長宗我部国親 野の虎 第二章
父も城も領地も失った千雄丸。家臣に伴われ目指すは土佐で最大の領地を持つ土佐一条家。果たしてそこで何が待つのか。
岡豊城を脱出した千雄丸は家臣たちに伴われ西に逃げた。目指すのは幡多荘である。そこで一条家の庇護を求めるつもりであった。しかし不安はある。
「一条様の領地に逃げたところで助けていただけるのだろうか」
家臣の一人が不安げに言った。それに対して別の家臣がたしなめる。
「攻め入ろうというわけではないのだ。我らは幼い主君を助けていただこうと頼むだけ。何の問題もなかろう」
「しかし一条様は兼序様から助けを求められても無視された。我らも駆け込んだところで本山殿のところに突き出されるだけではないのか」
この言葉に一同の足が止まる。実は皆それを考えていた。今回の戦で一条家は兼序達長宗我部家を見捨てる選択をしている。そこが気にかかるのであった。そんな人物のところに逃げ込んで助けてもらえるのか、と。
「このまま逃げるよりどこかに潜んで再起の機会をうかがうべきではないか」
「馬鹿を言うな。このあたりに潜んだところで敵に見つかって殺されるだけだ」
「しかし…… 一条様が我らを助けてくれる保証はあるのか? 」
これに誰も応えられなかった。実際兼序の振る舞いを一条家も心苦しく思っていたという話も聞いている。彼らも長宗我部家は滅んでいた方がいいと考えているのではないか。皆心のどこかでそう考えていた。
するとここで千雄丸が口を開いた。
「一条様は我らを助ける。私がそうさせる」
千雄丸は、はっきりと力強く言った。家臣一同驚嘆に包まれる。だが言葉を発した千雄丸は堂々とした様子であった。そして家臣たちにこう告げる。
「皆のことも長宗我部家のことも皆私に任せるのだ」
幼い少年とは思えない言葉であった。にわかには信じがたい。しかし何故か信じてしまう威厳を皆感じている。そしてそれを信じた家臣たちは千雄丸を伴い幡多荘に向かうのであった。
千雄丸たちは一丸となって行動し、無事に幡多荘に無事に到着した。そして中村の一条家に使いを出す。この時の一条家の当主は一条教房の子の房家であった。房家は父の作り上げた土佐一条家をさらに発展させ中村を小京都と呼ばれるほどに作り替えた傑物である。
「兼序の子が逃れてきたか。そして私を頼りたい、と」
房家はすでに岡豊城落城と兼序死亡の情報を手に入れていた。そして千雄丸たちが庇護を望みこちらに逃げてきているという事も知っている。そして家臣たちを集めて千雄丸たちをどうするかという会議を行っていた。
家臣たちは千雄丸の保護にあまり乗り気ではない。皆兼序の振る舞いに不満を持っていたからだ。
「長宗我部兼序が討たれたのは自業自得。その息子を助ける理由はありますまい」
「むしろ保護しては本山ら土佐の者どもも我らに不信を抱くかもしれません。なんにせよ厄介ごとの種になりましょう」
こう口々に言う家臣たち。だが房家の考えは違った。
「私はそうは思わん。むしろ庇護する方が一条のためだ」
この発言にどよめく家臣たち。そんな一堂に房家はこう言った。
「恐らく本山はこれを機に勢力を広げようと考えるだろう。それはむしろ我らにとっては面倒なことになる。しかしここで兼序の息子を保護して家を元通りにしてやれば土佐の東に我らの意に従う家ができる。そうなれば本山の動きも抑えやすくなる。ゆえに、先を見通せば兼序の息子を懐に置いていた方が色々と便利なのだ」
この房家の論理に家臣たちは納得した。そして一条家は千雄丸たちの保護を決めるのであった。
房家の思惑もあり千雄丸は一条家で保護されることになった。正直千雄丸に付いてきた家臣たちにとっては肩身の狭い状況であった。
「我らの役目は千雄丸様をお守りすること。しかしここではやれることも限られる」
「左様。戦に出るわけでも無く城を取り戻すために何かできるわけでも無い。正直己の無力に苛立つばかりだな」
「ああ。しかし千雄丸様の姿を見ているとそうしたことも忘れられる。あの方は本当に大したお方だ」
「ああ。このような状況にあっても堂々としておられる。兼序様は傑物であったが千雄丸様はそれを越えられるかもしれんな」
家臣たちの言う通り千雄丸は一条家の庇護下にあっても卑屈にならずむしろ堂々としていた。そうした千雄丸の姿は家臣たちにとってだいぶ心の救いとなっている。しかしそうした千雄丸の姿に苛立つ者もいた。全てではないが一条家の家臣たちは千雄丸の堂々とした姿を苦々しく眺めている。
