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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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武田元信 名家の誉 後編

 武田元信は久しぶりに領地に戻るも領地は混乱していた。元信は何とか混乱を治め領地の安定のために敵対していた勢力に攻め込む。そして戦いの中で元信の身にある不幸が降りかかるのであった。

 武田家と一色家は日本海岸の水運の権益をめぐって対立を続けていた。状況は一進一退であったが武田家は将軍家や管領細川家との関係が深い。そのためわずかであるが武田家が有利であった。

 元信は出陣に当たって義澄に銭三万と太刀を献上した。それに応じて将軍義澄は元信へ丹後侵攻の御内書(将軍の書状)で大義名分を与える。一見ドライなやり取りにも見えるが元信が進物と一緒に送った書状にはこう書かれていた。

「一色を討ち滅ぼせば今まで以上に上様をお助けできまする」

 これを見た義澄は喜んだ。義澄と政元は相変わらず反目している。やはり元信の助けが欲しいところだった。

「頼んだぞ。元信」

 義澄はそんな思いも込めて書状をしたためたのであった。

 さてこの丹後侵攻で政元は元信を助けるために兵を派遣した。派遣したのは政元の養子の澄之、澄元である。武田勢は東から、細川勢は南からそれぞれ侵攻した。結果一色氏は二正面作戦を強いられることになる。

 武田勢は政元の助けもあり苦戦しながらも一色方の要所を攻め落としていった。だが一色家の抵抗も激しく侵攻開始の翌年に戦線は膠着する。ここで政元は澄之、澄元、赤沢宗益を引き連れて自ら参戦するのであった。

 その報告を聞いた元信は歓喜した。

「政元殿がここまで力を入れてくれるとは。代々続く絆というものはありがたいな」

 政元は自分が出陣するだけでなく細川家中随一の猛将赤沢宗益も引き連れてきた。ここまでするということに政元の本気が見えた。

「この戦い、勝てるぞ。そうすれば上様のお力になれる」

 元信は喜び勇んで一色家当主、一色義有が籠る今熊野城を攻撃し始めた。だが今度は信じられない知らせが届く。

「政元殿が帰京したと!? 」

「は、はい。一緒にいた澄元殿も一緒のようです」

「なんと…… 」

 伝令からの報告を聞いた元信は愕然とするしかなかった。あと少しで勝利というところで総大将がいなくなるなど信じられない話である。尤も元信は気付かないでいたが、この行動には政元の複雑な立場が影響していた。

 政元にとって元信は味方である。しかし一方で自分と反目する将軍に近しい。したがって元信の勢力が強くなるという事実は二つの面を持っている。それは味方が強くなると同時に敵も強くなるという事だった。

 元信は政元の微妙な立場を理解できなかった。それゆえ愕然とするしかない。だがそんな元信に伝令はまだ悪い知らせを伝える。

「それと加悦城の石川直経を攻めていた澄之殿が講和を結んだようです」

「なんだと!? 本当か!? 」

「はい。石川殿と講和を結んでこちらも帰京してしまったようで」

 元信はその場に倒れそうになった。だが伝令にみっともない姿を見せることはできない。何とか踏みとどまって状況を整理する。

「すると前戦にいるのは私たちと赤沢殿だけか…… 」

「いかがいたしましょう? 」

 伝令は不安そうな顔をした。元信は表情を引き締めて言う。

「ともかく今後退するわけにはいかん。まだ赤沢殿の兵がいる以上勝機はある。皆に動揺するなと伝えてくれ」

「かしこまりました」

「それと新たな情報が入ったらいち早く伝えてくれ。この先何が起こるかわからない」

「し、承知」

 いつになく緊迫した様子で元信は言った。伝令にも真剣な表情でうなずくと陣中を出ていく。残された元信は言いしれない不安に襲われていた。

「(どうも嫌な予感がする。いち早く丹後を平定して備えねば)」

 元信は心臓が冷たくなるような感覚に襲われていた。これは兄が死んだときにも感じたものだった。

 かくして武田家と一色家の戦力は拮抗した。それでも元信と宗益は奮闘し徐々に一色家を追い詰める。しかしあと一歩というところで元信の嫌な予感が的中してしまった。そして元信に大きな災いが降りかかる。


