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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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石川家成 従兄弟 第八章

 長篠の戦で武田家を打ち破った徳川家。しかしその後に起きた嫡男信康の自害は家中に波紋を投げかけた。この状況の中で家成は隠居を決意する。おりしも世は天下統一への流れが見え始めていた。そんな中で隠居となった家成の目に何が写るのか。

 家成隠居の年である天正十年、家康は高天神城を攻撃した。かねてより家康は高天神城を包囲するように砦を築き、万全の状態でいよいよ攻撃という事である。

 今回の高天神城の攻撃には本多忠勝を始め主要な遠江にいる主要な徳川家臣たちは参加していた。しかし家成はいない。隠居しているのだから当然であるが。

「やはり隠居したというのは本当であったのか」

 忠勝は家成がいないのを確認して溜息をついた。昔世話になったし家成が掛川城に移ってからも時々気にかけてもらっていた。何より家康の従兄で長年の重臣であった人物なのだから尊敬もしている。それだけに隠居の話を聞いても信じられなかった。

 そんな忠勝の下に歩んでくる男がいた。

「本田様。お久しぶりにございます」

「康通か」

 やって来たのは家成の息子の石川康通である。忠勝は康通が石川家の家臣たちに色々と指示をしている姿を見て家成の隠居を確信した。別に康通が悪いわけではないがどうしても態度が冷たくなる。尤も康通もそうしたことに関しては理解していた。

「家を継いで本当に驚いたのは父が慕われていることです」

「当然だ。家成殿は殿が駿河に置かれていた時期からの忠臣の一人。戦とあらば先陣をかけ徳川の為に戦った。そんな御仁がいなくなったのだから皆の意気も下がろう」

「ええ。父は本当に家康様の御為に戦い続けました。それは私がよく知っていることです。若輩者の私では代わりにはならぬでしょう」

 そう言う康通だがもう二十を過ぎた立派な青年である。近年の武田家との戦には参陣することも多く立派に活躍していた。

 忠勝は康通の物言いを聞いて少し言い過ぎたかと後悔する。しかし康通はこう言った。

「私は父の代わりは出来ませぬが己の務めは必ず果たします。父にそう言われて育ってきました。何より私自身がそれを深く胸に刻んでいます」

 堂々と康通は言った。それをみて忠勝は康通を見直す。

「(なるほど。子がこれ程のものなら隠居もできよう。家成殿は父としても立派なお方であるな)」

 康通は忠勝の見る目が変わったことに気づいた。別に自意識過剰なわけではない。こうしたやり取りを今日だけでも何度も行ったからだ。

「(父上は本当に慕われていたのだな。私も己の務めを果たし、これくらい認められるものになってみせよう)」

 そう心の中で誓う康通であった。


 高天神城は数か月に及ぶ包囲を受ける。もともと家康は高天神城への補給線を断つように砦を配置しておりただでさえ物資は乏しかった。それでも城将の岡部元信を始め武田家の兵士たちは耐え忍び援軍を待った。しかし当時東西南を敵に囲まれている武田家に援軍を送る余裕はなかった。そして覚悟を決めた元信は動ける将兵を連れて打って出る。

「このまま座して死ぬのは武士の面目がたたぬ。ならば一戦交えて散ろうではないか」

 最後の一花咲かせよと突撃する武田軍。その目標となったのは康通の陣であった。康通はこれに対して冷静に対応する。

「前に出て出鼻をくじくのだ。敵はあれがすべてであろう。まず陣を抜かれることを防ぐことそれができれば御味方も駆けつける」

 実際康通の指揮下の兵が一番少なかった。尤もそこに目を付けた元信がすさまじい。

「流石は岡部殿。音の聞こえた名将。だがここを抜かせるわけにはいきませぬ」

 岡部元信はもともと今川家の家臣であった。そしてその中でも一番の武勇を誇る人物である。今川家滅亡後は武田家に仕え、その武勇を買われ要所である高天神城を任されていたのだ。しかしこの有様なのは見てのとおりである。

 康通は自ら陣頭に立ち武田勢の猛攻を防いだ。すると味方の大久保忠世と大須賀康高が援軍に駆けつけてくる。そうなればもはや武田勢に勝機は無かった。

 元信は自ら先陣を切って突撃したが大久保忠世の家臣に討ち取られた。先に相対したのは忠世の弟の忠教であったが、まさか総大将が自ら先陣を切るとは思っていなかったので一太刀交えると家臣に任せたようである。その後忠教はあれが岡部元信であったと知ると後悔したという。

