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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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井上光兼 粛清 後編

度重なる当主の早逝。そして跡を継ぐ幼君。この毛利家の危機的状況中で毛利元就は表舞台に現れた。ここから毛利家は戦国大名として飛躍していく。しかし隠居の光兼にはそれを眺めるだけである。井上家の行く末すらも。

 当主興元の死で家督を継いだのは嫡男の幸松丸。元就はこのわずか二歳の当主を後見することになったのである。しかし家臣の大半の同意は得ているので体制は一応安定はしていた。

「これでひとまず安心か」

 一息つく光兼。しかし急な当主の死というのはどうしたって動揺を生じさせる。そしてこの隙をついて襲い掛かるものも当然いた。

 安芸には大小さまざまな領主がいる。その中には毛利家と仲のいいものもいれば仲の悪いものもいる。前者は吉川家であり後者は武田家であった。武田家は興元の死の混乱をつき吉川家の有田城に侵攻した。一方吉川家は毛利家に援軍を要請する。これに対して毛利家は元就自ら援軍に向かうこととなった。

 光兼は頭を抱えた。

「まさか元就さまの初陣がこのような形となるとは。しかも相手は武田家。兵力が違いすぎる」

 毛利家は安芸の領主の中で比較的大きい家である。しかし武田家は元々安芸の守護であった家で動員できる兵力に大きな開きがあった。実際この時毛利家と吉川家の兵力を合わせても五倍くらいの差がある。

「もはや祈るしかできんか」

 隠居の身の光兼ではそれぐらいしかできない。息子の元兼を伴い出陣する元就を見送ることしかできなかった。

 そして暫くして元就たちは帰還した。劣勢を覆し勝利したのである。元就は巧みな用兵をして有り余る戦力差を覆したのだ。

「私の眼に狂いはなかった。いや、私の期待以上だ。ああ。本当に素晴らしいお方だ」

 光兼はただただ感心するばかりであった。


 劣勢を覆した毛利元就の名は周辺にとどろいた。これにより安芸の領主たちは元就に一目置くようになる。またこれまで大内家に従っていた毛利家だが、尼子家の勢力拡大を受けて方針を転換。尼子家に従うようになった。

 危機を乗り越えて新たな船出を果たした毛利家。しかし幸松丸の家督継承から七年後の大永三年(一五二三)突如悲劇が起きる。何と当主の幸松丸が僅か九歳で死去してしまったのだ。

 これを聞いた光兼は愕然とするばかりであった。

「まだ幸松丸様は幼子ではないか。一体何があったのか」

 光兼は元兼に尋ねた。

「この前まで幸松丸様は尼子家の方々と出陣しておられました。それが帰ってきてから突然に病にかかられそのままなくなったようです」

「いくら何でも急すぎるだろう。まさか毒を盛られたということはあるまいな」

「そのようなうわさは流石に聞きませぬな」

「だとしたら何という事だ…… 」

 幸松丸の父の興元も含めて毛利家の当主はよく早逝している。しかし一応嫡男はいたので家督継承はある程度スムーズに行った。しかしわずか九歳の幸松丸に子などいるわけもない。

 この時光兼は元就が家督を継ぐべきだろうと考えていた。

「(器量に武功。元就様なら申し分ない。家中の皆は納得するだろう。しかし尼子家は元就様を快く思っていないらしい。そこをどうするかだ)」

 考え込む光兼。そんな父に元兼はこう言った。

「私を含めた井上一族の皆は元就様を立てようと思っています」

「そうか。それは私も同感だ。しかし尼子家の方々は元就様を警戒しているらしい。家中で不穏な動きが起こるかもしれん。そこに配慮せねば」

「別にいいではないですか」

「何? 家中の和が乱れて何がいいのだ」

 光兼は元兼を睨みつけた。しかし元兼はどこ吹く風という感じである。その姿に疑念を抱く光兼。

「元兼よ。何を考えておる」

「私が考えているのは井上家の発展でございます。そしてこの度のことは我らの立場を盤石にするまたとない機会」

「幼君の死をまたとない機会だと? 」

 元兼を睨みつける光兼。しかし元兼は気にしている様子はない。そして話を続けようとする光兼にこう言った。

「ともかく井上家は元就様を盛り立てる所存です。これは決まったこと」

「それはいい。しかしそこに妙な思惑はないかと私は気にしているのだ」

「何もありませんよ父上。私が考えているのは井上家を守り栄えさせることです」

「そうか…… 」

 ここで光兼は息子が訪問してきたのが決定事項を伝える為だけだということに気づいた。もはや光兼の意見など取り入れるつもりもないのだろう。それを悟った光兼だがどうしても伝えたいことがあった。

「たとえ家を大きくし守ろうとも決して驕ってはならぬ。驕れば大きくした家もすぐに消えてしまうだろう。我々はあくまで主君あってのこと。それを胸に謙虚に生きることが家を守る最上の策である。分かったな? 元兼」

