井戸良弘 めでたし、めでたし 第四章
苦心の末に筒井城を奪還した筒井家。しかし良弘は様々な要因から安心できないでいた。そんなときに思いもよらぬ事態が起き、事態は急変する。
筒井城の奪還から年が明けての永禄十年(一五六七)、大和の情勢は依然、筒井家の有利であった。この年は城で年始の祝いをできるほどである。
「父上や叔父上の目指した大和統一もあと一歩というところだ。これからも皆の力を貸してほしい」
順慶は祝いの席でこう言った。二歳で家督を継いで以来幾度も城を追われ、苦労してきたのである。ここまで来られて感動もひとしおであろう。
筒井家中の皆も上機嫌であった。確かに松永家は追い詰められており三好三人衆が擁する足利義栄も将軍就任への道を進んでいる。情勢は筒井家や同盟している三好三人衆に傾いていた。
しかし良弘には気がかりなことが二つあった。一つは松永久秀のことである。この年始の祝いの少し前、多聞山城に松永久秀が復帰したという情報が入った。
「このまま死ぬ御仁ではないと思っていたが、やはり生きていたか」
このおかげで松永家も多少、勢いを取り戻したようである。劣勢なのは変わりないが、名の通った人物が居るかいないかではだいぶ違う。
良弘が気になるもう一つのことは織田信長のことであった。信長は先年中に斎藤家の切り崩しに成功し追い詰め始めているとのことである。そして義昭を擁して上洛することを改めて表明していた。また義昭支持を表明する大名もまだ多く彼らと連携して上洛でもされたら情勢は悪い方に変化するだろう
もちろん良弘はこうした情報を順慶や筒井家臣たちの耳に入れている。しかしあまり聞き入れてはくれなかった。
「色々知っているからこそ不安になるのだ。まずは目の前のことを成すべきだろう。それに三好家は強大だ。彼らと手を組んでいる限り誰が来ようと問題ない」
「順慶様の言う通り。井戸殿は小心すぎる」
というのが順慶と秀祐の見解である。尤も良弘も確たる情報がないので漠然な不安を抱えているだけに過ぎない。それは自覚していたのでそれ以上は言わなかった。ところがこの数か月後にとんでもない事態が起こる。何と三好家の当主の三好義継が松永久秀の下に逃れてきたのである。この報告を聞いて筒井家は動揺した。順慶も秀祐も良弘も。
「不味いぞ。こんなことになったら三好家は分裂する」
皆良弘同様の見立てをした。そしてそれから起こるであろう事態に危機感を覚えたのである。
三好家の当主である義継を迎え入れた松永家は勢いを取り戻した。一方これに怒った三好三人衆は大和に進軍し筒井家と合流する。主君である義継が久秀に味方したとなれば三好家中に動揺が走るのは目に見えていた。ならば今のうちに勝負をつけるかそれでなくとも立場を優勢にしておきたい。
「こうなれば一気に多聞山城を落そう」
筒井家と三好三人衆はそう言う方針で合意した。一方の松永家もこの動きを察知し出陣して多聞山城の周辺に布陣する。
さて多聞山城は東大寺にもほど近く周囲に寺院もたくさんあった。これらの寺院は久秀のことを嫌っている。というのも久秀が城の築城の為に寺領を犯したりしたからだ。そう言うわけもあって筒井、三好連合軍が出陣してくると比較的好意的に接したのである。これを受けて三好三人衆も気をよくしたのか東大寺を連合軍の陣地しようと考えた。これに当初順慶は反対する。
「もし戦火にさらされたらどうするのか」
不満を覚える順慶であったが最終的には了承し東大寺に布陣の許可を申し出た。すると東大寺はあっさりと了承する。
「仏敵の松永に思い知らせてやってくださいませ」
東大寺も久秀を嫌っていたのである。順慶はひとまず胸をなでおろすと三好三人衆と共に東大寺に布陣するのであった。
こうして対峙した筒井、三好連合軍と松永家だがなかなか勝敗は決しなかった。兵力は連合軍が有利であったが松永家も奮闘しなかなか多聞山城への攻撃を許さない。いつしか膠着状態となり半年が経過してしまった。
「こうなれば一度退くのも手では」
「それもそうだが三好三人衆も東大寺の方々もまだまだやる気だ」
良弘の進言に複雑そうな表情で答える順慶であった。だがこの受け答えがあった夜、とんでもないことが起こる。筒井家の将兵も三好家の将兵もほとんどが寝静まった夜、松永家の軍勢が東大寺に攻め込んできたのである。松永家の方から決着をつけるべく動いたのだ。
この夜襲に連合軍は動揺する。攻め込まれたのは三好三人衆の本陣であったので筒井家は比較的ましな混乱であったが、三好三人衆は大慌てであった。
