井戸良弘 めでたし、めでたし 第七章
宿敵松永久秀は滅んだ。大和一円も筒井家の支配下に入り万事めでたく事は進んでいる。しかし良弘はどこかむなしさを感じ始めていた。そんな中である大事件が起こる。その事件は良弘の身に災いを及ぼすのであった。
天正六年(一五七八)松永家の滅亡に伴い大和は筒井家の支配下に置かれた。遂に筒井家の悲願であった大和統一が成されたのである。無論筒井家は喜びに沸き、順慶は家臣一同に対してこれまでの苦労をねぎらうのであった。
「皆よくやってくれた。私は筒井城を追われてからも皆は支えてくれた。それが今の結果を残すこととなったのだ。本当にありがたく思う」
順慶は家臣一同を筒井城に招き祝いの宴を行った。だがそこに良弘の姿はない。順慶は良弘の息子の覚弘に訊ねた。
「良弘は一体どうしたのだ」
「なんでも信長様からの至急の命があったそうで。それゆえ宴には出られぬと」
「そうか。それは致し方ない。信長様の命なのだからな」
もはや順慶は信長に心服している。大和統一の悲願を成し遂げられたのが信長の後援あってのことなのだから当然かもしれないが。
さてこの時の良弘だがみごとに信長から下された命令を成し遂げている。しかし浮かない顔であった。何故かというと信長からの命令というのが気の乗らないものだったからである。そしてそれを幸か不幸か成し遂げてしまった。
「別に罪人でもあるまい。何故捕えなければならんのだ」
良弘に下された命令。それは原田直政の一族の捕縛である。彼らは改易後大人しくしていたが、直政の居城であった槙島城をなかなか引き渡さなかった。それに怒った信長が捕縛の命を出し良弘が行うことになったのである。
「彼らとて城の召し上げは納得いかんだろう。しかしもはや信長様に従わなければ生きていくことなどできん。それを知るべきだ」
信長も所領を改易したものの直政の息子はそのまま家臣として召し抱えていた。城を諦めて素直に従っていればこのような扱いは無かったと良弘は考えている。しかしそれで納得できないのが人の心である。
「武士の面目に恥じぬ行いを直政は行った。それなのに我らがこの扱いは納得ができん」
良弘に捕らえられた直政の老父はそう訴えた。しかしそう言われても良弘にはどうしようもない。捕縛され連れていかれる直政の老父を見送ることしかできなかった。
原田一族の捕縛を良弘は成功させた。これは無論織田家にとっては手柄といえるものであるから褒美も出る。
「槙島城は井戸に任せる」
良弘がもらった褒美は原田直政の居城の槙島城であった。正直素直に喜べない。
「原田殿の御家族から奪ったようなものだな。これは」
さりとてそれを理由に褒美を拒否するようなこともできなかった。そんなことをすれば信長の逆鱗に触れるかもしれない。良弘はそう考えていた。
「もはやこの後は信長様に従順に生きていくほかあるまい」
実際それはその通りで、それは順慶を含むほかの信長に従ったものたちも同様である。
この後信長は天下統一に向けての平定戦をつづけた。良弘も順慶と共に出陣し信長の為に戦う。そこに迷いはない。これ以上の功績などは求めなかったが無用と思われ切り捨てられるのだけは避けて生きていった。
「私にはこの城だけがあればいい。井戸の家は息子が継いだ。順慶様の下で長らえるだろう。私が死んだら城も返上すればいい。兎も角しくじりを犯さず静かに生きていくのだ」
織田家の下で生きながらえること。それが織田家に従ったすべての領主の願いであったのかも知れない。そしてそれは信長が天下を取った時に盤石になる。そしてそれは目前に迫っていた。
ところがその願いを打ち砕く大事件が起こる。誰にも予期しなかったとんでもない大事件が。
天正十年(一五八二)、その日良弘は槙島城にいた。この年信長は武田家を滅ぼし東の脅威をなくしている。次なる標的は中国地方の毛利家で信長自ら出陣しようとしていた。なお良弘には声はかかっていない。
「四国の方にも軍勢を出すようだから我らはそちらかな」
そんなことを考えていたが、明智光秀が先発して中国に向かうらしい。毛利家と戦っている羽柴秀吉の救援が目的であった。光秀は順慶の上役であり良弘は順慶の指揮下に入ることが多かったので、良弘も光秀の軍勢に組み込まれるかとも思った。しかし光秀は自分の手勢のみを連れて出陣の準備に入ったようである。
「私にも順慶様にも何の下知もない。我らの手は不要という事か」
別に不満があるわけでも無いが、何の指示もないのは不安である。どちらにせよ良弘は待機するしかない。それは順慶も同じようであった。ただこちらは余裕があるのか京にいるようである。
