村井貞勝 都の総督 第五章
時代は徐々に織田家の天下に近づきつつあった。織田家の多くの家臣が各地で戦う中、貞勝は京都所司代として京の行政に専念するのであった。
貞勝は長秀と共に公家への領地の返還の準備を順調に進めていた。調査の方は年内に終わりそうである。
「これなら来年には終わりそうだな」
仕事の目途がつき安堵する貞勝。そんな貞勝に対して長秀は申し訳なさそうに言った。
「実は来年から別の仕事も抱えることになりそうでして。しばらくお手伝いは出来そうにありませぬ」
「何も気にすることはありませぬ。丹羽殿もお忙しい身です。ここからは私と家臣だけで何とかなるでしょう」
「それはありがたいことです」
長秀は安堵しきった表情で言った。それを見て貞勝は
「(また信長様から無茶を言われたのか)」
と、察した。貞勝自身よくあることだが信長は家臣の能力を見抜き、的確にできるは二の無茶を振る。またそうしたことなのだろうという想像は付いた。
「丹羽殿。何か私に手伝えることがあるなら存分に申されてください」
貞勝としてもここまで仕事を手伝ってもらった恩義がある。ゆえに駆け引きなしで率直な思いを伝えた。すると長秀は深々と頭を下げる。
「ありがとうございます。実際村井殿だけでなく様々な方のお力を借りなければならなくなりそうです」
真剣な表情で言う長秀。その様子に長秀が尋常ではないことを命じられたことに気づく。
「いったい何を言われたのですか? 」
思わず尋ねる貞勝。それに対して長秀はこう言った。
「天下一の城を作れと。これまでに無い唯一無二の信長のための城を作れ、おっしゃられました」
「そ、それは大変ですな…… 」
信長の言う天下一。それが尋常なものではないという事は容易に想像がつく。そんな城を作れと言われた長秀に、心底同情する貞勝であった。ところが貞勝も信長から別の要件を申し付けられることになる。
信長は京に滞在するときは北部にある明覚寺を宿所としていた。しかし信長は貞勝に京に新たな宿所を作るように命じる。
「場所は二条家の屋敷があったところだ」
この発言で信長が何でこんなことを言いだしたのか理解した。信長の言った二条家というのは公家の二条家のことである。二条家には信長の養女が嫁いでおり親交があった。そして屋敷を訪れた際に信長が屋敷からの眺望をことのほか気に入っていたことを貞勝は覚えている。
現在二条家の人々は信長が別に立てた屋敷に移っていた。つまり明覚寺の東側の屋敷は今空き家といえる。
「空き家ならば問題あるまい。二条には貞勝から話しておけ」
「承知しました。信長様の願いなら承知してくれるでしょう」
「だろうな。あとはお前に任せる」
そう言って信長は出ていった。残された貞勝はため息をつくと立ち上がる。
「(丹羽殿を笑えんな。信長様の宿所に相応しき屋敷を作らなければ)」
貞勝はさっそく二条家に話を持ち掛ける。当然というべきかあっさりと受け入れた。
「信長様からいただいた屋敷がありますので。空き家を放っておくよりは良い使い道でしょう」
土地はあっさりと確保できたので屋敷の取り壊しにかかる。これもすぐに終わりいよいよ建築開始となった。
「信長様の宿所なのだからそれにふさわしき格式と強さを兼ね備えねばならん」
貞勝は内装にこだわりつつも防御能力にも気を使った。いつぞやの義昭が襲撃されたときのような事態がないとも限らない。
「畿内は信長様の手にあるとはいえ何があるかわからんからな」
この時大和(現奈良県)の多聞山城が解体されていた。多聞山城は城造の名手である松永久秀が作り上げた城である。
「いい建材が使われているかもしれん。それに松永殿は数寄物でもあるからな。内装が良ければこの際、主殿をそのまま移しても構わんだろう」
貞勝はわざわざ大和に出向き多聞山城から建材と主殿を調達した。こうした努力もあり信長の新しい宿所である二条新御所の普請は進められていった。信長に相応しい美しくも高い防御能力を兼ね備えるものとなるはずである。
「これならば信長様にもご満足いただけるだろう。おそらく」
貞勝としては出来に自信はある。しかし信長にとってどうなのかは信長のみぞ知る。
天正五年(一五七七)先年より進められていた禁裏の修復もいよいよ大詰めとなっていた。
「色々あったとはいえずいぶん時間がかかってしまった」
禁裏の修復が始まったのが永禄十三年のことである。七年近くかかったわけだがこの間に織田家にはいろいろあった。
まず信長の義弟である浅井長政が朝倉家と共に敵対し、それに周囲の勢力も同調したので織田家は周囲を敵に囲まれることになった。何とかこれをうまくしのぎながら戦っていたが決定打は出せず貞勝にとってももどかしい日々か続いたのである。