「我らのおかげで生き延びられている幼子だというに。なんだあの胸の張り様は」
「驕りは父親と同じ、いやそれ以上かもしれんな」
一方で房家は千雄丸を面白そうに眺めている。
「ああも堂々としていられるのは己の立場もわからぬよほどの馬鹿者。そうでなければ相当の大器。そうであれば大したものであるが。さて…… 」
房家はまだ千雄丸の器を図りきれないでいた。そう言うわけで家臣たちのやっかみもそのままにしている。そしてそのせいかある事件が起こってしまう。
それはある日の宴席の場のことであった。房家を中心に一条家の主だったものたちが集まる祝いの積である。場所は房家の屋敷の二階であった。ここに千雄丸も招かれる。家臣も全員ではないが数人呼ばれた。
千雄丸を呼んだのは房家である。
「そなたも行く行は一家を担う身。こうした場になれておくのも一興であろう」
「ありがたき幸せにございます。房家様」
相も変わらず動ぜずの千雄丸。房家としてはここで千雄丸の本質を知っておきたかった。
「(祝いの席に呼ばれたのに浮かれるならただの愚か者であろうが、相も変わらず動ぜぬか。これはなかなかのものだ)」
この時点で房家の千雄丸の評価は悪くなかった。少なくとも後に長宗我部家を再興させて自分の下に置いておこうかと考えるくらいに、である。
しかし周りの一条家の家臣たちにとっては面白くない。庇護されているに過ぎない身のものが主だったものが集まる場に呼ばれているのである。いくら主君の言ったこととはいえ納得できないものも多かった。
「(滅んだ家の倅がなぜこのような場にいるのだ)」
普段の千雄丸の振る舞いも気に食わないものは多い。少なくともここにいる大半のものはそうであった。そしてこの場でも変わらず堂々としているのだから彼らの苛立ちも自然と大きくなる。すると一条家家臣の一人がこんなことを言いだした。
「いくら亡き主君の子とはいえここまで付き従う長宗我部家のご家中は大したものでありますな。家が滅んでしまえば別に敬う相手でもないはずですのに。この先もそんな相手に仕えなければならないのは大変なご苦労でしょう。全く難儀なものです」
これを聞いた長宗我部家臣たちは唖然とした。余りにも非礼なものであったからである。実際この言い方では長宗我部家が再興されることは無いと言っているようなものであったからだ。また房家もこの言を止めようとはしていない。房家としては千雄丸がどう反応するか見てみたかったからだ。
「(何も言わずば臣の信頼は失われる。しかしうかつなことを言ってこの場を乱せば私のメンツに泥を塗るという事にもなる。さてどうするか)」
別に房家は千雄丸が何を言おうと気にするつもりはない。そう言うことを含めて見定めるつもりであったからである。
さて千雄丸はこの物言いに冷静に答えた。
「おっしゃる通りです。私はこの者たちこそ真の侍と考えております。宴席の場で他のものを貶めようという事をせぬ見事な者たちです。そのようなことをするのは侍と言えぬでしょう。それこそが主君への非礼」
この発言にその場はざわめいた。何故なら暗に発言した一条家臣を侍ではないと言ったからである。
これに怒った別の一条家臣がこう言った。
「貴様のような幼子が何を言ったところですべては絵空事だ。馬鹿馬鹿しい。第一貴様のような臆病者に何がわかる」
「私を臆病者と申されますか? 」
「ふん。当然だ。父を置いて逃げ出したものが臆病者でないはずがない」
勝ち誇ったように言う一条家臣。しかし千雄丸は動じない。そしてはっきりとこう言った。
「貴殿は戦場を知らぬのです」
これに絶句する一条家臣。ほかの者たちも絶句している。一方で長宗我部家臣たちはうろたえていた。千雄丸の物言いは嬉しかったがここまで言ってしまっては、房家の不興を買うかもしれないからである。
一方房家は面白そうに千雄丸を見ていた。
「(さて次は何を言うか)」
そう考えていると千雄丸は房家の前に進み出てきた。そしてこう言った。
「あそこまで言われては私も臆病者でないことを示さなければ侍の面目がたちませぬ。房家様。私に何か勇を示す場をお与えください」
「ほう。私がか」
「はい。そしてそれが満足いくものならば長宗我部家の再興をお約束ください」
