里見義康 終への途 前編
安房(現千葉県)の武将、里見義康の物語。
安房を治める里見家は戦国時代房総半島を中心に勢力を伸ばしていった。そんな里見家に生まれた義康はいかなる運命をたどるのか。
千寿丸は天正元年(一五七三)に生まれた。父は里見義頼。里見家は安房(現千葉県南端)と上総(現千葉県の大部分)を支配する戦国大名である。もともと里見家は安房一国の大名であったが、義頼の父の義堯の代より発展し上総まで手中に収めるほどに成長した。
ところで天正元年といえば室町幕府最期の将軍足利義昭が織田信長に追放され事実上幕府が滅亡した年である。戦国時代はここから終結への道をひた走り始めた。
一方里見家はというと関東の覇権を狙う北条家との戦いに明け暮れていた。稀代の傑物であった義堯は北条家の侵攻を何度も防ぐほどの人物である。ところがこの義堯が天正二年(一五七四)死んだ頃に情勢が変わってくる。というのも北条家は上杉家や武田家という大勢力と戦いを繰り広げていたが、このころ二家の影響力が衰えてきた。そうなると北条家は関東で敵対する勢力に思う存分戦力を向けることができるようになる。結果義堯の跡を継いだ嫡男の義弘は北条家との和睦を選択した。
この義弘は義頼の兄であるがなかなか男子に恵まれなかった。そこで義頼を養子にして跡継ぎに指名している。ところが義弘に男子が生まれると義頼の立場がなくなってしまう。そしてやはりというべきか義弘が死ぬと義弘の息子と義頼の間で抗争が起きた。義頼はこの抗争に勝利し里見家の当主となる。この後義頼は反乱を起こした重臣を鎮圧し里見家を盤石なものとした。
「これよりは父上のように私が里見家を守ってみせる」
実際義頼は義堯同様なかなかの傑物だったようである。義頼の代には里見家と北条家の仲は冷え込み時折攻撃を受けたりした。だがこれを幾度も撃退している。一方で北条家に敵対する勢力と同盟を組んだりもした。義頼は様々な手を尽くして里見領国を守ろうとしたのである。
「父が大きくした里見の家を小さくするわけにはいかん。里見家は房総の二国の太守である。千寿丸よ。お前もそれを肝に銘じておくのだぞ」
義頼は千寿丸にそう言った。千寿丸もその言葉と深く心に刻むのである。
さて里見家の情勢はさておき乱世は着実に終焉に向かいつつあった。室町幕府を滅ぼした織田信長は謀反に会い横死してしまう。しかし家臣の羽柴秀吉が信長の事業を引き継いで天下統一を推し進めていった。実際秀吉は関白に就任し豊臣の姓を名乗って天下に号令をかけ始めている。
この動きに義頼は目を付けた。
「羽柴殿は日の出の勢いだという。これは早くに誼をつないでおくべきだ」
幸いというべきか北条家は秀吉の天下統一事業に若干の反発をしていた。これもあり反北条家の動きをしていた関東の諸将はこぞって秀吉と誼をつなぐ。義頼もこれに同調した形になる。
結果これは功を奏し秀吉からは色よい返事が来る。義頼や里見家臣もこれで将来は安泰だ。そう思った矢先、天正十五年(一五八七)義頼が急死してしまう。跡を継ぐのは若干十五歳の千寿丸改め里見義康。
「父の教えに従い里見家を守ってみせます」
決意も新たに当主の座に就く義康。だがここから義康の過酷な運命が始まるのであった。
若くして家督を継いだ義康。幸いといっていいかどうかはわからないが、家中の反発的な勢力は皆義頼が滅ぼしていた。そして義頼の葬儀や家督相続後の手続きなどを終えていよいよ里見家の当主として問題に取り組んでいく。
さしあたって問題となりそうなのが北条家との関係である。しかし近年の北条家は房総半島へは積極的に関わらず、別の反北条の勢力との戦いに注力していた。
一方で豊臣秀吉は九州の平定を完了し西日本を完全に制圧した。あとは東日本に自らの勢力を浸透させるだけ、という状況にある。
こうした状況を鑑みて義康は家臣との協議のうえで秀吉との親交を最優先とした。
「父の代と同じような忠義を誓う。そう言った文言でいいだろうか」
「それでよろしいかと思います。先代は北条家が豊臣家に滅ぼされるだろうといっておられました。我らもそれを信じております」
「父上がそう言っていたのならその通りだろう。さっそく秀吉様に文を贈ろう。それに何か献上品も送るべきかと思うがどうか」
「よろしいかと思います」
義康はしっかりとした献上品を準備し忠誠を誓う文と合わせて秀吉に送る。当時秀吉は京の聚楽第に居住し政務をとっていた。安房からはだいぶ遠いから返事もなかなか来ない。義康がやきもきしながら秀吉の返答を待つ。
「父上の守った領地をなんとしてでも認めてもらわなければ」
若い義康は不安に潰されそうになりながらも秀吉の返答を待った。そして待望の返事が届く。返事にはこう書かれていた。
「忠誠を誓う旨と品々は確かに届いた。里見家の領地に関しては現状を認める。これからも我らに従い忠義を尽くすように」