「下手をすれば岐阜との連絡も絶たれてしまう羽目になったかもしれなかったからな。それに禁裏の修理費用は織田家がほとんど出していたが、あの状況では金が出せるはずもない」
この時に貞勝は色々と手を尽くして修理の作業を続けた。そうした姿勢が朝廷の織田家への信頼につながり諸々便宜を図ってもらう結果になっている。だが一方で強大な武田家との敵対や、それに伴う義昭の離反なども発生した。
「思えば紙一重であったのかも知れないな。あのまま武田家が進軍を続けていれば義昭様も戦い続けただろう。そうなれば私はこの世にはいない」
これらの事態は武田信玄の急死という事態で織田家の優勢に好転した。尤もこの時それを知らない義昭は信長への敵対を続ける。それが結果的に京の町を戦火にさらさせる結果につながった。またこの時貞勝が奉行を務め普請された二条城を攻撃している。
「まさか自分が奉行を務めた城に攻め入ることになるとは。これも数奇な運命と言ってはいられないな」
そもそも二条城は信長が義昭の身の安全を守るために作り上げた城である。だというのに義昭は信長と敵対した。この時貞勝の屋敷も焼かれている。貞勝からしてみればなんともばかばかしい行動であった。
「そもそも信長様が手を貸してくれなければ越前に引きこもり続けていたというのに。その恩義を忘れた挙句に京を追われたのだ。何とも、何とも愚かなお方だ」
貞勝は今でも越前に義昭を迎えに行った時のことを覚えている。またあの時の喜びようや上洛した際の信長への感謝の言葉は嘘ではないとも思っていた。それだけに信長と敵対したことへの怒りや悲しみも深いのである。
「あの時義昭様が厄介になっていた朝倉家も滅んでしまった。しかし光秀殿は信長様について行くことを選んだ。光秀殿も色々と複雑であったのだろうな」
現在明智光秀は織田家の重臣といえる立場である。比較的新参な立ち位置であるのにこの出世ぶりは大したものであった。そして現在の織田家の状況を考えると信長に従うことを選んだ光秀はずいぶんと先見の明があるといえる。
織田家は朝倉家と浅井家を滅ぼし越前と近江を手に入れた。畿内の各地もだいぶ支配下に入れている。また先年には武田家との大規模な合戦に及び大勝した。さらに中国地方への進出も検討している。織田家は、信長は天下統一という巨大な事業を成し遂げるために着実に進んでいた。
こうした事情を含めて貞勝は思案する。
「禁裏の修復が終われば朝廷との仲もさらに深まろう。しかしせっかくだ。少しばかり派手に終えて、禁裏の方々を喜ばせようか。それが今後の織田家につながる」
この時あることを思いついた貞勝はさっそく行動を始めるのであった。
数日後貞勝は京の町人を多く集めた。そして町人たちにこう宣言する。
「これから皆には禁裏の築地塀の修理をしてもらう。もちろん賃金は出す。資材はこちら持ちだ。さてまずはいくつかの班に分かれてもらおうか」
この宣言に戸惑う町人たち。そんな町人たちを貞勝はいくつかの班に分けた。そして更にこう告げる。
「これから班ごとに築地塀の修理を競ってもらう。早い組ごとに賃金に加え賞金も出そう」
この発言に町人たちは色めき立った。そこに貞勝はこう続けた。
「これは京の町衆の華やかさを見せつけることでもある。そこで修理の合間に歌や踊りやらを入れて華やかにした班にも賞金を出そう。速さを目指すか華やかさを目指すかは皆で話し合って決めてくれ。以上だ。きっと素晴らしいものを見せてくれるのだろうと期待しているぞ」
貞勝は少し挑発的に言った。これに対して町人たちも勢い立つ。さっそく翌日から資材が運び込まれて作業が始まった。各班の町人たちは賞金獲得を目指して手早く作業を進める。また一方で歌や踊りが得意なもの作業している者たちの周囲で歌い踊り作業を盛り上げる。すると作業に参加していない町人たちが寄り集まって来た。
「一体なんだ」
「御所の塀を直しているんだとよ。踊りながらやってもいいそうだ」
「そりゃあ面白い。まるで祭りだな」
作業している町人たちは歌い踊りながら作業を続けた。各班は速さを競いつつ華やかさも盛り上げる。実際それは祭りのようであった。
集まった町人たちは見物しながら口々に言う。
「あっちの歌は元気だな。聞いているこっちも元気になる」
「あっちの連中の作業は早いな。いや、そっちの連中も負けていない」
こうした見物人たちの声は作業をしている者たちの耳にも届いた。そしてそれを聞くことで作業や歌と踊りにも力が入る。
貞勝はそうした作業を統括しながらあることを進めていた。作業が見物できる一角を確保し色々と道具を準備する。やがて貞勝の部下がやって来た。
「貴族の方々がお見えになっています」
「よし、ここに通せ」
