村井貞勝 都の総督 第三章
織田信長は足利義昭を擁し上洛し室町幕府を再興させた。貞勝は信長の命で京に残り京での政務に励むことになる。だが貞勝はこれから今日が様々な動乱に巻き込まれることなど知らない。
永禄十三年(一五七〇)一月。信長は禁裏の修理の為に全国の大名に資金の供出を呼び掛けた。だが資金が集まっていない翌月にはすでに作業が始まっている。奉行になったのはまたしても貞勝と秀満であった。
「信長様も宣伝に余念のないことだ」
貞勝はあきれ半分感心半分に言う。今回の禁裏の修理について信長はもともと独力でやるつもりでいた。資金の供出を求めたのは金の出せない他の大名と独力で成し遂げる自分との違いを内外にアピールするためである。
別に貞勝も秀満もその意図を伝えられたわけではない。しかしなんとなく察せるくらいには信長を理解している二人である。そんな二人の気になるのは信長の今後の方針であった。
「信長様が戦の準備を進めているというのは本当ですか? 島田様」
「ああ、そうだ。お前は京に居て知らんだろうが岐阜では戦の準備に大わらわだ」
「さて、どこを攻めるのか。三好三人衆でしょうか」
「いや、わからん。だが幕府の威光を利用すれば大義はどうにでもなる。そのために義昭様を擁し、幕府を再興したのだから」
現在の信長は幕府の後ろ盾を得ているといえる。尤も幕府、というか義昭も信長の武力を後ろ盾にしているのだからお互い様であった。
「全く。信長様はどこに行こうとしているやら」
信長の行く先をぼんやりと考える貞勝。だがその答えはいまだ出ない。
永禄十三年四月、この月に元号は元亀に変わった。そして同月に信長は越前の朝倉家の領地に侵攻している。朝倉家はかつて義昭を保護していた家であり織田家との関係もそこまで悪いものではなかった。しかし信長の上洛以降は徐々に関係が悪化し今回の事態に至る。
信長が攻撃目標を朝倉家にしたことに貞勝を始め家臣たちの一部は驚いた。
「浅井と朝倉は長きの盟友。攻撃して大丈夫なのか」
浅井家は北近江を治める勢力であり、信長の同盟者でもある。当主の長政は信長の妹のお市を娶っており信長からも信頼されていた。しかし一方で朝倉家とも深い縁がある。そのため今回の信長の越前への侵攻に際しては板挟みの立場になった。
だが浅井家はここで思い切った決断をする。
「朝倉家に味方し織田家を打ち倒そう」
浅井長政は朝倉家と関係を続けることを選び織田家に攻撃を仕掛けた。この時信長は軍勢を率いて越前に入りつつある状態である。このままででいると前方から朝倉家、後方から浅井家の攻撃を受けてしまう。こうなると信長の決断は早い。
「急ぎ京に退くぞ! 」
信長は琵琶湖沿岸の北西部を通り京に撤退した。この時信長と共にいたのは十数名であったという。貞勝は急いで信長を迎え入れた。この時信長は貞勝にこう言った。
「禁裏の出来はどうなっている」
周囲の者たちは何を言っているのかと思ったが、貞勝は信長の意図を察した。
「滞りなく進んでおりまする。ですが信長様にお目を通していただき所がいくつか」
「そうか。ならば明日にでも見に行こう」
翌日、信長は貞勝を伴い本当に禁裏の修復状況を見に行った。これは信長の周囲に対するアピールであり、この事態に別に動じていないというのを周囲に見せる意図があった。もちろん貞勝はそれを察していたのである。
この間も信長の軍勢が続々と到着した。貞勝はそちらへの対応を秀満に任せている。無論秀満も信長の意図を理解していた。
それから数日後撤退に成功した将兵と合流した信長は体勢を立て直して岐阜に帰還した。貞勝や秀満は京に残っている。
「ここから忙しくなりそうですな」
「全くです」
あわただしく去っていく信長の姿を見送る貞勝たちであった。
岐阜に帰った信長は体勢を立て直すと同盟者の徳川家康と共に浅井家の攻撃に向かった。浅井家の領地は美濃と山城(現京都府)の間にあり現状が続けば京都と岐阜との交通がたたれかねない。そうなれば京にいる貞勝らは孤立してしまう。それだけは何としてでも避けねばならんというのが信長の考えであった。
織田家徳川家の連合軍は姉川で浅井朝倉の連合軍と合戦に至る。そして織田徳川連合軍が勝利した。流石に浅井家を滅亡にまで追い込むことは出来なかったが岐阜と京を結ぶ範囲は確保できている。
これには貞勝も一安心であった。
「信長様が負けるとも思わなかったが、ひとまず取り残されずに済んだという事か」
これで当座の危機は去ったと言える。しかし今度は三好三人衆が再び挙兵し、さらに全国の一向宗の総本山である本願寺まで信長に敵対してきた。信長はこれを鎮圧する為に出陣する。しかしここで浅井家と朝倉家も信長を討たんと出陣してきたのだ。両家は三好三人衆らと協力して信長を討ち果たそうとしてきたのである。京を制圧するつもりのようだった。
珍しく従軍していた貞勝は信長に言った。
