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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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遠山友政 乱世を生き抜く 第五話

 苗木城を追われた友政は徳川家康を頼った。そして旧領回復の機をうかがう。しかし天下統一の巨大な流れの中でそれはかなわず、友政は家康と共に旧領から遠く離れた関東に移った。もはや一縷の望みも絶たれただ家の存続の身を考えるようになった友政はどのような道をたどるのか。

 慶長三年(一五九八)豊臣秀吉がこの世を去った。豊臣政権というのは秀吉の存在で維持されていた側面が強い。その要である秀吉が死んでしまえば内部で権力争いが始まるのは必然であった。

この権力争いでトップを走っていたのが徳川家康である。家康は軍事力や政権内での立場などで他の大名たちを上回っていた。しかし秀吉子飼いの石田三成などはそれを快く思わず家康と反発している大大名と手を組んでいく。

 こうした動きの影響下か徐々に剣呑な雰囲気が日本各地に漂い始めた。これは家康の領地である関東でももちろんで、友政のいる館林でもいずれ起こるであろう軍事的衝突に備えての動きが活発になっている。

 友政も当然有事に備えての準備を怠らない。

「康政様は家康様の重臣。いずれ起こるであろう戦でも中核をなされるはず。その時は私も奮戦して功をあげなければな」

 この時友政は齢四〇を超えていた。しかし未だ子に恵まれていない。

「父上と大違いだ。こればかりは情けなくなる」

 そう嘆いても子が生まれるわけではない。今できるのはいつか現れるであろう跡継ぎの為に家を遺す努力をするのが友政の務めである。

 さて秀吉の死から二年後、いよいよ雰囲気は一種触発の雰囲気を出し始めていた。そんな中で家康は会津の上杉景勝の討伐を決定する。理由は景勝が秀吉の遺命に背いたからだということだが、実際は家康が豊臣政権の名のもとに敵対する勢力の排除に動いたというだけである。

 家康は豊臣政権の大名たちを引き連れて江戸から出立。下野(現栃木県)の小山に差し掛かったところで伏見城の家臣からの情報を得た。その情報は石田三成挙兵の報である。

 この以前に石田三成は対立していた豊臣家の大名の襲撃を受け、家康の裁定で職を辞し領地に入っていた。その三成が大大名の毛利家や宇喜多家などと共に反家康の兵をあげたのである。

 家康の軍勢の一部として従軍していた友政もこのことは聞き及んでいた。

「何とも大掛かりな戦になりそうだ。しかしまあ私のやることもやれることも変わらんか」

 今の自分は家康の家臣の家臣である。巨大の組織の一部としてできるだけのことをやるだけだ。友政はそう考えていた。

 しかしここで思いもよらぬことが起きた。それは友政がふさがっていたと思っていた道が新たに開くのである。


 三成挙兵の報を受けた家康は小山で評定を開く。この際に家康は自身に従ってきた豊臣政権の大名たちにこう言った。

「石田三成が挙兵したのは、某が豊臣家を脅かすものとして討とうということだ。むろん某にそんな考えはない。だが三成の言うことを尤もと思い共に戦おうと思うものは速やかに帰国するとよい」

 この発言に対して福島正則など多くの武将は家康への支持を表明した。

「此度の石田の行動はまさしく謀反。真に豊臣に弓を引くものは石田である。ならば家康様に従う事こそが豊臣の為」

「その通り。ならばこの機に豊臣に逆らうものを廃するべきだ」

 こうした声が次々と上がった。しかしそんな中で一人進み出るものがいた。それは当時岩村城の城主であった田丸直昌である。直昌はこう言った。

「方々の意見尤もと思うところもありまする。また拙者は家康様に岩村城をまかせていただいた恩義もありまする。ですが三成殿も秀吉様に恩義がある身。思い余った上での行動でしょう。その想いに嘘はありますまい。ただ家康様とは忠義の在り方が違っただけ。ならば拙者は三成殿と同じ忠義で秀吉様のご恩に報いたいと思います」

 この発言にその場にいた諸将は驚くばかりであった。周りの皆は全て家康に着くといっている中での発言だからである。しかしこれを言われた家康はむしろ笑い、直昌を称賛した。