 その事件は永正四年(一五〇七)の六月に起きた。修験道に凝っていた細川政元は行水中に家臣に襲撃され命を落とす。襲撃した家臣たちは澄之を後継者として擁立し将軍義澄の許可も得た。このため政元殺害の黒幕は澄之とされる。後継者候補から外されたのが理由らしい。

 そんな報告を受け取った元信だが、情報はほとんど頭に入らなかった。同じく報告を受け取った家臣たちも似たような反応をする。元信はしばらく呆然としていたが正気に戻ると家臣たちに向かって叫んだ。

「すぐに講和を結べ! そして迅速に丹後から離脱する! 」

「ははっ! 」

 虫の息の一色家は喜んで講和を結んだ。赤沢宗益も講和を結び帰京しようとするが途中で石川直経の攻撃を受けて死亡する。

 一方の元信は敵地にとどまる訳にもいかず全力で若狭に逃げ帰る。こうして元信の丹後侵攻は失敗した。

若狭に帰った元信は情報収集と体制の立て直しを図るが、思いのほか損害も大きく時間がかかった。そしてその間にも事態は急激に推移していく。

 まず養父を殺し当主の座に就いた澄之だが二ヶ月後には同じく養子の細川高国に攻め滅ぼされる。家督は澄元が継いだのだが澄之を討った高国と対立しはじめた。さらに周防に逃れていた前将軍足利義尹がこの混乱を知り西国の雄、大内義興と共に上洛の準備を始めたのである。

 高国は義尹と手を組み澄元に対抗した。結果混乱が続く幕府にまともな対抗策が討てるはずもなく義尹が上洛。義澄は京を追い出さる。この事態に元信は何もすることができなかった。

「申し訳ありません…… 上様…… 」

 自分の無力さを悔やむ元信。こうして義尹は将軍に返り咲いた。そして義尹はかつて元信が自分を裏切り攻撃したことを忘れなかった。結果元信は幕府内部での立場を失い、京の屋敷を引き払った。

 この混乱の中で少しだけ時間が取れた元信は師である三条西実隆に会いに行く。

「お世話をおかけしました」

 そういう元信の姿はだいぶ老け込んでいた。

「お体に気を付けて」

 対する実隆はそう声をかけるしかなかった。それだけ元信の受けた心の傷は大きい。寂しげに去っていく元信の小さくなった背中を実隆は寂しげに見送るのであった。


 元信は意気消沈して若狭に帰ったが義澄は復権をあきらめなかった。義澄は澄元と手を組み何度も京を脅かす。

「義澄さまはあきらめないのだな…… 」

 だが、これらの行動に元信は関わらなかった、というより関われなかった。

 将軍足利義尹は元信に厳しい目を向け続けていたので迂闊な行動はとれないでいた。さらに一色家が息を吹き返し武田家に攻勢をかけていた。これらの対応に追われ元信は動けずにいる。

「申し訳ありません義澄さま…… 」

 内心はでは義澄を支えたいと思っていた元信だが状況がそれを許さない。やがてそうこうしているうちに義澄が死んでしまった。永正八年(一五一一)京を追われてから三年後のことだった。これをきっかけに反高国の動きは沈静化し義尹、高国の政権はとりあえず安定した。元信も越前の朝倉氏の助けを受け一色氏の侵攻を退ける。武田家も日本海岸の水運に関する利権を確保した。これで武田家もひとまず安定したと判断したのか永正一六年(一五一九)、元信は得度し僧籍に入る。そして息子の元光に家督を譲り隠居した。

