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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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木沢長政 悪人 第四章

 思わぬ形で仇敵たちを葬った長政。これでいよいよ順風満帆な道が開かれる、そう思った。だがしかし長政の前に想定外の脅威が立ちはだかる。

 木沢長政は一向宗の援軍のおかげで窮地を脱した。細川晴元も足利義晴との和睦を邪魔する者たちがいなくなり満足である。

「晴元様のおかげで事なきを得ました。ありがたく思います」

「なんの。それより木沢よ。これよりは私は管領だ。忙しくなろう。頼りにしているぞ」

 すっかり気が緩んだ二人である。だがそこに驚くべき報せが入った。

「一揆が解散していない? 」

 それは一向一揆がまだ解散していないという情報であった。一揆は元長を打ち倒した後も解散せずにそのままでいる。

「証如殿は何を考えているのだ。もはや一揆の務めは果たしたというのに」

 不思議に思う長政。晴元も同様である。だが二人は知らなかった。証如は元長を討ち取った時点で一揆に解散を命じていたことを。そしてそれが無視されていたという事を。

「晴元様。あんな大軍。好き勝手に動けば大変なことになりますぞ」

「全くだ。兎も角証如殿に早く一揆を解散させるように頼もう」

 この時の二人にまだ危機感はない。だがもうすでに破滅的な事態が始まろうとしていたのである。


 法華宗の最大の庇護者といえた三好元長を排除した一向一揆。この結果を受けて一揆に参加している門徒たちの中からこんな声が上がり始めた。

「これだけの者が一向宗の名のもとに集まったのだ。これはもはや他の宗派を打ち倒し一向宗を唯一の仏の教えにしてしまえという事なのでは」

「さよう。その通りだ。我らの力で一向宗の教えを広めていこうではないか」

 この考えに門徒たちは賛同し結束した。そして暴走を始めるのである。

 元長を打ち倒してから一月弱の後、一揆は大和(現奈良県)に侵攻し興福寺を攻撃した。さらに春日大社にまで攻め込んで大暴れする。

 こうした動きにもちろん証如も一揆を何とか静止しようとする。しかしもはや制御できる状態になく巨大な暴動となった一揆を眺めることしかできなかった。

 一方で晴元や長政も慌てていた。何せその数二十万ともいわれる一揆が制御不能のまま暴れまわっているのである。幕府はそのお膝元といえる畿内の平穏を保つのも仕事である。これを放置したままでは幕府の、ひいてはその重要ポストである管領に内定した晴元の沽券にもかかわる問題であった。

「一揆が暴れまわっていては京にも入れん。私が管領に正式になることもできん」

 この時晴元はまだ堺にいた。元長討伐後の処理が色々と残っていたからである。義晴との和睦も正式に整いつつあったがこの状況ではおちおち京に入ることもできなかった。

「長政よ。この件は貴様がどうにかするのだ」

 晴元は対応を長政に任せた。内心嫌でしようがない長政であるが従うほかない。

「しょ、承知しました」

 こうして長政は暴走する一向一揆への対処にあたることとなる。


 対処を任された長政だがさっそく困った。今の幕府や従う大名たちに一向一揆の二十万ともいわれる大軍をどうにかする力はない。一応大和に侵攻した一向一揆は大和の領主たちに撃退されて多少は戦力が減っているがそれでも大変な大軍には変わりない。さらに晴元が一揆を排除しようと動いていることを知った証如は一揆の行動を追認し晴元と対決する姿勢を見せた。

「晴元様もとんだ厄介ごとを引き起こしたものだ」

 そう愚痴る長政だがその厄介ごとで命を救われたのはほかならぬ長政である。尤もそんな自分に都合の悪いことなどすでに長政は忘れていた。何より今は目の前の厄介ごとをどうにかしなければならない。そして長政はある策を思いついた。そして晴元の家臣で強い権力を持つ茨木長隆に相談する。長隆は政長と近く元長と反発していた人物であった。そして元長の死後は晴元の家臣の中で高い地位を得ている。今回の騒動でだいぶ得をした人物であるがそれだけにこの現状には苛立っていた。

