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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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織田秀信 信長の孫 前編

 織田信長の孫、織田秀信の物語。秀信は織田家の嫡男織田信忠の子として生れた。秀信が生まれたころの織田家は天下統一を目指し突き進んでいた。そしてそれが目前に迫った時思いもよらぬ事件が起きる。そして秀信の運命も大きく変わっていく。

 それはその当時から天地がひっくり返ったような事件であったのだと思われる。天正十年(一五八二)のちの世に言う本能寺の変が起きた。天下統一を目前とした織田信長が家臣の明智光秀に討たれた大事件である。

 この時信長だけでなく嫡男の信忠も二条城にて光秀の軍勢と戦い戦死している。付き従ったものの多くも討ち死にしたが、生き残った者もいた。その一人が前田玄以である。玄以は僧侶の身で、信忠に仕え政務の補佐をしていた。そう言うわけで信頼も篤かったのであるのか信忠からある重要な命令を受けている。

「玄以よ。そなたは何としてでも京を脱し岐阜城に向かうのだ」

「それは…… 三法師様をお守りせよという事ですかな」

 三法師とは信忠の嫡男のことである。この時は信忠の岐阜城に居た。

「その通りだ。明智殿は戦上手。父上を討った以上私を逃すはずもない。しかしそなた一人の身なら何とか逃げ延びられるかもしれん」

「そういう事ならば…… 承知しました」

 玄以はすぐさま準備を整え二条城を脱した。この脱出行だが思いのほか簡単にいっている。というのも光秀の行動自体突発的な側面が強く、京を包囲するようなことなどできないうえ周辺勢力に協力を要請するような暇などなかったのだ。

 順調すぎるほどうまくいった玄以の逃避行。玄以が光秀の包囲の甘さに気づいた時にはすでに京は遠くにあった。

「信忠様はとんでもない見誤りをしてしまったという事か」

 これなら信忠も脱出できたかもしれない。そう悔やむ玄以であったがもはやどうすることもできない。今は岐阜城に入って三法師を保護することが先決である。幸い岐阜城では混乱はなく、玄以は城に残っていた家臣と共に三法師を保護した。

「戦火はおそらく近江(現滋賀県)に及ぶだろう。美濃(現岐阜県)も危うい。尾張(現愛知県北部)の清州に逃れるべきだ」

 この玄以の判断に家臣たちも従い一団は岐阜城を脱した。実際問題美濃では本能寺の変の混乱に乗じ勢力回復を目論むものも出てきた。幸い玄以たちはそれを脱して清州城に入ることに成功する。

「果たしてこののちどうなるか」

 まだ三歳の三法師を横に玄以はこれからどうなるかと思い悩むのであった。その一方で三法師は年相応のあどけない笑みを浮かべている。これからの数奇な運命など思いもよらぬ様子である。


 三法師が清州城の逃れた後、明智光秀は織田家の重臣の羽柴秀吉に討たれた。そして今後の織田家の方針を重臣たちが清州城で話し合うことになる。とは言え当主の信長が死に嫡男で後継者の信忠はこの世にいない。そうなると家督を継ぐのは必然的三法師となる。これについて重臣一同異論はないが、問題は三法師が幼すぎることにある。当然後見役が必要となりその有力候補は三法師の叔父にあたる二人。一人は信忠と同母弟の織田信雄。もう一人は信忠の異母弟で信雄と同年齢の織田信孝、この二人である。三法師との血縁として近いのは信雄であるが、信孝は秀吉共に信長の弔い合戦に参加していた。しかし信雄は参加できていない。こうした事情や両名が同年齢であることもあり両者譲らなかった。結局二人とも後見人になることとなり、三法師には織田家家臣の堀秀政がつくことになる。

 これらの会議を主に取り仕切ったのは羽柴秀吉である。秀吉は光秀討伐の功績から織田家重臣の中でも抜きんでた地位に就いた。信長死後の領地の配分でも主に秀吉が差配している。当然これを面白くないものもいた。かつての重臣筆頭の柴田勝家がそうであるし信孝も秀吉が主導している状態に不満を抱いた。

「羽柴は織田家を己が采配で取り仕切ろうとしている。我らを蔑ろにしようとしているようだ」

 不満を覚えた信孝は強硬な手段に出た。信孝は美濃を与えられ岐阜城に入っていたがこの時手元に三法師がまだいたのである。三法師は信長の居城であった安土城が焼け落ちたので、近隣に作られた屋敷に移る予定であった。しかし信孝は後見人の立場を盾に三法師を安土に移さなかった。安土の周辺地域は秀吉や秀吉派の織田家臣で固められていたことが理由である。