良弘は特にやることもなく槙島城で過ごしていた。別に差し迫った用事はないのだから当然である。しかし漠然とした不安も抱えている。
「(何やら妙な胸騒ぎがする)」
胸騒ぎのあまり夜が明ける前に目が覚めてしまった。言いようもない不安に駆られる良弘。そこで妙に城内が騒がしくなっていることに気づいた。城内をあわただしく駆け回る足音が聞こえるのである。良弘は自分の部屋から出ると家臣の一人を捕まえて聞いた。
「騒がしいぞ。何があったのだ」
「と、殿。申し訳ありません。実は京の方から火の手が見えるというものがおりまして」
「何だと…… 」
唖然とする良弘。するとそこに家臣が駆け込んできた。
「も、申し上げます。京の方から火の手が上がっております! 」
「! 本当か! 」
「はい! こちらに」
家臣の一人が良弘をやぐらに連れていった。そこには数名の家臣が詰めており、場所の特定をしようとしているようである。良弘はそんな家臣達を尻目に京の方を見つめた。確かに火の手が上がっているのが見える。何の建物かはわからないが相当に炎上していて、日の出が始まっているのにそこだけ妙に明るい。良弘は家臣に言った。
「手のものを京に向かわせろ」
「すでに向かわせております」
「そうかよくやった」
良弘はそう言って家臣を褒めた。しかし依然、表情は厳しい。言いようもない不安は大きくなるばかりであった。
不安な気持ちのまま槙島城で待機する良弘。すると家臣が駆け込んできた。
「京に向かわせていた者たちが帰って参りました」
「そうか。すぐに話を聞こう」
「それはもちろんのことなのですが…… 」
家臣はどこか困惑しているようであった。良弘は何か面倒ごとでも起きたのかと思ったが家臣に発言を促す。
「何があったのだ」
「実は京にて順慶様とその供回りの方々をお見かけしたようで。こちらに連れられたようです」
良弘はあっけにとられるが、すぐに指示を出した。
「簡単なものでいいから膳を人数分用意しろ。湯漬けでもいい」
「承知しました」
家臣は駆け出していった。良弘はため息をつく。
「(有無を言わさずこちらに逃げてくるとは何か大変なことでも起きたのであろう。いよいよ大変な事態だ)」
暫くして順慶とその供の者たちがやって来た。
「大義であった。良弘」
そう言う順慶は疲れ切っているようである。だが肉体の疲労より精神の疲労の方が激しそうであった。良弘は単刀直入に尋ねる。
「いったい何がったのですか」
「私にも詳しいことはわからん。だが助けてくれた礼に確実に言えることだけを言う」
「何でしょう」
「焼け落ちたのは本能寺だ。そこに信長様がおられた。攻めかかったのは明智光秀殿」
良弘は絶句した。順慶は気の毒そうに良弘を見た後で湯漬けをかきこむ。そしてこう言った。
「私はすぐに大和に戻る。今後のことを家臣と話さなければならん」
そう言われて良弘は何とか気を取り直した。そして絞り出すように言う。
「わずかですが兵に供をさせましょう。何が起こるかわかりませぬ」
「ああそうだな。すまん」
順慶は短くいってその場を去った。残された良弘は呆然とするしかなかった。
順慶が去った後、京で内偵をしていた家臣から情報が届いた。その内容は良弘を愕然とさせる。
「光秀殿が信長様とご嫡男の信忠様を討った。供回りのものも討たれたらしい。何という事だ…… 」
手に入った情報は順慶からの情報を裏付ける者ばかりであった。それゆえになおのこと気が滅入る。信長が死んだだけでなく嫡男の信忠も死んでしまったらしい。そうなれば畿内だけでなく周辺各国も再び戦乱に陥るという事であった。
「ようやっと落ち着いて生きていけると思ったのだが」
ため息をつく良弘だがどうしようもない。光秀が京に軍勢を置いている以上は近場にある槙島城が標的になる可能性もあった。
「まずは光秀殿に従うべきか。しかし光秀殿のなしたことは謀反。他の方々が黙っているか。しかしほかの方々は各方面に出張っている。すぐには戻れん。一体どうするか…… 」
現在信長の重臣たちは北陸や関東、中国地方に派遣されていて各々が各地域での対応を行っている。北陸、中国方面は敵対勢力との戦いで関東では新たに織田家に従った勢力との取次ぎなどを行っていた。無論すぐに戻れるはずはない。だとすれば光秀に従うことが常道であると思えた。