「何が起こるかわかりません。私は京に戻ってよろしいでしょうか」
これに対して信長はこう言った。
「余も戻る。こうなった以上戦ってはいられない」
信長は三好三人衆との戦闘を中断し京に戻った。そして浅井、朝倉の連合軍と対峙しようとする。しかし決戦を嫌った両家は比叡山に立て籠もり籠城戦の構えを取った。
天然の要害に建て込まれては信長も手出しできない。織田家の軍勢は比叡山を包囲することしかできなかった。こうしているうちに信長に敵対する勢力が次々と挙兵、織田家の領地に侵攻する。
この危機的状況のさなか、貞勝は明智光秀に呼び出された。
「明智殿、いったい何の御用ですか」
「村井殿。このままでは織田家は危うい。それは将軍家にとっても良からぬこと。何とか浅井、朝倉と和睦し一度戦を止めなければなりません」
貞勝は渋い顔をした。光秀のいう事は分かるがかなり難しい話である。相手からしてみればこのまま長期戦に持ち込みたいはずであったからだ。尤も光秀もそれは理解しておりそれを打破する奇策も用意していた。
「義昭様に和睦を取り持つようにお願いしております。さらに朝廷から勅命の講和を申し付ければさすがに受け入れざる負えないでしょう」
光秀は幕府と朝廷に講和を提案させ成立させようと考えているようだった。驚く貞勝だが、一方で光秀の考えも読めた。
「承知しました。朝廷との交渉は私にお任せを」
「頼みました」
貞勝は朝廷に講和の提案を打診してみた。するとあっさりと了承してもらえる。
「信長様は朝廷に金を出しているからな。禁裏の修理もしている。そうしたのが効いていたようだ」
義昭もこの事態を打破したいと考えていたらしい。結局幕府と朝廷からの講和の要請とあれば浅井、朝倉の両家も受け入れざる負えない。こうして戦いは終わった。
この戦いの後、貞勝は久しぶりに岐阜に帰った。
「こうして帰れるのがいささか不思議だ」
改めて自分と織田家に訪れた最大の危機に慄くのであった。
信長はその後も自分と敵対する勢力と戦い続けた。その間貞勝は京に以前通りの職務を続けている。情勢は依然緊迫した者であった。
「私にできることといえば京を平穏にしておくこと。それと朝廷とのつなぎか」
貞勝は自分のできることに専念し職務に励んだ。それが信長を助けることにつながると思ったからである。それはその通りで信長は京の情勢を気にせず戦い続けることができた。そう言った事情もあってか徐々に戦況は織田家の有利に転じていく。ところがこの情勢をひっくり返すようなことが起きる。元亀三年(一五七二)甲斐(現山梨県)や信濃(現長野県)などを治める武田信玄が徳川家の領地に侵攻したのだ。これは徳川家と同盟関係にある織田家との敵対を意味する。当時の武田家といえば最強最大の大名といわれていた。
この報せを受けた織田家は動揺するし、京の貞勝も驚く。
「武田家とは同盟を結んでいたはず。それを破るとは何という事か」
武田家の動きは信長に敵対する勢力に勢いを与えた。信長は主に畿内のそうした勢力への対応をしながら西上してくる武田家への対応に迫られたのである。武田家の当面の敵は徳川家であるがゆくゆくは織田家とも敵対するであろうことは目に見えている。
そうした状況下で京の貞勝は妙な噂を聞いた。それは義昭が信長に不満を持ち武田家と通じようとしているという噂である。貞勝は信じたくはなかったが、武田信玄の動きと合わせると色々と思い当たるふしがあった。
「先年信長様が色々と意見をされたのに大層怒りになられたというが」
この少し前に信長は義昭に対して意見書を提出していた。かなり強く口調での意見であり義昭は相当怒ったそうである。だが信長はそう言うことが言える立場ではある。
「まさか信長様と敵対しようなどとは思わんだろう。そう思いたいが…… 」
不安に思う貞勝であったが、この不安は的中した。元亀四年(一五七三)二月に義昭は挙兵する。皮肉にも貞勝が普請の奉行を務めた二条城で挙兵したのだ。
義昭挙兵の報せに誰よりも驚いたのが信長である。
「何という馬鹿馬鹿しい事をするのだ。まあいい。兎も角大人しくさせなければ」
信長は重臣の柴田勝家らに命じて義昭方の城を攻撃した。この時明智光秀も信長方に加わっている。もう少し前から義昭を見限って信長の家臣になっていた。
一方信長は義昭との講和も考えた。そこで貞勝や秀満を使者にして義昭の下に送り込む。信長の出した条件は自分の子を人質として義昭の下に送るというものであった。
「信長様も思い切ったことをなされる。しかしこの条件なら義昭様もうなずかれるのではないか」
秀満は楽観視していた。しかし貞勝は違う。
「そんな物分かりの良い方であったら挙兵などせんでしょう」
実際貞勝の考えた通りだった。義昭は信長の提案を拒絶し敵対の意思を鮮明にする。
「元は貴様らの無礼が招いたことだ。講和などせん」
義昭はそう言い切った。これに対してあきれる秀満。一方貞勝はこう言い返した。
