宗義盛 命脈を保つ 後編
悪化する宗氏と李氏朝鮮の貿易摩擦。これは三浦の乱という大きな事件を起こすことになる。そしてこの事件は宗氏にあまりに大きな影響を及ぼすのであった。
朝鮮役人による恒居倭の殺人。しかも誤認によるものだというのだから大問題である。
このことに義盛は怒り狂った。そして強硬手段に出ることにする。
「我らの怒りを見せてやる。そしてこの際三浦も我らの領地にしてしまえばいいのだ」
義盛は現地代官を通じて恒居倭達にコンタクトを取った。そしてこうそそのかす。
「皆の怒りは当然のことである。こうなれば一揆をおこし辺将共を追い出してしまおう。我ら宗氏も援軍を派遣する」
これに対して三浦の恒居倭達は勇躍した。自分たちだけなら不安だが援軍が送られてくるというのならば何も怖くない。
「これを機に三浦を我らの土地にしてしまおう」
三浦の恒居倭達は喜んで反乱の準備を始めた。一方義盛も軍勢を派遣する準備を進める。この時義盛は自ら海を渡るつもりだった。
「父祖の代には朝鮮のやつらから仕掛けてきたこともあった。今度はその時のお返しをしてやろう。そして三浦も我らの領地にとりこんでしまえば宗氏の未来は明るい。もはや朝鮮との交易に頼ることなく生きていけるだろう」
準備を整え意気揚々と海を渡る義盛。すでに現地では準備は終わっていた。ここに義盛率いるおよそ四千の兵が加わる。
「朝鮮の者共の兵力がどれほどか知らんが我等が負けるはずない」
自信満々に海を渡る義盛。こうして三浦の乱が始まった。
義盛は海を渡り恒居倭達と合流した。そして恒居倭達に向かってこう訴える。
「朝鮮のやつらは我々を無理やり押さえつけて不当な搾取を行なおうとしている。これは正義に反することだ。我々宗氏は諸君らとともに立ち上がり不当な支配を打ち倒して見せよう」
この義盛の訴えに恒居倭達の意気は上がった。皆それほど李氏朝鮮、そして直接支配している立場である辺将に不満を持っていたということである。
ともかく義盛は恒居倭達の戦意の高さに満足した。
「この戦意の高さならば役に立つだろう。我らの軍勢も加えればこの戦には必ず勝てる」
義盛は三浦のうちの釜山浦と薺浦に兵を分け、それぞれの地域の恒居倭達と合流させた。そして同時に武装蜂起させる。宗氏の援軍を得た恒居倭達はそれぞれの地域の役所に攻め入った。
この事態に辺将以下朝鮮の役人たちは驚愕した。
「恒居倭共が妙な動きをしていることは知っていたが、これほどまでの反乱になるとは」
この時点で彼らは宗氏が介入していることを知らない。あくまで恒居倭だけが蜂起するだろうと考えていたし、それなら現段階で抱えている兵力だけでどうにかなると思っていたからだ。しかしその見通しはもろくも崩れ去り、宗氏の兵力を含む恒居倭の軍勢を止められるはずもない。釜山浦と薺浦の役所は瞬く間に陥落した。そして薺浦の辺将は生け捕りにされ釜山浦の辺将は最後まで抵抗した結果戦死する。
この結果に義盛は満足であった。
「我らの怒りを思い知っただろう。だがまだ終わらんぞ。どうせなら三浦をすべて宗氏の領地にして見せよう」
そう意気込む義盛。しかし戦ったのはあくまで役所とそこに詰める兵であり、現代の警察程度の武力である。ちゃんとした軍事力とはまだ相対していないのだ。だが義盛はそれに気づいていないのである。
釜山浦と薺浦を制圧した義盛たちと恒居倭達は自分たちの力に自信を強めた。
「このまま勢いに乗って城も攻め落としてしまおう」
それぞれの浦から離れたところに李氏朝鮮の軍事拠点の城がある。義盛たちはここを次の攻撃目標に決めた。
一方の朝鮮側も次には城に攻め入ってくるだろうと予測していた。実際城を落されれば軍事力に多大なダメージを負うことになる。そうなれば本当に三浦は恒居倭達に制圧されてしまうだろう。それだけは何としてでも阻止しなければならなかった。
「恐らく恒居倭達は宗氏の援軍も受けているのだ。ならば我々も全力で対処しなければならん」
朝鮮側の城将たちは兵を集めて出陣した。城に籠るのではなく打って出て迎撃しようという考えである。幸い地の利はある。下手に籠って勢いづかれるよりもいっそうって出て打撃を与えようという考えであった。
