長宗我部国親 野の虎 第一章
土佐(現高知県)の武将長宗我部国親の物語。土佐は山と海に囲まれている隔絶された土地である。ここに後に野の虎と呼ばれる男が現れた。その人生はまさしく激動といえるものであった。
土佐(現高知県)は古くは罪人が送られる流刑地であった。堅牢な山と海に囲まれたいわば陸の孤島でもある。室町時代には管領を務める細川家が守護を務めていたが、彼らは在京していたし守護代もそれに付き従っていたので幕府の権力が介在しにくい特殊な土地であったといえる。
こうした情勢に変化があったのは応仁二年(一四六八)のことである。以前に関白を務めていた一条教房は応仁の乱の戦火を逃れ奈良にいた。しかし父も奈良に逃れてきたので自分の宿所を譲ることにする。
「しかし京に帰るわけにもいかん。さてどうするか」
悩んだ教房は思い切った判断をした。それは一条家の領地であった土佐の幡多荘に下向することにしたのである。周囲のものは心配したが教房は気にしなかった。
「どこもかしこも戦で危ない。いっそ山に囲まれた土佐の方が存外安全であろう」
そう言って教房は土佐に下向した。そして西部の中村にある屋敷に入る。
教房という人物は人望があったのでともに下向する公家や侍もいた。また人柄の良さか在地の領主たちからも慕われ一条家は土佐に大きな勢力を作ることに成功したのである。
さて一条家は中村を中心に土佐の西部を支配した。一方で中部から東部は土佐の在地の領主たちが割拠して支配している。この領主たちを土佐七雄といった。
土佐七雄は本山家、吉良家、安芸家、津野家、香宗我部家、大平家、そして長宗我部家の七家である。彼らは相互で睨み合いながら自分の領地を独自に支配し続けた。一方で一条家を上に置き従う姿勢を見せている。この頃の土佐は西部が一条家の穏やかな支配のもとに統一されていたのに対して、中部、東部は七雄たちによる群雄割拠の時代といえた。
永正元年(一五〇四)七雄の末席、長宗我部家に一人の男が生まれた。名は千雄丸。後に野の虎と称される男の誕生である。
千雄丸の父は長宗我部兼序といった。兼序は七雄の末席であった長宗我部家を土佐随一の勢力にしようという野望の持ち主である。そして知勇兼備の将でもあった。
「長宗我部家が大きくなれば、仕える者たちや領民たちの生活も良くなろう。そのために私は粉骨砕身務めて見せる」
こうした兼序の姿勢は家臣たちに支持され信望を集めた。そして兼序もこれに応えるべく奮闘する。
「家を大きくするためには後ろ盾が必要だ。一条家はもちろん守護の細川政元様の庇護も得なければならぬ」
兼序は一条家との交流を深めるとともに土佐の守護である細川政元とも交流した。政元は幕府の政務をつかさどる管領であり当代随一の有力者である。無論そう言う立場なので土佐にはおらず在京していたため兼序は主に文章でやり取りをしていた。政元としても遠隔地の領地に自分に従順な者がいるというのはありがたいのか兼序を色々と後援している。この結果長宗我部家は以前よりも強くなりつつあった。これに家臣たちは兼序に感謝し兼序も自分の功績を自負するようになる。
「長宗我部家が大きくなったのは私のおかげ。そうか。私はほかの者とは違うのだ」
有力者である政者と後ろ盾を持つ兼序はその権勢を生かして当面の敵である香宗我部家の分家の山田家との戦いを優位に進めた。
「私は政元様の意で動いているのだ。ほかの者は従うのが道理である」
こうした兼序の行動は周囲の反感を買った。七雄は相互に監視し時に同盟して助け合う間柄である。だがそれを無視して勢力を広げる兼序の存在は疎ましかったであろう。
また兼序は時が進むにしたがって傲慢になり始めた。政元の権威を自分の力と勘違いし家臣や領民にも傲慢にふるまったのである。
「私が長宗我部家を大きくして皆を救っているのだ。皆が私を敬うのは当然のこと」
こうしておごり高ぶる兼序から徐々に家臣や領民の心は離れていく。そんな状況下で千雄丸はこの世に生を受ける。不幸にも父の作り出した業を背負って生まれる羽目になったのであった。
千雄丸が物心つく頃の長宗我部家はあまりいい空気とは言えなかった。当主である兼序はいよいよ傲慢になり周りを見下して話を聞かない。千雄丸は一応大事には扱われていたが、それも兼序にとっては自分の跡継ぎだからである。
「お前は私の築き上げた物を守るために生まれたのだ。それをよく覚えておけ」
一方で家臣たちの兼序への不満も積もりに積もっていた。
「兼序様は昔の聡明さを失われてしまった」
