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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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村井貞勝 都の総督 第四章

 天正元年織田信長は将軍足利義昭を追放した。これにより室町幕府は滅亡した。信長は個々から自分の時代を作るために覇道を歩む。貞勝はそれを支えるため己の仕事に邁進する。

 信長は義昭を追放した。これにより京は完全に信長に掌握される。戦いを終え槙島城から帰還した信長は貞勝を呼び出してこう言った。

「お前を京都所司代に任ずる」

 貞勝は困惑した。聞いたことのない役職だったからである。流石に気になって信長に尋ねた。

「京都所司代、とは? 」

「京とその周辺の政務を取り仕切るもののことだ。幕府は滅んだ。誰かが京をまとめなければならん。それはお前が適当だ」

 反論を許さぬ感じで信長は言った。尤も貞勝は逆らうつもりなどない。しかし一つ疑問があった。

「私より島田様の格の方が上では」

「秀満は少し前から隠居を願い出ている。体も弱っているらしい。この役目は任せられん」

 そのことについては貞勝も知っている。とは言え世話になった先達なのだから多少気を使った。だがその点については信長もお見通しで会ったようである。

「秀満には京のことを貞勝に万事任せると伝えてある。奴もそれなら問題なかろう、と喜んでいたぞ」

「それはありがたいことですね」

 嬉しく思う貞勝であるが一方で

「(島田様もこれ以上仕事が増えんと喜んだのだろうなぁ)」

という事も考えた。ともあれ貞勝に選択肢はない。

「所司代の任。謹んでお受けいたします」

 こうして貞勝は京都所司代に任じられたのであった。ここから貞勝の新しい仕事が始まるのである。


 所司代に任じられた翌日、貞勝は秀満を訪ねた。秀満は以前に比べて少しばかり小さくなったように見える。やはり体が衰えているのだろう。

「(顔色も少しばかり悪いな。信長様の言っていることは本当であったか)」

 貞勝もさすがに心配になる。だが秀満はそんな貞勝の心情を見透かしたようにこう言った。

「何も心配はいらん。貴殿に所司代を任せたのはこれ以上仕事を増やしたくなかったからだ。これで安心だ」

「それはよいことです。しかし島田様にはこれからもお助けいただきたいものです」

 どこか気遣うような声色で貞勝は言った。やはり体が衰えているのではないかと思わせる口ぶりであったからである。しかし秀満が大丈夫であると言っている以上は何も言えなかった。そして秀満が一線を退くつもりなのだという事もなんとなく感じ取る。そのうえで貞勝は言った。

「島田様の才は衰えておりませぬ。信長様は最後まで島田様をお頼りになられますでしょうね」

「それはありがたい、な」

 貞勝の物言いに苦笑する秀満であった。


 貞勝は秀満の屋敷を出た後で明智光秀の下に向かった。光秀はいよいよ信長の家臣として一軍を任される立場になっている。一方で貞勝と共に京の政務にも携わることにもなっていた。光秀は有識故実に詳しい。そうした面を評価しての採用であろう。

 光秀は恭しく貞勝を迎えた。

「名奉行として名高い村井殿と共に励めるというのはありがたいことにございます」

 そう上機嫌で光秀は言った。貞勝は少し驚く。どちらかというと物静かで怜悧な人物だと思っていたからである。

「(何をこんなに喜んでおられるのか)」

 不思議に思う貞勝であったが、その答えは光秀の口から出た。

「信長様は拙者のような新参者でもこのような重要な役をお任せになられる。本当にありがたいことです」

 光秀は貞勝と共に働くように命じられたことを喜んでいるようだった。貞勝は信長の古い家臣でありそんな重臣と新参者の自分が轡を並べられることを名誉だと思っているようである。

「義昭様の家臣であった頃はそれほど大きな役は与えられませんでした。そんな某にこのような役をお与えになられるとは。本当に信長様は大きな器をお持ちでございます」

「そ、それはよいことです。信長様はともかく器量の良い方を重んじられます。そしてその眼には狂いはない。信長様は明智殿なら大きな仕事を任せられると思ったのでしょう」

 若干気圧されながら貞勝は言った。まさか仕事を任されたからといってここまで喜ぶとは思わなかったからである。

「(明智殿は存外純朴な御仁なのかもしれん)」

 新しい同僚のやる気に満ち溢れる姿になんとも言えない気持ちになる貞勝であった。


 天正元年は信長にとって極めて重要な年である。もちろん義昭の追放が理由の一つであるが、元亀元年から敵対していた浅井家と朝倉家を滅亡させた年であるからだ。さらに信長と敵対していた畿内の勢力も多くが降伏し信長の領地はさらに増えたのである。