「流石名家の北畠家の血を引いているだけのことはある。まさしく見事。ならば拙者もそれに応えよう」

 そう言って直昌の帰国を許した。そして直昌は家康に謝辞を言うと小山を出て岩村に向かう。

 一方で家康たちは早急に軍勢を再編成した。そして上杉景勝への備えを残したうえで軍勢を二手に分ける。

 一つは家康率いる軍勢で、中核をなすのは福島正則をはじめとする豊臣家の大名であった。これに重臣の井伊直政や本田忠勝などが付属する。

 もう一つは家康の次男である秀忠を大将とした軍勢であった。これに付属する重臣は大久保忠隣や本田正信、そして榊原康政である。

 友政は榊原康政の旗下にいる。当然そこに従って秀忠と共に進軍するつもりだった。

 友政は改めて出陣の準備を進める中で直昌の話を耳にする。

「何とも見事な御仁だ。名を遺す侍とは田丸殿のような御仁を言うのだろうな。しかしそんな御仁が岩村城にいるとは。不思議なものだ」

 岩村城の城主の直昌が家康の敵方、西軍に付いたというのはある意味朗報である。もし家康率いる東軍が勝利すれば、負けた側の直昌は領地を追われるかもしれない。そうなれば友政や徳川家の傘下にいる遠山家の誰かが岩村城を手に入れられるかもしれない。

「まあそんなことは無かろう。だが、秀忠様の軍勢は中山道を行く。恵那郡を通るわけだから必然的に田丸殿とも戦うことになるわけか。そう考えれば準備は入念にしておかなければな」

 先だっての話を考えれば田丸直昌というのは相当の勇士であろう。そう考えた友政は自分や家臣たちが覚えている限りの恵那郡の地形を書きだした。そして有用になりそうな策を考える。また前もって旧領に残っている縁者などにも手紙を送った。

「ここでうまくやれば城持ちとまではいかなくとも家康様の直臣にでもなれるかもしれん。まあ今は目の前の戦で生き残ることだ。そのための準備ならしても足りない」

 そう言って友政は家臣たちと準備を進める。そしてそれは思いもよらぬ形で役に立つのであった。


 西国へ向かう軍勢が編成される中、友政は家康に唐突に呼び出された。

「いったい何の御用だろうか」

 友政としては陪臣である自分たちをわざわざ呼び出す理由もよくわからない。しかし主君に呼び出されたのだから理由がどうあれすぐに向かうのが侍というものである。

 やがて友政が家康の本陣に到着すると家康はいなかった。しかしそこにいた小姓から

「殿はすぐに参られますのでしばしお待ちください」

と、言われる。

 そう言われた通り友政が家康を待っていると明知遠山家の遠山利景が現れた。これには双方驚く。

「利景殿も呼び出されたのですか」

「ふむ。友政殿も大殿に呼び出されたのですな」

 利景は小牧、長久手の戦の際には自分の城を取り戻している手練れである。友政よりも年長で、隠居していそうな年齢であるもののまだまだ矍鑠としていた。

 遠山一族の二人が驚いているとそこに妻木頼忠、千村良重、山村良勝などが現れた。頼忠は友政と同じ美濃東部の武将。良重と良勝は木曾家に仕えていた武将である。そしてこの場にいる武将たちにはある共通点があった。友政はそれに気づいている。

「(私や利景殿と妻木殿は美濃東部の武将。千村殿と山村殿は木曾家に仕えて木曾に領地を持っていた。これは全て秀忠様が通る予定の中山道にある)」

 これに加えて利景は言うまでもなく良勝も良重も現在は旧領から遠く離れていた。ただし頼忠のみ美濃東部の妻木城を変わらず領有している。

 友政が見たところ良重と良勝は呼び出された理由がわかっていないようだった。一方で頼忠は緊張した面持ちをしている。まるで何を言われるかわかっているかのようであった。

 そしていよいよ家康がやって来た。家康は並んだ五人を前にどっしりと座りこう言った。

「此度はよく集まってくれた。実は貴殿らに頼みたいことがある。頼忠よ」

「ははっ」

 そう言うと頼忠は地図を広げた。それは木曾から美濃東部にかけての地図である。そしてこう言った。

「貴殿らも知っての通り岩村城主の田丸殿は家康様のご厚意で帰国して西軍に付いた。そして苗木城に残した私の家臣から田丸殿が周囲の木曾や東美濃の将に呼びかけ中山道を防がんと結託したらしい」