「さよう。政元様の威を借りて傲慢にふるまうばかりか戦ばかりして民たちに負担をかけてばかりいる。これでは家の存続も危ういぞ」
「そうだな。他の領主の方々も兼序様を嫌っているらしい。今は政元様の後ろ盾があるがもしそれが無くなれば…… 」
「その時はその時だ。少なくとも兼序様と共に死ぬ理由は無かろう」
家臣たちは隠れてそんなことを話し合っていた。
千雄丸は聡明な子供であった。だから自分の周囲に流れる不穏な空気を敏感に感じ取っている。そしてその原因が自分の父親なのだという事も感じ取っていた。
「わたしが大きければ皆を助けてあげられるのに」
幼いながらもそんなことを言う千雄丸。一部の家臣はそうした千雄丸の思いを真剣に受け止めていた。
「ともかく千雄丸様が大きくなられるまでは耐え忍ぼう」
そう決意を固める家臣も少なからず存在した。それもあってか長宗我部家はかろうじて一つの形を保っているのである。
永正四年(一五〇七)天下を揺るがす大事件が起きた。何と管領細川政元が後継者問題のもつれから暗殺されてしまったのである。この後畿内は政元の後継を巡り長きにわたる騒乱に突入した。
政元暗殺の報は兼序の耳にも入った。その時の兼序の衝撃は計り知れないものであったであろう。自分の最大の後ろ盾が突如として亡くなったのだから。だが兼序は取り乱したりはしなかった。
「まだ私には一条家とのつながりがある。ほかの者共もすぐには敵対などしないだろう」
兼序はまだ自分の立場が盤石であると考えていた。無論それは心得違いであることをすぐに思い知ることになる。
永正五年(一五〇八)長宗我部家の攻撃を受けていた山田家は、土佐七雄の一家である本山家の誘いを受けて同盟を結ぶ。さらに大平、吉良家などもこの同盟に参加した。彼らの目的は長宗我部家の排除である。
「これまで管領の威を借りて好き放題振舞ってきた報いを受ける時が来たのだ」
本山家は土佐七雄の筆頭的な立場である。それだけに兼序の振る舞いに一番怒りを抱いていた人物であった。この同盟を主導したのは長宗我部家の排除のため、そして本山家の地位をゆるぎないものにするためである。本山家の当主の実茂は兼序に負けない野心の持ち主であった。
「土佐は我ら本山家が手に入れる。一条家もいずれは打倒して見せよう」
そんなことを考えている実茂である。そのためにはまず土佐七雄をまとめる立場にならなければならない。そしてそれを成し遂げるために兼序はちょうどいい存在であった。
「まずやつを討って七雄の筆頭であることを内外に示す。いずれは皆俺の下に置いて見せようぞ」
野心を胸に長宗我部家に狙いを定める実茂であった。
本山家ら同盟を結んだ領主たちは兵を引き連れて長宗我部家の居城である岡豊城に攻め寄せる。これに対して兼序は自ら打って出て迎撃した。
「本山ごときの者どもが数を揃えたところで如何ほどのものか」
兼序は知勇兼備の将とたたえられた男である。見事な用兵で向かってくる敵を打倒して行った。
「恐れるに足らん者どもだな。いくら来ようとも恐ろしくはないわ」
実際緒戦で兼序達長宗我部家の人々は勝利を重ねた。しかし敵は多勢である。そもそも少し長宗我部家が大きくなったからといって、土佐七雄の一人一人の勢力はそれほど変わらない。それが同盟を組んで向かってくるのだから兵力差があまりにも違った。勝利をするも敵は徐々に城に迫ってくる。この状況にはさすがの兼序も慌てた。
「こうなれば一条様に援軍を求めよう」
兼序はこの状況を打破するべく一条家に援軍を求めようとした。しかし色よい返事は来ない。実際のところ政元の威を借りて傲慢にふるまっていた兼序の存在は、一条家にとっても目障りなものであった。また一条家としては七雄がお互いにけん制している状態で自分の傘下に入っているというのが理想的な状態である。それを乱した兼序に肩入れする必要もない。何より土佐の安定を考えると多数派である本山家らの反長宗我部家の同盟と敵対するのは何の利点もないものであった。
そう言う事情もあり一条家は長宗我部家を見捨てる判断を下す。
「己のお家の安寧の為に我らを見捨てるつもりか」
怒る兼序。しかしそもそもは兼序が政元の威を借りて好き勝手にふるまっていたのがそもそもの原因である。筋違いの怒りといえた。
こうして味方のいなくなった長宗我部家はいよいよ岡豊城まで追い詰められた。そして同盟軍は城を包囲し持久戦にかかる。彼らも兼序の強さは知っている。うかつに力攻めして損害を出すより、包囲して確実に落城させるのが上策といえた。
