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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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彦坂光正 駿府町奉行始末録 大久保長安事件

岡本大八事件は無事に幕を下ろした。だがある男の死をきっかけに次なる騒動が始まる。光正はあまり関わることのなかったこの騒動。一体どういった結末を迎えるのか。

 岡本大八事件が一応の落着を見た翌年の慶長十八年(一六一三)大久保長安がこの世を去る。長安は岡本大八事件の後に年寄を辞して駿府に移り住んでいた。どうも近年は体調を悪くしていたらしく死因は中風であったらしい。

「長安殿は大御所様からの信頼も篤いお方だった。わざわざ大御所様が作った薬も与えられていたらしい」

「それはすごいことですね」

 駿府奉行所で光正は源八とそんな話をしていた。光正は長安とは多少の付き合いがある。というのも叔父の元正と長安が同じ地方の仕事をしていて、元正の下で働いているとき光正も長安と顔を合わせる機会があった。しかし元正と長安では任されていた仕事の規模がまるで違った。

「長安殿は各地の金山や天領の支配も任されていたらしい。年寄にも列せられていた。それだけの功をあげていただから当然ともいえるがなんともすさまじいことだ」

「全くですな。それほどのお方の葬儀とはどんな大層なものとなるのでしょうか」

「それはわからん。しかし源八よ。まだご家中の悲しみも癒えておらん時期に葬式の話などするでないぞ」

 光正は源八をしかりつける。これに対して源八は不思議そうに言った。

「拙者もそう思うのですが、昨日大久保様のお屋敷の前を通った時何やら騒がしかったのです。でてきた中間に聞いてみるとなんでも葬式の準備をしているそうで」

「何だと? いくらなんで早いのではないか」

「中間に聞いてみると亡骸を甲斐に葬るようにと遺言があったそうで。そのために急いで葬式をして甲斐に向かおうとしているそうです」

「なるほどな。甲斐は長安殿の旧主の武田家の本領。そこに葬られたいという事か」

 大久保長安は徳川家康に仕える前は武田家に仕えていた。そこでも金山の採掘に功があったらしい。家康はそれを見込んで長安を家臣にしたのである。

「ともかく故人が安らかに眠れるようにしてもらいたいものだ」

 光正はそんなことを考えていた。この時はまだこの後に起こる事件の片鱗すら感じていない。


 その日に届いた報せに光正は驚いた。

「長安殿の葬儀が取りやめに? しかも大御所様直々に止められたとは」

 その報せというのは長安の葬儀が中止になったというものだった。しかも長安の死葬儀を中止させたのは家康だという。理由は近年長安が取り仕切っていた代官所での会計に不信があったからだという。これに光正は疑問を抱いた。

「長安殿が無くなって早々に、か。大御所様がかねてより不信を抱いていたからかそれとも誰ぞの讒訴があったからなのか」

 気になる光正であったがこの件に関して光正に何の沙汰もない。見守るしかなかった。

 暫くして長安の代官所に勤めていた役人達が駿府に召還された。不正の件について取り調べをするらしい。この時も光正に声はかからなかった。家康直々の手の者によって調べさせるつもりのようである。

「大御所様は自らの手ですべて調べつおつもりのようだが何故なのか。長安殿の手の者はそれなりの数がいるだろう。私に手伝わさせてもらえればいろいろと楽になろうものを」

 そう思った光正だが取り調べは素早く済んだようである。会計に不正があったことが判明し長安は横領していたようだった。

 家康はこれに怒り家臣たちに命令した。

「諸国にある長安の財貨を調べよ。不審なものがあれば直ちにこちらに伝えるのだ」

 この号令により一斉に長安の財産についての調査が始まった。家康の大掛かりなやりように光正は驚く。

「大御所様は相当お怒りのようだな。あれほど重用した家臣が罪を犯したのだから当然か」

 一応納得する光正。だが心のどこかでなんとも言えない不信を抱いていた。


 長安の不正の調査はあわただしく進んだ。駿府でも人の出入りが激しくなっていき、城下町でも不穏な空気が流れる。

「こうしたときこそ町奉行としての務めを果たさねば」

 光正は城下町の空気などに気を配り町人たちの不安を治める。しかし光正自身はなんとも言えない不安を抱えていた。

「長安殿が不正を行っていればその子等もただでは済まないだろう。実際長安殿の領地は取り上げられてしまったようだからな」

 長安の子供たちは家康から長安の代官所の会計について調べるように命令された。しかし長安の子供たちはこれに対して消極的な反応をしている。拒否したといってもおかしくないような態度であった。もちろんこれに家康は怒る。

