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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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石川家成 従兄弟 第十一章

甥であり重臣の石川数正の出奔に驚嘆する家成。これで徳川家は滅亡かと思われた。しかし誰も思いもよらぬ事態が起き情勢は一変する。

 重臣である石川数正の出奔を受けて家康は徳川家の軍制の一新を行った。軍事機密を抱える重臣が敵に付いたのだから当然のことである。

「それでどうにかなる状況ではないだろう。だが他にできることもないか」

 家成はそう考えていた。事実豊臣家は戦闘態勢を整えていて、徳川家への総攻撃もあとわずかという状態であった。徳川家はこれに上がらうすべなどない。

 こうした空気感は徳川家中で漂っていた。ところが数正の出奔から年が明けて天正十四年(一五八六)一月、日本列島の中央部を大地震が襲う。後に天正大地震と呼ばれるこの地震は中部、北陸、東海の多くの地域に被害を及ぼした。そして特に被害を被ったのが豊臣家である。特に徳川家への総攻撃の前線基地であった大垣城に至っては全壊焼失してしまったこうなれば豊臣家も戦どころではない。徳川家への総攻撃を取りやめて領内の復興に注力することにした。

 この話を康通は相変わらずの暗い様子で家成に話した。

「徳川家は岡崎城が被災したくらいです。おかげで命拾いしたと家康様も申しておりました。忠次様や忠勝さまも胸をなでおろしているようです」

「だろうよ。首の皮一枚どころではない生き残り方だ。しかし多くの民が被害にあっているのだから運がいいともいえんな」

「左様です。まあ我らの領地は元々ボロボロなのですが」

「そうだな。豊臣家は戦える状態ではなくなったが我らは元々そう言う状態だ」

 徳川家の領地の復興は今だ途上である。この機に乗じて行動を起こすなどという事は出来るはずもなかった。

 康通は暗い顔をしていった。

「結局滅ぶのが先延ばしになっただけなのでしょうか」

 悲壮なことを言いだす康通。これに家成は答えない。実質沈黙が肯定のようなものであった。たとえ徳川家が豊臣家より早く体勢を立て直したとしても戦力差がありすぎる。結局豊臣家が総攻撃をもう一度行ってきたらどうしようもなかった。

「(それはおそらく家康様も理解されているだろう)」

 家成は大きなため息をついた。今はそれぐらいしかできない。


 天正大地震で豊臣家は大きく被害を受けた。しかし近畿の豊臣家の領地はそれほどまで被害はない。戦おうと思えば戦えるという状況である。しかし豊臣家は方針を変え徳川家を懐柔しはじめる。秀吉は織田信雄を通じて家康に豊臣家への臣従を持ち掛けた。

「これ以上の戦は民を苦しめるばかり。太閤殿下も徳川殿を恨んではおらん。ここは素直に従うべきではないか」

 そう臣従を持ち掛ける信雄。尤もそもそも信雄が誘ったから徳川家と豊臣家が戦になった側面はある。だというのに素知らぬ顔で臣従を持ち掛けるのは都合のいい話にも見えた。

「家康様は信雄殿の誘いを断ったそうです」

 康通は家成にこう言った。顔色は多少良くなっている。豊臣家が攻撃を仕掛ける気がないというのが明確になりつつあったからであろう。多少は肩の荷が下りたようである。しかし懸念も同時に抱えているようだった。康通はそれを家成に訊ねる。

「領内の立て直しも多少は進み、軍制も変わりました。しかし豊臣家と戦などしたら間違いなく滅ぼされるでしょう。何故家康様は信雄殿の誘いを断ったのでしょうか」

 これに対して家成はこう答えた。

「家康様も本心では秀吉殿に従うつもりなのだ。だが信雄殿の誘いで下るわけにはいかんという事なのだろう」

「と、言うと? 」

「信雄殿の誘いで下れば信雄殿に借りを作ったことになる。それよりも豊臣家から直接下ってほしいと言われる方が後々の立場がよくなるというものさ」

「なるほど。しかし秀吉様は動かれますかな」

「それはわからん。だが現状家康様には早く下ってもらった方がいいと思っているなら自分から動くはずだ」

 この家成の見立ては的中した。秀吉は自分の妹の朝日姫を家康の正室として送り込んだのである。家康もこれを断ることは出来ない。これで家康と秀吉は義兄弟となった。これを受けて家康は内々に上洛と臣従の準備を始める。朝日姫が送られてきたのは事実上の人質であり家康の上洛を促すものであった。家康としては応じるつもりであったが一部家臣たちはまだ不満を抱いているらしい。