だが光秀の行ったことは間違いなく謀反でありそれに従えばこちらも謀反人であろう。織田家の当主と跡継ぎは亡くなったが織田家自体が無くなったわけではない。体勢を立て直した織田家と光秀が戦い、織田家が勝てば謀反人として処罰されるのは目に見えていた。
「一体どうするべきか」
良弘は悩んだ。悩んで出した答えが日和見である。幸いといっていいかわからないが光秀は近江などの平定を優先し、軍勢を東進させる。とりあえず攻撃されるのだけは避けられた。しかし光秀から味方するようにとの書状は届いた。内容は
「天下の為に今回の儀を致した。それについて思うところはあるだろうがここは私を信じて味方してほしい。順慶殿も私に味方してくれるようなので、貴殿も味方してくれればありがたい」
といったものであった。
「順慶様が味方した、というのは本当ではないのだろうな」
良弘は大和にも内偵を放っている。そこからの情報では順慶は態度をはっきりとさせていないそうだった。おそらく良弘と似たようなことで悩んだのだと思われる。
「如何も光秀殿は思うように味方を集められないかもしれんな。ならばしばし様子見とするのが最良か」
そう考える良弘。そして結局日和見の態度を決めることにする。なんの偶然か筒井家も日和見を決め込んだらしい。しかし事態は思わぬ展開になっていってしまう。
明智光秀の起こした本能寺の変。それからおよそ十日後に光秀は命を落とす。何故ならば戦に敗れ敗走していたところを落ち武者狩りに討たれたからである。そして光秀を打ち破ったのは羽柴秀吉であった。
「今でも信じられん話だな」
ぼんやりと良弘はつぶやく。それもそのはず中国地方で戦っていた秀吉は、すさまじい勢いで引き返してきて光秀を倒してしまったのである。この行動を当時予測できたものは皆無であったといえよう。兎も角光秀は討たれ光秀の謀反から始まった一連の騒動はあっけなく幕を閉じたのである。
一方慌てる者たちもいた。それは光秀に従う選択肢をした者たちである。彼らは光秀が新たな秩序を作り上げるであろうと信じて従ったわけであるがそれも水泡に帰した。みな秀吉に裁かれ領地を失ったり処罰されたりしている。そして良弘も日和見に徹したことについて追及される。
「主君が討たれたのに日和見に徹し、何の行動も起こさなかったのは武士の風上に置けぬ」
これが秀吉側の理屈である。これを良弘はもっともだと思った。
「我が身可愛さに日和見に徹したのは事実。なにも否定できない。おっしゃる通りだ」
良弘は槙島城を出ることにした。そしてその旨を順慶に伝いている。順慶は土壇場で秀吉に通じ一応領地を安堵された。良弘の息子の覚弘も無事であり、良弘が城を捨てても井戸家そのものは無事であろう。
「もはや私は武士として生きていくことは出来んのだろうな。まあ大和に戻って静かに暮らせればそれでいいか」
良弘は槙島城を順慶に預け、家臣たちは覚弘に預けた。そして自身はわずかな供と共に吉野の山中に入ることにする。
「ほとぼりが冷めるまではここで過ごし、いずれは奈良あたりで静かに暮らそう」
秀吉も良弘が自発的に城を明け渡したという事で、それ以上の追及はするつもりはないようだった。良弘は所詮織田家に従う一人でしかないという事なのだろう。実際問題それが本当である。
「この後で世がどうなるかはわからないが、まあ大和で騒乱が起こることはそうそうあるまい」
もう良弘は完全に枯れ切ってしまっている。もはや平穏無事に暮らしていければいいという事だけであった。もしかすると松永久秀の死にざまが思いのほか響いているのかもしれない。兎も角井戸良弘はここで一度歴史の表舞台から姿を消すのであった。
三日天下というのはよく言われますが実際は十二日ほどであったと言われています。どちらにせよ短い間であることは変わりありません。尤もこれは明智光秀の手腕や行動がどうこうというより羽柴秀吉の迅速な行動、いわゆる中国大返しのせいであると言えます。この予想外の行動は光秀にとどめを刺しただけでなく、今回の話のように良弘など多くの武将にも影響を及ぼしました。秀吉がこれほど早く帰還しなければ光秀は畿内を中心に地盤を固め天下とまではいかなくとも大勢力を築き上げられたかもしれません。そうなれば良弘の命運も違ったものになったでしょう。こう言うところが歴史の面白さでもありますが。
さて槙島城を退去し隠棲することを決めた良弘。この後日の当たらぬ人生を送るかに思えましたがあと一回だけ良弘も歴史上の出番を与えられます。そしてそののち良弘はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