「羽柴の手元に置けば三法師を好き勝手に利用されてしまう」

 そう考えた信孝であったが、これは秀吉の思うつぼであった。秀吉は信孝が会議の結果に背いたとして自身も会議の結果を反故にして信雄を織田家の当主に据えてしまったのである。そして信雄を利用して信孝と対立する大義名分を得たうえで、信孝や柴田勝家など織田家内部の自分に敵対する人々を実力で排除した。これで秀吉は天下人に大きく近づいたのである。

 三法師はまだまだ幼い。ゆえに幸か不幸か自分の立場が激変していることにも気づけない。


 天正十六年(一五八八)三法師はまだ九歳であったが元服した。名も秀信としている。尤も元服したからといって立場は変わらない。秀吉の旧主の孫という事でわずかな家臣と共に秀吉に保護されている状況であった。さらに家臣として付けられていた堀秀政は秀吉に取り立てられて独立した大名になっている。他にも織田家の家臣たちはたいていが独立した大名になっていたり秀吉の家臣になったいたりした。もはやかつての織田家の姿はみじんもない。尤も秀信はかつての織田家のことなど全く知らない。しかしこれくらいの年になれば物心もついている。そして周りの人々の言っていることもなんとなく理解できるようになっていた。

「周りのみんなはなぜか悲しそうにしているいったいなぜなのだろう」

 秀信は自分の身の回りを世話や警護している家臣たちが、時折どこか悲しそうなことに気づいていた。しかしその理由はわからない。不思議に思って尋ねてみても

「それは…… 秀信様にはまだお難しい話にございます」

という風にごまかされてしまうのである。だがどんな時に悲しそうな顔をするのかはわかっていた。それは叔父の信雄が訪ねてきたときに悲しそうな顔をするのである。

 信雄は織田家の家督を継いだ後に秀吉と敵対し、徳川家康と同盟して秀吉に戦いを挑んだ。しかしやぶれて今は秀吉の傘下に入っている。それでも織田家の当主の座にはついており何かと秀信の下に顔を出した。

「三法師。健勝であったか」

 信雄はずかずかと秀信の屋敷に上がってきてそう言う。これに対して家臣の一人、一番の老臣が信雄にこう言った。

「もう三法師様ではありません。今は元服なされて秀信様にございます」

「ふん。そうか。ちょうどいい。それにどちらにせよ可愛い甥に違いないのであるからな。まあいいそれよりお前に合わせたいものがいる」

 そう言って信雄は一人の少年を連れてきた。

「我が息子の三法師だ」

 これを聞いて秀信も家臣たちもぎょっとする。何せ秀信の以前の名前を全く同じなのだから。そんな秀信たちに信雄はこう言った。

「この三法師という名は織田家の家督を継ぐ者に相応しい。お前もかつてはそうだった」

「な、何を申されますか! 」

 秀信は信雄の言っていることがよくわからなかった。しかし老臣が怒っているところを見ると何かとんでもないことを言っているのだろうと理解できる。そしてそこで家臣たちが悲しんでいるのはこの叔父のせいなのだという事にも気づいた。秀信は信雄を睨みつける。しかし信雄は気付かずこう言った。

「お前も織田家の一門としてこの三法師を支えることになるだろう。それまでよく精進しておくようにな」

 そう言って信雄は三法師を連れて帰って行った。老臣を始め秀信の家臣たちはみな悲しんでいる。秀信は幼い心にやり場のない怒りを抱えどうすることもできなかった。


 天正十八年(一五九〇)、関東の雄北条家が滅亡した。滅ぼしたのは関白になり豊臣の姓を賜った羽柴改め豊臣秀吉。秀吉はこの戦いで信長から実質的に引き継いだ天下統一事業を成し遂げる。

 秀吉は北条家を滅亡させたことで手に入れた関東に徳川家康を移した。そして家康の旧領である三河(現愛知県南部)など五ヶ国には信雄を移そうとする。信雄は尾張を含む二ヶ国を領有していた。この転封は加増でもあり信雄にとっては悪くない話である。だが信雄はこれを断った。

「父の本領であった尾張から離れたくはない。第一尾張は織田家の本領なのだから織田家の当主である私が持っていなければおかしいではないか」

 それを言うなら徳川家康だって本領は三河である。しかしそれを手放してまで秀吉の命令に従ったのは、天下人となった秀吉に逆らえばどうなるか理解していたからだ。しかし悲しいかな信雄は理解していない。もしかしたら旧主であるという慢心もあったのであろう。当然この信雄の主張は退けられ領地をすべて失ってしまう。

 この時秀信には何のおとがめもなかった。そもそも大した所領を持っているわけではない。第一秀吉は信雄の織田家とは別の存在として秀信を扱っていたのだから当たり前である。尤も信雄はそれすらも気付いていなかったが。