「何か一揆の者どもを排除する策でも思いついたのか」

「はい。ですがこの策には山城にも影響力を持つ長隆殿のお力が必要なのです。長隆殿のお力がなければ成し遂げられませぬ」

 こう言われて悪い気がしない長隆であった。無論こうした反応も長政の思い通りである。

「どんな策だ」

「坊主どもや門徒どもとの戦に我らの力を使うのは愚かです。それに奴らはほかの仏門を目の敵にしている。それを快く思わないものもいるわけです」

「なるほど。そういう事か。元長めの死にざまを利用するのだな」

「いかにも」

 そう言って二人はにやりと笑う。そして長政は言った。

「法華宗との交渉はお任せしてよろしいか」

「そうだな。当事者のお前が出向いては差しさわりがあろう。任せよ」

「承知しました。ではこの策を晴元様にお伝えしてきます」

 そう言って長政は長隆の下を去る。そして晴元に考え付いた策を伝えた。策を聞いた晴元は驚く。

「法華宗にも一揆をおこさせるだと! 」

「はい。法華宗の者どもは元長を一揆に討たれて怒っております。それを利用するのです」

「だが我らも恨まれているはずだ」

「それについては問題ありませぬ。晴元様が要請したのは飯盛城への援軍。元長を討てとは言っておりませぬ」

「なるほど。一向宗が勝手にやったことだという事にするのだな」

 長政は答えずにやりと笑った。晴元も笑う。これでこの策は実行されることとなった。


 長政の策の下で本願寺への包囲網は整いつつあった。茨木長隆による法華宗への説得もうまくいっているらしい。

「しきりに元長の仇を取れといっているらしいな。全くとんでもない奴だ」

 長隆は元長と対立していた。そのため政長に与して晴元と元長の離間策を積極的に支援していたらしい。その結果晴元は元長と決別し一向宗への援軍要請につながっているわけである。いうなれば長隆も元長戦死の一員といえる立場であった。それを隠して法華宗と交渉しているのだから本当にとんでもない男である。

「晴元様は六角家との交渉に入ってくれたようだな。まあこれはうまくいくだろう」

 長政は先だっての晴元との会談で、六角家に協力を要請するように頼んだ。六角家の当主の定頼は晴元と縁戚関係にある。何より一向宗を嫌っていた。畿内で随一の実力者ある六角定頼が味方に付いてくれれば戦況もだいぶ有利になる。

「一揆の連中も大和で敗れて弱っている。何よりあの大軍はそう長く維持できるものではない。こちらの体制が整えば一気にとどめを刺せるはず。だが油断はできんな。一応堺の防備を固めておくか」

 何が起こるかわからないというのは長政もよく理解している。ここで慎重になるのは悪いことではない。自分のためには万全の準備をしておきたいと考えるのが長政である。

 

 三好元長の戦死からおよそ二カ月後、元号は享禄から天文に変わった。そしてそれに合わせるかのように一向一揆が堺に向かって攻め寄せてくる。

「まさか本当に向かってくるとはな」

 長政はこれを迎撃するために向かった。京の時のように逃げ出さなかったのは堺に晴元がいるからである。それに加え一揆の現状もあった。

「大和に攻め入ったときは元長を倒した勢いがある。しかし今は大和から追い出され勢いもだいぶそがれた。ならばやりようはある」

 攻め寄せてくる一揆勢に対して長政は正面から戦わず翻弄するように動いた。そして勢いがそがれたのを見て攻めかかる。すると一揆はすぐに撤退した。

「もうすでに元長を討った時の勢いはない。これは勝てるな」

 このとき法華宗の一揆も集結し京にある一向宗の寺院を攻撃していった。さらに六角家と合流し山科にある一向宗の本拠地である山科本願寺を攻め落とす。さらに晴元も堺から出陣し大坂の一向宗の拠点を攻撃していった。

「これは良いな。もはや勝ちは決まったようなものだ」

 一向宗は追い詰められているように見えた。実際長隆の調略もあり一向宗に協力していた摂津(現大阪府北部及び兵庫県南部)の領主たちが皆晴元に従う姿勢を見せている。だがその動員力は健在であり、大坂の寺を新たな本拠地である石山本願寺として徹底抗戦の構えを見せていた。

「とっとと降伏して念仏でも唱えていればいいものを」

「全くです。晴元様」

 長政も晴元も勝利を確信し気が緩んでいた。だが一向宗は細川高国の弟の晴国や元長に味方していた波多野元清など連携し攻勢に出る。そして天文二年(一五三三)には堺に攻め込み晴元を淡路(現兵庫県淡路島)に追いやってしまった。命からがら脱出した長政は法華一揆と合流すると逆襲を試みる。