義頼の時代から誼を結んでいたのが功を奏したのか里見家の領地はそっくりそのまま認められるのであった。これには義康も喜ぶ。
「父上がいろいろと努力していたのを認められたのだろう。ともかくこれで里見家は安泰だ」
とりあえず里見家の安泰はここで保障されたのである。一方で北条家も豊臣家に従属することを渋々ながらも決定した。
「これで関東も収まるか。めでたいことだ」
のんきに喜ぶ義康であったが天正十七年(一五八九)の末ごろに北条家の家臣が秀吉の裁定に逆らう行動を見せた。当然これに秀吉は激怒し北条家の討伐を決定する。義康の下にも北条家討伐の為に出陣するよう指令が下った。
「これは大変なことだ。だがここで秀吉様に忠義を示せば里見家は更に安泰だ」
義康はすぐに準備を整えてその時を待った。そして天正十八年(一五九〇)里見家の運命を決める北条討伐が始まるのである。
秀吉の指令を受けて出陣の準備を進める義康。この時家臣からこう問われた。
「頼淳様のことは如何なされます」
ここで名前の挙がった頼淳というのは里見家が保護している足利頼淳のことである。頼淳の父の義明はかつて関東を支配していた古河公方の一族であったが、家督争いの際に小弓公方を名乗って独立した。しかし義明は北条家との戦に敗れ戦死。小弓公方は滅亡してしまう。里見家は小弓公方を支援していた縁があったので生き残っていた頼淳を保護していた。
当時はすでに室町幕府は滅亡している。当然のその関東での機関であった古河公方も消滅したも同然の状態にあった。さらに天下は秀吉のもとに収まりつつあるのだから、里見家としても頼淳の扱いに困っている現状にある。家臣の質問はいよいよ秀吉が関東に来訪するにあたって頼淳をどうするのだろうかという疑問でもあった。
義康は家臣の質問に少し考えてからこう返答する。
「小弓公方はお爺様の代の主君。その縁もあって今までお守りしてきた。それは小弓公方再興のためだ。此度の秀吉様のご出陣に合わせ小弓公方を再興させるのが我らの務めではないか」
この返答に家臣は少し困った顔をする。
「秀吉様はなんと申されますか」
「別に敵対するわけではないのだから問題ないだろう。戦が終わった後で事を説明し小弓公方の再興の許しをいただければそれでいいのではないか」
この義康の言葉に家臣も納得したようだった。
「承知しました。ならば小弓にも兵を進めましょう」
「そうだな。そこにいる北条家を追い出して頼淳様に入ってもらおう。我らが奪い取った土地を分けるのだから問題ない」
「承知しました。皆にも伝えておきます」
こうして義康は小弓公方再興の戦いも併せて進めることになった。これに家臣たちも疑問を抱かない。しかしこれが思いもよらぬ事態を引き起こす。
天正十八年豊臣秀吉による北条領への侵攻が始まった。秀吉は家臣や従属している大名たちに号令をかけ様々な方向から攻撃を仕掛ける。
義康は海を渡り三浦半島から侵攻することになった。これは秀吉の正式な軍事命令に基づくものである。義康もそれはわかっていた。しかし分かっていないこともある。
「秀吉様の軍勢がいかに強大でも北条家も相当なもの。必ず手こずるだろう。あまり急いで進軍すべきではないな」
そう考えた義康は三浦半島に侵攻した後はゆっくりと進軍した。一方で一部の兵力を上総から北上させ下総(現千葉県北部など)に侵攻させる。これは小弓公方の本拠地であった小弓城の奪還のためだ。しかしこれは秀吉の命令ではない。あくまで義康の独断である。
「北条家の領地を攻撃しているだから問題はないさ」
そう考えている義康だがそれが甘い考えだと後で思う存分わかることになる。
また義康は三浦半島を攻略する際に小弓公方の再興を掲げていた。義康としてみれば小弓公方の再興は里見家の重要な仕事の一つである。その機会が訪れているわけだから再興を表明するのは別に当たり前のことであった。
こうして義康は小弓公方の再興を掲げゆっくりと進軍していく。一方で秀吉の軍勢は義康の考えも及ばないくらい大軍で強大であった。秀吉は徳川家康ら大名たちを引き連れて伊豆を突破、本拠地の小田原城を包囲する。さらに別動隊や反北条の大名たちを動員し各方向から北条家の領地を制圧していく。
こうした秀吉たちの動きを義康は三浦半島からのんびり眺めていた。
「これは大変なことだ。秀吉様にいち早く従っていた父上の眼力は大したものだ」
そんなのんきなことをつぶやく義康。そんな義康のもとに秀吉からの使者が来た。
義康はのんきに尋ねる。
「秀吉様はなんと仰せられているのだ」
それに対して秀吉からの使者は青い顔をしていった。
「秀吉様は里見殿に早く参陣せよと仰せです」
今度はそれを聞いた義康の顔が青くなった。そして家臣たちに叫ぶ。
「私は急いで秀吉様の下に向かう! お前たちは後で着いてこい! 」
そう言って慌てて駆け出す義康であった。
義康は急いで小田原に向かった。そして本陣の秀吉に面会を求めると拒絶されてしまう。取り次いだ小姓は冷淡に言った。