こうして城を目指して進む恒居倭の軍勢に対し朝鮮の軍勢が襲い掛かかる。戦いは双方被害を出す激しいものであったが朝鮮側の勝利で終わった。この敗北で恒居倭達の戦意は一気に萎えた。
「義盛さまの言う通りに従って戦ったが負けてしまった。やはり武力でどうにかするのは無理ではないか」
「ああ。これ以上はもう無理だ」
さらに義盛も大きなショックを受けていた。
「あの勢いがあれば城も落とせるとも思っていたが無理だったか…… 流石に相手を甘く見すぎていたな。国から連れてきた兵たちもだいぶ傷ついている。帰りたがっている者もいるほどだ。いったん戦いはやめよう」
義盛は対馬から連れてきた兵の一部を帰還させた。そしてまだ戦う気のある恒居倭達と共に残存兵力を薺浦に集結させる。釜山浦は放棄するつもりだった。そしてここで講和を結んで薺浦だけでも確保しようと考えたのである。しかし現実はそんなに甘くない。
「宗氏は兵を一部本国に返したようだ。恒居倭達も弱っている。ここを逃す手はない」
兵の帰還と講和の提案は要するに義盛が弱気になった証である。つまり攻め込む朝鮮側としては好機以外の何物でもない。当然講和など受け入れなかった。
「勝手に始めた戦を自分の都合のいい時に終わらせる。そんな無道など通るか」
朝鮮側にだって恒居倭達への不満はあった。そもそも朝鮮の人々にとっての恒居倭というのは勝手に居住し、我が物顔で振舞っている人々なのだ。手を緩める理由などどこにもない。朝鮮軍は薺浦に攻め込んだ。薺浦に恒居倭達の軍勢は一応、集結はしていたものの兵力では劣り戦意も低い。さらに防衛のための施設でも何でもないところに立てこもったところで立ち向かえるはずもなかった。当然義盛と恒居倭達は敗北し薺浦は陥落する。
義盛は恒居倭達を含む軍勢を自分が乗って来た船に乗せ対馬に撤退した。
「まさかこんなことになるとは。これでは我らの命脈も危ういのではないか」
危機感を覚える義盛だがどうしようもない。今は撤退することしかできなかった。
薺浦からの撤退から二カ月後、義盛は再び朝鮮に上陸した。何とかこの情勢をどうにかしないと考えての行動である。
「このままでは交易どころか講和もままならん。何とか形の上でも勝利しなければ」
現状のままでは交易どころか講和もままならない。そうなれば宗氏の明日はないといっても過言ではなかった。
「宗氏の命脈を保つためにも何とか勝たなければ」
そう考えての再侵攻であった。しかし宗氏の率いる兵で単独で李氏朝鮮に挑めるはずもなく敗北を喫することになる。これで李氏朝鮮との国交は断絶状態となった。
この事態に義盛は失意の底に沈んだ。
「あれだけ父上は慎重に事を運べといった。しかしそれを忘れ血気に逸り暴れまわった挙句にこのざまだ。ああ、宗氏代々の方々に申し訳ない。これ以上私が生きていては宗氏の害になるのではないか。いっそ死んでしまおうか」
そんな考えが頭をよぎるほど義盛は追い詰められていた。
一方の宗氏との戦いに勝利した李氏朝鮮だが、こちらはこちらで頭を悩ませていた。
「悩みの種の恒居倭はほとんど追い出した。しかし宗氏との交易がまったくなくなってしまうのは非常に困る」
李氏朝鮮は銅などの一部の交易品の輸入について宗氏に依存していた。つまりこのまま断交状態が続くとそれらの交易品が国内から無くなってしまう。そうなれば経済などに多大なダメージを与えかねなかった。しかも李氏朝鮮には別の交易ルートを開拓できるほどのノウハウはない。それだけ交易に関しては宗氏に依存していたのである。
「これらの交易だけでも何とか再開できないか。しかしこちらから頭を下げるようなことは絶対にできん」
三浦の乱に関しては李氏朝鮮側の勝利で終わっている。これで宗氏に対しては優位に立っているわけでそれを崩すような弱みは見せられるはずもなかった。
こうした状況下で義盛は事態の打開に向けて動き出す。さしあたって頼ったのは当時の西国で最大の勢力を誇る大内義興であった。義興は当時の室町幕府将軍の後見的な立場でもある。そして室町幕府は李氏朝鮮とも国交があった。
義盛は義興に頼み込んだ。