「この程度の命をこなせないようであれば領地など任せられん。全部取り上げてしまえ」

 家康の命令で領地を取り上げられた長安の子供たちは上司である重臣の大久保忠隣の下に預けられた。忠隣は徳川家に長く仕えた重臣であり本多正信、正純親子に匹敵する権威を持っている。しかしこの長安の一件でそれにも陰りが見え始めた。それゆえにこんなうわさも出回る。

「今回の件は本多様が大御所様に讒訴したから露見したのではないか」

 実際両者の派閥は拮抗している。ただ岡本大八事件で本多親子の派閥はそれなりの痛手を受けた。その件もあり本多親子が巻き返しを図り家康に讒訴したのではないか、という噂であった。

「実際のところどうなんでしょうか」

 源八は噂の件を報告しつつ光正に尋ねた。これに対し光正はこう答える。

「岡本の最後の取り調べは長安殿の屋敷で行った。正純殿はこれを嫌がったのは事実だ」

「ならばこの噂も真なのでしょうか」

「いや、それはないだろう。正純殿はともかく正信殿は忠隣殿と親しい。いくら自分が不利だからといって陥れるような真似はしまい」

 この光正の答えに源八は納得したようだった。一方光正は別のことを考えている。

「(長安殿の不正について大御所様はかねてより知っていたのではないか。しかしわけあって生前にはそのままにしておいて長安殿が亡くなられたら調べようとしていたのだろう)」

 光正は今回の件は家康が主導しているものだと考えていた。実際長安の取り調べに関しては光正や正純たちに頼ることなく自らの手の者に全て調べさせている。家康のそうして動きからは全てを自分の手で終わらせようという家康の強い意志のようなものが見受けられた。

「(大御所様は長安殿の痕跡をすべてなくそうとしておられる。おそらくご子息たちには厳しい沙汰が下るだろう)」

 実際光正の考えている通りのことになる。忠隣に預けられていた長安の子で男子は七人いた。彼らは長安の不正蓄財の咎を背負わされ全員切腹となる。これにより長安の家は跡継ぎがいなくなり断絶となった。