包囲され見方もいない岡豊城の士気は見る見るうちに衰える。こうなってくると家臣たちも自分の身の安全を考えるようになる。
「こうなってはもはや勝ち目はあるまい。だが兼序様と心中するのはごめんだ」
「左様。こうなったのも兼序様に責がある。我等は自分の生き残るための道を探すとしよう」
そう考えた家臣たちはひそかに同盟軍と連絡を取り降伏していった。その数は少なくない。家臣たちが離反していくのを見て兼序はいよいよ終わりの時を悟る。ついでに自分の過ちも悟った。
「そもそもは家のため家臣のため民のため。そのためだったの言うのに。それを忘れて暴虐無人の振る舞いを見せたのだからこれも当然のことか。何故早く気付かなかったのだ」
ここにきて初心を思い出した兼序。だが時はすでに遅すぎた。
「もはや私が助かる道はあるまい。だが長宗我部の家を終わらすわけにはいかない」
ここで兼序は覚悟を決めた。そして千雄丸を呼び出す。自分にできる最後の務めを果たすために。
千雄丸は驚いた。何故なら目の前の父は今まで見たこともない表情をしていたからだ。今までの傲慢な顔ではない。威厳と責任感にあふれた表情であった。そして千雄丸ともども呼び出された家臣たちも兼序の表情に驚いている。
「まるで昔日の兼序様のようだ…… 」
誰かが思わずつぶやく。それを聞いた兼序は自嘲気味な表情を浮かべるものの怒りはしなかった。そして千雄丸をまっすぐ見据えるとこう告げる。
「もはやこれ以上の戦は無用。敵は我らを上回る。最早勝ちなどありえん」
家臣一同目を伏せた。皆同じように考えていたが当主である兼序自らの発言となると重みが違う。改めて敗北をかみしめるしかなかった。千雄丸はまだよくわかっていなかったが其の場が包まれる悲しみにはなんとなく勘づく。
それから兼序は千雄丸と家臣たちにこう言った。
「本山たちは長宗我部を滅ぼしその領地を奪うつもりだ。だがそれだけは避けねばならんたとえ負けてもだ。そこでお前たちはこれよりこの城より出て一条様の下に逃れるのだ」
この発言に驚く家臣たち。一方千雄丸はこう疑問を口にした。
「父上はどうなされるのですか」
これに兼序はこう答える。
「私はこの城と共に運命を共にする。奴らの一番の狙いは私だ。私が居れば奴らを城に釘付けにできる。そうすればお前たちが逃げ延びるときも稼げよう」
そう決意を口にする兼序の表情はすがすがしいものであった。しかし千雄丸は納得できない。
「逃れるのならば父上も」
「それは出来ん。さっきも言った通り奴らの一番の狙いは私だ。私がお前たちと共に逃げれば確実に追手がかかる。だがここで私がとどまれば目はこちらに向く。それに家をここまで追い詰めたのは私の積だ。それを償わなければならん」
そう言ってから兼序は千雄丸の肩に手を置いた。
「これよりはお前が長宗我部の主だ。家臣と民を慈しみ、長宗我部家を再興してくれ」
「父上…… 」
「後は頼んだぞ。皆、行け」
兼序の命と共に家臣たちは千雄丸を連れてその場から去る。千雄丸は最後まで兼序に縋ろうとしていたが引きはがされて連れていかれた。残された兼序は自嘲気味に笑う。
「一人で城と共に死ぬ、か。私にはふさわしいな」
兼序は一人で自害の準備を進める。すると何人かの家臣が戻って来た。驚く兼序に家臣たちはこう言う。
「主を一人で死なせれば我らも侍の面目がたちませぬ」
「話し合って千雄丸様の供をするものと兼序様の供をするものとに分かれました」
「最後は共に遂げましょう」
「お前たち…… 」
家臣たちの心遣いに兼序は泣いた。そして
「このような最期を迎えることになった。しかし本当の最期だけは見事に遂げようではないか」
といって見事に自害を遂げる。家臣たちもそれを追い、自害していった。
こうして長宗我部家は一時の滅亡を遂げる。だがまだ千雄丸は生きている。強い決意を秘めた幼い虎が野に放たれたのであった。
この話を作るにあたって改めて土佐のことも調べたのですが、想像以上に特殊な土地でした。四国の他の国は本州や九州に海峡を隔てて接していてそこの戦乱の影響を必然的に受けることになります。ですが土佐はその立地から周囲の影響を受けず、さらには堅牢な山々の存在もあり他国とのかかわりも薄くなります。海を面してはいますがまさしく陸の孤島ともいえる特殊な地域なのだと改めて知りました。こうしたのも執筆作業の楽しみの一つではありますね。
さて、いきなり父と城を失うことになった千雄丸。果たしてこの後どのような運命をたどるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