 さて信雄の転封から三年後の文禄元年(一五九三)、この年秀吉は中国大陸制圧を目指して手始めに朝鮮半島に侵攻した。だがこの時秀吉の甥である豊臣秀勝が陣中で病死してしまったのである。この秀勝の跡目を秀信が相続することになった。当初秀信はこれを嘆く。

「いよいよ織田の姓を名乗ることもできなくなるのか」

 この頃の秀信は自分の境遇も理解できていた。そして自分は秀吉に逆らえるわけもない存在であることも気付いている。

 秀信は秀吉の命令を受け入れるしかない。だがここで驚くべきことが起こった。なんと秀吉は秀信を織田家の正式な当主としたのである。

「一体どういうことなのだ? 」

 理解できない秀信であるがこれには複雑な事情と理由がある。まず秀吉は信長の子息を養子にもらい、秀勝として自身の後継者としようとしていた。だがその秀勝が早くに死ぬと自分の甥の秀勝にその所領を継がせたのである。

 秀吉は信長の子である秀勝を織田家の本流とし、甥の秀勝が中継ぎをしたという形で秀信が叔父である秀勝の跡を継いだことにしたのだ。いろいろとややこしい形であるが秀信は織田家の家督を継ぐことができたのである。しかも受け継いだ領地は父信忠が統治した美濃の一部である。さらに岐阜城も手に入れた。

「まさかこのような形で父上の跡を継げるとは。秀吉様には感謝しかない」

 この思わぬ幸運に感激する秀信と秀信の家臣達であった。


 秀信は突如として大名になったわけであるが、ここで大きな問題が発生した。家臣の数が全く足りないのである。

「秀勝様の家臣たちはいないのか」

「はい。ほとんど秀吉様の直臣になられたようで」

 秀勝の家臣団は大体が秀吉の家臣になった。もともと秀吉が秀勝につけていた人々なので仕方がないと言えば仕方ない。一応数人は残っているが大名家の運営を行うには数が足りない。しかも秀信に仕えていた者たちは殆どが豊臣家への士官が叶わず信雄にも取り立てられなかった者たちである。老齢の者も多い。

「これでは大名の務めも果たせない」

 嘆く秀信であったが、この状態を秀吉も不憫に思った。そこで百々綱家と木造長政を家老として送り込む。綱家は近江の出の侍で少量であったが領地も持っていた。長政は信雄の家臣で水軍の指揮なども担当したこともある。双方ともそれなりの武功の持ち主であった。

「これよりは秀信様をお支えします」

「如何か末永くお引き立てください」

「分かった。よろしく頼む」

 秀信は秀信なりに二人に二心がないと判断した。そして家老として信を置くことにする。

 このほか秀信は美濃の領主たちを自分の家臣に組み込んでいった。主に元々信孝の家臣であった飯沼長実。信長正室の出身の家である斎藤家の一族の斎藤徳元などである。彼らは織田家とも縁が深い人物であったから秀信の要請に喜んで答えた。

「信長様の孫となれば織田家の正統。仕えがいがあるというもの」

「昔日のような織田家の威光を取り戻せるかもしれんな」

 そう考えて喜び勇んで秀信の下に集った。これに秀信は喜ぶ。

「お爺様や父上の威光がここまで残っているとは。本当にうれしい。私もそのような後代まで残るようなことを成して見せたい」

 まだまだ少年の秀信の心は踊った。それと同時に偉大な祖父へのあこがれも強くなる。そして自分のなすべきことも考える。

「お爺様は天下の目前まで行った。私は何を成せようか」

 悩む秀信に綱家はこう言った。

「世は秀吉様の天下になっております。これを支え、また領地を栄えさせ民を守ることこそ後代まで残る偉業といえましょう」

「秀吉様の天下を支えるのが織田家のなすべきことか」

「左様にございます。何より岐阜城を取り戻すことができたのも秀吉様のおかげにございます」

「確かにそうだ。ならば秀吉様の作った天下を守ることこそが私のなすべきことか」

「いかにも左様にございます。さすれば織田家の名も天下にとどろき末代まで残りましょう」

 綱家の言葉で秀信の心は定まった。

「ならばまずは我が領地を栄えさせ、天下に知らしめようか」

 こうして秀信は織田家当主として、そして大名としての人生を歩み始めた。しかしこの先に思いもよらぬ困難が待ち受けていたのである。


 織田秀信という名の知名度は低いと思いますが三法師という名には聞き覚えのある方もいるでしょう。しかしその三法師も清須会議で登場してからその後どうなったかを知っている人も少ないと思います。実際天下が織田家のものから豊臣家のものの移っていく過程で秀信は複雑な立場に置かれました。それでも何とか祖父や父の城であった岐阜城に復帰できたのは僥倖といえるのではないでしょうか。この後秀信はある重要な戦いに大きくかかわることになります。その果てにどんな運命が待ち受けているのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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