長宗我部国親 野の虎 第五章
国親は吉田孝順の手を借りて長宗我部家を大きくしていった。だが滅亡まで追い込まれた以上、その道のりは険しい。長い時間をかけて長宗我部家が昔日の勢いを取り戻しつつあるとき、東土佐の情勢を一変させる出来事が起きる。
国親は孝頼を中心とした家臣に支えられて長宗我部家を盛り立てていく。しかし一度滅亡したという状況と、本山家からの様々な干渉により急速な発展は望めそうになかった。しかし国親は気にしない。
「むしろこれぐらいでよいのだ。父上はいささか急ぎすぎた」
ゆっくりと確実に長宗我部家を大きくしていく国親。そして岡豊城から二十年ほど経った天文八年(一五三九)にはかつての領地を上回るまでに回復することができた。本山家は一条家と抗争を繰り広げておりその隙をついた形での結果でもある。
さてこの天文八年には国親にとって大きな出来事が二つあった。一つは嫡男である弥三郎の誕生である。
「この年でようやっと跡継ぎが生まれた。本当にありがたいことだ」
この時の国親はすでに三十の半場まで来ている。国親にとっては悩みの種であったがひとまず安心であった。
「弥三郎には私のような苦労をさせられん。長宗我部家をますます強くしなければな。いずれは本山家とも雌雄を決せねばならん」
現状はまだ本山家の勢力が上回っている。まだ隙は見えない。しかしあきらめるつもりもない国親であった。だが弥三郎誕生の数か月後に国親の下に悲しい知らせが届く。それは恩人である一条房家の訃報であった。この報せに国親も大いに悲しむ。
「もうお年であったからなぁ。助けられたばかりで何のお返しもできなかった。本当に感謝してもしきれぬ」
国親は孝頼ら家臣ともども房家の冥福を祈った。だがこの時に国親やほかの誰も知らなかったが一条家はこの後混乱に陥ることになる。これが国親と長宗我部家を飛躍させる出来事のきっかけになるのであった。
一条房家の跡を継いだのは嫡男の房冬である。特に悪いうわさも聞かぬ真面目な人物であった。国親とも面識がありお互い好感を抱いている。
「房冬様なら一条家をよく守ってくれるだろう。ゆくゆくは協力していきたいものだ」
当時一条家は本山家と争っていた。そうした点からも協力が期待できる。
ところが房冬が当主になった翌年の天文九年(一五四〇)に信じがたい出来事が起きる。房冬が一条家の重臣であり自身の後見役でもあった敷地藤安を自害させてしまったのである。藤安は房家の頃から一条家に仕えており信頼も篤かった。しかしそれを妬んだほかの家臣が房冬に讒言し、あろうことか房冬はそれを信じてしまったのである。この話を国親もにわかには信じられなかった。
「信じられん。敷地殿は一条家において多大な功をあげている。そんな方を自害させてしまうとは。房冬様は何を考えておられるのだ」
何時になく動揺した口調で言う国親。一方で報告をあげた孝頼は冷静に、だが悩ましげな表情で話す。
「一条家は最近伊予(現愛媛県)の西園寺家と戦をしておられます。それと同時に本山家とも争っています。この状況で敷地殿が除かれたのならば敵方に利するばかりです」
「まさかどちらかの調略か? 」
「もしやすると。ですが敷地殿はご息女を房冬様の側室に入れられたとのことです。それが他の者の妬みを買ったのでは」
「どちらにせよこれから房冬殿はどうするのだ」
頭を抱える国親。だが翌年さらにとんでもないことが起きる。当の房冬が亡くなってしまったのだ。
「これから土佐はどうなるのだ」
こればかりは国親も愕然とするしかなかった。
一条家が大変なことになっている間に東土佐でも大きな出来事は一つあった。土佐七雄の一つである吉良家が滅亡してしまったのである。そして吉良家を滅ぼしたのは本山家であった。
この時の本山家の当主は本山茂宗。国親より四才年少であったが勇猛で本山家の勢力をさらに大きくした人物である。
「一条家はごたついている。この隙に邪魔者を滅ぼしてしまおうか」
茂宗が狙いを定めたのが吉良家である。吉良家はこの時一条家と同盟を組んで勢力を保とうとしていた。一条家と交戦していた茂宗にとっては目障りである。
「今の吉良家の当主は愚昧の宣直だ。隙は自分で勝手に作るはず。その隙を突けばよい」
茂宗が言う通り吉良家の当主宣直は正直愚鈍な人物であった。父の存命時は学問の公儀で居眠りするような人物であり、父の死後当主となっても治政にも関心がなかった。挙句にそれを諫言した一族の者を禁固刑に処す始末である。
そうした人物だから危機感というものがない。
「われわれは一条家と結んでいるのだ。本山家も攻め込むまい」
