井戸良弘 めでたし、めでたし 第二章
筒井家の起死回生を狙った畠山家との共闘は失敗し、再び窮地に追い込まれた。良弘は劣勢の筒井家に従い何とか状況を打開しようとする。しかし一家臣一領主の身ではいかんともしがたいものである。だがある大事件をきっかけに筒井家を取り巻く状況は一変するのであった。
三好家の強烈な反撃にあい筒井家は一転して窮地に立たされた。周囲の三好家に敵対する勢力も徐々に衰え始めていて筒井家の今後は非常に厳しい見通しである。
井戸家は何とか敗戦の痛手を立て直した。しかし隠居していた常弘はいよいよ心が折れ部屋に引きこもり念仏を唱える毎日である。
一方で良弘は情報収集を怠らなかった。その中で手に入れた情報の中で気になるものがある。それは三好家の内情に関するものであった。それは永禄六年(一五六三)のことである。
「長慶殿の跡継ぎの義興殿が亡くなられた? 」
それは三好家当主三好長慶の嫡男三好義興が病死したという情報であった。
「長慶殿はここ数年弟を続けざまになくされている。それに続いて嫡男まで失うとは。何とも。敵とはいえ哀れではある」
実はここ数年で長慶は弟を立て続けに失っていた。長慶の弟たちは広大な三好家の領土をそれぞれ管轄しており、彼らの死は三好家の支配体制に大きな動揺をもたらしている。尤もそれでも先ごろの戦いでは勝利を収めていた。これに関してはこうした経緯の中で立場の高まった松永久秀の活躍がある。大和の情勢が好転しないのも久秀の存在故であった。だが良弘はそこで気になることがある。
「久秀殿はあまりよくわからぬ素性の出らしい。長慶殿に見いだされて今の地位についたがそれを妬む者もいるのではないか」
良弘はそんなことを考えていた。実際義興の死で久秀の立場はますます強くなったらしい。尤も久秀は二心なく長慶に仕えている。長慶からの信頼もあるので立場は盤石だろう。
「ままならぬものだなぁ」
いくら情報を知ってもそれを活かせない。この現状が良弘にとってはなんとももどかしいものであった。
永禄七年(一五六四)四月、順慶を支え続けてきた筒井順政がこの世を去った。順慶が二歳で家督を継いで以来、叔父として後見人として筒井家を守って来た男がこの世を去ったのである。これには筒井家中が意気消沈した。ただでさえ劣勢なのに今まで自分たちを率いていた男が死んでしまったのである。衝撃は大きい。
しかし順慶は違った。むしろ意気をあげている。
「叔父上の無念に応えるためにも松永久秀を大和から追い出さねばならん」
順慶はまだ一五歳の少年である。しかし苦労を重ねた人生であるからか順政の薫陶がよかったからか当主としての自覚を強く持っていた。それゆえに家臣たちに弱気な姿を見せるわけにはいかんという事なのだろう。
良弘はこうした順慶の姿勢を好ましく思うと同時に危惧も覚えた。
「ここでへこたれず強い姿勢を見せるのは良いこと。しかし些か血気が盛んすぎるようにも見えるが」
ともかく現状でできるのは久秀への抵抗を続けることである。順慶は何とか筒井家をまとめ上げ反抗を続けた。良弘たちもこれに従い戦い続けるがなかなか情勢は好転しない。そんな中で同年七月に思いもよらぬ情報が良弘の下に届いた。良弘はそれをすぐに順慶の下に届ける。
「なんと。三好長慶殿が亡くなられた?! 」
「はい。真のことのようです。ただ家督は無事に継嗣である義継殿に継がれたようですが」
良弘が届けたのは三好長慶死亡の報であった。思いもがけぬ事態に順慶も驚いているようである。しかしすぐに思案し始めた。
「だがそれなら敵方の動きに変化が出てくるかもしれんな」
「それはあるかもしれませぬが。まずは万事準備を整えと置くべきかと」
「そうだな。もしやすると松永も大和から離れるかもしれん」
順慶は長慶の死亡で三好家に動揺が走ると推測し、その隙をつけるようにと準備を始めた。一方で良弘はそう考えてはいない。
「(久秀殿は三好家で重きを置く立場。相当の内紛でも起きない限りその立場が動揺することは無いだろう。まあ何事が起きるかわからないから準備をしておくのはいいこと。順慶様には何も言わないでおこう)」
良弘はあくまで三好家の体勢に変化はないと考えていた。ところがこの後大事件が起き、三好家にも大変な事態が起きるのである。
その事件は永禄八年(一五六五)に起きた。この年の六月に三好長慶の跡を継いだ三好義継が、将軍足利義輝を襲撃し殺害してしまったのである。