「信長様が天下に号令をかける日も近いのかもな」

 ますます大きくなる織田家に驚く貞勝であった。貞勝は信長が尾張の一領主であった頃からの家臣であるからその感慨もひとしおである。そしてそのころから仕えている自分は王城の地である京の政務を執る立場になったのだから世の中分からないものであった。

「まあやるべきことは大して変わらん。まあ明智殿もいるから島田様が抜けた分は大丈夫だろう」

 そんなことを考える貞勝。実際光秀は有能であり単独で仕事をこなすこともあった。貞勝としては助かる話である。何せ貞勝の業務には京の行政だけでなく朝廷との折衝もあった。特に公家衆はその困窮ぶりから信長に庇護を求めることも多くこれらを取り次いだり、時にはうまくなだめて順番待ちさせたりと大変である。尤も彼らとの関係性を維持するのも信長の覇業を支える上では重要なことであったから貞勝も文句を言わなかった。

「こうした形で信長様を支えるのが私の仕事という事だからな」

 貞勝は律義に仕事をこなす。するとその仕事ぶりに期待した公家や寺社から信長への取次を頼まれる。それがどんどん増えていった。

 さらに光秀は畿内での軍事行動を行うこともあった。これはもともとそう言う立場であったし、あくまで京の行政に関しては貞勝の補佐が仕事である。光秀は信長家臣の領主兼軍事指揮関であったからあくまでそちらが本業であった。必然信長の軍事行動が激しい時は京の行政にあまり関われない。そしてその頻度は徐々に増えていく。

「この所京での仕事に関われず申し訳ない」

 久々に貞勝の屋敷に訪れた光秀はこう言って頭を下げた。そこに二心などなく心の底からすまないと思っているようである。これには貞勝も何も言えない。

「お気になさるるな。こればかりは仕様がないさ」

「ありがとうございます。しかしこの所の村井殿の多忙さはなんとも…… 」

「仕方ないさ。これも信長様のご期待故に」

 そう言って少し溜息を吐く貞勝。その表情にはやはり疲れの色が覗いていた。


 天正三年(一五七五)貞勝は信長から呼び出された。重臣の丹羽長秀も一緒である。

「公家共は相変わらず困窮しているようだな」

「はい。その通りにございます」

 貞勝は朝廷との付き合いの中で公家たちの困窮ぶりを目の当たりにすることが多々あった。彼らはみな天皇の臣というプライドと格はあるがそれ以外はない。そもそも朝廷自体戦国時代に入ってから困窮の度を強めるほどであった。

 現在は信長が朝廷に多くの献金を行っているため少しはましになっているという状況である。だがそれでも朝廷の行う数々の儀式や行事を行うのも難しかった。そもそもそれらに参加し成功させる公家たちがまだ困窮しているのだから当然と言える。

 信長は意外なほどこうした朝廷の状態に関心があった。献金を行っているのもそうだが何とか朝廷に本来の機能を果たさせようと努めている。それは信長の意を受けた貞勝も同じであるが、なかなかにどうしようもないというのが現状であった。しかし信長がわざわざ貞勝を呼び出してああ言ったのだから、貞勝としても何か考えがあるのではないかと思う。それは実際そうであった。

「貞勝。お前はこれより長秀と協力して公家共に荘園を返してやれ」

 簡潔な指示である。そして何をするかも明快であった。だが難を言えばそれを実現するにはかなりの困難が予想されるという事だろう。一応貞勝はそれを指摘しておいた。

「まずどこに誰の荘園があるのかという事から調べなければなりません。もちろん織田家の領地内だけのことでしょうがそれでも膨大です」

「人がいるのならば出そう。長秀の手のものにも手伝わせる」

「織田家の領内のことはともかく他家の領地についてはいかがしますか」

「これも朝廷のためだと言っておく。まあ近場の地は余の領地である。それらを取り戻せば問題なかろう」

「当然返還を断る者もいるでしょうが」

「それをどうにかするのがお前の役目だ。多少は脅しつけても構わん」

 指摘に対して冷然と返す信長。別に貞勝も考え直してくれると思っていたわけではない。ただ一応確認しておきたかっただけだ。

「(呼び出して命じた以上成し遂げる以外の道はないわけだしなぁ)」

 信長がそう言う人物なのだという事ははっきりと理解している。信長が命じるという事は、信長が考えていることは実現できる段階であるという事であった。

「承知しました。すぐに丹羽殿と仕事にとりかかかります」

 貞勝がこう言うとこれまで黙っていた長秀も口を開く。

「万事お任せを。村井殿と共に成し遂げて見せます」

「うむ。任せた」

 そう言って信長は出ていった。残された貞勝はため息をつく。

「これは大変な仕事だ」

 そうつぶやく貞勝。それに対して長秀は苦笑しながら言った。

「信長様の直々命で大変でないことの方がありえませぬ。それは村井殿もよくご存じでしょう」

「それはもちろん」

「信長様は出来ぬ仕事を任せたりしません」

「それも承知。ですが苦労に関しては何も考えませぬ方故に」

 苦笑しながら言う貞勝。長秀も苦笑いするのであった。


 貞勝と長秀は信長からの命である公家の荘園の返還の準備を進めていった。何分調べなければいけないことが多い分、どうしても時間はかかる。だがそれでも何とか進めていった。

