武田元信 名家の誉 中編
若狭の武将、武田元信の話。
幕府内で起きたクーデター明応の政変。これにより将軍は入れ替わった。新しい体制の下で元信にいかなる運命が待ち受けるのか。
義材が越中に逃れてからしばらくは表立った行動はしなかった。対する幕府は相変わらず不安定である。また新将軍の義高と政元の関係も良好とは言えなかった。
一方で武田家と細川家の関係は良好である。それは元信と政元との関係も同様であった。とは言え幕府をないがしろにするつもりは毛頭ない。これからは父や兄と同じように一生懸命仕えるつもりだった。
そういう事情もあり元信は領地の運営を家臣に任せ、幕府での活動に専念することにした。一応、領地経営にかかわらないというわけではない。あくまで活動の比重を幕府寄りにするという事である。
さて政局の都合上、故郷を離れ在京する元信だがあまり苦痛にはならなかった。京で元信が足しげく通う場所があった。それは公家三条西実隆の屋敷である。
実隆は当代随一の文化人である。このころも混迷の京において古典や和歌などの貴族文化の保護に努めていた。
元々元信は父の影響で貴族文化に関心があった。そこで京にいる間は出来るだけ貴族文化を学ぼうと考えていたのである。そこで実隆から学ぶこと決めたのであった。
元信が初めて実隆を訪ねたのは明応の政変が終わり、義材が越中に逃れてから数ヶ月後のことである。実隆の屋敷は京の公家屋敷の中でもなかなかに立派なものだった。
実隆は武家ともつながりが深く、幕府ともかかわりが深かった。元信は政元に取次ぎを頼み実隆と面会することができた。
こうして元信と実隆は対面した。元信の目の前に座る実隆は貴族らしい穏やかな雰囲気の男である。しかし気品を感じさせる雰囲気も持っていた。
「三条西実隆にございます」
「武田元信です」
双方、慇懃に礼を交わす。元信はやや緊張した感じであるが実隆は変わらず穏やかな雰囲気を醸し出していた。実隆はそんな元信の雰囲気を察したのか微笑んだ。
「そんなに気を張る必要はありませんよ」
「は、はい」
実隆は元信よりやや年長であるがそれほど年は離れていない。だが実隆には元信が持ち合わせていない落ち着きがあった。いわゆる貫録の差というものである。
実隆に促された元信は緊張を解こうとする。だがかえって緊張してしまう。
「も、申し訳ありません」
自分が情けなくなった元信はそう言った。そんな元信をやさしく見守る。
「諸芸を学ぶのにそこまで気負う必要はありません。それを心に留めゆっくりと体を解きほぐしましょう」
「はい…… ありがとうございます」
実隆の心遣いに元信は感動した。そしてこの師の下ならよい成長ができると確信する。
こうして元信は実隆の下で様々な文化を学ぶことになった。実隆は熱心に教え元信もそれに全力で答える。その結果元信はめきめきと成長していった。
こうして得がたい師を得た元信。そして師の下でもう一つ重要な出会いをすることになる。
その日も元信は実隆の屋敷を訪ねた。だがいつもは日を決めて元信が尋ねるのだが、この日は前もって実隆から呼び出されたのであった。
「(いったい何だろう)」
元信にはわざわざ呼び出されるような理由は思い浮かばなかった。とは言え尊敬する師からの呼び出しである以上は行くしかない。いつも通る京の道を元信はわずかな不安を抱えて歩いていく。
そして実隆の屋敷に付いた元信は屋敷に通された。しかし案内されたのはいつも実隆の教授を受ける部屋ではなかった。元信はそのことを不安に思うが口には出さない。この程度で動揺しては武士の沽券にかかわる。
「(何も動揺することはない。私に非があれば謝ればいいのだから)」
そう心に決めた元信。するとしばらくして実隆の家臣がやってきた。
「武田様。お待たせいたしました」
「構いません」
実隆の家臣は元信をいつもの部屋に案内した。部屋に入る前に元信は平伏すると中にいるであろう実隆に声をかけた。
「武田元信です」
「どうぞ。おはいりなさい」
部屋の中から実隆の優しい声が聞こえた。元信は実隆の優しい声に安心すると障子に手をかけた。
「失礼します」
障子をゆっくり開け元信は部屋に入った。部屋に入ると実隆のほかにもう一人いる。その人物は元信よりもだいぶ若く少年と言ってもいい姿だった。
その少年は実隆より上座にいた。そしてその理由が元信にはわかる。なぜなら少年は元信の知る人物であったからである。