後に永禄の変といわれた大事件であるこの事件には、三好家重臣の三好三人衆や久秀の息子の久通も参加していた。
これを知った良弘は慄いた。
「主君を、しかも将軍を討ち取るとは何という事を」
この事件、永禄の変の背景には室町幕府と三好家の複雑な関係がある。だがそこまでは良弘の思いもよらぬことであった。
それはさておきのこの事件に関して大和でも動きがあった。というのも義輝の弟が興福寺で僧になっていたのである。覚慶と名乗っていた義輝の弟はこの事件で命の危機が迫っていた。それは当然のことで、当時大和の大半を支配していたのは三好家臣の松永久秀である。いつ命を奪われるかわかったものではなかった。
ところが久秀の行動は違った。確かに兵を差し向けはしたがあくまで幽閉するだけにとどめている。しかも身の安全を保障する誓紙まで差し出していた。
「久秀殿は覚慶様を次の将軍にするつもりなのだろうか」
久秀は義輝の跡継ぎの最優良候補である覚慶を確保することで三好家の地位を盤石にしようと考えたのではないか、良弘はそう考えた。
ところが事態は思いもよらぬ方向に進む。幽閉されていた覚慶は久秀の誓紙を信じてはいなかった。それも当然と言えば当然で、久秀の息子の久通は義輝殺害の主犯の一人である。その父親が身の安全を保障するといっても信じられるものではなかった。
「今度は私の命が狙われるに決まっている。何とか逃げ出さねば」
そう覚慶は考えた。一方久秀はそんなことは考えていない。何故なら生かして手元に置いておく方が得だからである。
「ともかく身の安全を保障しておけば馬鹿な真似はしまい。ゆくゆくは将軍に据えて三好家の傀儡になってもらおう。それが三好家にとって最良の道だ」
ともかく両者の考えは食い違っていた。久秀は覚慶が大人しくしているだろうと思い監視を緩めてしまう。そこを室町幕府の旧臣たちに付かれることになる。永禄の変から二カ月後、覚慶は幕臣たちに助けられ大和を脱出した。しかし久秀は慌てない。
「覚慶様は将軍になろうとするだろう。それを三好家で迎え入れればいいだけの話だ」
そう楽観視していた。ところが事態は急変する。三好三人衆が覚慶の逃亡を理由に久秀を失脚させようとしたのだ。しかもこの時当主の義継は三人衆側に抱き込まれている。これには久秀も怒った。
「長慶様に見いだされて以来三好家につくしてきた。それを無下にするというのなら戦うのみだ」
久秀は三人衆と徹底的に争う姿勢を見せるのであった。
こうした動きを知った良弘はこれを好機と見て取る。
「久秀殿は三好家で孤立した。これは大和を取り返す好機! 」
良弘は順慶に三好三人衆と手を組むことを進言した。順慶もこれを躊躇なく受け入れる。
「ついに松永を討ち果たす好機が来たという事か」
「左様です」
こうして大和の戦乱は新たな局面に入ったのであった。
筒井順慶はすぐに三好三人衆と連絡を取った。そして同盟を持ち掛けるとあっさりと了承される。三人衆も順慶と同盟を結ぼうと考えていたようだった。畿内にはまだ久秀に味方するのも多い。そのため確実に味方にできるであろう順慶との同盟を考えていたようである。
現在三好家の当主の義継は三人衆に味方している。この同盟はつまり三好家が筒井家に味方したようなものであった。これに順慶も喜ぶ。
「三好家が味方になれば松永もおそるるに足らん。ともに事に当たって松永を大和から追い出してしまおう」
息をあげる順慶。しかし良弘は冷静であった。
「久秀殿も我らと三好三人衆が結ぶことは予期していたでしょう。何か手を打ってくるかもしれませぬ」
「何心配はいらん。周りに敵を囲まれては松永も何もできん」
確かに順慶の言っておる通り久秀は大和で孤立しているように見える。しかし山城(現京都府)や河内には久秀に味方する三好家の者も居た。また畠山家も態度を保留させている。順慶はこれまでの縁があり筒井家に味方するとみているが、これが良弘には気になった。
「(確か高政殿は覚慶様擁立に前向きであったはず。ならば久秀殿と手を組んでもおかしくはあるまい)」
この懸念は実際にあたって高政は久秀に味方することを明言した。三好三人衆は領国の阿波(現香川県)で保護していた足利義栄を擁立する動きを見せていて、これに反発した形である。これにより久秀の敵は一つ減った。
こうした動きにたいして三好三人衆も何もしなかったわけではない。三人衆は久秀方に付いた飯森山城を強襲し落城させた。この情報を受けて順慶も動き出そうとする。