こうして武田元信の激動の人生は静かに幕を閉じる、と思われた。だが最後の最後で驚くべき事態が起こるのである。


 元信隠居の二年後、京で再び騒動が起きる。なんと将軍足利義尹改め義稙が淡路へと出奔してしまった。以前にも義稙は高国と仲たがいし近江に出奔している。結局のところ政元の時代と変わらず将軍と管領の仲たがいというのは続いているのであった。

 将軍が出奔したことで怒ったのは高国であった。以前は義稙を呼び戻したが今回は別の将軍を建てることにする。その将軍こそ何を隠そう義澄の息子の義晴であった。

 この知らせを聞いて元信は驚いた。

「なんと…… 世の中わからんものだ」

 何とも言えない感慨を抱く元信。しかし驚いたのはこれだけではなかった。

 ある日息子の元光がやって来てこう言った。

「父上。この元光、上様を助けるべく京に向かうことになりました」

「なんと。だが高国殿が何というか」

「それがその高国殿からの要請です。父上と政元殿のように手を携え幕府を支えないかと言われました」

 それを聞いた元信は内心呆れた。今更何を言うのだという話である。とは言えその心情を口には出さない。むしろ口に出すのは別のことである。

「まあ、よい。民の負担にならぬ程度に励め」

 口から出たのは自分の失敗を踏まえた助言であった。そんな父の助言を受けた息子は大きくうなずく。

「はい。それはもちろんです。ああ、それと」

「なんだ? 」

「京に来る際は父上もつれてきてくれとのことです」

「わしもか? 」

「はい」

 元信は意味が分からなかったが了承した。久しぶりに京に上るのも悪くない。それに死のうが死なないがあまり関係のない老いぼれなのだから。そんな考えであった。


 京に上った元信は実隆と再会した。お互い老けていたが中身は大して変わらない。

「元信殿もご健勝ですな」

「実隆殿は忙しそうで」

「いやはやありがたいことです」

 実隆には弟子が増えたようだった。文化を受け継ぐものが多くなることを実隆は素直に喜んでいるようだった。

 実隆と再会してから数日後、元信は息子と共に新将軍足利義晴に拝謁した。義晴はまだ幼い。そしてそばには高国がいてふんぞり返っている。それをみて元信は内心笑った。

「(政元殿以上だな)」

 声に出して笑いそうになるがそれをぐっとこらえる。そんな元信の心情を知らずに高国は声を上げた。

「これよりは上様にしっかりと仕え、管領の私を助けるのだぞ」

「はは」

 元光は素直に答えた。そんなやり取りに元信はますます吹き出しそうになる。が、ちゃんとこらえた。

 拝謁を終え元信が元光と去ろうとしたときそれまで一言もしゃべらなかった義晴は口を開いた。

「そなたが武田元信か」

「はい。左様です」

 元信は振り返ると頭を下げた。それをみて義晴は微笑んだ。

「よく父に仕えてくれたと聞いている。ご苦労であった」

 それを聞いた瞬間元信は震えた。そして平伏し震える声で言った。

「もったいなきお言葉…… 」

 元信はそう絞り出すように言うとその場を去る。その眼には涙がにじんでいる。

 義晴に拝謁を終えた元信は若狭に帰った。そして同年一二月に息を引き取る。

「色々あったがいい人生であった」

 元信は死の間際にそう言った。とても満足そうな死に顔であったという。

 というわけで名家の誉・後編でした。この話でも出てきた政元暗殺からの混乱は多くの人々の人生を狂わせます。まさしくこの時代の混迷を象徴する事件と言えるでしょう。元信も人生を狂わされた一人でしたが最後に少しだけ報われることができました。そういう意味ではいい人生であったのかもしれません。

 さて、次に取り上げる人物は関東の武将です。この人物は割と知っている人もいると思うのですが、それだけに執筆に神経を使っている気がします。ただなかなかにダイナミックな人生を送っている人物なのでお楽しみいただけると思います。

 最後に誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では

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