「殿下はお怒りです。里見殿とは顔を合わせたくないと仰せになっています」
「そ、そこを何とか。秀吉様に直に会い謝罪していただきたいとお伝えください」
「殿下は謝罪など聞くつもりはないと申しされております。里見殿が来たら安房に戻って沙汰を待つように伝えよとのことです」
そう言って小姓は去ってしまった。義康はショックのあまり座り込んでしまう。そこに壮年の男がやって来た。
「大丈夫ですかな」
「あ、あなたは」
「拙者は徳川家康と申します」
「貴方が! こ、これは失礼しました」
義康は急いでたたずまいを正し家康に頭を下げる。そして自己紹介をした。
「拙者は里見義康と申します」
「おお、そうか。貴殿が里見家の。それで一体どうされましたか」
「じ、実は…… 」
徳川家康は秀吉に従う大名の中でも格上の人物であった。それを知っていた義康はもはやこの機会に縋るしかないと判断する。
義康はこれまでの経緯を洗いざらい話す。家康は全て聞き終えると義康にこう言った。
「弁明もできぬとは流石に気の毒じゃな。どれ、拙者が殿下にとりなしてみよう」
「あ、ありがとうございます」
家康はさっそく秀吉のもとに向かった。義康はその場で家康が帰ってくるのを待つ。そのころ家康は秀吉にこう言った。
「小僧の粗忽にいちいち腹を立ててはいけませぬ。ここは面と叱ったうえで罰を与えるべきかと。そうすれば今後はいちいち面倒を起こさぬでしょう」
この家康の物言いに秀吉は納得した。
「その通りだ。流石に一応参陣したのだから顔は合わせてやるべきか」
「左様にございます。では私が連れてまいりましょう」
家康は義康の下に向かうとこう言った。
「殿下はお会いになられるそうです」
「ほ、本当ですか」
「ですがまず貴殿がお謝りになるべきです。そうすれば殿下の怒りも和らぐでしょう」
「は、はい」
「そして殿下の言うことに逆らわぬこと。これも大事です」
「わ、わかりました」
こうして義康は家康に伴われ秀吉と面会することになった。
義康は家康に言われた通りまず地に伏して謝罪する。
「此度は若輩者の粗忽で殿下を不愉快な気分にさせてしまったこと、とても申し訳なく思います」
地面に額をつけながら言う義康。そんな義康に秀吉はこう言った。
「儂は諸侯に許しなく戦をするなと申し付けた。だがお主はそれを破り下総に攻め込んだ。これは儂の定めた天下の法に背く行いである」
こう言われて義康は思わず反論しそうになった。あれは小弓公方の再興のためであって里見家の悲願でもあると。しかし家康から睨みつけられていることに気づいたのでやめた。
ともかく義康は秀吉の次の言葉を待つ。そして秀吉はこう言った。
「上総の地は取り上げとする」
秀吉の裁定は義康にとって受け入れがたいものであった。義康の祖父や父が苦心して守った上総を取り上げるといっているのだから。
これにはさすがに義康も我慢できなくなって反論しようとする。しかしそれに先んじて家康がこう言った。
「殿下の寛大なご処置痛み入ります。では拙者たちはこれで」
そう言って家康は義康を連れ出していった。義康は怒りと驚きで呆然としたまま家康に連れていかれる。そして勝機を取り直したところで家康に言った。
「徳川殿! 上総は我ら里見が命懸けで手に入れた土地。それを取り上げなどとは承諾できませぬ! 」
怒る義康。一方の家康は冷静に、冷徹に言った。
「義康殿。見よ、今の北条を。周囲を我らに囲まれ身動きできず滅びるのを待っておる」
そう言ってから家康は義康を睨みつけた。
「里見家もああなりたいか」
義康は固まった。ここで秀吉に反発すれば里見家そのものが潰される。そう家康が言いたいと分かったからだ。
家康の意図を理解しうなだれる義康。そんな義康に家康は優しく言った。
「今後は殿下に忠実に従えば上総も戻るかもしれん。儂もいろいろと手を貸そう」
「徳川殿…… ありがとうございます」
義康も家康の言っていることが気やすめなのはわかる。しかしそれでも今はありがたかった。
このしばらく後小田原城は落城し北条家は滅亡する。里見家の仇敵はここで滅んだが義康の心は暗い。
「皆になんといえばいいのか」
暗澹たる気持ちで義康は故郷の安房へ帰るのであった。
里見家は房総半島を中心に勢力を広げました。当時の房総半島というのは江戸湾を接していることもあり関東の物流の要所でもあります。当然魅力的な地であるわけで北条家は幾度となく房総半島に侵攻し、里見家はそれを様々な手で阻んでいました。
北条家は滅亡したため里見家は北条家の手から房総半島を守り抜くことができました。しかしその土地も秀吉に没収されてしまいます。なんとも無情な話ですね。
さて次話は上総を没収されてからの義康の話です。義康はどうなるのか、里見家はどうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