「何が起きたのだ! 」
混乱しながらも一部の将兵は必死で抵抗する。しかし決死の松永軍の攻撃に次々と討たれていった。
一方何とか混乱を抑えた順慶は三好三人衆の救援に向かおうとする。だがそこで良弘が気付いた。
「順慶様! 大仏殿から火の手が! 」
「何だと! 」
夜襲の混乱の最中、誰がつけたかわからないが東大寺の大仏殿が燃え始めたのである。しかもこの時ほかの場所でも火の手が上がっていた。順慶は家臣たちに命じる。
「何とか火の手を抑えるのだ! 」
もはや戦うどころではない。筒井家の将兵は火災を止めるために動き回った。しかし火の手の周りは早く思うようにいかない。またその間に三好三人衆の将兵は討ち取られる。
やがて火の手が収まるころには松永家の軍勢の撤退していた。三好三人衆は何とか生き残っているが兵を多く失っている。それ以上に東大寺は複数の施設が焼失し大仏の頭部も燃え尽きてしまった。
「何たる有様だ…… 」
これ以上は戦いないと連合軍は撤退を決意する。良弘は燃え尽きた東大寺を背に暗い気持ちで帰ってくのであった。
東大寺での戦いで敗走した筒井家と三好三人衆。しかし決定的な敗北であったわけではなく戦力も温存できていた。一方の松永家も撃退には成功したものの一気に反抗に出るほどの戦力も持ち合わせてはいない。
両者は断続的に戦闘を繰り返すことになる。そしてお互い決定打がなかなか決まらない状況にあった。そんな中で良弘に気になる情報が入る。
「織田信長殿が上洛の準備を始めているのか。これは…… 不味いかもしれない」
それは織田信長が上洛の準備を進めているという。信長は斎藤家を打倒して美濃を支配下に置くだけでなく伊勢(現三重県)の北部も制圧しているらしい。後方は同盟勢力で固めており後顧の憂いも断っている。越前の朝倉家や近江北部の浅井家も上洛に協力する動きを見せていた。
「(もし信長殿が義昭様を連れて上洛してくれば松永殿は息を吹き返すだろう。何より義昭様が将軍になられれば我らは逆賊になる。そうなればほかの大和の領主たちも松永殿に付くかもしれん)」
大和の領主は一応筒井家に従う姿勢を見せているが、状況によっては離反することもある。そうしたことは幾度もあったしそのせいで筒井城を追われたこともあった。
良弘は自分の入手した情報を順慶に伝える。すると順慶はこう言った。
「我らは三好三人衆と共に進むしかない。そして彼らの推す義栄さまを将軍に就けるのだ。何より今はいち早く松永を倒し大和を統一する。そうすれば織田何某もおそるるに足らん」
順慶の考えはシンプルである。実際それが第一の道であろう。しかし良弘は少し違った。
「織田殿の勢いはさすまじいものがあります。これを軽視しては後に災いになるかもしれませぬ」
「にわかには信じられんな。どちらにせよ義昭様を推戴支援している以上は我らとは敵だ」
「私としてはそこを変えて義昭様に従う方が後々の為になるかと」
良弘が恐る恐るいうと順慶は激昂した。
「馬鹿を言うな。義昭様に従うという事は三好三人衆と手を切るという事。そんなことをすればただではすまん。何よりそうなれば松永を討つこともできなくなるではないか」
これももっともな意見である。確かに筒井家のこれまでを考えれば義昭サイドに付くという事は考えられなかった。しかし現状は難しい情勢で一歩間違えれば筒井家の命脈も尽きかねない。
怒る順慶を前に良弘は考えた。そしてこう進言する。
「ならば織田家と誼を通じておくのはいかがでしょうか。万が一の時に役立つかもしれません」
「ふん。いいだろう。だが筒井家の人間として動くことは許さぬ。家督は息子に譲ってお前の身で行うのだ」
「…… 承知しました」
良弘には確かに息子がいる。しかしまだ元服前で幼い。それに家督を譲れというのは無茶な注文である。しかし良弘はこれを受け入れた。
「(これが筒井家の為になるのだ。確たるものは無いが信長殿は義昭様を将軍にするだろう。その時私の行いが筒井家の役に立つのだ)」
良弘はそう信じて順慶の下を去るのであった。
良弘は城を家臣たちに任せると尾張に向かった。そこで信長となんとか面会しようという事である。尤もつながりはないので大和の寺から紹介状をいくつかもらいまず信長の家臣に面会するつもりであった。
ところがこの時点で信長は尾張にいなかった。信長はすでに美濃の岐阜城に居城を移している。良弘は慌てた。
「何としてでも信長様に会い筒井家の立場を説明しなければ」