 そんな中、信長の下に勅使が向かったという情報が入る。長秀は首をかしげた。

「貞勝殿の頭越しに何を? 」

 しかし貞勝は気にしていなかった。というのもすでに情報は手に入れていたからである。

「信長様に官位の昇進を伝えに言ったそうだ。朝廷としては信長様と益々縁を深めておきたいらしい」

「なるほど」

 それから少しあとで貞勝と長秀は信長に呼び出された。そして信長はこう告げる。

「朝廷にお前たちにも官位を与えるように言っておいた。この先仕事もやりやすくなるだろう」

 貞勝も長秀も驚いた。そしてつい貞勝は尋ねる。

「先だっての勅使は信長様の官位昇進をお伝えに来たのでは? 」

 この問いに信長は笑って答えた。

「耳が早いな。まあそうだ。だが断った。それよりお前たちやほかの者たちに官位を与えておいた方が先々の役に立とう。ゆえにお前たちに官位を与えるように言っておいた」

「な、なるほど」

 こともなげに言う信長。流石の貞勝も驚くばかりであった。だがこれでともかく貞勝も官位を賜ることになる。他に官位を賜ったのは長秀ほか羽柴秀吉や明智光秀など重臣たちであった。貞勝は彼らと同格の扱いを受けていたといえる。

「私も含まれたのは今後の朝廷との関係を見越してのことだろう」

 貞勝はそう考えた。しかしそれはそれとして今回の件は貞勝の仕事ぶりと立場の重要さを認識してのことでもある。貞勝としても喜ばしいことでもあった。それは自分以外の秀満ら吏僚達の仕事ぶりを見ていることの証ともいえる。

「此度のことは島田様にも伝えなければならんな」

 後日時間が取れた貞勝は久しぶりに秀満の屋敷に向かった。この所忙しくて顔も出していない。特に最近は体調を崩しているという噂もあったので気にはなっていた。

「この所は外にも出ていないというが、無事であろうか」

 心配をする貞勝。そして顔を合わせてみると確かに体は病み衰えているようであった。

「こうして再び顔を合わせられるのは僥倖であろうな」

 秀満は笑いながら言った。一方貞勝としては笑えない冗談である。

「そういうことを言うものではありませんよ」

「そうはいっても自分の体のことだ。早晩死ぬであろうという事は理解している」

 そう言う秀満の体は確かに衰えている。しかし目の光は変わらない。何ならまだ生きていけそうであった。しかし秀満はそう考えていないようである。

「信長様のこの先を見られんのは心残りではあるな」

「左様なことを言っては…… 」

「貞勝よ」

 秀満は貞勝の言葉を遮った。そしてこう貞勝に語りかける。

「かつては尾張のうつけといわれた信長様がここまで来られた。あのお方は本当に我らの想像を超えるお方であった。この先も信じられない道を歩み続けるだろう。それにはお前のような男の支えが必要だ。儂は近いうちに死ぬ。だがお前は信長様と共に生き続け、その果てを見届けるのだ」

 優しく、だがどこか覚悟の感じられる声色で秀満は言った。貞勝は何も言わず頷く。そして一言こう言った。

「あとのことはお任せを」

 秀満は満足げにうなずくのであった。

 この一月ほど後、島田秀満はこの世を去った。その弔いには多くの織田家臣と公家たちが参加したらしい。

 いよいよ貞勝が京都所司代になりました。この役職は豊臣政権や江戸幕府でも踏襲されています。しかし初めて設置したのは信長であるわけで、貞勝は全ての京都所司代の初代ともいえるかもしれませんね。京都所司代自体は幕末まで存続するのですから、武家の政権が京という場所を重要視していたかがよくわかります。

 今回の話で貞勝の先輩といえる島田秀満が世を去りました。秀満は信長の初期から仕える吏僚ですがあまり知られていない人物です。信長の野望にも登場していません。ですがその仕事ぶりは貞勝に劣らぬものでした。素晴らしく有能な人物だったのでしょうね。

 さて京都所司代になった貞勝には信長から多くの仕事を任されます。貞勝はどう対応していくのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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