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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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井上光兼 粛清 前編

 安芸(現在の広島県西部)の武将井上光兼の話。

 井上光兼は毛利家の重臣の家に生まれた。光兼はそれに疑問など持たず誠心誠意主家に尽くすことがすべてだと考えている。それが主君のためであり自分と自分の家のためであるそう考えているからだ。

井上氏の始まりは源平の頃にまで遡る。信濃(現長野県)で勃興した一族であった。この頃には信濃で代表的な領主の一族と知られている。しかし時を経るごとに勢力は衰えていき次第には一領主程度の立場になった。

井上氏は徐々に衰えていく運命にある。こうした状況下で思い切った打開策を考え付いたものがいた。

「もはや信濃にいても衰えていくばかり。こうなれば他の地に移りそこで家を興そう」

 この考えに一族のほとんどが反対した。それでも移住を決意した者たちは親戚たちの止める声をしり目に旅立つ。

 こうして信濃を出た人々が移住したのが安芸(現広島県西部)だった。この頃の安芸は大小の国人が乱立し己の土地を守るため離合集散を繰り返している。そのため小さな家が滅びることも多々あり新興の家が入り込む余地もないことは無かった。

「これよりはこの地が我らの故郷だ」

 こうして安芸井上家は生まれた。しかし立場は新興の小さい家である。うまく立ち回らなければすぐにつぶれてしまうだろう。そこで井上家は頼りになる味方を作ることにした。それが毛利家である。

 毛利家は安芸の国人の中でも比較的大きく有力な家であった。そんな彼らに飛び込むことで生き残りを図ろうと考えたのである。

 これがゆくゆくは井上家の命運を決めることになった。


 井上源太郎丸は寛正四年(一四六三)に井上家の嫡男として生まれた。この頃は井上家もしっかり安芸に定着している。毛利家のとの仲も盤石であった。

 源太郎丸が生まれた四年後の応仁元年(一四六七)に室町幕府の終焉の始まりとなる応仁の乱が起こった。この時毛利家は東軍の山名家の傘下に入っていたので必然的に東軍の所属となる。そして山名家に従い各地を転戦した。

 ところが東軍の中で毛利家は軽んじて扱われた。これに怒った当時の毛利家の当主である毛利豊元は、文明三年(一四七一)に安芸に帰国する。そして西軍の大内正弘に従うようになった。

 大内家の傘下になった豊元はその後援を受けて安芸で所領を広げ勢力を拡張していく。しかし文明八年(一四七六)三三歳の若さで急死してしまった。

 この時の源太郎丸は元服前の十三歳。主君の急死による大騒ぎを眺めることしかできなかった。

「私が立派な侍なら井上家も毛利家も助けられるのだろうか」

 そんなことをぼんやりと考えるくらいである。

 さて主君が急死した毛利家だが嫡男はちゃんといる。しかし嫡男の千代寿丸はまだ八歳の少年であった。まだ政務もできるはずもないので有力な家臣たちが千代寿丸を支えていくことになる。その有力な家臣の一つに井上家も含まれた。これでますます井上家の立場は高くなる。しかし源太郎丸の父は息子にこう言った。

「いかに重く用いられようとも傲慢になってはいかぬ。これはお前だけでなく一族郎党皆覚えておかねばならんことだ。謙虚さは必ず身を助ける。分かったな」

「はい。父上」

 素直にうなずく源太郎丸であった。

その後千代寿丸の家督継承は滞りなく進み毛利家は再び安定する。そしてその翌年に元服し弘元と名乗るようになった。この機会に源太郎丸も元服し名を光兼と改める。

「これよりは弘元さまに尽くし戦い抜きます」

 そう誓う光兼であった。


 毛利弘元は大内正弘の傘下の領主として安芸を中心に活躍した。光兼も弘元に従い各地で武功をあげる。

 光兼は弘元に忠実に従った。そして父に言われたように傲慢にならず謙虚に仕事をこなす。そんな姿に周りの人間も一目置いたし何より弘元が光兼を評価した。

「光兼は功をあげても驕らず謙虚に過ごしている。正しく臣の鑑。主君としてこれほどありがたいものは無いな」

 弘元は光兼を信頼しさらに井上一族自体を重用した。皆が皆光兼のように謙虚であったわけではないが、毛利家に対しては極めて従順である。そうした点も弘元に買われたのであった。

 こうして光兼をはじめ井上一族は弘元の下で働き続けた。やがて光兼が家督を継ぐとますます弘元からの信頼は厚くなる。しかしこれに驕らないのが光兼である。

「驕り高ぶり殿の不興を買っては終わりだ。いくら重用されようと謙虚に謙虚に生きるのだ」

 光兼はかつての父の教えを胸に生きた。それは謙虚というより愚直という方が正しい姿である。

 さて明応四年(一四九五)毛利家の主君である大内弘元が死んだ。家督は英明と名高い息子の義興が継ぐ。これで大内家は安泰で毛利家も安泰、かと思われた。

 この時室町幕府は管領が主導し将軍の発言権は小さくなっていた。これに対して将軍は反発するから管領と将軍の権力争いとなる。そしてその結果として明応八年(一四九九)に明応の政変が起きた。これは当時の管領である細川政元が将軍の足利義稙を追放して新たな将軍を擁立したという事件である。政元は新たに足利義澄を将軍として擁立して幕府を主導しようとした。しかし追放された義稙はあきらめず様々な大名に協力を依頼し将軍への復権を狙う。

