長宗我部国親 野の虎 第三章
千雄丸の決死の行動により一条房家は長宗我部家の再興を約束した。そして決死の行動を見た長宗我部家家臣と千雄丸との結束も強まる。千雄丸はいつか来る日を待ち一条家で過ごしていた。
千雄丸が一条家に逃れてから年月がたった。幼かった千雄丸も少しずつ大人に近づいてきている。尤もまだ十代の少年であるが。
日に日に成長する千雄丸に房家は言った。
「そろそろ元服してはどうか。烏帽子親なら私がやるぞ」
この頃になると房家も千雄丸を我が子のように可愛がっていた。できれば手元に置き続けたいほどの可愛がりようである。そんな房家の申し出だが千雄丸は断っていた。
「ありがたき幸せに存じます。ですが私にはまだ早うございます」
こうした千雄丸のは発言に一条家臣たちは首をかしげた。
「房家様が烏帽子親になれば益々の寵愛を受けられるのに。何故だ? 」
この頃には千雄丸へのやっかみもほとんどない。あるのは純粋な疑問である。
一方で房家は断られる理由に勘づいていた。
「要は願掛け、いや私への催促か。しかし確かにそろそろ頃合いかもしれんな」
そう言って房家は笑った。そして東の方を見据えるのであった。
この所房家が気にしているのは土佐の中部から東部。つまりは土佐七雄たちが治めている地域であった。尤も現在では長宗我部家がいないので実質は六雄ともいうべき状態である。しかし七雄の均衡も長宗我部家の滅亡後崩れつつあった。というのも長宗我部家の滅亡の後に七雄の筆頭とである本山家が影響力を拡大しているのである。
房家もそうした動きは感じ取っている。そして本山家がゆくゆくは土佐の半国、いや土佐の全土を手に入れんとしているという事も感づいていた。
「そうはいかん。だがこちらから攻め入るわけにもいかんしな」
本山家は言うまでもなく土佐に古くから存在する領主だ。そしてそれはほかの七雄も同様である。それに対して一条家は一応の領主ではあったものの住むようになったのは房家の親の代からである。現状一条家の統治に問題はなく在地の人々からも慕われている。しかしそれも土佐の西半国くらいで七雄たちの治める東部はまだ一条家に心服しているわけではなかった。房家や先代の教房もそこは理解していたので東部や中央部は基本七雄たちに任せ、国力と格で上位に立っているという状況であった。無論それは七雄たちにとっても利のあることである。だから従っていたのだ。
しかし本山家が長宗我部家を滅ぼし他の七雄より大きくなったことで情勢は変わってくる。もしこのまま本山家が土佐東半国で勢力を広げて一条家と互角の勢力なれば、本山家は土佐旧来の勢力を糾合して一条家との戦いに臨むかもしれない。
「そうなると面倒だ」
房家としては負ける気など毛頭ない。しかし厳しい戦いになるだろうという事も理解している。戦いの状況次第では一条家に従っている領主が裏切るとも限らないからだ。
「そうなる前に抑えを置いておかなければな」
にやりと笑う房家。その抑えはすでに房家の下にあったからである。
土佐の情勢が徐々に変わりつつある中で千雄丸は一条家で過ごしている。しかしただ漫然としていたわけではない。千雄丸としてはどうしても今のうちにやっておきたいことがあった。
「家臣の皆は精強なものが多い。だがやはり智謀に優れる者が一人いれば皆も働きやすくなるだろう」
千雄丸を庇護してここまで連れてきた家臣たちは武勇に長けるものが多かった。それはとても重要なことである。彼らのようなものが居なければ戦には勝てない。
一方で政務や軍略に長けるものはあまりいなかった。家臣たちもそれを自覚しているのかその点についてはあまり意見や助言を述べたりしない。そもそも千雄丸はそうした方向にも才はあるので成長するにしたがって助言ができるものもの減ってきていたのだ。
「誰か智謀に優れる者がそばにいてくれれば長宗我部家の為になろう。父上は優秀であったがゆえにそうした者を置かなかった。父上が家臣を顧みなくなった理由になったのものそれであろう」
そう考えた千雄丸は新ためて家臣一人一人と向き合ってみる。そして見出したのが吉田孝頼であった。考頼は千雄丸より十歳ほど年長である。吉田家は土佐の豪族で長宗我部家に仕えていて岡豊城落城の際に孝頼の父を故郷に残して千雄丸に従ってきたのである。現在いる家臣の中で一番千雄丸と年が近い。しかしどちらかというと大人しく地味な性格のためか家臣団の中では埋没している。しかし時折鋭い面を見せることもあった。