元信は震えながら少年を凝視した。少年はどうしたらいいのかわからないような雰囲気をしている。一方の実隆は優しげに笑っていた。
震えていた元信だがやっとのことで声を絞り出す。
「う、上様…… なぜここに…… 」
少年、いや足利義高はどう答えたらいいのかわからず困惑している。その横で実隆は相変わらず優しい笑顔をしていた。
元信の動揺が落ち着いてきたのを見計らって実隆は口を開いた。
「すまない。驚かせてしまったな」
「え、ええ。しかしどうして上様が」
「何、君と変わらぬ理由だよ。諸芸を習いたいと訪ねてきたのだ」
実隆がそう言うと元信は驚いた顔で義高を見た。義高は不安そうな雰囲気である。そんな義高に実隆は優しいまなざしを向けた。
「公方の務めは忙しいのだろう。だがそのさなかにあっても芸を学ぶということは大切なことだと私は思う。それが心の救いにもなるかもしれん。それに芸を通じて信の置けるものにも出会えるかもしれん」
実隆の言葉を受け義高は頷いた。
元信はそこで義高が実隆の下を訪れた理由に気付く。
「(上様も心を開ける相手がいないのだろうな)」
義高は周りの都合で将軍職に就いた。もちろん周りに味方は少ない。数少ない後ろ盾であった日野富子は先年この世を去った。
「(心細いのだろうな…… ならば)」
元信は表情を引き締めて義高に向き直る。
「上様」
元信に声をかけられて実隆の表情が変わった。
「これよりはともに学んでいきましょう。何も心配することはありません」
元信は胸を張って言った。その姿に義高の表情も和らぐ。そしておずおずといった。
「よろしく頼む…… 」
そこで義高はやっと笑った。それを見て元信も実隆も胸をなでおろすのだった。
こうして元信は実隆の下で義高と出会った。これを機に元信は幕府へより忠勤し、義高も元信を信頼する。将軍との間に出来た信頼関係は元信の義高への忠誠心を強くした。
元信は幕府の復権のため活動した。そして義高政権が安定しはじめた頃、あの男が再び姿を現すのである。
元信はその知らせを京で聞いた。
「義尹殿が挙兵しただと?! 」
その知らせとは前将軍足利義材改め、足利義尹の挙兵であった。この知らせに元信だけでなく幕臣や在京する守護たちも色めき立つ。
「やはり尚順殿に呼応したのか」
「おそらくはそうでしょう」
幕府の老臣、伊勢貞宗のつぶやきに元信は同意した。おりしも明応の政変で戦死した畠山政長の息子の尚順が挙兵。河内や和泉、大和などを攻め落としている。政元はこの対応に忙殺されていて義尹の動向に目がいかなかった。
義尹は越中から越前に移り兵を挙げた。越前は元信の若狭と隣り合っている。
「(留守の皆は大丈夫だろうか)」
この状況で元信は京を離れるわけにはいかなかった。京を、ひいては将軍義高を守らなければならない。若狭のことは留守居の家臣に委ねることにした。
「伊勢殿。我々は」
「うむ。兵を集めて守りを固めよう」
「心得ました」
元信たちは貞宗の号令の下で義尹の侵攻に備えることにする。しかし
「申し上げます! 」
「なんだ」
「延暦寺が敵方に呼応したようです! 」
「なんだと?! 」
権威と兵力を兼ね備えた延暦寺が義尹方に着くという事態に陥った。
この事態に義高は顔を青くする。
「どうしたらいいのだ…… 」
今にも倒れそうな顔で義高はつぶやいた。その姿を見て元信は何とか知恵を絞る。
「(何か方法はないのか…… )」
元信はここまでに至る様々な出来ごとを思い出す。そしてその中から事態を打破できそうなことを探した。
少し考え込んでいた元信だが、やがて乾坤一擲の妙案を思いついた。
「そうだ…… 」
「武田殿? 」
「元信。どうした? 」
元信は義高に向き直った。
「六角殿に出陣を要請してはいかがと」
「六角殿に? 」
「はい」
元信が思いついたのは近江の雄、六角高頼に出陣を要請することだった。だがこの案に貞宗は苦い顔をする。
「考えはわかる。だが六角殿が首を縦に振るか…… 」
貞宗が懸念するのも無理はなかった。六角氏は義尚、義尹の代に幕府の追討を受けている。その遺恨はまだ存在した。
元信は貞宗の言葉に大きくうなずく。もっともその懸念は十分に理解していた。
「そこは、すでに赦免しているので…… それに遺恨なら義尹殿に向くはずです」
「そうかもしれんが…… しかしほかに手立てもないか」