 この時大内義興は義稙を積極的に応援した。様々な支援だけでなく落ち延びてきた義稙をかくまったりしている。

 この義興の動きを政元は快く思わないからいろいろと妨害の手を伸ばした。その一環として大内家の傘下で有力な領主である毛利家に調略の手を伸ばしたのである。これに弘元は頭を悩ませた。

「大内家は多く義興様は稀代の傑物だ。逆らったら我々は生きて行けまい。しかし政元様の誘いを無視してもそれはそれで痛い目にあうだろう」

 弘元は悩んだ。そしてその結果出したのが自分は隠居し家督を幼い嫡男の幸千代丸に譲ったのである。これには光兼含む家臣たちはあきれた。

「いくら家を守るための判断とは言えこれはどうなのか」

 しかしこれで主君が幼いという理由であいまいな答えを出せる状況になった。尤も時間稼ぎにしかならないが。

 ともかくこれで毛利家は一時安泰となった。ところが永正三年(一五〇六)弘元が急死してしまう。享年三九歳であった。またも毛利家は若い主君が切り盛りすることになったのである。


 弘元の死の翌年に幸千代丸は元服した。この際に大内義興から一字もらい興元と名乗るようになる。これにより毛利家は大内家に従う立場を明確にした。

 この同時期に足利義稙を追放した細川政元が暗殺されるという事件が起きた。さらに政元は三人の養子をとっており、政元の後継を巡って養子同士の争いが起きる。この混乱をまたとない機会と見た大内義興は義稙を伴い上洛する。

 この際幼い興元も義興に従い上洛した。これは興元だけでなく大内家傘下の領主たちもその兵たちも含まれる。義興は強大な軍事力を誇示することで幕府内での立場を盤石なものにしようと考えたのだ。

 もっともこうした行動を大内家傘下の領主たちは快く思わなかった。

「我々は自分の領地を守りたいのだ。それなのになぜわざわざ遠くまで出向かなければならんのだ」

 そう思っても義興に従っている身なのだからどうしようもない。領主達は渋々従い旗下の兵たちと共に義興に従った。

 さて興元が上洛する際に何人かの家臣も従った。一方で留守を任されたものもいる。光兼もその一人であった。

「留守を任されるというのは光栄なことだ。殿がいつか戻られたときの為に万全の準備を整えよう」

 そう考えた光兼は一族の者たちと共に毛利家をしっかりと守っていた。そんなある日、光兼の家に旧知の僧がやって来る。

「これはよい。興元様の無事を祈願し仏の教えに縋ろう」

 光兼は僧をもてなした。それを受けて僧も仏教の教えを授ける。そうしたやり取りを続けていると光兼を訪ねてくるものがいた。

「お久しぶりです。光兼殿」

「これは杉大方様。ご無沙汰しております」

 やって来たのは弘元の継室の杉大方であった。そして来客は彼女だけでない。

「これはこれは松寿丸様。お元気そうなによりです」

「はい。光兼殿もお元気そうで何よりです」

 杉大方が連れてきたのは弘元の次男の松寿丸であった。松寿丸は興元の五歳下の弟である。興元と松寿丸は共に正室の子であった。従って杉大方とは血縁関係はない。しかし弘元の死後も杉大方は松寿丸の養育をつづけた。普通夫が亡くなれば妻は実家に戻るか仏門に入るかである。杉大方の行動はかなり異例のことであったがその献身ぶりに周囲も感心していた。

