
「築城の名手といわれた福留右馬丞殿は今どこの家の家臣でもありませぬ。せっかくなので禄を与えて取り立ててみてはいかがでしょうか」
「ほう、そのようなものがいるのか。ならばちょうどいいのではないか」
家臣の言葉に賛同する茂辰。だが別の家臣が進み出てこう言った。
「私は反対です。福留はかつて長宗我部の臣でした。そのようなものを家臣にしてはいつ手をかまれるかわかりませぬ」
この進言に茂辰の顔色が変わった。確かに右馬丞は元長宗我部家臣である。現状そうした身の上の人間を家臣にしては色々不味いというのもよくわかった。だが右馬丞の能力は確かなものだという。茂辰は悩んだ。だが決断をしなければならない立場である。茂辰はこう決断した。
「今も在野という事はもはや長宗我部との縁も切れたのであろう。ならば問題はない。それに戦場に出すのではなくまず長浜城の修繕に関わらせるだけにすればいい。そのうえで信が置けるのならば用いるという事にしよう」
この茂辰の言葉に家臣たちはうなずいた。茂辰の考えに問題はないと感じたからである。こうして本山家は旧長宗我部家臣の福留右馬丞を家臣として迎え入れた。
このわずかに見える隙。だがこれ逃す野の虎ではない。
右馬丞が本山家に仕えたという情報はすぐに国親の耳に入った。
「これを逃す気はない。ここが最大の好機だ」
国親はすぐに右馬丞に使者を送った。そして内応を促す。
「本山家に仕えたのは致し方のないことだと思う。そもそもは家を潰してしまった我らに非がある。しかし貴殿の力を生かせるのは長宗我部家しかない。今帰参してくれれば旧来の領地は全て返そう。むろん怪しまれぬように門を堅個に作り直すのは構わない。ただ内応するというのならば我らに日時を報せその日に門を開けてほしい。できれば私としても貴殿を家臣に抱えたいと思っている。よろしく頼む」
この国親の呼びかけに右馬丞は悩んだ。自分は長宗我部を裏切ったといえる身でありこの約束が履行されるとは限られないと感じたのである。そのためか右馬丞はすぐには返事を出さなかった。
「門を作りなおすのは構わないと言っておられたからな」
右馬丞は真面目に門を作り直した。その作業中も本山家の家臣たちに厳しい監視を受けていたが気にしない。
「俺は俺の仕事をするだけだ」
そして職人気質ゆえか前よりも強固な門を作り上げた。これには右馬丞も茂辰も満足である。だが茂辰は右馬丞を信用しなかった。
「監視しているものが少し怪しいとも言っていたからな」
実際のところは国親からの内応の連絡が来てからは何の怪しい動きをしていない。とは言えその一度で生まれた疑心はそうそう消えないのである。右馬丞は働きでその疑惑を消そうとしたが無理であったという事であった。兎も角本山家は仕事が終わり次第右馬丞を冷遇し始めたのである。これで右馬丞は決心した。
「長宗我部家に戻ろう。どうなるかはわからん」
右馬丞はひそかに長宗我部家に手紙を送った。決心がついた時の連絡手段はすでに整っていたのである。こうして長浜城は本山家の誰も知らないうちに落城の危機に陥ったのであった。
右馬丞からの連絡を受けた国親は家臣たちに招集をかけて出陣の準備を進めていった。孝頼や家臣たちと軍勢の進軍について話し合う。
「いかにして本山家の者共に気取られず兵を進めるか」
今回の戦いは速さが全てである。右馬丞衙門を空ける予定である五月二七日までに長浜城に到着する必要があった。そのうえで本山家に可能な限り的に警戒させずに進軍して開門と同時に攻め入る。それが一番求められることであった。しかしうかつに兵を動かせば長浜城の守りは固くなる。たとえ門が開いたとしても城内に入ってから手間取っては敵の援軍が来るかもしれなかった。何せ本山家の主要な兵力が在城している朝倉城は長浜城の後方にある。そうなれば最悪挟み撃ちに会う。
「主力は別のところに置きそこに目をむかせるのはいかがでしょうか」
「それはそうだな。だがどちらにせよ長浜城を攻めることを気取られぬところに兵を集めなければ」
そこについていろいろと話し合ったが答えは出なかった。そこで一時軍議は終わりにし、国親は自室に孝頼を招いて二人で話し合うことにする。
一時自室に帰った国親は孝頼を待つ。やがて孝頼はやって来たが驚くべき人物も連れてきた。何と長男の元親である。なんでも
「なんでも若君が国親様に聞き入れていただきたきことがあるとか」
と、困惑気味に言った。むろん国親も困惑している。
一方の元親は相変わらずの感じであった。だが国親が聞いたこともないようなしっかりとした口調でこう告げる。
「兵は種﨑城に入れるのが良いと思います」
これには国親と孝頼は面食らった。まさか今回の出陣に関してのことだとは思わなかったからである。そもそも今回の出陣について家中でも限られた重臣しかまだ知っていなかった。これについては
「誰とは言いませぬが近々出陣があると漏らしていました。その者らと私しかその場におりませんでしたので他の誰にも聞かれておりません」
という事らしい。これにも国親孝頼共に面食らう。
それは兎も角元親の発案について孝頼は難色を示した。
「確かに種﨑城は長浜城に一番近い。しかし間を川に阻まれておりまする」
種﨑城は土佐の川の合流地点を囲むような土地の先端にある。そして海に至る川を隔ててあるのが長浜城であった。距離的には近いが川の流れがそれを阻んでいる。孝頼も種﨑城ならと考えたが以上の理由から提案しなかった。
これに対して元親はこう言った。
「普段は孝頼の思っている通り水量が多く流れも速い。それは本山家も同じに考えこちらからの進軍は想定していない。だが梅雨に入る前のこの時期ならば問題がない程度になっている。今ならば種﨑から長浜に素早く移動できます」
元親は今までにないくらいはっきりとかつ堂々と発言した。国親と孝頼が抱く普段のイメージとはまるで違う。だが見た目は相変わらず優柔な感じであり落差がすさまじかった。そんなわけで元親の提案が耳に入らない二人。だが元親はこんなことを言った。
「もしこの策が受け入れられなければ、もしくはしくじったのならば私を勘当し親貞を跡継ぎにして結構です」
これに孝頼は絶句した。親貞という名前が出てくるという事は、親貞を嫡男にしようとしている動きがあることを知っているという事である。
一方の国親だがなんと笑い出した。
「大した覚悟だ。良いだろう。だがそこまで言うのならばお前も出陣してもらうぞ」
「もとよりそのつもりです。それと親貞も連れていきましょう。早く戦場に出たいと言っていました」
「そうかそうか。ならば兄弟で初陣を果たすがよい」
豪快に笑う国親。一方静かに無表情でいる元親。孝頼は困惑したままである。だがともかくこれで元親の初陣は決まった。
こうして長浜城攻略の戦いが始まった。そしてこれが長宗我部国親の最期の戦いへの序章となる。それはまだ誰も知らない。
国親の嫡男の元親である評判があまりよくなかったというのは記した通りです。しかし国親は元親を信じて跡継ぎに決めていました。この関係は織田信長と父の信秀の関係とも通じるものがあります。あちらも家中の評判が悪い嫡男を父親は信じ続けました。信長がその後大きな躍進を遂げたことは言うまでもありません。長宗我部親子はどうなのか。それについてはこの後の話を待つのもいいですし自分で調べるのもいいでしょう。尤もすでに知っている人も多いのでしょうが。
さて今回のシリーズは次の話で最後です。果たして野の虎、長宗我部国親はどのような最期を迎えるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




