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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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太田資正 道 第二話

 主家を失い味方にも裏切られた太田資正は仇敵の軍門に下った。この恥辱を噛みしめながら資正は先の見えない己の道を進む。そして道の先に光がさしたとき資正の新しい戦いが始まる。

 北条家に下った資正はそのまま岩付城を任された。こうした処理は珍しくなく資正の太田家に限ったことではない。この時代の関東には大名というほどではない規模の勢力が乱立していた。こうした勢力にたいし領地を保証して配下に加えるというのが北条家などの大勢力の定石である。

 一方で北条家は太田家に特別な扱いをしようという思惑も見えた。それを感じさせる出来事が資正、そして太田家に舞い込んできた。

 その婚儀を資正は複雑な感情で見ていた。夫となる男は資正の長男、資房である。そして妻になるのは何と北条氏康の娘であった。

 この縁談が持ち掛けられた時資正は心底驚いた。

「氏康殿の娘を資房の妻にだと!? 」

 それはそうだろう。自分は扇谷家臣として主家が滅んだ後も抵抗した男である。そんな男のもとに自分の娘をやろうというのだ。

「それだけ太田殿のことを頼みにしているのでしょう」

 北条家からの使者はにこやかに言った。その笑みが資正には胡散臭いものに見える。もっとも使者は縁談の理由がそれだけではないのがわかっているし、資正だって北条家に別の思惑があるのはわかっていた。

「それではよい返事を期待しています」

「ああ。わかった」

「では失礼いたします」

 使者は慇懃に礼をすると去っていった。資正は使者を見送りながら一人考える。

「(やはり扇谷家臣の取り込みを画策しているという事なのか。それにしても思い切ったことをする)」

 実際北条家の傘下には旧扇谷家臣も多い。それらへの取り込みの一環としての懐柔策なのだろうが、やはり縁組というのはなかなかに破格の扱いではある。

「(それだけ我々が重要という事か? いや、重要なのは城か? どちらにせよ警戒は必要だな)」

 資正はいまだに北条打倒の宿願を胸に秘めている。だから北条家がいくら懐柔しようとも心を許さないつもりだ。しかし

「(北条に心を寄せる家臣も多い。その者たちは喜んでいるのだろうな)」

という心配事があった。下手に今回の誘いを断れば資正は家中で孤立してしまうかもしれない。もっと状況が悪くなれば強制的に隠居、最悪、殺される可能性もある。

 後日、資正は北条家に返答した。

「この度の婚儀。承知いたしました」

 苦渋の決断であったが仕方がない。資正はそう考えた。

「(今は生き残ることだ。それしかない)」

 宿願を達成するためには死ぬわけにはいかない。そのためには宿敵の傘下に甘んじよう。今回の婚儀は資正の決意を一層、強くするのであった。

 だがその一方で考えることがある。それは目の前で契りを交わす若い二人のことだった。

「(この先どのようなことになっても二人にはつらいことになろうか…… )」

 資正は複雑な視線を二人に向けながら、そんなことを考えていた。


 さて、北条家臣時代の資正は不本意ながら北条軍の一翼を担った。特に常陸(現茨城県)の方面で活躍したようで北条家の重臣の遠山綱景と共に奮戦した。

 一方で資正は当然打倒北条の志を捨てていない。資正は北条家臣として働きながらも情報収集を怠らず反北条勢力の動きを入手していた。しかし入ってくる情報は芳しくないものばかりである。

 例えば安房、上総の大名である里見氏は下総をめぐって北条家と対立していたがこのところは劣勢に立たされている。河越合戦で扇谷、山内家と共同戦線を張った古河公方は北条氏康の甥、足利義氏が跡を継ぎ北条家の後ろ盾になってしまった。一応前古河公方足利晴氏とその息子の藤氏は北条家に反抗しているが芳しくない状況である。