 この切腹の時、光正はある仕事を与えられていた。駿府に召喚されていた長安の部下の役人たちが光正に預けられたのである。彼らは特に罪に問われるわけではなかった。

 光正は長安の部下たちに尋ねた。

「此度の件如何思うか」

 多くの者は言葉を濁したり答えない。しかしうち一人の者はおずおずといった。

「長安さまはそれはそれは豪奢な暮らしぶりでして。一体その金はどこから出ていたのだろうかと思うこともありました」

「それほどに豪奢な暮らしをしていたのか」

「はい。各地の金銀山を巡視に行くときも遊女を連れ宿所では好き放題に振舞われていました」

 そう言ってその役人は大きなため息をつくのであった。

「事の真相はともかく派手好きで金回りは荒い。疑われるのも仕方なし、か。だがそれだけでここまでなさるとは思えんが」

 光正の中には家康への疑問が芽生えていた。


 光正は長安配下の役人たちの協力を得て長安の所有する財産を特定し収拾した。長安は金銀だけでなく絢爛豪華な茶道具も含まれている。

 これらを見て源八は感心とも呆れとも取れる風に言った。

「これだけ集めてもまだ足りなかったという事なのでしょうか」

「分からん。しかし長安殿が財を集めることに執心であったことは間違いないだろう」

 ここに集められたのは長安が自ら集めたものである。だがその点について光正は気になることがあった。

「(これらはすべて長安殿が集めた物。しかし会計をごまかして手に入れたという証拠はどこにもないのだ)」

 光正はここに来て初めて長安の会計不正の調査について関わった。しかしその過程でいいくら調べても長安が不正を行っていたという証拠が出てこないのである。

「(大御所様は何を証拠に長安殿を糾弾し子息たちに腹を切らせたのだ)」

 そこについて疑念を持つ光正であった。しかしすべて裁決の下ったことでもある。もはや調べようもない。

 光正の胸には言いようのないものが渦巻いていた。何か重苦しい嫌なものである。そしてそれを生み出しているのは全ての決定を下した家康に対しての不信であった。

「大御所様は何を考えてこの決を下したのか」

 悩む光正。そんなとき本多正純が訪ねてきた。

「特に用があるわけではないのだが…… 大久保殿の件が大変なことになったのでな」

 そう言う正純の表情はどこか暗い。疲れ切っているようにも見える。

「貴殿も忙しそうだな」

「ああ。大久保殿が不正をしていたという事が色々なところに飛び火しそうでな」

「色々なところ? 」

「ああ。大久保殿とつながりのある大名は多い。彼らから自分は潔白だとか関わりないとか。そういうのを大御所様に伝えとほしいというのがたくさん来てな。正直参っている」

 ため息まじりに正純は言った。

「(とてもではないが正純殿が糸を引いたようには見えんな)」

 疲れ切った様子の正純を見ているとそんな気がしてくる。芝居にしてはあまりに疲れ切った表情であった。

 光正はふとこんなことを訪ねた。

「大御所様はどこで長安殿の不正のことを知ったのか」

 これに対して正純は不機嫌そうに言った。

「お主も私や父上を疑っているのか」

 どうやら疲れの原因のまだあったらしい。光正は慌てて否定する。

「そうではない。ただ長安殿が不正をしていたという証拠が見当たらなくてな」

「そうなのか…… だがだとしても大御所様のお決めになられたことに意を申すわけにもいくまい」

「それはそうだがな」

 光正は納得していないという雰囲気を見せる。するとそれを察したのか正純はこう言った。

「父上の話では近年長安殿の評判は芳しくなかったらしい。金や銀が出にくくなっていて大御所様も苛立っていたそうだ」

「大御所様の寵も衰えていたという事か」

「そうだ。そうなってくると長安殿の振る舞いや各国の大名たちと親しいのを面白くないとも感じられていた、と父が言っていたよ」

「なるほど。そうか」

 光正は短くいった。納得したのだかそうでないのかわからない雰囲気である。正純は帰り際に言った。

「不信を抱くなとは言わん。だがそれを表に出すようなことはすべきでないぞ」

 これに光正はうなずかなかった。


 後日光正は駿府城に向かった。というのも集めた長安の財を駿府城の倉に収めるためである。そして光正は制作した目録を家康の小姓に渡そうとした。すると小姓は

「大御所様には彦坂様自らお渡しするようにと」

といった。光正は小姓に案内されて家康と対面する。光正は無言で恭しく目録を渡した。家康は無言で受け取ると目録に目を通す。一通り見終わると光正に目線を向けた。

「よくできている。大義であった」

「ありがたき幸せにございます」

 そう言って光正は退室しようとした。すると家康は

「少し待て」

といった。光正はそれに従い無言で座る。

 家康は落ち着いた声色で言った。

「お前のことだ。此度のこと疑問に思っておろう」

 光正はズバリと心中を見透かされた。だが驚くことなく肯定する。

「その通りにございます。拙者が調べた限りでは長安殿が不正を行っていたという証は見受けられませんでした」

「そうか。だが長安が代官所の、余剰の金を懐に入れていたのは事実なのだ。儂のところに駆け込んできた長安の家臣が証拠を持ってきた。そして息子共もそれを認めておったよ」

 これには光正も驚き声も出ない。そんな光正に家康はこう言った。

「それは長安が色々と手をかけたので出た金で、それは公儀の金ではないといっておった。だが、それを黙っていたのは許せることではない」

「しかし…… 子息の方々全てに腹を切らせるのは」

「あやつらがすべてを認め素直に差し出して居ったら少しは温情もあった。だがそうしなかったのだからもはやどうすることもない」

 光正は黙った。反論もできそうな論理であったが家康の言い分もわかったからである。家康は光正が言い返さないをみとるとこう続けた。

「幕府は、公儀は盤石でなければならん。そのためには家臣たちが主君に偽りを申して話ならんのだ。それをすれば公儀は崩れ天下泰平も成し遂げられん」

「天下は大御所様や秀忠様の下で治まっているのでは」

「いまだ治まってはおらんよ。だが儂が死ぬまでになさねばならん。そのためには乱の芽になりそうなものは潰していかなければならん。それが家臣であってもだ…… 光正よ」

「はい」

 家康は光正をじっと見た。光正もそれを逃げずに受ける。

「これからも頼むぞ」

「承知しました」

 光正は家康の覚悟を感じ取った。ここでもはや迷いはなくなったのである。

 その後大久保長安に連なる人々は連座のせいで裁かれることになった。幕府の主要な人物にもその累は及んでいる。しかしこれで幕府はさらに強固な体制となったのである。



 岡本大八事件に比べると大久保長安事件は小説等でよく取り上げられています。現在での研究でも不明な点の多い事件であり、そうした点が多くの人々の興味を引き付けるのかも知れません。

 若干触れられていますが大久保長安は元武田家臣でその後家康に仕え出世していきます。その出世ぶりは徳川家臣の中では随一といえるでしょう。それゆえに妬みも多かったかもしれません。その点も事件に関わっているかもしてませんね。

 さて二つの事件を経て光正の話も最終章に入ります。一体どのような人生をたどるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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