良弘は尾張での信長領の繁栄を見た。そこから織田信長という人物が尋常な人物ではないと理解している。そして何よりまず従わなければいけない人物だとも。
この頃大和では筒井家が有利に戦いを進めていた。というのも松永家の重要な拠点である信貴山城を攻め落とせたからである。これに順慶は上機嫌であった。
「この勢いで松永を滅ぼしてくれる」
勢いに乗る順慶。また三好三人衆も大和に入り松永家への攻撃の準備を進めていた。この時点で松永家の命運は尽きたかに見える。
一方で織田信長も上洛の準備を着々と進めていた。信長は岐阜城に義昭を迎え入れ、義明に協力する勢力と音信を密にする。
こう手状況が動いていく中で良弘はなかなかうまくいかない状況が続いた。一応織田家臣とのつなぎは取れたのだが、そこから先が進まない。織田家の家臣たちも上洛の準備に追われていたからである。
「これはいかん。どうすればいいのだ」
途方に暮れる良弘だが運よく家臣の一人が信長に謁見する機会をくれた。わずかな時間であるが良弘は喜ぶ。
「ただ一言我らの立場を申し上げられればいいのだ」
謁見した良弘はこう言った。
「我ら筒井家は義昭様に逆らうつもりは毛頭ありませぬ。大和の者どもは皆義昭様に従うつもりです」
これに対して信長は一言こう言った。
「で、あるか」
可とも不可とも取れない返答であった。しかし良弘の面会の時間はこれで終わりである。困惑する良弘だがこれ以上はどうしようもない。すごすごと引き下がろうとすると信長はもう一言言った。
「そちは余に仕えればいい。ほかの者は知らぬ」
「は、はあ」
「返答は後でよい」
こうして良弘の信長への面会は終わった。正直収穫はない。失意のまま良弘は井戸城に戻るのであった。
井戸城に戻った良弘。そこで聞いたのは信長の上洛軍の快進撃の話であった。
「織田信長殿は六角様を容易く討ち破り京に進んでいるそうです」
「なんと…… 」
良弘は絶句した。六角家は三好三人衆の重要な同盟相手である。そのうえ近江は京と隣接しているのだからそこを落された以上信長の上洛は完了したも同然であった。
「こうなれば順慶様を説き伏せて信長様に従うほかあるまい」
急ぎ順慶の下に向かう良弘。順慶も事の重大さは理解しているようで良弘の言葉を受け入れた。
「こうなれば恥も外聞もない。お家の危機だ」
順慶は急いで拝謁の準備を進める。ところが先んじて松永久秀と三好義継が信長と義昭に拝謁し恭順の姿勢を示してしまった。これで筒井家の立場は一気に悪くなる。
「ああ、ここまでか」
絶望する良弘。しかし一縷の望みをかけて順慶は信長と義昭に拝謁する。そして恭順を申し出た。
「筒井家一同、皆義昭様に服する所存にございます」
しかし義昭はこれを拒否した。
「謀反人に与する者らなどいらぬ」
これで筒井家の命運は決まった。信長の軍勢は山城周辺の三好三人衆の城を攻め落とすと大和に進軍する。目的は松永久秀の救援である。
大和に進軍していた三好三人衆の軍勢は簡単に打ち払われた。さらに織田家の兵力を知った大和の領主たちは次々と筒井家から離反していく。
「もはやこれまでにございます」
良弘の言葉に順慶はうなずいた。だがそのうえでこう言う。
「だが最後まで抗うぞ。そして城は奪われても筒井家は滅ぼさせぬ」
順慶は抗戦を続けるも敗れる。そして筒井城も奪われたが生き延びた。そして大和東部にある福住城に逃げる。ここで再起を狙うつもりであった。
一方の良弘は井戸城にはいった。この際信長からこう命令が下る。
「井戸良弘は織田家に仕えること」
驚く良弘。もはやこの上では返答は一つしかない。第一福住城の順慶ともまともに連絡が取れる状況ではなかった。
「信長様に従います」
こうして井戸良弘は織田家家臣になった。ところがこの先まだまだ大和の混乱に巻き込まれるのである。
この話で筒井順慶はせっかく取り戻した筒井城からまた追い出されてしまいました。実際問題敵である松永久秀との戦いは優勢であったものの信長の来襲によってすべてご破算となってしまいます。一方の久秀は窮地から息を吹き返しました。この違いは大局観の違いともいえますが、尾張の一大名であった信長が大軍を率いて上洛してくることを想定しろというのが難しかったのかも知れませんね。
さて順慶は城を追われ良弘は織田家に服することになりました。しかし大和の特殊な状況がまだ戦乱を継続させます。その中で良弘も微妙な立場で活動することとなります。果たしてどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




