遠山友政 乱世を生き抜く 第二話
長兄の裏切りと次兄の戦死。この衝撃的な事件と共に友政は苗木城を追われた。乱世の残酷さを味わった友政。だがその人生にまだ続く。
命からがら生き延びた友政と友忠。不幸中の幸いか武田勝頼は美濃東部への侵攻を一度切り上げ遠江の戦線に移った。
友忠と友政は織田家の影響力がまだ残っている地域にとどまることにする。ここで織田家の武将と共に苗木城やほかの城の奪還の機会をうかがうことにした。
この時友政の気は重かった。それもそのはずで長兄は裏切り次兄は戦死している。さらには城も奪われているのだから。
「この先城を取り返せる保証もないというのに」
友政は暗澹たる気持ちでいた。そんな友政に友忠はこう言った。
「我らは幸い生き延びることができた。それは何事でも成す機会があるということだ」
「しかし我らにできることなど何がありましょうか」
「確かに我らのできることは少ない。だがそれすらもしなければ城を取り返すどころか生き延びることもできん。それすら怠れば侍どころか人ですらない。それを心に刻んだうえでこの先のことを考えるのだ」
そう言って友忠は去っていった。残された友政は一人考える。
「(父上には悪いが正直ああは言われても気は奮い立たない。しかしこのまま死を待つように生きるのも違うだろう。ならば今はただ生き抜くことのみを考えていこうか)」
とりあえず友政はそう結論付けた。そして友忠の言う機会は驚くほど早くやってくる。
友政たちが苗木城を追われてからおよそ半年たった天正三年(一五七五)の五月。三河の長篠城を包囲していた武田勝頼の軍勢と織田家、徳川家の連合軍の間で合戦が行われた。この戦いで勝頼は大敗を喫し重臣たちも多く失う。これにより武田家の勢いは大きく衰えた。
一方織田家と徳川家の意気は上がる。これを好機と見た織田信長は嫡男の信忠に軍を預けて岩村城をはじめとする美濃東部の奪還に向かわせた。これにもちろん友政と友忠の親子も同行する。
友政は友忠を褒めた。
「まさしく父上の言う通り機会がやってきましたね」
「私もこれほど早く好機が訪れるとは思わなんだよ」
この合戦には美濃東部を追われたほかの遠山一族も参加していた。友政を含む彼らからしてみれば故郷を奪還するための戦いである。
信忠の軍勢は攻撃目標を岩村城に定めた。ここが美濃東部の最重要拠点であるというのは周知の事実である。信忠は無理に力攻めせずに周囲に砦を築いて兵糧攻めを行った。武田家は先だっての大敗で疲弊している。すぐには援軍を出せないだろうという目算であった。
岩村城には武田家の将兵だけでなく遠山家の人間も立てこもっていた。先年の美濃東部侵攻の際に、友信以外にも武田家に下っていた遠山家の人間がいたのである。彼らからしてみれば武田家の窮地は自分たちの窮地であった。
岩村城に遠山家の人間が籠城していることを知った友政は複雑な気分になる。
「兄上もいるのだろうか。だとしたらどうするつもりなのだろう」
まさかまた裏切るつもりなのか。それともこのまま武田家と共に戦うつもりか。どちらにせよ友政にとっては心苦しい。しかし幸いといっていいかわからないが友信は岩村城にはいないようだった。
「ひとまず安心ではあるか。しかしこの後どうするつもりなのだろう」
友政は完全に包囲され飢えていくのを待つだけの岩村城を見る。それはこののちじわじわと衰えていく武田家を暗示しているようであった。友政が耳にする限りではなまじ立てこもった将兵が多いこともあり、兵糧を急速に消耗しているようである。
「この分なら武田家の援軍が来るまでに落城しよう。しかし油断はできないな」
実際この夜に岩村城に近い織田家の陣地が襲撃されるという事態が起きた。しかしそれも撃退されてしまったらしい。その際に武田家方の遠山家の人々の一部が戦死したそうだ。
「これも乱世の習いか。ただ生き延びることも難しい」
このことがきっかけとなったのか岩村城の城主を務めていた秋山虎繁は降伏を決意した。この時武田家の動きを察して合流していた信長はこれを受け入れる。こうして岩村城は開城した。だが本来はいるはずの岩村遠山家の人間がいなかったので織田家家臣の川尻秀隆が城主となる。これにはいささか複雑な感情を抱く友政であった。
「誰か遠山の家の者が入るべきなのでは」
「仕方あるまい。そもそも信長様のご子息が継ぐ予定であったのだ。その時点で岩村城は織田家の物だ」
友政の不満に友忠はこう答えた。この答えに仕方なく納得する友政であった。
こうして落城した岩村城だが多くの血を流した。武田家について戦死した遠山家の人間は多い。それだけでなく岩村城が開城した際に生きていたものも皆自害して果てた。さらに信長は降伏してきた虎繁を処刑している。しかも虎繁の妻であったおつやの方も同様に処刑した。