 この父の言葉に元兼は何も返さなかった。ただ無言でにやりと笑っただけである。それはどこか光兼をあざ笑っているようにも見えた。

 この後元兼は筆頭重臣の志道広良ともに元就を擁立。この際元就を主君と認める連署状に名を書いた三分の一は井上一族の者であった。これにより井上一族は元就を強力に後援した一族となる。

 翌年一部の重臣が元就の異母弟の相合元綱を擁立し謀反を起こした。元就は自分を推挙した家臣たちと共にこれを鎮圧する。こうして元就の家督相続は完了された。

 これらのいきさつを光兼は眺めるばかりであった。

「願わくば元就様が毛利家を安泰に導いてくだされ。井上の家はその中で生きていければいい」

 そう祈ることしかできない光兼であった。


 元就は家督相続後、尼子家との縁を切った。これは相合元綱の擁立に尼子家が協力していたからである。しかし単独で尼子家と敵対するのは難しいので再び大内家の傘下に入ることにした。大内家側は一度裏切った毛利家に色々と思うところはあるものの毛利家の安芸、備後での影響力の強さを鑑みて帰参を許すことにする。

 こうして元就を当主に据えて新たなスタートを切った毛利家は、享禄二年(一五二九)に元綱の擁立に協力し尼子家ともつながりのある高橋家を滅ぼした。高橋家は幸松丸の母親の実家であり毛利家にも強い影響力を持っている。しかし元就が家督を継いだことでこちらも縁が切れた。もはや攻め滅ぼすことにためらいはなかったのである。

 光兼はこの元就の行動に少しばかり驚いた。

「もはや直接の縁はないとはいえ一応親戚の家だ。それが敵対したのならば打ち倒す。元就様は容赦のない面もあるらしい。今の時代ならそれが当主の資質なのだろう。全く驚くべき人だ」

 こう光兼は感心とも畏怖とも取れる感情を抱くのであった。

 さて高橋家を滅ぼした元就は安芸で着々と勢力を広げていく。それはもちろん敵対する者たちを滅ぼしたりもした。一方でかつて敵対した勢力と関係を修復したり、大内家や武田家と関係が悪化した勢力を傘下に加えたりする。こうして元就は安芸の領主たちを傘下に組み込んでいき、天文九年(一五四〇)に武田家を滅ぼして安芸で最大の領主となった。

 元就は高橋家を滅ぼしてから十年ほどで毛利家を大きく飛躍させたのである。これには光兼もひとしきり喜んだ。

「あの松寿丸様が毛利家をここまで大きくなされるとは。大杉方様のご薫陶もあったのだろう。本当に立派なお方だ」

 一方で心に暗い影を落とすこともあった。それは息子の元兼のことである。聞くところによると最近は職務に怠慢が目立ち、軍役も果たさないのだという。

「嘆かわしいことだ。しかも最近は私に顔を合わせようともしない」

 先に挙げたことは全て人から聞いた話である。光兼はかつての功労があったので毛利家の家臣の一部からまだ慕われていた。そうした人々が訪ねてくることもたまにはあったが、この所彼らが話すのは元兼の不行状である。曰く

「評定にも顔を出さないばかりか元就様に正月の挨拶もしない」

「守りのための城の普請を手伝わない」

「同輩や寺社仏閣の所領を奪った」

「裁判で自分の身内をひいきした」

「身内の者ばかり取り立てている」

等々。驚くほど多くの不行状が出た。しかもこれらは元兼だけでなく井上一族の多くの者が行っているらしい。こうしたことを光兼は聞くたびに暗澹たる気持ちになる。

「傲慢にならずに謙虚に…… と言っていたがもはやそれ以前の問題だ。こんな有様では井上一族は滅びるぞ」

 さすがにどうにかせねばならんと思い元兼に会おうと思うがいろいろ理由をつけられて追い返されてしまう。一族の他の者を頼ろうと思っても同様であった。

「皆が皆傲慢になっているのだ。これでは家は滅びよう」

 益々気落ちする光兼。その様子は自害でもしてしまうそうな有様であった。しかしそうならないのは一縷の望みがあるからだ。

「元光は真面目に仕えているのが救いだな」

 元光というのは光兼の次男である。弘元の代から近習として仕えていて元就の初陣にも付き従った。その時に武功をあげて元就から称賛されたが

「私はあくまで臣の務めを果たしたまでです」

と言ったらしい。こうした謙虚な姿勢を認められたのか元就からは信頼されともに出陣することも多かった。尤もそうした元光だからか元兼からは疎んじられて一族からも爪弾きにされているらしい。時折光兼を訪ねてはそれを嘆いていた。