「忠次様や忠勝さまはもはや致し方なしと受け入れております。それだというのにまだ不満を申すものがおるとは」

 康通は不満げに言った。一方の家成はさもありなんという風である。

「この所うまくいきすぎているようにも見える。ゆえに疑心も生まれるものだ。しかし豊臣家の事情は分からんがともかく家康様を従えたいらしい。妙なところで運が向くものだ」

 この後しばらくして秀吉の母親の大政所が朝日姫の見舞いという事でやって来た。実態は人質である。ここまでされれば疑心を抱いていた徳川家臣たちも上洛を了承するしかなかった。

 家康は浜松を出立し上洛尾の途に就く。家成は遠出をしてその様子を見に行く。その時の家康の表情はやっと安心できたという風に家成には見えた。

「本当に悪運のお強いお方だ。しかしやっと安堵できたのだろうよ」

 家成にはその家康の様子が何ともおかしく見えたのであった。


 家康の上洛は無事に済み徳川家は豊臣家に従うことになった。以後暫くの間徳川家は北条家をはじめとする東国の大名たちの監視と取次ぎを任されることになる。

「家康様が義兄弟とは言え思いのほか高い地位を与えられたものだな」

 家成はこの待遇に素直に驚いた。武力での制圧こそなかったものの実質的に徳川家は豊臣家の武力に屈する形になっている。それを考えると他の大名たちよりいい待遇なのは以外であった。

 尤も家成は知る由もないがこれらは小牧・長久手の戦の結果によるところも大きい。あの戦いで徳川家は局所的にしか勝てなかったが、豊臣家が求めていたのは完全な勝利である。しかしあの一戦での大敗を挽回する機会も持てなかった。逆に徳川家が挙げた戦果は豊臣家中にすら勇名を轟かせ、秀吉もある程度は特別な待遇をしなければならなかったのである。小牧・長久手での勝利は意味があったのだ。

 それはさておき上洛後家康は居城を浜松から駿府に移した。これはやはり数正の出奔が原因である。居城の軍事機密が流出してしまった以上致し方のない措置であった。

「いよいよ俺も隠居だな」

 康通は駿府に出向くようになり掛川にいることも少なくなった。家臣たちも同様であり家成の屋敷を訪ねることも少なくなっている。尤も家成がもともと望んでいた隠居というのはこう言うものであった。だから文句などなく静かに日々を送っている。

 そんなある日康通が家成を訪ねてきた。何でも小耳にはさんだことがあるらしい。

「父上が気にしておられることです」

 そう言われるが家成には思い当たらなかった。首をかしげていると康通はこう告げる。

「数正殿のことです」

「そうか…… なるほど。そうだな」

 康通が持ってきたのは数正の現状に関するものである。確かに家成は数正のことが気になっていた。それは裏切ったことに対する怒りとか悲しみとかそういう事でなく、純粋に甥であり同輩であった人物のその後への懸念である。

「寝返ってみたものの、特にその力を役立てられなかったわけだからな」

 数正がどう考えていたかは不明であるがもしあのまま地震がなく、徳川家と豊臣家の戦となれば数正は重要な役を与えられていただろう。

「(数正は出来る男だ。そつなくこなして手柄をあげる。そうなれば豊臣家でもそれなりの地位には付けるはず。もしくは三河でも与えられたか)」

 数正が裏切った当初も家成はそんなことを考えていた。それが裏切りの理由ではなかろうが、あの時点ですでに豊臣家の人間として生きていく決意は出来ていたはずである。だからこそ徳川家の討伐に全力を挙げ豊臣家での立場を手に入れたかったはずだと家成は考えていた。

 ところが天正大地震で徳川家への攻撃は取りやめとなり、豊臣家は逆に懐柔する方向に傾いた。これは数正にとっては思いもよらぬことだったであろう。

 康通は

「人を呪わば、ではありませんが不忠を働けばろくな目にあわないという事なのでしょう」

などといっていた。

 それはさておき、数正は手柄をあげて立場を安定させるすべを失った。裏切り者の数正が懐柔の際に何かできるはずもない。むしろ刺激させるだけであるのは数正含む誰にだってわかっている。そうなるといよいよ数正の立場はない。そう考えると家成には数正の現状がいささか心配であった。

「それで数正はどうなった」

「なんでも河内(現大阪府)領地を与えられたとか」

「秀吉様の近くか。思いのほか信頼されているのか」

「ただまあさしたる役は与えられていないようですが」

 それはそうだろう、と家成は思った。領地の方はあらかじめ約束されていたのかも知れないが特に功績は上げていない。尤も数正の離反が徳川家の戦意をくじいたのだからそこは手柄といえるかもしれないが。