「大した御自信、流石武家の大将。かつて信長様に担ぎ上げられただけのことはありますな」
この発言に怒りのあまり義昭は絶句した。そんな義昭を尻目に貞勝たちはその場を後にする。結局講和は破談となり信長は自ら出陣し義昭との戦いに注力することにした。しかしまだ講和を諦めたわけではなさそうで、再び使者を送る様子である。そんな矢先、貞勝の京の屋敷が義昭の軍勢に攻撃された。
「あの時のことがよほど頭に来たのかな」
貞勝は事前に攻撃を察知し自分だけでなく屋敷にいたすべての人々を避難させた。そして自身は信長の下に悠々と合流する。そして信長にこう進言した。
「もはや義昭様は聞く耳を持ちません。講和はあきらめになった方がよろしいかと」
これに対して信長はこう言った。
「曲がりなりにも将軍だ。一応は主筋にあたる。それを滅ぼしては外聞が悪い」
言下に義昭はどうでもいいが自分の体面に差し障るといった風である。貞勝もそれを察したので何も言わなかった。
その後信長は何度か講和の使者を送りつつ二条城の周辺に攻撃を仕掛ける。義昭の戦意をくじくつもりだったがなかなか降伏しなかった。義昭は信玄が来れば勝てると踏んでいたのである。それは信長もわかっていた。長引かせれば信玄が尾張や美濃に侵攻してくる。
「もはや手段は選んでいられない。貞勝。朝廷を動かせ」
「承知しました」
信長の命を受けた貞勝は朝廷に働きかけ勅命による講和をださせた。義昭もこれには応じ講和が成立したのである。およそ一か月の戦いであった。
「こうなるのなら最初に講和をしておけばよかったものの」
戦火にさらされ焼け落ちた京の町を見て貞勝はそうつぶやくのであった。
義昭は信長に降伏した。しかしまだ打倒信長を諦めたわけではない。
「今に武田信玄が上洛してくる。そうなれば信長は終わりだ。今度こそ勝って見せる」
そう考える義昭であるがこの時点で肝心の信玄はこの世にいなかった。西上作戦を行う途上で病死し、武田家の軍勢は甲斐に引き上げていたのである。しかしそれを義昭は知らないでいた。
一方の信長は家康から武田家が急に引き返したことを聞き、信玄の身に何かあったのではないかと疑う。
「大病を患ったか、もしやこの世のものではないのかもしれんな」
信長は家康と共に武田家領内での情報収集を行った。それにより信玄死亡の事実をつかむのである。
こうした認識の違いがある中で京の市中では不穏な空気が流れていた。もちろん貞勝もそれを感じ取っている。
「如何も義昭様はまた兵を起こすつもりらしいな」
貞勝は京の町の復興の作業にあたっていたが、そこで働く人夫の中で
「二条城の普請に行ったものもいるらしい」
という話を聞いた。これについては貞勝も知らないことである。信長の家臣である貞勝に知らせず城の普請を行なっているという事は、何某かへの備えという事であった。というかその何某かというのは信長のことであろう。
「まだ信長様に逆らうというのか」
あきれる貞勝。そんなことをしてもどうしようもないというのに。貞勝は義昭を哀れんだ。
やがて義昭の降伏から三ケ月ほど経ったある日、義昭は二条城を出て宇治の槙島城に入る。そして信長との講和を破り挙兵した。
「やはりあきらめていなかったのか」
貞勝は少し前から義昭の行動を逐一信長に報告していた。そしていつでも動けるように準備を整えていたのである。義昭の挙兵からおよそ一週間後、信長は軍勢を引き連れて上洛した。この行動に二条城に籠っていた義昭の家臣たちは城を出て降伏し、京はあっさりと信長の手に落ちる。そしてすぐに槙島城に向かった。槙島城は天然の要害であったが軍事力で勝る信長はこれを包囲しつつ城の周辺を焼き払う。義昭に対する威嚇であったがこれが効果てきめんであった。義昭は自分の息子を人質として差し出し信長に降伏したのである。
「せっかく将軍になれたものを。自分で自分の首を絞めるとは哀れな方だ」
貞勝は降伏し城から無残な姿で落ち延びる義昭を見てそう思った。ともかく信長の手で再興された室町幕府は信長の手で滅亡したのである。元号も元亀から天正にかわった。新たな時代の到来ともいえる。
「これよりは信長様の時代か。さて私は何を任されるのか」
一つの時代の終わりを間近で見た貞勝。しかしやることは大して変わらんだろうと考えるのであった。
貞勝は京の政務に関わり将軍の居城である二条城の建築などに関わりました。しかしその将軍は信長と敵対し、貞勝も屋敷を焼かれる羽目になりました。何とも複雑な気持ちであったのだろうというのは容易に想像できます。最終的には自分の普請した二条城を攻撃する羽目になったのですから何とも因果なものですね。
さて次に話からは義昭追放後の話となります。とは言え貞勝の基本的な仕事は変わりません。ですが周辺の情勢が変化していく中で貞勝はどう生きていくのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