そう考えた宣直は天文九年家臣を連れて仁淀川に狩猟に出かけた。この年は敷地藤安自害の年であり、一条家の内部はかなり混乱している状態である。正直戦いができるような状態ではなかった。にもかかわらず宣直は油断してしまったのである。無論この機を逃す茂宗ではない。
「案の定隙を作りおった。さあて行くとしようか」
茂宗は元服したばかりの息子の茂辰に兵の大半を与えて、自分は少数の精兵と共に仁淀川に向かった。重辰は家臣と大軍に支えられ当主不在の吉良家の居城の吉良峰城を攻め落とす。そして茂宗は仁淀川の宣直たちを討ち取った。多少の抵抗はあったものの大した損害も出ずに本山家は大勝利を収めた。そして吉良家の領土を攻め取ってしまったのである。
このように一条家の混乱と本山家のさらなる躍進で土佐は激しい変化に見舞われつつあった。
房冬の死後に一条家は家臣の反乱に見舞われるなど混乱した。新しい当主の房基は若いながらも聡明な人物で何とか混乱する一条家を何とか治める。
一方で房基は土佐全体の安定を考え始める。そこで問題になるのが土佐東部の状況であった。本山家は勢力を大きくして行き一条家との対決も意図している。また本山家は近年の長宗我部家の勢力の拡大にも警戒感を抱いていた。特に茂宗は国親をかなり警戒している。
「長宗我部家は大きくなった。ならば国親はいずれ我々に牙をむく。その前にどうにかせねば本山家は足元をすくわれるかもしれん」
こうした状況下で房基は頭を悩ませていた。しかも長宗我部家の勢力拡大と本山家の警戒心による剣呑な空気が東土佐の勢力中に流れている。これはある意味で一条家の影響力の低下の現れともいえた。先年の吉良家滅亡の際には混乱のせいで援軍を送れず一条家の声望を貶める結果になってしまっている。もし本山家と長宗我部家が争い長宗我部家を見捨てるような選択をすれば今まで築き上げてきた一条家の名声は地に堕ちるといっても過言ではない。そうなれば西土佐すら失うかもしれない。
「それだけは避けねばならぬ。まず今やるべきは東土佐の安定。そしてそれを一条家の声望を高めるのに使うのだ」
そう考えた房基がとったのは思い切った策である。それは長宗我部家と本山家を縁戚にしてしまうというものであった。
「茂宗の男子はまだ妻がおらぬ。そして国親には娘がいる。年もそう離れてはいない。ちょうどよい塩梅だ」
この策が実現すれば当面は長宗我部家と本山家の抗争は避けられるだろう。それは土佐の安定にもつながる。そしてそれを実現したのが一条家ならば名声も高まるというものだ。
「さっそく手を打つか」
房基はまず本山家に話を持ち掛けた。これに対して茂宗は渋い顔をする。
「国親を討つ機会を自ら手放すという事か。もしこの縁談が成されれば奴は牙をうまく隠すだろう。そして隙を見つけて牙をむく。それだけは避けたい」
乗り気ではない茂宗。一方で家臣たちは前向きであった。
「この縁談が成されればいよいよ長宗我部家を下に置くことができまする」
「むしろ長宗我部と一条の縁を切ることもできるかもしれません。ここはうまくこの話を利用するべきでは」
家臣たちはそう言った。彼らなりにこの縁談が本山家の利になると判断しているのである。だが茂宗は疑問を抱いていた。
「国親も房基もそこまで甘い男ではないはず。何か手を打つはずだ」
そう考える茂宗であるが確証はない。また家臣たちの意見を無視するわけにもいかなかった。
「この縁談を受け入れるしかないか」
茂宗は国親の娘を迎え入れることにする。だが心の中では疑念は消えなかった。
国親は一条家から本山家との縁談の話を伝えられた時、実はだいぶ困っていた。
「娘は香宗我部家に嫁がせる予定であったのだがな」
というのも同じく土佐七雄の香宗我部家に件の娘を嫁がせる予定であったからである。香宗我部家はこれまた七雄の安芸家と争っており、これに対抗するため近年勢力を広げていた長宗我部家と同盟を結ぼうと考えていたのである。現在の当主は香宗我部親秀。当初は親秀の息子の秀義に嫁がせる予定であったが、秀義が戦死してしまったので頓挫していた。だが親秀は弟の秀通を養子にとっており、婚約の予定も変わらず進めようと考えていたようである。
「房基様はこれを知らなんだか」
こう愚痴る国親に孝頼はこう言った。
「確証はありませぬが知っておられたのでしょう。ですが親秀殿が亡くなり時もたった今なら問題もなかろうと考えたのでは。何なら姫の嫁ぎ先を用意してやったぐらいのことは考えておられるかもしれませぬ」
「だとしたらおせっかいではあるな。いや、これを機に土佐の東側に色々と介入しようと考えているのだろう」