「今日は松寿丸にも仏の教えを授けていただこうとやってきました」

「そうですか。それは光栄です」

 光兼は二人を僧に引き合わせた。そして講義が始まるのだが光兼は驚いた。それは松寿丸の姿にである。

「(あのように幼いのに熱心に学んでおられる。それに内容も理解されているようだ)」

 松寿丸は時折僧に質問したりしていた。そして得心できないことにはさらに質問し僧も感心させる。

 やがて講義が終わると松寿丸は僧にこう言った。

「この度は念仏の伝授ありがとうございます」

 まだ十一歳の少年とは思えない丁寧さである。杉大方は微笑んでいたが光兼と僧は驚くばかりであった。

「何とも利発なお方だ。いずれは毛利家を大いに支えるお方になるだろう。元盛にしっかりと支えるように言っておかなければ」

 元盛とは光兼の弟で松寿丸の後見役についていた。だが元盛からは松寿丸や杉大方に関する話は何も聞こえない。

「(最近は元盛も連絡をよこさんな。何か妙だな)」

 そう考えた光兼は杉大方と松寿丸を泊めることにし、事情を尋ねる。するととんでもないことが分かった。

「実は元盛殿は松寿丸が弘元様から受け継いだ領地を自分の好きにしておいでです」

「何ですと…… 」

 杉大方の告白にめまいがする思いであった。家臣が主君の遺領、しかも子に託したものを横領するとは言語道断である。

「直ちに手を打ちましょう。それまでは我が屋敷でお過ごしください」

 光兼は直ちに元盛の横領の調査を始めた。しかし証拠は少なくさらに一族の者たちは消極的な姿勢をしている。これには光兼は嘆くばかりであった。

「一族の者の不忠を知っているくせに何もせんとは。これではいずれ井上一族は滅んでしまうぞ」

 それでも光兼はあきらめず証拠を集め、元盛の横領を証明した。ここまで四年の歳月がかかってしまっている。おりしも興元も帰国してきたので証拠を提出し興元にこう訴えた。

「元盛のような不忠者を生かしておいては家の為になりませぬ」

「そうか。ならば光兼に任せよう」

「承知しました」

 興元の許可を得た光兼は直ちに元盛を捕らえた。

「お前のやったことは許せん。直ちに腹を切れ」

「なんだと! それが兄の言う事か! 」

 怒る元盛だがもはや逃れるすべはなかった。元盛は切腹し、不始末の責任を取って光兼は隠居する。

 松寿丸は無事所領を取り返し杉大方と共に帰って行った。

「そなたの忠義。忘れんぞ」

 そう松寿丸は言い残して去った。尤も光兼の心は晴れない。

「弟があんな真似をしていようとは。これでは井上家の未来は危ういぞ」

 自分の家の行く末に内心猛烈な不安を抱える光兼であった。


 光兼は隠居して表舞台から去った。跡を継いだのは息子の元兼である。家督を譲る際に光兼は元兼にこう言いつけた。

「元盛は己の立場もわきまず傲慢になりとんでもない不忠を働いた。そしてその結果ああして果てた。わが父は謙虚に使えることの大事を私に説いた。ゆえにこうして生きていられるのだ。お前もそれをわきまえて働くのだぞ。それが己の身を守ることであり、家を守ることにもつながる。そこをよく理解しておくのだ」

 この光兼の言葉に元兼はこう答えた。

「分かっているよ。謙虚にしろとは父上もいつも言っていることだ。わかっているよ」

 こう答える元兼の姿が、光兼にはなんとなくめんどくさそうに見えた。だがそれは気のせいだと考えることにし、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 さて興元が帰国したころ中国地方では出雲国(現島根県東部)の尼子家が勢力を広げようとしていた。その矛先は安芸や備後(現広島県東部)であり大内家の支配権である。

 この頃義興はまだ京都にいた。そこで興元をはじめとする旗下の領主たちに尼子家への対応を命じる。

 この際興元は安芸で有力な領主たちと連合を組んで尼子家に対応することにした。さらに毛利家はこの連合の盟主的立場になる。

「これで毛利家は安芸でも抜きんでた立場になった。この上で義興様のご期待に応えれば毛利家の行く末も安泰である」

 さらに備後の領主たちが対立したときは調停なども行った。これも連合の盟主の立場があってこそのことである。

 一方こうした興元の激しい動きを光兼は危惧した。

「いささか働きすぎではないか。豊元様も弘元様も我が身を顧みずお働きになったがゆえにお体を壊してしまった。心配だ」

 実際この時興元は盟主としての働きのほかに敵対する領主と長い戦いを続けていた。戦いはなかなか決着がつかず、尼子家との戦いも激化しつつある。これらの対応に興元は忙殺されていたのだ。

「やはり心配だ。元兼に興元様を休ませるよう言っておこう」

 そう考えた矢先の永正十三年(一五一六)興元が倒れたという報せが入って来た。さらに続けざまにそのままなくなってしまったという情報も入る。

「なんという事だ。豊元様や弘元様よりお若いのに」

 毛利興元享年二五歳。余りにも若すぎる死であった。この事態に光兼は頭を抱える。

「跡継ぎの幸松丸さまは幼い。誰か後見人が必要だ」

 この時光兼の脳裏に浮かんだのは松寿丸の姿であった。今は元服し元就と名乗っている。

「この危機を救えるのは元就さまの他はいない」

 光兼は息子や重臣たちを説得し元就を後見に就任させた。これが後に毛利家を大きく飛躍させることになる。だがそのことをまだ誰も知らない。


 毛利家といえばやはり毛利元就です。元就は戦国武将の中では比較的長寿の人物です。しかしその前の世代というと恐ろしいほど早死にを繰り返しています。今回の主人公の井上光兼はそうした世代の時代の人物ですが次々と主君が早逝していくのは非常につらく、恐ろしいものだったと思います。

 さていよいよ元就の時代に話が移ります。果たして光兼はどうなるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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