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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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彦坂光正 駿府町奉行始末録 序章

 徳川家臣彦坂光正の話。

 彦坂光正は今川家臣彦坂成光の子として生れる。だが光正が生まれたころ今川家は衰退を始めていた。戦国時代が終焉に移り始めるころに生まれた光正には一体どのような運命が待ち受けるのか。

 彦坂光正は永禄八年(一五六五)に生まれた。生家である彦坂家は三河(現愛知県東部)の領主で、光正の父の成光は大大名で駿河(現静岡県東部)を中心に治める今川義元に仕えている。しかし光正が生まれたころにはすでに義元はこの世にはいなかった。何故なら永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いで不慮の戦死をしてしまったからである。

 義元の跡を継いだ氏真は愚物ではなかったが大名としての器量は足りなかった。そのため義元から受け継いだ領地は徐々に減っていく。さらに今川家に従属していた三河の徳川家が独立して今川家に戦いを挑んでいる。そんな状況にあっても成光は今川家に仕えていた。

「義元様は私を見込んで取り立ててくれた。その恩義を忘れるわけにはいかない」

 そんな決意のもと成光は今川家に属して戦い続ける。しかし永禄十一年(一五六八)に今川家の同盟者であった武田家が徳川家と同盟を結んだ。今川家と武田家の関係は先年より悪化しており同盟が破綻するのも時間の問題と思われていた。そして武田家が徳川家と同盟を結ぶことで同盟も破綻したわけである。

 当時武田家は甲斐(現山梨県)や信濃(現長野県)などを治める大大名である。氏真は同盟者として武田家の強大な軍事力を頼みにしていた。しかし武田家は義元が死に弱体化した今川家は同盟者として取るに足りないと考えたのだろう。ならばいっそその領国を取り込んでしまえばいいと考えた結果がこれである。

 この動きに今川家臣たちは動揺し、いよいよ今川家を見限るようになった。成光の周りの者たちの中にはすでに武田家に内通しているものもいるようである。

 ある時成光は同僚から武田家への内通を誘われた。

「もはや今川家は終わりだ。ここは武田家に鞍替えして家を残すべきではないか」

 これに対して成光はこう答えた。

「それも一つの道なのだろうが私は今川家に最後まで仕えようと思う。家の当主としては失格かも知れないが、主家を見捨ててまで生き残ろうとは思えんのだ」

「しかし成光殿。貴殿には幼い子もおろう」

「だからこそ、だ。子に自分が恥じるような姿は見せられん」

「そうか。ならば致し方あるまい。貴殿は貴殿の道を進むがいい」

「すまない」

 その後内通していた家臣は今川家を出て武田家に従った。やがて武田家の攻撃が始まる。さらに徳川家も同時に攻めてきた。

 光正は氏真や残った家臣達と共に抵抗した。しかしかなうはずもなく遠江(現静岡県西部)の掛川城に追い詰められる。

「ここまでか。私はともかく殿や我が子等は生き延びてほしいものだ」

 掛川城は徳川家に包囲されていた。徳川家の当主の家康は氏真に降伏を勧告、氏真もこれを受け入れる。城の将兵は無血で解放され氏真は妻の実家である北条家にかくまわれることになった。

「これでお前たちは自由だ。今までよく仕えてくれた。感謝するぞ」

 氏真は成光たちにそう言って去っていった。こうして今川家は滅亡し彦坂家は主家を失ったのである。


 今川家が滅亡し浪々の身となった彦坂成光。そんな成光に手を差し伸べるものがいた。

「久しいな。元正」

「ああ。無事で何よりだ。成光」

 成光に手を差し伸べたのは従兄弟の彦坂元正であった。元正もかつては今川家配下の三河の武将であったがすでに徳川家康に仕えている。成光に声をかけたのも徳川家へ仕官させるつもりであった。

「家康様は義元様に比肩する、いやそれ以上のお方。これからさらにその所領を大きくなされるはず。だがそのためには人が足らん。どうだ成光。お主も徳川家に仕えてみないか。直臣は難しくとも与力を必要としている方々は多い。幸い拙者は三河の田原城の城主の本多広孝殿と縁がある。お主さえよければ推挙するが」

 元正は熱心に成光を誘った。そして成光としてもこの誘いを断る理由はない。

「頼めるか? 元正」

「ああ。当然だ。ならばすぐに広孝殿と連絡を取ろう」

「よろしく頼む」

 こうして成光は本多広孝の家臣となり徳川家に仕えることになったのである。


 徳川家に仕えることになった彦坂成光。そこでの生活や仕事は無難にこなしうまくいった。彦坂家も本多家の下で無事に生き残る。

 こうした環境で成光の息子である光正はすくすくと成長して行った。光正は真面目で利発な少年であった。父の言うことをよく聞き文武を真面目に治める。そしてそのどちらにも優秀な才を示し周囲の大人たちをうならせた。特に文に関して秀でていたようである。

「何時か父上や殿のお役に立てるように頑張ります」

 そんなことを言う光正を成光は暖かく見守るのであった。

 一方徳川家は様々な困難に遭遇しながらもその勢力を広げていく。そして三河や駿河を含む五ヶ国を治める大大名になっている。かつての今川家の領土を越える大きさであった。

 しかしそんな徳川家に立ちはだかったのが羽柴家である。羽柴家は天下統一を目指して領土を広げていた。その過程で天正十二年(一五八四)徳川家と戦になったのである。場所は尾張(現愛知県西部)の小牧、長久手。ここで行われた戦に光正は父と共に参戦した。