「その通りだと思います。して、殿はこの縁談を如何に思いますか」
孝頼はそう尋ねた。しかし国親がどう考えているかはお見通しのようである。また国親もそれを理解しているので素直に全て言った。
「しばらくは本山家の目をごまかせるだろうからそこはありがたい。一条家にも一応の貸しは出来るしな」
「全くその通りにございます。ですが気がかりは」
「ああ。親秀殿は怒るだろうな。まだまだ本山家との力の差はある。無駄な力は使いたくない。それに周囲の者たちの信も得られつつあったからな。ここでまた父上のように不信を買っては二の舞よ」
国親は悩ましげに言った。現状長宗我部家の勢力は香宗我部家を上回っている。戦えば負けることは無いだろうが、ここで争っては力を浪費し本山家に利するばかりであった。ここまで勢力を広げた国親としてそれは避けたいところである。
この主君の悩みを孝頼は理解していた。そしてそれを打破する策も考えてある。
「国親様。この件についてよい策がありまする」
「そのようだ。ならば任せよう。そなたなら万事うまくやるだろう」
そう言って国親は孝頼にすべて任せた。それだけに信頼関係がこの二人にはある。
長宗我部家と本山家の縁談の話は瞬く間に知れ渡った。これは長宗我部家が積極的に情報を流したからである。むろんこれを知った香宗我部親秀は怒った。
「我らを見くびってなんという事を。こればかりは許せん」
怒った親秀はすぐに軍勢を引き連れて出陣する。安芸家と戦っていてそれどころではないはずだが、ここで長宗我部家が味方してくれなければこれ以上の戦いは無理だという事でもあった。それだけ切羽詰まっていたのである。
そんな状態で出陣した親秀。すると長宗我部家からこのことを弁明したいと言ってきた。孝頼を向かわせるという。
「重臣の吉田殿が来るなら粗略に扱うわけにはいかないな」
親秀としては本気で戦うというよりあくまで自分たちの怒りを示すことや、約束をほごにしたことに対する報復が目的であった。最終的には和解したいとも考えていたので孝頼の弁明を聞くことにする。
暫くして孝頼は現れたがなんと僧形であった。何でも詫びの為に出家したという。そして孝頼はこう言った。
「この度のこと国親様も大変申し訳なく思っております。国親様は仏門に入り其れを以って親秀さまや香宗我部家の方々への詫びにしたいと申しておられました。ですが我々家臣がそれを止め、代わりに私が出家した次第にございます。今回の事、一条様と本山家の強い勧めを断れず致したこととは言え、長宗我部家一同深く反省しておりませぬ。申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げた。この丁重な謝罪を受けては親秀も納得せざる負えない。しかし約束を反故にされたことは事実である。この不名誉をどうにかしなければ親秀のメンツにかかわるし今後の家の運営にもいろいろと問題があった。しかし孝頼はそれを見透かしたかのようにこういう。
「本山家からの強い願いがありました。今の我々はこれを跳ね除けられませぬ。本当に困ったことです」
実際そういうわけではないのだがこの発言は親秀にとって渡りに船であった。別に事実はどうでもいい。拳の振り下ろす先が見つかったのだから。
「吉田殿のいう事承知した。なるほど真に怒るは本山家であったか」
孝頼は答えなかった。尤も何も言わないことが正解であるという事を如実に示しているといえる。親秀もそれでいいとしたので本山家の領地に向かった。そして本山家の軍勢と一戦交え、適当なところで撤退していく。全ては孝頼の関上げていた通りであった。
一方これに怒ったのは本山茂宗である。
「国親め。やってくれる。こうなれば縁談も反故にしたいが…… 」
怒った茂宗は縁談の反故を考えた。だがすでにうわさも流れ約束もされていることである。無理やり覆せば不義理のそしりを受けてこれまで築き上げてきた本山家の名声も失墜しかねない。
「いずれ見ておれ。国親め」
茂宗は怒りを抑え国親の娘の嫁入りを見つめるのであった。こうして長宗我部家と本山家の縁談は成立し両者は縁戚となる。だがこれで東土佐の火種が消えたわけではない。
前回の話からおよそ二〇年の月日が流れました。この間に国親は長宗我部家を以前より大きくしたわけです。一度滅亡したにもかかわらずそこまでのことができるのは本当にすさまじいことです。一方で一条家には暗雲が漂い始めました。また本山家の関係も複雑になっていきます。今後国親はどのような動きを見せるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




