表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
178/399

彦坂光正 駿府町奉行始末録 岡本大八事件

 家康の信任を得て駿府町奉行になった光正。彼は奉行としての役目の他に様々な政治的事件にかかわることになる。

 慶長十六年(一六一一)光正は家康から呼び出された。

「いったい何事であろうか」

 駿府町奉行に着任してから二年。光正は駿府城下町の行政や周辺地域の開発などに邁進してきた。そしてそれらはうまくいっている。

「お叱りを受けるわけではないだろう。しかしわざわざ呼びつけられるとはただ事ではない。何か起きているのではないか」

 わざわざ家康からの呼びつけである。何か異常な事態が発生したのではないか。光正はそう考えていた。そして実際その懸念は正解であった。

 光正と対面した家康は明らかに厄介ごとを抱えているようだった。光正は家康の言葉を待つ。やがて家康はため息まじりに口を開いた。

「お前は岡本大八という男を知っているか」

「はい。確か本多正純殿の御家臣だったかと」

 本多正純は家康の腹心ともいえる本多正信の息子である。今は駿府で家康のそばに仕えていた。もちろん光正とも面識があるし仕事の上で協力することもある。光正は正純と仕事をしたとき岡本大八といわれる家臣がいたのを覚えていた。

「それでその岡本殿がいかがしましたか」

「そうじゃ。実はこやつが肥前(現長崎県)の有馬に偽りを申して賄賂を受け取ったらしい」

「それは…… なんという事を」

 有馬というのは肥前日野江藩の大名である有馬晴信のことである。そしてこの晴信嫡男の直純は家康に近習していた。さらに去年に家康のひ孫である国姫を妻として娶っている。

 そうした情報から光正は察した。

「(正純殿としては家臣の不始末は自分の手でどうにかしたいのだろう。しかし晴信殿や直純殿と家康様のつながりを考えればうかつなことは出来ない。ならばこの際家康様に決を下していただこうという事か)」

 関係者の複雑な立場を考慮すれば分からない判断ではない。そして光正は自分が呼び出された理由も察した。

「これより手の物を使い、事の仔細を調べまする」

「ああ。頼むぞ。しかし正純め。厄介なことを持ち込みおって」

「大御所様。黙っておられるよりだいぶましではないでしょうか」

「それもそうだ。ともかくこれ以上厄介なことになる前に頼むぞ」

「承知しました」

 そう言って光正はその場を去った。


 光正はさっそく行動を開始した。まず部下の菱井源八を肥前に向かわせ有馬家から事情を聴取させる。一方自信は本多正純の下に向かった。正純からも今回の件について話を聞くためである。

 正純はすんなりと会ってくれた。今回の件には相当頭を抱えているらしい。

「拙者も大八に詰問しているのです知らぬ存ぜぬとしか申しておらぬ」

「正純殿は今回の仔細をいつ知ったのですか」

「有馬殿の口から聞いたのが初めてだ。大八は拙者に何も言わなかったからな」

 正純は光正の知っている以上のことを知らないようだった。本当に急に知ったのだろう。

 光正は次に大八に話を聞くことにする。

「私は駿府町奉行の彦坂光正。大御所様の命で事の次第を調べに来た。偽りなく話すのだ」

 これに対し大八は涙ながらに言った。

「此度の正純様のなされ様は真にひどい。私は何も知らぬといっているのにこうして屋敷に閉じ込められている。私は本多家や正純様に今までずっと尽くしてきた。そんな忠臣にこのような無体はひどい。正純様は有馬様のご嫡男が大御所様に近習しているため怯えているのです。彦坂様。どうかわたしをお救い下さい」

 なんとも大げさに言う大八。そんな大八に対して光正は冷静に言った。

「貴殿はかつて長崎奉行の長谷川藤広殿に仕えていたそうだな」

「は、はあ。そうですが」

 大八は冷静な様子の光正に戸惑った。しかしそんな大八を無視して光正は話を進める。

「先年に行われた有馬殿のポルトガル船への報復の際には、長谷川殿と共にそれを検分した。間違いないな」

 これは慶長十四年(一六〇九)の事件のことである。有馬晴信の貿易船が当時ポルトガル領であったマカオに寄港した際トラブルが発生し、晴信側に死者が出た。これに対して晴信はポルトガルへの報復を決意しこれは家康に認められる。そして長崎港に寄港していたポルトガル船を攻撃し、結果ポルトガル船は炎上。船の火薬庫に引火し自沈した、という事件である。