この千雄丸の発言を聞いた房家は内心驚いた。
「(もとよりこれが目的か。なるほどただ物ではない。よい拾いものをした)」
房家は千雄丸が自分の想像以上のものであると理解した。だがここで房家にいたずら心が芽生える。
「(ここで無理難題を言ったらどうするか。どう躱すのか)」
酔いも回っての考えであった。兎も角そんなことを考えた房家はこう言った。
「ここから庭に飛び降りることができれば長宗我部家の再興を約そう」
房家としてみれば冗談半分の発言である。実行するはずないのでそれをどうしのぎ自分の要求を認めさせるのかというのを見るつもりであった。しかし房家が言い終わる前から千雄丸はその部屋から庭に飛び降りてしまったのである。余りの事態に絶句する房家と一条家の家臣たち。一方で長宗我部家臣たちの動きは速かった。一人が其の場に残りほかの者は皆庭に向かったのである。残った者は身を乗り出して千雄丸に叫んだ。
「若! 御無事ですか! 」
すると千雄丸はゆっくりと立ち上がってこう言った。
「これで長宗我部家の再興を認めていただけますね」
これを聞いた房家は涙した。千雄丸の覚悟と自分の浅はかさに対する涙である。そしてこう言った。
「必ずや長宗我部家を再興させる。そのためにはいかなことも惜しまぬ」
「ありがたき幸せ…… 」
そう言って千雄丸は意識を失った。それを庭に降りた家臣達が抱き留める。残っていた家臣もいつの間にか降りていた。この長宗我部主従の姿に房家は再び泣く。
「あれが真の主従よ」
ここで房家は本気で千雄丸を助けることを誓うのであった。
二階から飛び降りた千雄丸は僅かな怪我こそしたものの無事であった。兎も角千雄丸は長宗我部家再興に臨む決意と覚悟をすさまじい形で見せつけたのである。あれ以来一条家臣の中で千雄丸を軽んじるものはほとんどいなくなった。むしろ敬意をもって接するものが大半である。
房家は後日千雄丸を呼び出して改めて言う。
「先だってのこと、見事である。長宗我部家の再興、この一条房家が約そう。ここにその旨を記した朱印状もある。持っておれ」
「ありがたき幸せにございます」
「だが今すぐは難しい。本山らを説き伏せねばならんのでな。それにいくら勇猛であろうとそなたはまだ幼い。しばらくは中村で様々なこと学び立派な当主となるのだ」
「承知しました。房家様がそうおっしゃられるのならば従いましょう」
「うむ。よく学びよく鍛え立派な武士となるのだ。そなたなら成し遂げられよう」
房家は千雄丸を気に入っていた。
「(できれば手元に置いて一条の家を支えてもらいたいものだな。いや、手元のおけるほどの小さき器でもないか)」
そんなことを考える房家だがそれが出来そうにないことも理解している。それだけが少しばかり残念な房家であった。
千雄丸は房家から長宗我部家再興を約した朱印状を家臣たちに見せた。
「これで皆の行く末も万事問題ない」
そう言って笑う千雄丸の姿に長宗我部家臣たちは涙した。それは千雄丸の行いに対する感激の涙である。そして幼い主君にあそこまでの無理をさせてしまった自分たちのふがいなさに対してのものでもあった。
長宗我部家家臣一同は改めて千雄丸に忠誠を誓う。
「我ら家臣一同どこまでも千雄丸様について行く所存です。この命どうかご自由にお使いください」
「そうか。分かった。必ずや長宗我部家を復興させお前たちの忠義に応えよう」
千雄丸も家臣たちの覚悟を真摯に受け取った。ここで長宗我部主従は改めて一つになったのである。
その後千雄丸は房家の庇護の下で立派に成長して行った。千雄丸は房家のものと学び鍛え立派に成長していく。そしていつか来る長宗我部家の再興を見据えて日々を過ごすのであった。
話の都合上しっかりとした感じに書きましたがこの話の千雄丸はどんなに年長でも十代、下手をすれば一桁の年齢でした。そんな幼子が二階から飛び降りるというのは勇敢を通り越して危険極まりない行為です。それだけ当時の千雄丸の立場が切迫したものであるということの証でしょう。結果的にうまくいったとはいえ、相当な当時の千雄丸の悲壮感を感じぜずにはいられません。
さて千雄丸の行動の結果もあって一条房家は長宗我部家の再興を約束しました。次の話では一体どのようなことが待ち受けるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