「考頼ならば私の右腕となってくれる。いずれは長宗我部家を支える知恵者となるはずだ」
そう考えた千雄丸は考頼に自分の考えを打ち明けた。もちろん考頼は驚く。
「父上を始めほかにも優秀な方はおられます。一体なぜ私なのですか」
「考頼は若くて知恵者でもある。それに私と年も十ほどしか変わらない。この先長宗我部家を再興して父上の代より大きくするにはお前の力が必要なのだ」
こう熱心に言われては孝頼もうなずくしかなかった。
「承知しました。この力お使いください」
「ああ。いずれは相応しい立場も用意しよう。待っていてくれ」
孝頼は初めこの言葉を話半分に受け取った。しかしやがてそれが本当のことであると知ることになる。
兼序の死と岡豊城の落城から十年たち永正十五年(一五一八)になった。兼序の十回忌の法要も一条家の下で行われた。千雄丸や孝頼ら長宗我部家臣としてはありがたい話でもあるが歯がゆくもある。
「できれば旧領に戻って父上の弔いをしたいものだ」
岡豊城落城の際に兼序の遺骸は焼け落ちてしまったらしい。そのため墓に入れるべきものは無いが、ちゃんとした弔いもやっておきたいと考えるのが普通であろう。
一方家臣たちも不安を口にしている。
「何時になれば房家様は長宗我部家の再興を成してくれるのか」
「ああ、そうだな。あちらでは本山家が勢力を大きくしているらしい。そんな状態でどうにかなるのか」
皆千雄丸に付き従う気持ちはあるがそれはそれとして不安である。しかし孝頼は冷静である。
「本山家が大きくなるという事は房家様にとっても有り難くないことのはず。これが我らの追い風になればよいのですが」
さてこの法要には房家も参加した。これに対して千雄丸はちゃんと礼を述べる。
「亡き父の法要を行わせていただいただけでなく参列して頂けるとは。本当にありがとうございます」
「何、気にするな。これも土佐を取り仕切るものの役目よ」
その場には房家と千雄丸の二人しかいなかった。というのも法要が終わると房家が千雄丸と二人で話したいと言ってきたからである。
「(参列されたのは何か特別な御用があってのこと。しかし一体何だろう)」
千雄丸はそう考えていた。しかし思い当たるふしはない。千雄丸が疑問に思っていると房家が口を開いた。
「このような場であるが、よい報せだけにいち早く伝えなければと思ってな」
「よい報せ、ですか」
首をかしげる千雄丸に房家はこう告げた。
「先年より本山らと協議し、長宗我部と本山たちの戦は和睦となった。そして岡豊城とその周りの領地をそなたに帰すこととなった」
「そ、それは長宗我部家が再興されるという事ですか」
「そうだ。これでいつぞやの盟約、やっと果たせたな」
満足げに言う房家。一方の千雄丸は感涙している。
「あ、ありがたき幸せにございます。本当に、本当にありがたき幸せ」
「泣かずともよい。私はあの時の約を果たしただけよ」
「い、いえ…… 本当に、本当にありがとうございます」
千雄丸は平伏して感涙していた。それを房家は穏やかなまなざしで見守っている。
「(あれだけの大器とは言えまだ子供か)」
房家も一安心である。そしてこう言った。
「このことを家臣に伝えてやれ」
「はい! ありがたき幸せにございます」
そう言って千雄丸はかけていった。それからしばらくして長宗我部家臣たちの歓声が聞こえる。それを聞いて房家は不敵な笑みを見せた。
「これで本山に対する牽制になるか。しかし千雄丸は長宗我部家をいかに大きくしていくか。楽しみではあるな」
房家は一人この後に起こるであろうことに期待をはせて微笑むのであった。
兼序の十回忌を終えて千雄丸たちは岡豊城に向けて出発する。千雄丸は房家に深く感謝した。
「此度の長宗我部家の復興は全て房家様の御助力によるものです。またこれまで庇護して頂いたことにも感謝しております。本当にありがとうございました」
深々と礼をする千雄丸。これにはさすがの房家の眼がしらも熱くなる。だが必死で涙をこらえてこう言った。
「これよりはそなたが家を守るのだ。父の犯したしくじりを忘れず精進するのだぞ」
「承知しました。いずれ一条家に何かあれば私もお力になります。ご期待ください」
「ああ。期待している」
「はい、ありがとうございます。では」