貞宗は覚悟を決めると頷いた。義高も緊張した面持ちでうなずく。
「武田殿は上様と京の守りに集中してくれ。私は六角殿との交渉に専念する」
「わかりました。延暦寺はいかがします」
「政元殿がこちらに向かっているらしい。比叡山への対応のためだそうだ」
「そうですか。ならば急ぎ行動しましょう」
元信と貞宗は自分たちのやるべきことを確かめると頷きあう。そして貞宗はその場を足早に去った。
残された元信も兵を纏めるために立ち去ろうとする。だがその前に義高の方を向いた。
「上様」
「う、うむ」
緊張した様子の義高。そんな義高に元信は微笑んだ。そして力強く言う。
「あとはお任せくだされ」
「あ、ああ。任せたぞ」
元信の強い言葉に義高はやっと笑った。それを見届けた元信は強い決意を浮かべた顔でその場を去った。
こうして元信たちの戦いは始まった。元信は京に帰還した政元と合流する。そして政元はこう言い放った。
「比叡山に火を放つ」
これには元信も義高も幕臣たちも絶句する。政元はこの事態にひどく苛立っているようだった。怒りをにじませた雰囲気で言い放つ政元に元信は確認する。
「本気ですか? 」
「本気だ。僧侶ともあろうものが俗世の争いに加わろうなど言語道断だ。万死に値する」
政元はそう言い切った。そして家臣の赤沢宗益に命じて比叡山に火を放つ。結果比叡山延暦寺は灰燼に帰し大打撃を受ける。とても出兵できる状態ではなくなった。
燃え上がる延暦寺を見上げながら義高はつぶやいた。
「これはあまりにも…… 」
この作戦に義高は否定的だった。しかし政元は強行してしまう。
「上様…… 」
肩を落とす義高に元信は掛ける言葉がない。元信は言いようのない感情を抱えながら比叡山を見上げていた。
さて是非はともかく政元は延暦寺の動きを封じることに成功した。元信は政元たちと共に出陣し近江の坂本まで南下してきた義尹軍を食い止める。
「ここは何としてでも死守するぞ! 」
「おおおおおおおお! 」
坂本を越えられれば京は目前となる。ここを突破されるわけにはいかない。
「(あとは六角殿次第か)」
この状況で六角勢が義尹軍を攻撃すれば勝利は間違いない。そういう意味でも勝負の分かれ目だった。元信は心の中で祈った。
「(伊勢殿を信じるしかないな)」
はたして伊勢貞宗の説得は成功した。六角勢は坂本で足止めされる義尹軍を攻撃し打ち破る。また河内の畠山尚順も赤沢宗益をはじめとする細川軍の攻撃に屈した。
義尹は坂本から脱出すると周防の大内氏を頼りに落ちのびていった。こうして元信たちに訪れた危機は去ったのである。
義高は元信をねぎらった。
「此度はよく働いてくれた」
「いえ。当然のことです」
「これからも末永く私を支えてほしい」
義高はすがるように言った。その言葉に元信は驚く。
「私でなくとも政元殿がいるではないですか」
そう言うと義高の表情は曇った。そしてぼそぼそと言う。
「あ奴は私の言葉など聞かん」
「ですが…… 」
「私を置物だと考えているのだ」
そう言い放つ義高の顔は怒りで赤くなっていた。そして
「今に見ていろ…… 」
義高は憎々しげに言い放った。その姿に元信は絶句する。
「(上様はそこまで政元殿を憎んでおられたのか)」
義高の内に秘めた憎悪に元信は驚くしかなかった。だが、同時に強く決意する。
「(この上は私政元殿と上様の橋渡しを努めよう)」
元信は心の内でそう誓った。それは父や兄と同じく幕府に懸命に仕えようという決意だった。だがこの決意は思わぬ形で元信を苦しめることになる。だがそれに気付けるほどの危機感が元信にはなかった。
義尹の京への侵攻から三年経った。この間にも元信は懸命に義高に仕えた。また政元とも協調しうまくやっている。
他方では三条西実隆の屋敷に通い諸芸を身に着けた。そして領国に帰るとそれを家臣や一族にも伝える。こうして若狭には文化の華が開くのであった。
しかし一方で義高と政元の距離は縮まらないでいた。さらに前年は諸国で旱魃が起き、飢饉が発生する。この対応にも元信や幕臣たちは苦悩した。
「うまくいかないものだな…… 」
義高の下で働きながら元信はそうつぶやいた。だがこの時点で元信は事態をそこまで深刻に捕らえてはいなかった。これが元信の首を絞めることになる。
このころ元信は基本的に京で仕事をしている。幸い若狭は近いのでふた月に一度は戻ることができた。とは言え基本的には京から指示を出し、現地の家臣たちが実務を担うという形式である。