 友政たちは驚いた。そして同時に感心する。

「(ただ旧恩に報いようという心がけだけでなく効果的な手も打つ。なるほど田丸殿は立派な御仁だ)」

 これに関しては家康も同様なようで、頼忠の発言をどこか楽しそうに聞いている。しかしすぐに表情を引き締めるとこう言った。

「これより我らは二手に分かれて西国に向かう。そして美濃で合流するつもりであったが田丸の働きはそれを阻止し敵方に戦力を整えさせる策なのだろう。だが我らも黙ってみているわけではない」

 そう言うや家康は立ちあがっていった。

「遠山友政、遠山利景。お主たちはこれより東美濃の旧領に戻り兵を集め田丸たちのたくらみを阻止せよ。頼忠はそれを助けるのだ。山村良勝、千村良重は木曾に戻り敵方を打ち破って木曽谷を確保せよ。必要な武器は用意させる。良いな。そして勝利の暁には取り戻した城はやろう」

「「ははっ! 」」

 全員家康の命に力強く答える。この時友政は感激していた。まさかこんな形とは言え旧領に帰れる日が来るとは思ってもいなかったからだ。そしてその任務はいわば旧領の奪還である。

「(まさかこんな日が来るとは)」

 感嘆する友政。これまでどこか凍り付いていたかのような心が解け始めていく感じがした。まさしく生きていたからこそやって来た機会であった。


 友政たちは急ぎ準備を整えると出立した。迅速に行動するため兵はほとんど連れて行かず、あとは家康から支給された武器だけである。

 城を奪還するためには武器だけでは当然駄目で兵力も必要だった。だが小山から美濃東部は遠い。迅速な行動をするためには兵を引き連れていくことは出来ない。そこで友政たちは現地で兵を集めることにしたのだ。

「故地には縁者や帰農した旧臣たちもいる。皆に呼びかければ一応軍勢は整うはずだ」

 この友政の案に皆納得したようである。しかし内心不安はあった。何せ友政が苗木城を追われたのは十七年ほど前である。旧領の主である自分が呼び掛けても立ち上がらないのではないか。そう言う不安はあった。

「(土地の皆も今は新しい領主の臣になっているかもしれん。もしそうだとしたらどうしようもないな)」

 こう言う不安はほかの皆も同じようであった。唯一の例外は妻木頼忠ぐらいである。

 頼忠は友政たちの不安を察してかこう励ました。

「苗木でも明智でも遠山殿たちの時代を懐かしんでおります。そうした方々に呼びかければきっと兵も集まりましょう」

 現地にいる人間の言葉だからいろいろありがたい。だがそれでも長い時が生み出した不安というのは容易にぬぐえないものであった。

 尤もこうなった以上何もしないという選択肢は友政にはない。もちろんほかの皆も同様である。

「やっとめぐって来た機会なのだ。これを逃せばおそらく旧領に戻ることは叶うまい」

 そう言って決意を固めて不安を押し殺す。そして夜を徹し東海道を進んで美濃東部に入った。頼忠は自分の領地に戻り友政、利景、良重、良勝は苗木領に入る。そして遠山家所縁の寺にひそかに入れてもらい一休みすることにした。

 尤もその間に何もしなかったわけではない。友政は寺の住職に領内の人々に自分が帰還したことを知らせ、旧領奪還の戦いに参加するよう伝えるように頼んだ。

「(これがしくじれば妻木殿のところに逃げ帰るほかあるまい)」

 すべての作戦の成否はここにかかっていた。友政はとしては祈るばかりである。

 そして夜が明けると住職がやってきた。そして興奮したようすで文を差し出す。

「このあたりの村々の人々はみな友政様に御味方すると。それに家臣であった方々も参られています」

 驚いた友政が寺の庭に出るとそこには苗木領に残り帰農していた家臣たちが皆集まっている。そのうちの一人纐纈はなぶさ藤左衛門が進み出てこう言った。

「いよいよですな。殿」

 藤左衛門の眼はうるんでいた。彼らからしみても万感の思いらしい。もはやこの時点で友政の不安は消し飛んでいた。

「必ず、我らの土地を取り返して見せるぞ! 」

「「おお! 」」

 こうして友政の悲願の戦いは始まった。

 人間生きていればこそというのはよく聞く話です。実際戦国武将にも生きていたからこそ機会が得られたという人は多くいます。友政もその一人ですがまさか十七年の時を経て機会が巡ってくるとは夢にも思わなかったでしょう。やはり人間あきらめないのが大事なのかなぁと思わせます。

 しかし今回の話で手に入れたのはあくまでチャンス。友政はそれを活かし悲願を成し遂げられるのか。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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