上野に追い込まれた山内上杉憲政は越後(現新潟県)の守護代長尾景虎のもとに逃げ込んだきりであった。長尾景虎は上野の北部で北条家と小競り合いをしているがそれ以上の動きはない。正直この状況では手の打ちようが無かった。

「どうしようもないな…… 」

 正直資正の心は折れかけていた。息子も家臣たちも北条家の傘下で戦うことに何の疑問も抱いてはいない。資正だけが現状に不満を抱いているがそれでどうにかできるわけでもなかった。

 そんなふうに資正の心は沈んでいた。だがそんな資正を歓喜させる事態が起きる。それは長尾景虎の関東出兵であった。


 長尾景虎は越後守護代長尾家の当主である。長尾家は関東にも何家も存在し皆上杉家に仕える立場であった。越後長尾家も越後守護の上杉家に仕えている。尤も越後守護の上杉家は天文一九年(一五五〇)に当主が死亡し断絶していた。

 北条家が勢力を広げる最中、山内上杉当主上杉憲政は景虎に何度も救援要請を送っていた。とは言え当時はまだ景虎は越後を掌握していない。そのため憲政の要請には答えることができなかった。

 結局憲政は景虎の救援まで耐えることができず上野から越後に逃げ延びた。このころには景虎も越後を掌握できていたので越後と上野の国境まで兵を派遣する。しかし憲政を助けることはできなかった。天文二一年(一五五二)のことである。

 景虎はこの時期隣国の信濃(現長野県)をめぐって甲斐(現山梨県)の武田晴信と何度も戦いを繰り広げていた。いわゆる川中島の戦いである。そして三度目の戦いの直後、弘治三年(一五五七)上越国境付近に潜伏していた憲政が越後に亡命してきた。ここで景虎は本格的な関東出兵を決意しその準備を始めるのである。そして永禄三年(一五六〇)憲政の要請に加え里見氏からの救援要請も受けた景虎はついに関東出兵を実行に移したのである。

 資正は北条家の傘下に属しながら秘密裏に長尾家と連絡を取って出兵を要請していた。この八方ふさがりの状況を打破するには景虎の関東出兵しかないと資正は考えていたのである。そしてついに出兵となった。

「ついに…… つにこの時が来た…… 」

 景虎出陣の報を聞いた資正は泣きそうになった。それほど嬉しい知らせである。

「この十年を超える歳月。生き恥をさらしてきた甲斐があったというものだ」

 これまでの日々を思い出せばいよいよ泣きそうになる資正。だがすぐに気を引き締める。

「まだこれで終わりではない。むしろこれからだ」

 資正はそう気を引き締める。実際景虎出陣の報を得てから太田家は騒然となった。とにかく資正は景虎の動きを窺いつつ家中を纏めるのであった。


 さて景虎は越後を出たのち三国峠を越えて上野に入った。そして迅速に上野制圧する。ここに至って旧上杉家臣(扇谷、山内の両方)を始め関東の諸将は景虎のもとに参陣した。中には名代を派遣するだけのものもいたがかなり多くの範囲から参陣している。

 資正は忍城の成田長泰ともどもいち早く参陣した。そして初めて長尾景虎の姿を見る。

「(この男が長尾景虎…… )」

 景虎の体格はそれほど優れてはいない。だがそれを感じさせない存在感がある。さらにその風貌は静かな威厳を感じさせる。総じて威風堂々と言った雰囲気であるが、人によっては傲慢な雰囲気にも感じられた。資正と長泰は後者である。もっともそれで何か資正のやることが変わるわけではないのだが。

 まず資正と長泰は事前に打ち合わせておいた通りに口上を述べる。

「この度は越後よりはるばる出陣していただきありがとうございます」

「上杉家臣を代表して礼を申し上げます」

 資正と長泰は恭しく礼をした。もっともあくまで救援の感謝であって自分たちを景虎の下に置こうという意図はない。第一、家は違えど上杉家臣という立場にそれほど違いはない。