 大八にはこの事件の話題を出されたことに驚いているようだった。明らかに動揺している。

「は、はい。それが一体何か」

「有馬殿が報復の許しを得るのに間に立ったのが長谷川殿。これは長崎奉行の務めであるから問題はない。だが報復の仔細に関する報告は貴殿が行った。何故長谷川殿やその家臣の者ではなかったのだ? 」

「そ、それは…… 長谷川殿はお忙しく…… それに私自身駿府に戻る必要があったので」

「そうか。ならばなぜそのあと肥前に向かったのだ? 」

 こう言われて大八は黙った。そしてうつむいてしまう。そんな大八に光正は冷静に言う。

「結果の報告なら長谷川殿を通じて行えばいいのではないか。だがわざわざ貴殿が出向く必要が私には分からない。何故だ? 」

 この問いに大八は黙ったままであった。光正は暫く返答を待ったが、大八が何も言うつもりはないとわかるとその場を去る。

 その後光正は正純に尋ねた。

「岡本はなぜ肥前に向かったのですか。正純殿は理由を知っているでしょう」

「ああ。大御所様から事の次第を直接伝えるように仰せつかったといっていた。正直陪臣にそんなことを言うとも思えなかったが」

「そうですか。ありがとうございます」

 そう言って光正は正純の下を去るのであった。


 暫くして年が明けたころ菱井源八が帰って来た。光正の思った以上に速い帰還である。

「早かったな。ありがたいことではあるが」

「はい。実はとんでもないものを有馬様から渡されまして」

「とんでもないもの? 」

 源八は懐から書状を取り出した。そのとんでもないものはこの書状らしい。光正はそのとんでもない書状を受け取ると中身を見た。

「これは朱印状か」

「そうです。しかも大御所様のです」

「何だと…… いやちょっと待て」

 光正は家康から朱印状をもらったことは当然ある。だからその違和感に気づいた。

「これは大御所様の朱印とは少し違う。うまく似せてあるが…… まさかこれはそういう事か」

 苦々しい顔で光正は言った。源八は苦々しくも少し呆れたような顔で応える。

「偽物です。有馬様はこれを岡本殿に渡されたそうです」

「何と馬鹿な…… 」

 光正は大八の所業に呆れた。同時に朱印状の確認も怠った晴信にも呆れたが。

「天下の諸侯がこのようなものに騙されるとは。それだけ旧領への復帰が望みであったようだな」

「そのようです。私は有馬様に直に会いましたが大層なお怒りようでして」

「それはそうであろうな」

 晴信からしてみれば詐欺にあったようなものである。しかも自分の悲願を利用してのものであるから怒りは心頭であろう。だが一方で光正には気になることがあった。

「晴信殿はこれの存在を長谷川殿に伝えなかったのか。なぜわざわざ駿府にまで出向いて正純殿へ談判したのだ」

 首をかしげる光正。一方で源八は何やら複雑な表情をしている。どう言いだしたらいいか困っているようだった。光正もそれに気づいたので話すように促す。

「構わん。話してくれ」

「はい。そのどうも有馬様と長谷川様は仲がよろしく無い様でして」

「長谷川殿と有馬殿が? 」

「はい。それはそれは諍いも多く、有馬様が申されるには件の報復の件に関してもいろいろと小言を言われたようで」

 これを聞いて光正は頭を抱える。

「天下の諸侯と天下の奉行が仕様もない。何を考えているのか」

「ともかく有馬様は長谷川様を大層憎んでおいでのようで。この偽物を渡さなかったのも頼りたい相手ではなかったからなのでしょうね」

「それもあるだろう。それに岡本は長谷川殿の元家臣。信じられるものではないだろうからな…… 」

 そこまで言って光正は大きなため息をついた。一体何をやっているんだろうという心境になる。だがもはややるべきことは決まった。

「これより支度を整え本多殿の屋敷に向かう。岡本大八を我らの下で詮議する」

「承知しました。すぐに準備に取り掛かりましょう」

 そう言うや源八は準備に出ていった。光正は件の偽の朱印状を懐にしまうと部屋を出る。そして源八ほか二名の部下を連れて正純の屋敷に向かうのであった。


 慶長十七年(一六一二)彦坂光正は岡本大八を捕らえた。むろん大八は抵抗する。

「天下の奉行がこのような無法を成されるのか」

 もちろん光正は意に返さない。正純の許しは得ているし動かぬ証拠もある。

 光正は奉行所に大八を連れていくと例の偽造朱印状を見せた。

「これに覚えがあるだろう」

 しかし大八はしらを切る。

「覚えがございませぬ。むしろそれは私を陥れんと誰かが作ったものでしょう」

 大八は平然と言い放った。実際のところこの書状を書いたのが大八であるという確たる証拠はない。せいぜいこの書状を大八が晴信に渡したのを見たものが数名いるくらいだ。

 だがこの偽装書状で大八に罪を着せるメリットがある人物などそういない。そもそも大八を陥れたいのならもっと簡単な手段があるだろう。そうした状況証拠から考えれば、これは大八が書いたものであると考えるべきであった。