 康通ら石川家の者たちは特に名のある将を討ち取ることは出来なかった。しかし敵が奥深くに進むのを止め味方の動きを助けるような働きをしている。

「我らの仕事はこの場を守ること。それが成し遂げられれば十分だ」

 こうして最後の突撃が阻まれた武田家にもはや戦う力は残されていなかった。家康は忠勝らを城内に討ち入らせ残る戦力を掃討させた。もはや敵に戦う力はないのに念の入れようである。

 戦後康通はその働きを家康に褒められた。

「無駄に見栄を張らず己の役目を全うする。家成譲りの実直さ。見事だ。これからも儂を支えてくれ」

「お任せください」

 康通は短く答えた。言われるまでもなくそのつもりであったからである。

 こうして遠江の要所の高天神城は落城し遠江は大部分が徳川家の支配下に収まる。そして援軍を出せなかった武田家勝頼の名声は失墜した。


 掛川城の近くにある屋敷。ここに家成は隠居している。家成としては城から遠くにあるところに屋敷を構えたかったが、康通や家臣たちに頼まれて城の近くに居住していた。

「父上にはまだまだ私たちの背中を押してもらいたく思います」

 康通が言うのはそういう事である。

 さて高天神城を落城させた後、康通は家成の屋敷に姿を現した。家成は城に向かうことはほとんどない。尤も康通や一族の者、家臣たちはたびたび顔を出すが。

「此度は無事役目を務めることができました」

「そうか。戦にも勝ち一族郎党皆無事である。万事うまくいったことだ」

「全くその通りで。これも家康様のお力のおかげでしょう」

 康通の言う通り今回の戦で家康は準備に準備を重ね攻城戦に挑んだ。その甲斐あってか被害も少なく済んでいる。しかし康通には少し気になることがあった。

 夜になると二人は酒を酌み交わしながら今回の戦について話し合った。そこで康通は気になっていたことを家成に尋ねる。

「慎重を期すのはよいことではありますが、いささか時間を多く割いたようにも思えます。家康様はそれほど高天神城や岡部殿を警戒成されていたのでしょうか」

 康通が気になっていたのはそこだった。家康が行った準備はやりすぎともいえるほどでそのうえ包囲に数か月かけている。時間がかかるという事はそれほど物資も多く使うし兵たちも疲労するものだ。それが必要な事なら納得するが果たしてそうだったのだろうかというのが康通の疑問である。

 これに対し家成はこう言った。

「お前はまだ目の前のことしか目に入れていないな」

「と、言いますと」

「此度の戦。時間をかけることが狙いだったのだ」

 家成は家康の考えをこう推察した。

「かつて我らは高天神城を見捨てるしかなかった。それには致し方のない理由もあったが周りはそうは見ない。結果徳川家や織田家の名声は地に堕ちた。そして武田家を勢いづけることにもなっている。だが今回は立場も状況も逆だ。武田家は援軍を出せる状況ではない。家康様はそこに目をつけわざと長引かせることで武田家の名を貶めたのだろう。これでおそらく遠江の衆は我らに従い駿河や甲斐、信濃の衆にも武田家への不信が芽生えるだろう」

 実際のところこれはほぼ正解であった。唯一間違っている点は包囲を長期化させるように言いだしたのが織田信長であるという事ぐらいである。

 この家成の発言に康通は素直に感心した。

「流石お父上。家康様のお心をよくお知りになられている」

「よせ。息子に世辞など言われても気味が悪い」

 そう言って家成は顔を赤くするのであった。それは酒のせいではない。


 信長や家康の目論見通り高天神城の落城は武田家の名声を致命的に失墜させる。さらに武田勝頼は戦費や築城費用の調達の為に領民への税を増やしていた。これにより武田家領民や家臣たちの心は武田家から離れていく。