そう言って千雄丸たちは旅立つ。その後ろ姿を房家たちはいつまでも見送っていた。
千雄丸たちは岡豊城への道をゆっくりと進む。その途中で千雄丸は孝頼を呼び出した。
「この先の寺で母上や妹たちが暮らしている。先に行ってお家再興のことを知らせてくれ」
「承知しました」
孝頼は駆けていった。そして千雄丸はゆっくりと進んでいく。無論周囲を警戒してのことである。
「(まさか本山殿が妙なことをするとは思えんが)」
そうした警戒があってのことである。一方で千雄丸を目にした人々は首を傾げた。
「あれは一体だれか」
「分からん。どこの侍だ」
多くの供を連れた見慣れぬ若侍の姿に警戒を抱く領民たち。兎も角、千雄丸はゆっくりと進んでいった。
家臣たちと共に寺に到着した千雄丸は無事母や妹と再会した。母は成長した息子の姿に感涙する。
「命からがら逃れた幼子が…… ここまで立派になるとは。嬉しい限りです。本当に立派になりました」
「いえ。まだまだです母上。お家の最高は始まったばかり。これからはお力をお貸しくださいませ」
「ええ。もちろんです。それが兼序様の悲願でもありましょう」
この母子の再会に家臣たちも涙するのであった。そんなとき孝頼が駆け込んでくる。孝頼は千雄丸が到着した後に近くの領地を治めている自分の父を迎えに行ったのだ。
「千雄丸様。父と弟です」
「お初にお目にかかります。吉田則弘にございます。こちらは息子の重俊です」
「ああ、よく来てくれた。母上から話は聞いている。今まで母上や妹を守っていたらしいな。感謝する」
「いえ。これも長宗我部家の再興を信じてのこと。それは民たちも同じにございます」
則弘のこの言葉に千雄丸の表情が曇った。それを見て怪訝そうに尋ねる則弘。
「どうなされたのです」
「いや。父上は立派な最期を遂げたが、それまでのなされ要は家臣や民の不興を買った。私が帰っても喜ばぬものも多く居るのではないか、とも思っていたのだ」
この千雄丸の不安に孝頼たち家臣は驚いた。そんな不安は一度も見せたことのない千雄丸だったからである。だがよくよく考えてみればその不安も当然のことであろう。千雄丸の父の兼序はそのやり方に不満を抱く家臣領民は多く居た。それこそが長宗我部家が滅亡するきっかけでもあったのである。千雄丸の不安も当然と言えた。
だが則弘はこう言った。
「そんな不安は無用でございます。付いてきてくだされ」
千雄丸は則弘について行った。そこには多くの領民たちが平伏して待っていたのである。
「こ、これは…… 」
「孝頼が来た後にあたりに千雄丸様がお戻りになられたことを触れ回ったのです。皆一度でいいからお目にかかりたいと集まりました」
「なんと…… 」
「皆千雄丸様の御帰還を待っていました」
則弘がそう言うと領民の一人が進み出てきていった。
「兼序様が討たれてから本山のものがやってきては好き放題に土地を荒らしました。皆兼序様がおられたときのことを懐かしんでいます」
「だが…… 父上のやり様には皆も不満を感じていたのではないか」
「確かに戦の負担を大変に思うこともありました。しかし他所のものから害されるようなことは兼序様の代にはほとんどありませんでした。よくよく考えてみれば兼序様のなされ要は理にかなっていたのかも知れないと、皆考えております」
「そうか…… 」
領民たちの声を聞いて千雄丸から不安は消え去った。そしてこう宣言する。
「私はこれより城に戻り長宗我部家を再興する。そして皆の暮らしを父上の頃よりも必ずや良くする。ここに誓おう」
この千雄丸の宣言に沸き立つ領民たち。この声援を受けて千雄丸は新たな決意を胸に抱くのであった。
この後千雄丸は岡豊城に入った。そしてここで元服をすることにする。
「これより私は国親。長宗我部国親と名乗る」
野の虎は新しい名を得て飛躍を始めるのであった。
いよいよ長宗我部家の再興が成されました。経緯として一条家の介入によるもので軍事行動の伴わないものです。兼序が嫌われていてほかの七雄を敵に回していた状態を考えると一条家の影響力の大きさと力がよくわかります。尤も兼序が死んでいたことと十年近く時間がたっていたことも関係しているのかも知れません。兎も角千雄丸は岡豊城に戻り名を国親と改めました。この先国親がどのような運命をたどるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