「光正よ。我らは陪臣の身だが大殿の家康様への忠義は変わらぬ。きっと役に立つのだぞ」

「承知しています。父上。必ずや功をあげて見せましょう」

 そうした意気込みと共に戦に臨む光正。結果は武功をあげ主家に貢献することができたのである。

 こうしてめきめきと頭角を表していく光正に目をつけるものがいた。彦坂元正である。

「光正は大層武勇に優れているようだ。しかしこれからは武勇だけではいかん。文知で功をあげることこそ主家の役に立つというものよ。光正には幼き頃よりその才がある」

 元正は本多広孝や成光に頼み込み光正を自分の配下にしてもらった。この頃元正は農村に関する政務に携わっている。光正にこうした仕事の経験をさせるつもりだった。

「光正よ。お主が我が下で働けば家も直臣に取り立てられるだろう。そうなれば成光も喜ぶぞ」

「それはありがたいことです。精進いたしますので宜しくお願いします」

 こうして元正の下に預けられた光正はその配下として活動する。徳川家は天正十八年(一五九〇)に今までの領地から関東に転封する。ここで新たな土地を支配する為に元正をはじめとする奉行たちは様々な職務を行った。光正も元正の配下としていくつかの職務を代行し成功させている。

 こうした働きを見逃さなかったのが家康であった。家康はある日元正に尋ねた。

「最近お主の下でよく働いている者がおるだろう。あれは誰だ」

「恐らく我が従兄弟の息子の彦坂光正のことかと。もともとは本多広孝殿の家臣でありますが拙者が頼んで旗下にもらいました」

「なるほど。お前が見込んであの働きなら本物だろう。これより先作次などを任せられる者はいればいるほどいい。直臣に取り立てて我が手元に置いておこうか」

「それはありがたきことにございます」

 こうして光正は徳川家康の直臣に取り立てられた。これを機に成光は隠居し彦坂家の当主は光正となる。

「取り立てた戴いた恩。必ずや働きで返すのだぞ」

「勿論です。父上」

 こうして光正は徳川家康の直臣として名を連ねることになった。


 慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦いが起こった。この戦いに勝利した徳川家康は天下人への道を大きく進む。そして慶長八年(一六〇三)家康は征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く。これに伴い徳川家の支配する領地も巨大なものとなった。光正は三河や尾張などで政務にあたり、卓越した行政手腕で徳川家に貢献した。

 慶長十年(一六〇五)に家康が将軍職を息子の秀忠に譲る。そして駿府に入り大御所となって一部の政務や幕府の運営に携わった。この時駿府にもう一つの政権ともいえる駿府政権が誕生している。光正はこの駿府政権に招聘された。

「そこまで大御所様は私を信頼してくれているのか」

 喜ぶ光正だが一方で信じられない事件も起きる。慶長十一年(一六〇六)かつての上司で恩人でもある彦坂元正が不正により失脚してしまったのだ。

「元正殿が不正を行うなど信じられない。一体何が」

 元正は蟄居の身となり息子たちも連座して処罰を受けた。かなり厳しいものであり家康の怒りが相当なものであったと思われる。

 一方で家康は光正を重用した。元正の件の連座は光正の一族には全く及ばず変わらず家康に仕えている。

 やがて光正は慶長十四年(一六〇九)駿府町奉行の座についた。この役目は駿府城下町に関する行政だけでなく周辺地域の行政も行う立場でもあった。

 この職への就任に際して家康は光正にこう言った。

「お主は謹厳実直で聡明だ。この役目を果たせるのはお主を置いてほかにいない」

「ありがたき幸せにございます。このお役目を必ず全うして見せます」

「よく言った。 ……光正よ」

「はい? 何でございましょう」

「まだ幕府は出来てから日が浅い。ゆえに内なるもめごとも多いのだ」

 光正は首を傾げた。家康がなぜそんな話をするのか分からなかったからだ。

「秀忠にはまだそれらをどうこうすることは出来んだろう。儂が生きている今のうちにやれることはしておかなければならん。そのためには駿府でいろいろとやらなければいかんのだ」

 そう言って家康は光正を見た。鋭く険しい目つきである。そこで光正は気付いた。おそらく元正が失脚したのもこれら内側の権力争いが絡んでいることに。

「お主にもいろいろ働いてもらうぞ」

 この威圧感あふれる発言に対して光正動じず、堂々と言い放った。

「主君の役に立つのが我らの務め。必ずやご期待に応えて見せます」

 この返答に家康は喜んだ。

「よく言った。さすがじゃ」

「ありがたき幸せにございます」

 こうして光正は駿府町奉行とし幕府内部の暗闘に関わることになるのであった。

 


 彦坂光正は、定期的に出てくる調べてみると重大事件に関わっていた、というタイプの人物です。そうした人物は一般的な知名度が低い傾向にあります。こうした人物ももう少し世の中で取り上げられないものかと時折思います。

 さて今回の話は短いものとなりました。これについては今回の話が今までの物とは少し違う構成となっているからです。詳しいことは次回ということでお楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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