そうした動きについては家成の耳にも届いていた。康通や家臣たちがたびたび情報を伝えに来ているからである。

「この隠居に世情を伝えてどうするのか」

 息子や家臣たちの気遣いに苦笑する家成であった。

 さて天正十年(一五八二)木曾義昌が武田家を離反し織田家に従った。義昌は武田家の一門でもある。そんな義昌が寝返ったことを織田家は武田家を滅ぼす好機ととらえる。

「ここで一気に出陣し武田家を滅ぼすのだ」

 信長はまず嫡男の信忠を先行して出陣させ自らは後を追った。そして家康にも指示が出る。

「徳川は駿河に侵攻し、そこから甲斐に向かうのだ」

 もはや家臣同然の扱いであったが家康は特に気にもしない。もうすでに自分の立場がどこにあるかは理解しているからだ。むしろこの指示を喜ぶくらいである。

「信長様の力を借りず駿河を攻め落とせば、駿河は我が手に入る」

 家康はすぐに準備を整え出陣した。そしてまず掛川城に入る。ここで後続を待つつもりであった。そして家康には別の用事もある。

 家康はわずかな供を連れて家成の屋敷に向かった。家成は家康が来たことに驚く。

「主君が家臣の隠居にわざわざ会いに来るなど。何を考えておられるのです」

「お前は幼き頃よりの付き合い。そして何より従兄弟ではないか。縁者に会うのに理由などいるまい」

 こう返されては家成も折れるしかなかった。とりあえず酒を出して家康をもてなすことにする。

 家康は上機嫌であった。それは家成にもわかる。

「(あれほど苦しめられた武田家を追い詰めたのだ。喜びもひとしおのはず。織田家も大軍を送るという。おそらく武田家の命運もこれで終わりだろう)」

 徳川家はもちろん織田家も動かせる最大兵力で武田家の征伐に向かっている。武田家は数度織田家に降伏を申し出ていたがすべて退けられていたらしい。武田家に苦しみられていたのは織田家も同様である。織田信長はそれを忘れていない。

「(武田家に連なるものは生き残ることは出来まい。信長様は冷酷なお方だと聞いているからな)」

 家成がそんなことを考えていると、家康は神妙な顔をしてこう言った。

「なぜ隠居した? 」

 家康からはさっきまでの機嫌の良さは消えていた。家成も家康の真剣な様子からこれを聞きに来たのだろうという事に気づく。少し考えてから家成はこう言った。

「信康様の件。やはり疑問に思いまする」

「お前もか。数正もそうだった。だがそれだけではあるまい。掛川に押し込められていたのが不満であったのか? 」

「違いますよ」

 家成は笑った。そしてこう続ける。

「拙者は殿の命に疑問など抱いておりません。この掛川城を守る任に疑問を抱いたことなどない。ですが家康様から下された命に不満や疑問を持つ者もいる。そうした者たちは信康様の一軒で皆退けられた」

 この発言に家康は反論する。

「それはそう言うものだ。家を守るには一丸とならねばならんのだ」

「その通りです。しかしもし俺も不満を表に出していたら…… そう思ってしまった」

 そう言ってから家成は悲しい顔をした。

「俺もどこか不満を持っていたのだと気付いた。だからもう家康様の役に立てんと思ったのですよ」

 家成はどこか悲しそうな様子で言った。そしてそれを家康は何となく理解する。ゆえにこれ以上理由を聞く必要もないと理解したのであった。

 それから二人は他愛もない話で酒を酌み交わす。最期に家康はこう言った。

「お前の今までの忠義に必ず応える」

 これを家成はそこそこに受け取った。しかし家康の目は真剣なものであった。


 家康が掛川城に入った翌日軍勢が集結する。いよいよ駿河への侵攻である。康通は掛川城で待機となった。

「万が一に備えるのがわが家の役目なのでしょうね」

「まあそういう事だ」

 石川親子はそう言って笑い合った。

 家康率いる徳川家の軍勢は駿河に進出たが目立った抵抗を受けなかった。むしろ我先にと降伏するものが出てくる有様である。しまいには武田家一門である穴山梅雪までもが投降してきた。梅雪は武田領国の道案内までしている。

 こうした情報は掛川城の家成の耳にも届いた。家成はなんとも言えない悲しみを覚える。

「我らを苦しめ続けた武田家がこんな簡単に…… しかも一門から内応も起きる有様。無常とはこのことか」

 武田家は織田家からの攻撃も受けていた。しかし駿河と同様に各地の領主たちは次々に降伏していき、抵抗したのは勝頼の弟の仁科盛信ぐらいという有様である。

 この事態に武田勝頼は城を捨てて妻子とわずかな家臣と共に逃亡した。しかし天目山に追い詰められ自害して果てる。こうして源氏の名門にして戦国最強ともうたわれた武田家はあっけなく滅亡した。

 徳川家は攻め落とした駿河の地を一国賜った。

「一国丸々とは。気前のいい話だ。しかし周りの敵もいなくなった。一体これから徳川家はどう生きていくのか」

 長年の宿敵が滅亡し周りの大半の土地は織田家の物となった。そして織田家は天下そのものを手中に収めようとしている。その傘下の徳川家の立場は安泰といえるだろう。

 しかし家成はなんとも言えない不安を覚えるのであった。


 もうこの戦国塵芥武将伝で何度も描いた武田家滅亡にまつわる話です。この件についてはいろいろな視点から描いていますが、戦国最強と言われ多くの大名に恐れられた武田家はあっという間に滅びてしまいます。その原因は諸説ありますがその最後にはやはり哀愁が漂います。まさしく無常という事なのでしょう。

 さて続いての話は徳川家が予想外の動乱に巻き込まれていく話です。その中で家成に縁の深いある男の行動も取り上げます。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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