「兄上は私が井上の家を継ぎたいのだと思っているようです。そんなわけありません。私は元就様のそばで仕えていられれば良いのです」

 そんな風に嘆く元光を元兼は慰める。

「お前は元兼やほかの者たちが果たさぬ務めを果たしている。そしてそれは誇るべきことだ。ゆえに元就様もお前をおそばに置いているのだ。それだけでよいではないか」

「そうですね… わかりました父上」

 そう言って晴れやかな顔で帰る息子の後ろ姿に幾分か救われる光兼である。しかしこの所はそれ以上に不安が勝つ。

「元就様も傲慢な臣を許すようなお方ではない」

 光兼はいつか来るであろうその日を確信していた。そしてそれを思い暗澹な気持ちで日々を送るのである。


 天文十二年(一五四三)から天文十三年(一五四四)にかけて大内家は尼子家の本拠地である月山富田城を攻撃した。これにもちろん毛利家も従軍している。しかし大敗し元就だけでなく嫡男の隆元までもが命からがら逃げ延びることとなるほどであった。元就に付き従っていた元光も武功は上げたが命からがら逃げ延びることで精いっぱいであったという。

 生還した元光は暗い顔で光兼に言った。

「兄上からおしかりを受けました。お前は井上家に恥をかかせた、と」

 光兼は頭を抱えた。この戦でも元兼や井上一族の者はまたも怠慢を見せたらしい。それなのに唯一武功をあげた元光を責めたのである。

「馬鹿者どもが。もういい。私もあやつらとは縁を切る。お前もそうするがいい」

「よろしいのでしょうか」

「構わぬ。しかし今回ばかりは元就様もお怒りだろう」

「それが…… 先ほどお目通りをした際は隆元様ともどもねぎらいのお言葉をいただきました。お怒りの様子はないようです」

 首をかしげる元光。一方の光兼は少し思案していった。

「お前は変わらず元就様に仕えよ。井上の実家には顔を出さんでよい」

「承知しました」

 そう言って元光は帰って行った。残された光兼は一言つぶやく。

「いよいよ、という事か。しかしまだ間はあるだろう。それまで私は生きていられるか」


 天文十三年の大敗の後、毛利家は暫く地盤固めに奮闘した。敗北の傷を癒し次の戦いに備えたのである。また一方で安芸の有力な勢力である吉川家に次男の元春を、同じ有力な勢力である小早川家には三男の隆景を養子に出して跡を継がせた。これにより安芸を完全に掌握したのである。

 こうした動きの中でも元兼をはじめとする井上家の者たちは相変わらずであった。相変わらず傲慢に振る舞い職務には怠惰を極める。

 ある日光兼は訪ねてきた元光にこう言った。

「小早川家では隆景様が家を継ぐことに反対する者たちが粛清されたらしいな」

 こう無表情につぶやく父の顔が元光にはとても恐ろしく映った。

 そしてそれからしばらくしてその日はやってきた。そしてその時に光兼はまだ生きていた。

 天文十九年(一五五〇)、元就は元兼をはじめとする井上一族三十余人を粛清したのである。

 この三十余人に光兼と元光は含まれなかった。

「元就様も我らに愛想が尽きたのだろう。それでも時があった。やり直せるであろう多くの時が」

 光兼はこれを当然のこととして受け止めた。むしろ自分も粛清されなかったことが不思議なくらいである。

 尤も光兼は毛利家に誠心誠意仕えたこと。そして元就の苦境を救ったことなどがある。元就としてはそもそも元兼と別に扱うつもりだったのだ。それは元光も同じである。

元就はこの粛清の後、家臣たち全員に忠誠を誓う起請文を提出させた。この先頭の三十六人は重臣といえる立場であり、その中には元光も含まれている。

 粛清で井上家は多くの一族を失った。その権威はだいぶ衰えたが元光をはじめとして全滅したわけではない。家は元光が継ぎ改めて毛利家重臣としての再出発したのである。

 井上家を継承することを報告に来た元光に光兼はこう言った。

「これでよい」

 これしか言わなかった。

 井上家粛清の翌年、井上光兼は息を引き取った。享年八十九歳。大往生である。


 井上元兼らの粛清の五年後に有名な厳島の戦いが起きます。毛利家はそこから安芸の一大名から中国地方を代表する大大名になりました。井上一族の粛清は元就にとって地盤固めの一環であったわけです。こうした史実を知るとどうしても戦国大名とは屍の上に立つ存在なんだなというのを実感します。それだけ過酷な時代でもあったわけですが。

 ちなみに井上家を継いだ元光の息子は関ヶ原の戦いの際徳川家康から内応を誘われました。しかしそれを主君の輝元に報告しきっぱりと断り称賛されています。そう考えると元光に跡を継がせた元就の頸がんが分かるとともに、日頃の行いの大事さがよくわかります。

 さて続いてはある三人組の一人の話です。一体どの三人組の誰なのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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