「確か今は摂津の伊丹城を包囲しているはず。急いでそこに攻めかかれば巻き返せる」

法華一揆を従えた長政は伊丹城に向けて進軍した。そして城を包囲している一向一揆に攻めかかり撃退する。これで再び一向一揆の勢いは削がれた。

「あとは晴元様が戻ってくれば形勢は元に戻るはず」

 実際この一カ月後に晴元は淡路から摂津の池田城に帰還した。これで劣勢は覆せたが逆転までには至らず戦況は膠着状態に陥る。すると晴元はこんなことを言いだした。

「どうにかして和睦できないか」

 淡路に追われたことが聞いているのか晴元はすっかり厭戦気分になっていた。これには長政も長隆も政長もこれには困り果てる。

「晴元様はすっかりやる気がないようだ。どうしたものか」

「そもそも晴元様は管領の職にしか興味がない。そこだけは変わらん」

「向こうも和睦の気分らしい。しかし一向宗と和睦するといっても我らには伝手がないぞ」

 悩む三人。すると長政はあることをひらめいた。

「もしやすると…… 和睦出来るかもしれん」

「本当か木沢。だがそんな都合のいい方法があるのか」

「ああ、ある。要は元々あいつらが何で戦ったのかという事だ。その理由を利用する」

 そう言って長政はあくどい笑みを見せる。そして長隆と政長に和睦の策を説明した。すると二人もあくどい笑みを見せる。

「なるほど。ならば儂が動こう」

「ああそうだな。政長殿が一族の者に銘じれば連れてこられる。晴元様には私が話しておく」

「ならばそのように。ああ、長隆殿。俺の策だという事も伝えておいてくださいよ」

「ああ、わかっている」

 こうして三人は一向宗との和睦に向かって動き始める。その方法は意外過ぎるものであった。


 伊丹城の攻防から数か月後、一向宗との和睦が成立した。この仲介者となったのが三好元長の遺児である千熊丸である。

「本当にうまくいった。元長も死んでようやくに俺の役に立ってくれたな」

 長政はほくそ笑む。ここまで順調に事が進むとは、とまで思っていた。

 今回の和睦が成立したのは千熊丸の存在が大きい。千熊丸からしてみれば一向宗は父の仇である。しかも本来なら元長の討伐は晴元の要請に入っていない領分であった。この点に関してみれば千熊丸は一向一揆の被害者といえる立場であった。長政はそこを利用した。つまりは争点を一向宗一揆の暴走とそれを鎮圧する武家や法華宗との戦いというものから、元長討伐の独断行動に関する物に移したのである。一揆の人々はともかく一向宗の指導者である証如からしみれば元長討伐以降は完全に暴走であったのだから確かに非がある。しかし最大の敵である元長を討てているのだから最低限の目的は達成できていた。そこに元長の息子から

「遺恨は忘れ戦を辞めましょう」

と頭を下げられれば一揆の人々にも面目は立つ。何よりこれ以上の戦いが一向宗に不利益しか与えないというのは日の目を見るより明らかであった。

 証如は和睦を受け入れ一揆も解散する。彼らもこれ以上の戦いは意味がないと悟っていたのだろう。こうして和睦は成立し、一向宗との戦いも終わった。

 千熊丸は和睦が終わると阿波に帰ることになった。そもそもまだ十一歳の少年である。実際の和睦の手続きに関われるはずもなく仕事といえば頭を下げるぐらいであった。尤もそれでかなり大きな役目は果たしたのだが。

「(まあ、これでひとまずは用済みだな)」

 長政としてみればもはやどうでもいい存在である。三好家のことは政長にでも任せておけばいい。そう考えていた。だが千熊丸は阿波に帰る前に長政の前に姿を現す。そしてこう言った。

「どうか木沢様のお力をお借りしたく思います」

 そう恭しく頭を下げる千熊丸。流石に長政も戸惑った。

「某の力を借りたい、とは」

「はい。父は晴元様に背き命を落としました。これは主君に逆らったのだから致し方ないと私も理解しています」

「ほう」

 長政は驚いた。あの元長の息子だから嘘は付けないぐらい愚直であろう。ゆえにこの言葉は真実だと考えられる。つまりあの件については元長が悪かったと息子自ら認めたのだ。

「(存外、わかっている、のかもしれんな)」

 元長の死については完全に権力争いの産物で、しかも元長に非はない。しかしそれでも元長が悪かったと言っているのは長政を責める気はないと言っているようなものである。だがそれはなにがしかの条件を伴っているのだろうと長政は見た。

「何が望みだ」

 長政がそう尋ねると千熊丸はこう答えた。

「晴元様にお仕えしたく思います。父の罪を晴元様の下で働くことで償いたいのです」

「なるほど、そうか…… 」

 そう言って長政は考えるふりをした。元より答えは決まっている。

「分かった晴元様にお伝えしておこう。期待して待っておれ。何なら証文も書いてやる」

「ありがたき幸せ…… 」

 そう言って千熊丸は感涙した。そして長政から証文を受け取ると帰って行く。残された長政は笑いが止まらなかった。

「ちょうどいい。ゆくゆくは政長殿ともやり合うかもしれん。いい駒が一つ手に入った」

 現在でも元長を慕うものは多い。だがその息子を細川家に復帰させれば戦力になる。そしてそれを成し遂げた長政の評価は上がる。もし元長を慕っていた者たちが恨みを募らせても政長が首謀者だと言えばいい。自分は千熊丸を復帰させた立役者なのだからそこはごまかせる。長政はそこまで計算していた。

「なんとも順風満帆か。笑いが止まらんな」

 上機嫌で長政は高笑いをあげるのであった。

 そして一向宗との和睦の翌年の天文三年(一五三四)に千熊丸は細川家に復帰し、元服して名を長慶と改める。

「すべて長政さまのおかげです」

 そう言う長慶を前に長政は笑いをこらえるので必死だった。ゆえに長慶の真意を見抜けない。そしてこれが長政の運命を決定づけることになる。


 戦国時代の民衆というのは多くが武装をしていて自らの身を守っていました。またこの時代にはまだ僧兵も存在しています。一向一揆や法華一揆はそうした人々が一丸となって武双蜂起するわけですから大名を始め多くの権力者にとっては凄まじい脅威であったわけです。一向一揆には様々な戦国大名が苦しめられましたがそれもうなずけます。長政たちの取った一向宗と法華宗の武力をぶつけ合うというのは存外正しい戦略であったのかも知れませんね。

 さて一向一揆との戦いも終えた長政はさらなる権力を手にするため新たな行動に出ます。一体何をするのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

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