 資正と長泰の挨拶を受けた景虎は無言でうなずいた。そして

「大儀である」

と、一言だけ言う。この反応に資正は面食らった。

「(見下されているのか? )」

 景虎の言い方はどこか目下の者への言葉のようである。確かに資正たちの方が立場は弱いがそれでも言い方というものがあろう。意識しているのかそうでないのかわからないが、どちらにせよあまりいい態度ではない。

 困惑する資正たちを他所に景虎は言った。

「下知があるまでしばらく待て」

 簡潔にそう言うと景虎は去っていった。取り残された資正は呆然とする。

「完全に家臣扱いか」

 景虎の一言で自分たちを見下しているというのがはっきりと分かった。もっとも資正はそれも仕方がないと呑み込む。

「(事実来てくれなければどうすることもできなかったのだからな)」

 資正はため息を一つつくと気持ちを切り替えた。そして今後のことを話し合おうと隣の長泰に目をやる。そこで驚いた。

「成田殿……? 」

 長泰は顔を紅潮させ景虎の去った方を睨みつけていた。それほど景虎の対応が癇に障ったという事なのだろう。

 資正は憤怒の表情をする長泰をみて先行きに不安を抱えるのであった。


 資正がその人となりに若干の不安を長尾景虎であるが、軍事面においては確かな実力を持っていた。それは関東と同等かそれ以上の独立性を持つ越後の国人たちの上に立っているということからも明らかである。そしてその実力をいかんなく発揮し関東の勢力図を塗り替えていった。

 景虎は上野で年を越し永禄四年(一五六一)の二月本格的な北条領への侵攻を始めた。この景虎の侵攻に北条氏康は圧倒され、武蔵の松山城で侵攻を食い止めることをあきらめた。そして本拠地である相模の小田原城まで後退することを余儀なくされたのである。

 これにより旧山内領の一部である武蔵北部は北条家の支配から脱した。これには資正も感無量である。

「ここまで待った甲斐があったというものだ」

 満足げにうなずく資正。だがこれで終わりではないということもわかっている。

「この機を逃さず北条を滅ぼさなければならない」

 景虎の軍勢は越後からはるばる遠征してきた。上野に拠点を確保しているからと言っても長期の在陣は不可能であろう。もしこの機を逃せば北条家が息を吹き返す可能性もかなり高かった。資正にとっては時間との戦いである。

 景虎はこのまま小田原まで向い城攻めを行うつもりのようだった。それについては資正には臨むことろである。しかし気がかりもあった。

「(どうも陣中の雰囲気がな…… )」

 資正が感じていたのは関東の一部諸将が抱く景虎への反発であった。景虎は資正や長泰にしたような態度をほかの関東諸将にとっている。これに対し長泰のように憤るものも多くいた。

「(悪影響を及ぼさなければいいのだが)」

 資正は自身のプライドより北条打倒を取った男である。そのためなら多少見下されても構わないと思っていた。一方で景虎の態度に不満を抱く気持ちもわからないでもない。そしていらぬ軋轢を生んでいる景虎に疑問を覚えないわけでもなかった。

「(もう少し謙虚にふるまえないものか)」

 資正が景虎に抱いているのはそんな感想だった。とは言え今は景虎についていくしか道はないのだが。

 景虎と関東諸将の関係に不安を持つ資正であるがもう一つ不安があった。それは息子の資房のことである。

 ご存知の通り資房の妻は氏康の娘である。そしてこの夫婦は仲睦まじかった。そんな資房が今回の資正の行動に不満を持たないわけがない。当然景虎に着くと決断した資正に資房は反発した。

「父上は氏康さまを裏切るのですか」

 そんな言葉を思い切りぶつけてきた。これを資正は無言で受ける。正直資正も妻の実家を大切に思う気持ちはわかる。だがそれゆえに北条を打倒しようと誓っているのだから悲しい話であった。