「信長様は自分の血縁を処刑したのか。いや、血縁だからか」
おつやの方は信長の叔母にあたる。それだけに虎繁の妻になったことが許せなかったのだろう。
友政はこの信長の行い恐れを感じると共に腑に落ちるものを感じた。
「私は兄上が降伏してきたとき許せるのだろうか」
未だ友政は裏切った兄に複雑な思いを抱いている。
織田家による岩村城の奪還の後、武田家はあまり美濃東部に攻勢をかけなくなった。武田家感心は主に遠江に向けられている。この頃は遠江で徳川家との争いが激化していたからだ。
したがって美濃東部は比較的平穏な状態であった。とは言えやることはたくさんある。これまでの多くの戦で領地はかなり荒れていた。まずはこれを元に戻さなければならない。
「先祖代々守って来た遠山の地だ。何が何でも元に戻すぞ」
そう意気込む友政。尤もこの頃には遠山家の多くは断絶している。もはや残っているのは苗木、明知、串原の三家のみであった。それでも自分の家と領地を守り生き抜くのが侍の務めだと友政は考えている。
こうして苗木の地に戻った友政は友忠と共に領地の再興に臨んだ。その間に武田家が侵攻してくることもない。そもそも武田家の勢力は徐々に衰えていったからだ。
「盛者必衰ということなのだろうか」
かつて自分や一族を苦しめた大勢力が衰えていくのをま間近で見る友政。その気持ちは晴れやかのものでなくむしろ悲しいものであった。そして何より友政の気になるのは武田家の領地にいるであろう兄の友信である。
「兄上は自分の決断をどう思っているのだろうか」
もはやこの頃の友政に友信を非難しようという気持ちはない。ただ何とか生き抜いていて欲しいという思いだけであった。だが現状では生きているかどうかすら分からない。友政の心には決して小さくないしこりが残り続けるのであった。
そうした状況の中で更に時がたった。時は天正十年(一五八二)に事態は大きく動くことになる。
それは夜遅くのことであった。友忠と密かに会いたいというものが現れたのである。
「いったい何者でしょう。父上」
「分からぬ。だが尋常のことではない。警戒しておけ」
「はい」
友忠はその不審な来客と面会することにした。むろん危険性はあるので家臣を重臣と友政を伴ってである。
一同そろった面前で平伏する不審な来客。友忠は尋ねた。
「それで一体何ようだ」
すると平伏していた男は書状を取り出して差し出す。家臣の一人がそれを受け取ると友忠に渡した。そしてその書状に目を通す友忠。すると友忠の眼が大きく開かれた。その様子に異様な雰囲気を感じる友政と重臣たち。だがすぐに友忠は冷静に男に告げた。
「承知したと貴殿の主君に伝えてくれ」
「ありがたき幸せ」
そう言って男は立ち去った。そこで友忠は友政と重臣たちに告げる。
「木曾の木曾義昌殿からの書状だ。織田方に寝返るとのことらしい」
静かに言う友忠。そして息をのむ友政。こうして武田家の最期が始まるのであった。
当時尾張や美濃は信長の嫡男の信忠に任されていた。これもあり織田家の武田家への対応は信忠が中心に行われている。木曾義昌への調略もその一つであった。
木曾義昌の治める木曾は恵那郡同様信濃と美濃の境界の地であった。さらに木曾からとれる木々は良質で優れた資源でもある。こうした場所の領主であるから織田家も武田家も特別視していた。特に武田家は信玄の代に娘を嫁がせておくほどである。つまり義昌は現当主の武田勝頼とは義兄弟の関係にあった。しかしそれが裏切ったのである。
「義昌殿も我らと同じか」
友政は義昌の決断を理解した。戦国時代の領主というものは自分の家と領地を守ることがすべてである。現在武田家は衰えて織田家は成長を続けていた。どちらにつくべきか明らかである。
もっともこうした動きを武田家も黙って見過ごしていたわけではない。勝頼は義昌の離反を察知するとすぐに軍勢を編成し木曾へ向かわせた。しかし織田家も義昌の調略をうけ迅速に行動する。織田家は信忠を総大将とした軍勢を編成し順次出陣させた。
この時先鋒隊は信忠旗下の森長可、団忠正の二名に岩村城主であった河尻秀隆。ここに木曾義昌が加わる。そして友政と友忠も先鋒隊に加えられた。
友政はこう考えた。
「ここで武功をあげれば信長様や信忠様の覚えもめでたいだろう。そうなれば苗木の家を守り抜くためにもなる。必ずや武功をあげて見せよう」
その機会はさっそくやって来た。義昌を討伐すべく先行してきた武田家の軍勢が迫って来たのである。先鋒隊はすぐにこれに対応し鳥居峠で迎え撃つことにした。
敵は大軍を擁するが峠は狭い。そこは狙いどころである。