この賑わいを聞きつけた貴族が見物にやって来たのである。貞勝は貴族たちをもてなす準備をしていたのだ。
貴族たちは貞勝の万事行き届いた心遣いに感激した。
「流石京の町を取り仕切る御仁よ。もてなしも大したものだ」
「ほかの武家の時はこうしたこれはしてくれなんだ。全く織田家が京に入ってから我らは楽しい日々を暮している」
喜ぶ貴族たち。貞勝も狙い通りの動きに満足した。
「(これで朝廷の覚えもますますよくなる。仕事のある公家ならともかくほかの方々は大層暇を持て余しておられたからな)」
満足している貞勝だがここで驚くべき報せが入った。
「村井様! 正親町天皇陛下が参られました」
「何だと! すぐに通せ! 」
まさかの当時の天皇である正親町天皇も見物にやって来たのである。貞勝はもしやすると位の高い公家が見物に来るかとも思っていたが、それ以上、というか一番偉い人が来たのである。
正親町天皇は貞勝のもてなしを受けつつ作業の様子を見物した。
「京の町衆が御所の修理に熱心に、しかも華やかに取り組む。これも村井殿の知恵のなせるものか。全く見事だ」
「恐れ多いお言葉にございます。これも陛下の大徳のなせる業にございます」
「ふふ、ならばよいが。だがむしろ貴殿や信長殿の得のなせる業であろう。これからも京のことをよろしく頼む。信長殿にもそうお伝えしてくれ」
「ははっ」
上機嫌な様子で正親町天皇は言った。流石の貞勝も恐縮するばかりである。
こうして禁裏の築地堀の修理は迅速かつ華やかに終わるのであった。
大盛況に終わった築地堀の修理からしばらく後、信長が上洛してくる。この頃には二条新御所も完成しており信長は初めて泊まった。
信長は新御所を見ても何も言わなかった。これに信長に随伴してきた家臣や貞勝の部下などは驚く。
「見事な屋敷だというのに村井殿をお褒めになられんのか」
「貞勝様があれだけ苦心したというのに…… 」
しかし貞勝は気にしていない。
「信長様からしてみれば当然のことという事なのだろう。これくらいのことをできるものだから任せたのだという事だ。別に構わないさ」
貞勝自身も自分の仕事を成し遂げた程度の感慨しかない。別にこの仕事でさらに取り立ててもらおうなどとは考えていなかった。
数日後信長は禁裏の修復状況を見に行った。尤もほとんど完了しており築地塀を見事に完成している。信長は特に念入りに塀を検分した。これにはさすがに貞勝も緊張する。あの件に関しては貞勝の独断でやったわけであるからだ。
「(まさかしくじりはないと思うが)」
作業の後貞勝も検分しているし問題はないと思う。とは言え厳しい主君が自ら検分しているのだから緊張するのも仕方のないことではあった。
結局何の問題もなかったようで信長は二条新御所に帰って行った。そして貞勝を呼び出す。貞勝はまた新しい仕事でも任されるのかと思いながら信長の下に向かった。
「村井貞勝参上しました」
「そうか」
この時貞勝は驚いた。何故なら信長が上機嫌であったからである。だが機嫌がよくなりそうな出来事は特になかったはずであった。
「(一体なんだ? )」
疑問を抱く貞勝に信長は言った。
「この二条の新御所の出来、禁裏の塀の修復に関する諸々。全てみごとだ。よくやった」
貞勝はあっけにとられた。まさか信長にここまでまっすぐに称賛されるとは思わなかったからである。これには貞勝も平伏するしかない。
「私は…… 信長様の仰せに従い仕事をなしたにすぎません」
「確かにな。だがお前は余の考える以上の成果を出した。それは余の思うところを越えるという事。それができるものは余の下にもお前以外はそれほどおらん。それは真実であろう」
信長に長く仕えてここまで褒められたのは初めてであった。流石の貞勝の目も潤む。だがそれを隠してこう言った。
「すべては私をこの役に任じた信長様の慧眼あってのこと。これも信長様の大器のなせる業にございます。どうかこれよりもこの私の力をお使いください」
この返答に信長は答えず満足げに笑った。言わずもがな、という感じである。その信長の姿を見て、貞勝は改めて忠誠を誓うのであった。
貞勝の主な仕事は京都所司代として京や周辺地域の行政を行うことです。しかしそれに加えて朝廷との様々な交渉や、京で信長が必要とする建物の手配、建築なども含まれます。これらについて信長は殆ど貞勝に任せきりでした。信頼されていたのかも知れませんがある意味丸投げともいえます。流石に少しかわいそうになりますね。
さて来週の投稿についてですが年末恒例の特別編となります。従って話の続きは年始の休みを含めて二週後となります。ご了承を。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