 ともかく数正は豊臣家の家臣としてやれているようである。これには家成も一安心した。

「思えば兄上、数正の父親も家康様に背いた。形は違えど息子が同じようなことをしでかすとは。何とも因果であるな」

 しみじみと家成は言った。それに対して康通はこう反論する。

「数正殿には家康様に取り立てられた恩義がおありでしょう。叔父上の犯したこととは比べ物になりませぬ」

 しかし家成はこれを制してこう言った。

「いや、そのことも含めて数正の心の中には瘧があったのだ。そして信康様のこともある。数正は心のどこかで家康様を信じることができなかったのだ。ゆえに誰よりも働き功をあげ己の立場を守った。しかしもう限界であったのだろう。ある意味不幸な男だ」

 家成はまたしみじみといった。その眼に涙がたまっているのに気づいた康通は声も出さずに驚いている。

 その後の石川数正は領地を信濃の松本に移し二万石加増された。そして豊臣家臣として生きるが文禄元年(一五九二)に死去する。まだ家成も生きていたし家康も健在であった。年長者の酒井忠次も生きている。家は嫡男の康長が継ぎ、のちに徳川家の傘下に入っている。


 豊臣家は東国の監視を家康に任せ西国の平定に専念した。そして天正十五年(一五八七)には反抗していた島津家の討伐に向かい傘下に収める。

 この頃家康は同盟関係にある北条家を豊臣家に従わせようと手を尽くしていた。これはうまくいくかに見えたが北条家の家臣の暴発がきっかけで秀吉は北条征伐を決意。天正十八年(一五九〇)に北条家は滅亡した。その後東北の大名たちも豊臣家に降伏し傘下に収まる。こうして豊臣家の天下統一は成された。徳川家は豊臣家の傘下の大大名として生きていくことになる。

「運も実力のうち。だがこれで平穏に生きられるか」

 家成はそんなことを考えていた。ところが家成はあわただしく掛川を出なければならなくなる。というのも徳川家はこれまで収めていた三河、遠江などの五ヶ国から旧北条家の領地である関東に移ることになった。石高は一一九万石から二五〇万石への大幅な加増である。しかし苦心して手に入れ慣れ親しんだ領地を手放さなければならない。しかも本領ともいえる三河まで奪われるのだ。

「従った以上致し方なし。家康様もそう思っているのだろう」

 実際家康は文句ひとつ言わず北条家の征伐が終わるとすぐに転封の準備を始めた。それには多くの家臣の移動も伴う。石川家は上総(現千葉県)の成戸に入った領地も増えている。「喜ばしい事なのでしょうね」

 康通は複雑そうな顔で言った。父から受け継ぎ守ってきた掛川から去らなければならないことが気にかかるのだろう。それが仕方のないことだとわかっていても。

 そんな康通に家成は言った。

「これよりはお前の思うがままに石川家を栄えさせろ。徳川家への恩義と忠義を忘れず領民を慈しめばそれも容易い。お前はそれができる」

「父上…… ありがとうございます」

 家成の言葉で康通もいくらか救われたようである。屋敷から去る時は笑顔であった。

「さて、俺も成戸で隠居所を探さなければな」

 そんなことを考える家成であったが、後日家康からの使者がやって来た。曰く

「これまでの忠勤と武功を賞し、伊豆に隠居料五千石を与える」

とのことであった。家成は少し驚くが素直に受ける。

「ありがたく受け取ります」

「左様か殿もお喜びになられる。梅縄には城があるのでそこに入られるがよい」

「ははっ」

 城まであるのか。そう驚く家成であったが顔には出さなかった。家成はすぐに康通にこのことを報せ何人か家臣を預けてもらうことにする。

「大した広さではない。俺みたいな老いぼれを二、三人よこしてくれれば良い」

 この物言いに苦笑する康通であった。

 後日成戸に向けて出発する康通に一向について行く形で家成も出発した。尤も掛川と梅縄はそれほど距離がない。すぐに家成の一行は離れていった。

「父上もご健勝で」

「俺の健康より自分の健康を気にしろ。まあいい。元気でな」

 そう言って石川親子は別れた。家成は観光がてらゆっくりと梅縄までの道を進む。その途中でふと思った。

「(家康様はいつぞや俺の忠義に答えると言っていた。これがそう言うことか? まあ、いいさ)」

 家成はのんびりと旅路を進むのであった。これで戦が終わり泰平になったのだから、という思いもある。だがそれはまだ気の早い話であった。


 


 天正大地震の規模はすさまじく飛騨(現岐阜県)の内ケ島氏は自身で城が倒壊したうえ、一族郎党巻き込まれ滅亡してしまっています。ほかにも多くの地域が被害を受けたようで秀吉も驚いたことでしょう。家康も思いもよらなかった自体でしょうがのちのことを考えるとこの地震で日本歴史は大きく動いたといえるかもしれませんね。

 さていよいよ本格的に家成は隠居しました。そして戦国時代も終焉に向かって行きます。ですが家成はもう一度だけ表舞台に立つことになります。お楽しみ。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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