 光正はしらを切る大八にこう言った。

「天地神明に誓って違うと言い切れるか」

「勿論です」

「ならば相応の責めを用意しよう」

そう言うと光正は家臣と共に大八を別室に連れていった。その部屋は拷問に使っている部屋である。当時拷問で自白を引き出そうというのは当たり前に行われていた。それは大八も知っている。それゆえに恐れてはいなかった。

「(どんな責めであろうと耐えきってみせる。もし私のしたことがばれれば獄門ものだ)」

 どんな苦痛でも死ぬよりはまし。大八はそう考えていた。

 光正は大八の手を後ろに回して縛り上げた。足も同様である。そして大八がその体制のまま仰向けになるように吊り上げた。さらに大八の背中に石を置く。これには大八も苦悶の表情を浮かべる。

 光正は大八に尋ねた。

「あの朱印状はお前が書いたものだな」

 大八は首を横に振った。答えられぬほど苦しいのである。しかし拷問はこれで終わりではなかった。

「やれ」

 光正の号令と共に大八はつられたままクルクルと回転させられた。見ようによっては滑稽にも見える。しかし回転させられることによって大八の頭とひざに血液が集中し激痛を走らせた。

「――! ――! 」

 大八は声にならぬ悲鳴を上げる。やがて顔は真っ赤になり鼻血が出てきた。大八は鼻血を深き散らしながら首を振る。それを見た光正は回転を止め大八に尋ねた。

「あの書状はお前が偽造したものだな」

「そ、その通りでございます…… 」

「そうか」

 光正はそう一言だけ言ってその場を去った。気も絶え絶えの大八は源八らに抱えられ牢まで連れていかれる。

 こうして一連の事件は決着がついた、かと思われたがここで思いもよらぬ展開に移るのである。


 牢に連れていかれた大八は後日体調の回復を待って取り調べを受けた。そこでこんなことを言いだす。

「有馬様は長谷川様を亡きものにしようとしておられます」

 騒然となる光正の部下たち。一方冷静さを保っていた光正は大八に尋ねた。

「それは真か」

「ま、誠にございます。有馬様はポルトガル船への報復を手ぬるいと長谷川様に言われました。それに腹を立てた有馬様が「今度は長谷川を沈めてやる」と申しておられたのを見たのです」

「それは怒りに任せていったのだろう。本当に亡き者にしようと考えたわけではあるまい」

「し、しかし有馬様が長谷川さまを憎んで追われたのは事実。ど、どうかこれに関してもお調べを」

 その時の大八はあまりにも必死であった。光正もその様子が真実だと思い、この件を家康に報告する。これには家康も怒った。

「本心かどうかは別に大名が幕府の奉行に害意を抱くとは。流石に見過ごせん。だがこれ以上は駿府でやるべきではないな」

 家康は光正に大八を江戸の大久保長安の下に送るように指示する。さらに晴信も召還した。大久保長安は幕府の年寄(のちの老中)であり幕府の中枢人物の一人である。

「あとは江戸で決着をつけるという事だろう。ともかく私の役目はこれで終わりか」

 光正はとりあえず自分の役目を負え一息つくのであった。

 その後長安の屋敷で大八と晴信は尋問にかけられる。大八は自分の罪を洗いざらい白状し駿府で火あぶりの刑を受け刑死した。一方の晴信も長谷川藤広への害意を認めてしまい、賄賂を贈った罪と合わせて甲斐に流刑となる。その後切腹を命じられるもキリシタンであったことから拒否、家臣に斬首させ死亡した。ただ有馬家自体は家康に近習していた直純が継ぐことを許されて存続する。こうして江戸時代初期に起きた大事件である岡本大八事件は幕を閉じる。だがすぐに別の大きな事件が起きてしまうのであった。


 今回出てきた拷問は駿河問いと呼ばれるものです。彦坂光正が考案したもので江戸時代の拷問の中でも屈指の苦痛を与えるものだと言われています。詳しく知りたい方は調べてみるとよいかもしれませんが、諸々については自己責任でお願いします。

 さて今回のメインとなった岡本大八事件はかなりインパクトの強いものです。貿易のトラブルに始まり外国船の撃沈、贈収賄などともかくいろいろなことが起きています。ちなみに有馬晴信も岡本大八もキリシタンで、この事件がキリシタンの弾圧に影響したとも言われています。次も江戸時代初期の大事件を取り上げるのでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