 しばらくにらみ合っていた親子だが資正はゆっくり口を開いた。

「北条の打倒は私の宿願だ」

「それに私と妻を巻き込まないでください」

「…… お前の母の家の悲願でもあるのだぞ」

 そう資正が言うと資房は目を伏せた。そこを突かれるのは痛いのだろう。黙ってしまった資房に資正は言った。

「お前の気持ちはわかる。だがここは私に従ってもらう。いいな」

「…… はい」

 資房は不満そうであるが頷いた。資正も険しい顔でうなずく。これでともかく太田家の方針は決まった。

 小田原に向かう道すがら、資正はその時のやり取りを思い出していた。

「(資房にはどの道つらい思いをさせてしまうのであろうな)」

 そう考えると資正の胸は痛い。それは資房の婚儀の時にも感じたことである。だがここで立ち止まる訳にはいかなかった。

 積年の思いを込めた決戦の道すがら資正の心に暗い影が二つあった。そしてこの影はこの後資正に大きな試練として降りかかるのであった。


 景虎率いる大軍勢は小田原城にたどり着いた。そして城攻めが始まると資正は成田長泰と共に先鋒に加わった。

「なんとしてでも決着をつける! 」

 意気をあげる資正だが小田原城はなかなか落ちない。北条家の士気も高かった。もっともこんなことは資正にとっては予測済みである。

「河越城はもっと悪い状況で持ちこたえたのだ」

 かつての苦い記憶を資正は思い出していた。だがそれに苦しむのではなく糧に変えて挑んでいく。しかしこの資正の思いとは裏腹に小田原城攻撃は十日ほどで終わった。これには資正も不服である。

「さすがに短すぎるのではないか」

 資正だって河越城の時のような長期の包囲は考えていない。しかし十日というのはさすがに短い。

 小田原攻めが短期で終わったのはいろいろ理由がある。一つは参陣している関東諸将が長期在陣することへの不満を抱えていたこと。これは河越城を包囲した時も同じようなことがあった。

 他には武田晴信改め信玄への対策などがある。また今回の関東出兵で景虎は旧上杉領の大半を確保した。これは十分成功と言ってもいい成果である。ゆえに無理をしてまで小田原を制圧する必要もないと考えたという事だった。

 景虎は小田原城の攻撃を止めると鎌倉に入った。そして上杉憲政より山内上杉家の家督と関東管領を譲り受ける。そして名を上杉政虎と改めた。さらに氏康と敵対する足利藤氏を古河公方に就任させる。最後に関東武士の心の拠り所である鶴岡八幡宮に参ると越後に帰っていった。

「(これでいいのだろうか)」

 越後に帰る政虎を見送りながら資正は思った。確かに北条家の勢力は大きく減退し後ろ盾である古河公方とも縁が切れかかっている。しかし関東諸将には政虎への不満がくすぶり北条家の後ろ盾である足利義氏も健在であった。資正の得た情報によれば北条氏康は虎視眈々と逆襲の機会をうかがっているらしい。

「本当の戦いはこれからか」

 資正は一人決意する。何とか現状を維持し再び政虎の関東侵攻となれば今度こそ北条家を打倒できるはずだ。そう考えている。

 しかしこの後事態は悪化し資正を追い詰めていく。そしてある悲劇が資正を襲うのであった。


 というわけで長尾景虎襲来編でした。景虎の襲来は当時の関東にとっては大変な出来事で、北条一色に染まりつつあった勢力図を激変させます。

 この後関東の諸将は北条か長尾改め上杉に着くかという難しい判断を迫られ続けます。その中で様々な出来事が起きるのですがそれは別の機会にとっておきましょう。

 さてこの話から資正の息子が登場します。名前が資房となっていますが信長の野望等では氏資となっています。資房はある出来事の後に名を氏資と変えます。その出来事は資正にとってとてもつらい出来事です。中盤の山場ともいう出来事なのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では

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