「父上。ここは」
「うむ。先陣は譲れんな」
友忠も友政同様この戦いで武功をあげ苗木遠山家を安泰にしたいと考えていた。敵は大軍であるが地の利がある以上ためらう理由はない。
やがて武田家の軍勢は鳥居峠に差し掛かった。義昌は自軍を鳥居峠に出陣させ武田家の軍政に見つかるとすぐに後退させる。武田家の軍勢はそれを追い狭い鳥居峠に殺到した。これを友政たちが確認すると一気に飛び出る。
「ここで苗木遠山家の武名を知ら攻めるぞ! 」
友政は旗下の軍勢と共に武田家の軍勢に襲い掛かった。友忠もそれに続き突撃する。奇襲を食らった武田家の軍勢は大混乱に陥った。さらにそこに長可らの先鋒隊も続く。
森長可は叫んだ。
「武田家の者どもを一人残らず討ち取れ! 」
長可は織田家でも名を知られた猛将である。そんな長可率いる軍勢が追い打ちをかけてきたのだからたまらない。さらに退くように見せかけていた木曾家の軍勢も加わったので武田家の兵は散々に打ち取られていった。
この鳥居峠の合戦で武田家は大敗し撤退していった。一方で友政ら織田家の先鋒隊は大した損害を受けていない。
長可は友政と友忠を称賛した。
「貴公らの勢いがあればこそのこの勝利だ。このことは信忠様や信長様に必ずお伝えしよう」
「本当ですか! 感謝します」
友政は長可の言葉に感謝した。まさしく自分の思い描いた通りのことになったこともあるが長可の純粋な称賛に心を打たれたのもある。
この件で友政は長可を気に入った。ところが少し先の未来でこの両者は争うことになるのである。尤もそんなことは誰も思いもよらぬことであるが。
鳥居峠で武田家の軍勢は大敗を喫した。ここから武田家に離反者が続出する。
「みな生きるのに必死なのだろうが…… 」
それが乱世であり仕方のないこと。友政もそれはわかっているがどこかやるせないものを感じさせた。
この離反者続出の状況に加え信忠率いる本隊も武田家の領国に侵入した。信忠は唯一頑強に抵抗した高遠城を攻め落とすと、そのまま武田家の本国である甲斐(現山梨県)を目指す。駿河方面からは徳川家の侵攻も始まっており武田家の滅亡は時間の問題であった。これには友政だけでなく友忠も複雑そうな顔をする。
「我らを悩ませた武田家がこのような有様とは」
「父上…… 正直むなしく感じます」
「そうだな。それは私もだ」
やがて武田勝頼は居城の新府城を脱出。一族郎党を引き連れて家臣の城に逃れようとしたがここでも裏切られてしまった。そして甲斐の天目山に向かいここで自害して果てる。こうして武田家は滅亡した。
戦が終われば論功行賞が始まる。友政と友忠は信長から感状を与えられた。二人の決死の行動は信長にも認められたのである。これで二人の当初の目的は達成できたといえた。
「ともかくこれで一安心か」
安堵する友政。友忠も同様の様子である。しかしそんな二人の下に家臣が駆け込んできた。
「殿! 友政さま! 大変です」
「どうした」
「友信さまが捕らえられ突き出されたそうです」
「何だって! 」
それは武田家に寝返っていた友信が捕らえられたという報せであった。
そして家臣は逡巡の後こう言った。
「信長様は寝返りなど許さぬと…… もうすでにほかの武田家臣と共に処刑されてしまったそうです」
それを聞いて愕然とする二人。実はもしやすると再会が叶い、うまくかくまえるかもしれないと思っていたのだ。しかしそれはもはや敵わない。二人は友信と一目会うこともできずに死んでしまった。
これには愕然とする友忠。
「なんという事だ…… 」
友政は信長から渡された感状を無言で握りしめた。そして何も言えずただ立ち尽くす。家臣は二人の痛々しい様子に何も言えずうつむていた。
こうして友政にとって悲しい結末と共に武田家は滅亡した。これで天下に織田家に逆らえる大名はほとんどいない。もはや織田家の天下統一は目前となった。
「苗木の家も安泰、か」
喜びよりもむなしさを多く含んだ声色で友政はつぶやくのであった。しかし乱世はまだ終わらない。誰もが予想だにしなかった事件が起き巨大な混乱が起きるのである。そして友忠と友政もその混乱に巻き込まれていく。
今回の内容は苗木城復帰から武田家滅亡まででした。言い換えれば武田家の衰退の始まりと滅亡までともいえる内容です。実は武田家は一度滅亡している家でそこから再起しています。しかし再び滅亡し再興することはありませんでした。乱世の難しさ、残酷さがよくわかる家ともいえるかもしれませんね。
さて武田家滅亡の後は当然あの誰もが知る大事件です。その時友政はどうするのか。そしてどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では
 