「飯森山城の落城で松永方は動揺しているに違いない。すぐに準備をして攻めかかるぞ」
そう言ったはいいがすぐには動けなかった。実はこの時三人衆の飯森山城攻撃は事前に知らされてなかったのである。これは三人衆の軍勢だけでどうにかなると判断していたことと、三人衆と筒井家の連絡体制が不十分であったことなどが理由であった。そして松永久秀はこの綻びを見逃すような男ではない。
筒井家が出陣の準備を進めている最中、松永家が筒井城に攻撃を仕掛けてきたのである。飯森山城攻撃のなんと二日後であった。
「松永が攻撃を仕掛けてきただと!? 」
驚く順慶。このとき筒井家は家臣たちに出陣の準備をさせている最中であったので満足に戦える状態ではなかった。しかもこの迅速な行軍に大和の領主たちから久秀方に寝返るものまで出る始末である。
順慶は命からがら逃げ筒井城はあっという間に落城した。普通城を捨てて逃げるときは火をかけるなりするのだがそれすらできないほどである。
良弘はこの連絡を井戸城で聞いた。この時ばかりは久秀の手際の良さに舌を巻くばかりである。
「一筋縄ではいかないと思っていた。しかしこれ程とは」
幸い順慶は味方の領主の城である布施城に無事に落ち延びたようである。
「順慶様が無事なのは幸いだ。しかしこれからどうするか」
現状頼れるの三好三人衆のみである。良弘は他力本願にならざる負えないこの状況を嘆くばかりであった。
筒井城を失った順慶。しかし松永久秀はそれ以上筒井家に攻撃を仕掛けなかった。というのも三好三人衆への対応に追われたからである。ひとまず良弘は胸をなでおろした。
「一応同盟は有効な策であったか。しかしそれでも厳しい状況に変わらない」
もともとが劣勢であったのだ。そこからさらに不利になったわけであるから何か手を打たなければならない。
「順慶様の戦意は旺盛のようだ。幸い家臣たちからも慕われているし内々のことは大丈夫だろう」
筒井城を追われた順慶だが戦意はまだ萎えていなかった。布施城に入って少しあとに兵を集めて裏切った領主に攻撃を仕掛けている。こうした行動は家中の不満や疑念を防ぐにも効果があったし戦意も上がった。
だがそれだけではどうしようもない。何か強力な一手がなければ戦況次第で筒井家は滅亡してしまう。そう言う状況にあった。
そうした状況下で良弘が気になったのは義輝の弟の覚慶である。覚慶は大和を脱出後、近江に入って後に僧籍を抜けて名を義昭に改めた。そして兄の跡を継ぐことを宣言し各地の大名に協力を募っているのである。これが良弘にとっては非常に気になるところであった。
「(もしこれで義昭様に味方する者が多ければ我らとしては窮地だ。もし大軍を率いて上洛でもされたら我らは逆賊になる)」
義輝殺害の主犯といえるのは三好家当主の義継と三好三人衆。そして久秀の息子の久通である。久通は当然父に味方していた。義昭としては三好家全体が兄の仇で謀反人であるが、別の将軍を立てようとしている義継と三好三人衆が当面の敵であろう。すると三好三人衆と同盟を結んでいる筒井家も敵対することになるかもしれない。
永禄の変は周囲から見れば三好家の謀反としか言えないものである。松永久秀は世上の評判は悪いが三好三人衆も同じくらい良くない。ここに兄を討たれた弟がその跡を継ぐために上洛したとなれば評判は義昭方の方がいいに決まっている。そうなったときのことを良弘は恐れていた。
「まさか興福寺がそちら側に付くとも思えんが。そうなれば我々は大和で孤立してしまう」
寺院というのは意外なほどに世上の評判を面子と同じくらい気にする。久秀に抵抗しているのもそうした面もあった。だがそれがひっくり返ればどうなるかわからない。
「今のうちに義昭様に寝返れる道を探っておくべきか。兎も角義昭様が協力を頼んだ大名くらいは何とか調べておこう」
ゆくゆくのことを考えて行動する良弘。これが後に良弘と筒井家の運命を分けることになる。
永禄の変は失墜していた室町幕府の権威にとどめを刺す結果となりました。幕府自体は存続するもののいよいよ名ばかりの存在になり果てます。尤もその名だけでも一定の影響力を持つというのが権威の恐ろしさなのかもしれませんね。
さて三好家の分裂は筒井家に様々な影響を及ぼします。畿内の混乱も深まっていく中で筒井家はどう立ち回るのか。そして良弘はいかなる運命をたどるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