「このままの状況が続けば宗氏は干上がってしまいます。この難局に義興さまのお力に縋りたく思います。もちろん事態が好転すれば義興さまに相応の御礼をしたく思います」
この義盛の懇願に義興は動いた。もちろん同情したからとかそういう事ではなく、宗氏と強く結びつくことで相応の利益があると見たからである。
義興は室町幕府の公式の使者を偽り李氏朝鮮に使者を送った。そこで宗氏との交渉を打診する。李氏朝鮮としても日本国王である室町幕府将軍の使者は無視できない。そしてそれが本物か確認もできない。また宗氏の交易を頭を下げずに再開させるためにはこの使者は渡りに船であった。
「別に講和を結べというわけでもないらしい。条件もこちらの望むもので構わないらしい」
李氏朝鮮側はこの打診をそう受け取った。実際義盛としてはともかく交易の再開だけが望みである。それさえかなえられればもはや他はどうでもいいと考えていた。
暫くして対馬に李氏朝鮮からの使者がやって来た。使者は一方的にこう告げる。
「恒居倭の廃止。港は薺浦のみ。船の数は半減。交易の許可をもらっている者の再審査。これらが交易再開の条件である」
この条件はかなり厳しいものであった。しかしこれを飲む以外の選択肢は義盛にない。
「承知しました」
義盛はうなずいた。ここで宗氏が飲んだ条項を壬申約条という。こうして厳しいものであったが宗氏と李氏朝鮮の交易は再開される。三浦の乱から二年後のことであった。
義盛にとっては念願の交易再開となった。しかし三浦の乱以前よりはるかに厳しく制限されている。宗氏にとっての命脈は保たれたが厳しい状態には変わりなかった。
この事態に義盛はある手段を思いつく。
「こうなれば手段を選んではいられない。偽使を増やそう」
偽使とは他者の名義で派遣される偽の使節である。朝鮮との公交易では日本からの通交の使節も送られていた。そして交易はこれに伴う形がおこなわれている。この通交の使節を偽ろうというのが義盛の考えであった。
「もとより先祖代々偽使は使われている。この危難を乗り越えるためならどんな手だって使って見せよう」
壬申約条で制限がかけられたのは宗氏との交易に関してのみである。逆に言えば宗氏以外との交易や船のやり取りには制限はくわえられていない。
「大内様の力を借りなければならんな」
義盛は室町幕府の偽使を仕立てようと考えた。それには大内義興の力添えが必要不可欠である。義興は現将軍の後見的な立場であるとともに、室町幕府と李氏朝鮮の公交易に必要不可欠な牙符を所持していた。義興自身もこれを利用して偽使を送っている。宗氏との交易再開の為に送った使者もいわば偽使であった。
「大内さまも今更といったところなのだろうな」
実際その通りで義興は宗氏の偽使派遣に協力する姿勢を取った。こうして室町幕府の名をかたる偽使は堂々と朝鮮と交易し、宗氏に富をもたらした。
義盛の行動は現在からみれば非常に問題であろう。しかし戦国乱世で生き残るためには手段など選んではいられない。それが後世から指さされるような行動であってもである。
「私が望むのは宗氏が生きながらえること。そのための命脈を立つわけにはいかぬ」
皮肉なことにこの偽使の派遣を中心とした体制は、日朝交易の権益を宗氏に集中させることにつながった。結果交易で往来する船舶の数は実質的に三浦の乱以前とあまり変わらなくなる。
その後宗氏は幾度か李氏朝鮮との断交と条約の再締結をしながらも幕末まで朝鮮との交易を独占することに成功する。
義盛の望んだ通り宗氏は生き永らえ交易という命脈は保たれ続けた。それはある意味で偉業といっても過言ではなかろう。
義盛は偽使を利用することで宗氏の命脈を何とか維持しました。これについては賛否あるのは事実でしょう。しかし事実この策はうまくいったのだからある意味で義盛やその後の宗氏は優秀だといえるでしょう。正道だけが道ではないという証なのかもしれません。
さて続いてはある大大名の家臣の話です。その大大名の草創期で重臣でもあった人物ですがそれゆえの悲劇に見舞われます。一体どんな話なのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