その日も元信はいつも通り若狭に帰っていった。
「早く戻ってきてくれ」
このところますます政元との仲が悪くなっていた義高はすがるような目で言った。これには元信も後ろ髪を引かれる思いであったが、気持ちを振り切り若狭に帰還する。
帰還した元信は家臣たちに迎えられた。
「おかえりなさいませ。殿」
「ああ。しばらくぶりだな。皆元気にしていたか」
元信と家臣たちは久々の再会を喜ぶ。離れていても元信と家臣たちの絆は変わらなかった。
「京から歌人たちを連れてきた。仕事が終わったら歌会を開こう」
「おお。それはいいですな」
元信の提案に家臣たちは歓喜する。京から元信が伝えてきた文化を学び家臣たちも教養を身に着けつつあった。
文化のおかげで武田主従の絆は強くなっていく。だが、元信が知らない間に領民との溝が開いてしまっていることをこの時は気付いていなかった。
元信が若狭に帰還してから数日後、思わぬ知らせが元信の元に届く。
「一揆だと!? 」
「は、はい」
それは一揆が発生したとの知らせであった。元信は苦虫をかみつぶした顔になる。
「原因は何なんだ? 」
残念なことに元信は原因に思い至らなかった。尤も長いこと若狭を離れていたので仕方がないともいえるのだが。
実際の所、一揆がおきたのは元信に原因があるといっても過言ではない。元信が在京費や各自軍事行動にかかる費用は領民の税で賄われていた。だがその負担は大きくさらに近年の旱魃により飢饉も起きていた。これらの不満がついに一揆となって爆発したのである。
悲しいかな元信は在京していて領地の現状を把握していなかった。一方の家臣たちは事態を楽観視していて領民の状況を把握しきれていなかったのである。
ともかくこの事態に元信は自ら鎮圧することを決意する。
「これ以上の悪化は何としても避けなければならない」
元信は家臣や一族郎党を引き連れて出陣した。しかし一揆勢の抵抗は思いのほか強く一族から死者が出るなど苦戦した。
「ここまでとは…… 」
最終的には一揆を鎮圧できたその衝撃は大きかった。特に元信が衝撃を受けたのは一揆の抵抗の強さもそうだが、それ以上に領地を把握できていない自分の不甲斐なさである。
「これでは上様を助けることなどできんな…… とにかく領地を立て直そう」
自身の不甲斐なさを痛感した元信はしばらく若狭にとどまることにする。だがこの決断に将軍義高は驚いた。
「早く戻ってきてくれ。元信」
義高はそう訴えたが元信は承知しなかった。
「上様のお気持ちはありがたく受け取ります。しかし領地がこの状況では上様の助けにはなれません。どうかご容赦を」
元信は丁寧に思いを述べた手紙を義高に差し出した。手紙を受け取った義高はそれ以上何も言わなかった。
こうして元信は領地の立て直しに専念することになる。立場上何度か京にも赴いたが永く在京することは無くなった。
一方義高は元信が手元からいなくなったことで心境の変化があったのか、名を義澄と改めた。義澄もまた自分の仕事をなそうと考えたのだろうか積極的に政務に参加しはじめる。しかし細川政元はこれを快く思わなかった。
結局元信がいなくなったことで義澄と政元の仲はさらに悪化した。だがそれでも将軍の権威が必要な政元と政元の兵力が必要だった義澄は決定的な決裂には至らなかった。一方京から離れた元信はその存在感を徐々に失っていく。しかし領地の立て直しは苦戦しつつも徐々に軌道に乗っていった。そして永正三年(一五〇六)、領地のさらなる安定のためかねてより敵対していた一色家の丹後に攻め入ることにする。
これが元信の運命の分かれ道となるのである。
というわけで中編でした。なお話の中で三条西実隆という人物が登場しますが苗字は三条西で正しいです。誤字ではないのであしからず。
この話の中で足利義材が義尹に、義高が義澄に改名しました。この時代はいろいろ状況を把握するのが大変なのですがこの二人の改名もその一因であったりします。ちなみにこの後義尹はもう一度名を変えます。ややこしいですね。
さて久しぶりに領地に戻ってみれば一揆が発生していた元信ですが、後編では更なる不幸が襲います。元信はどうなってしまうのか? そして最後に待ち受けるのはなにか? ぜひご期待ください。
最後に誤字脱字などがありましたらご連絡ください。では
 




