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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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松平家信 己のやるべきこと 前編

 三河(現愛知県東部)の武将松平家信の話。

 三河を治める松平家。この松平家にはいくつかの分家があった。戦国時代、松平家が大きな変化を遂げる中で、分家に生まれた生まれた家信は一体どのような人生を送るのか。

 三河(現愛知県東部)を治めるのは松平家である。この松平家には十四松平家と呼ばれる庶流の家があった。彼らは三河の各地に点在し自分たちの領地を治めている。そして自立性は高く時には本家に逆らうものも出るほどであった。

 三河国形原。この海に面した天然の良港を治めるのが形原松平家である。現在の当主は五代目の家忠。

 家忠は若くして家を継いだ。というのも父の家広が本家の当主で主君の松平家康を裏切ってしまったからである。尤も先に記した通り松平家の庶流の家は自立性が強く裏切ったのも同族との争いが原因で、結局すぐに家康のもとに出戻っていた。

 家忠はこんな父を恥じた。

「己の都合で行ったり来たり。全く私が恥ずかしい」

 家康も家広を信頼しなかったのか家忠の家督継承を支持した。尤も良港を抱える形原松平家を傘下に置いておきたい都合もあったのだろう。

 さてこの頃の松平本家は激動の時期を迎えている。というのもそもそも松平家は大大名の今川義元に従っていた。しかしその義元が尾張(現愛知県西部)の織田信長に敗れ敗死してしまう。さらにこの時今川家の重臣の多くも戦死した。これでは今川家も立ち行かなくなり松平家もこのままでは危うい。ということで家康は一大決心をして独立を果たしたのである。

 こうした動きの中で家忠は当主になった。

「父の粗忽な振る舞いを挽回せねばな」

 そう意気込む家忠。幸いといっていいかわからないがその機会はすぐに訪れる。永禄六年(一五六三)に三河で一向一揆が勃発した。これに松平家の一族や家臣も参加してしまう。さらに松平家の独立に憤る今川家も動きを見せた。

 この動乱の中で家忠は家康に従い奮戦した。ここで忠実な姿を見せることが家康の信頼を得ることにつながるのと考えたからだ。

「まず今は家康様に従い戦うこと。それが家の未来につながる」

 こうした考えのもとで家忠は戦い続けた。それは一向一揆が終息した後の今川家との戦いでも同様である。家忠はただ己のできることを念頭に戦い続けた。それは大きな戦果を挙げられたわけではないが、着実に家康の信頼を得ることに成功したのである。

 やがて家康は永禄九年(一五六六)姓を松平から徳川に改めた。一方家忠達分家はそのまま松平のままである。要するに本家と分家の格の違いをはっきりさせたのであった。さらに家康は今川領国の遠江(現静岡県西部)に侵攻し義元の息子の氏真の籠る城を落城させる。これにより戦国大名の今川家は滅亡した。

 家忠は満足であった。

「家康様についてきて正解だったな」

 自分の選択が正解だったことに安堵する家忠。その手には家康が改姓した前年に生まれた息子、又七が抱かれている。


 今川氏が滅亡した後徳川家は強大な敵と相対することになった。それは甲斐(現山梨県)などを治める大大名の武田信玄である。信玄とは今川家を滅亡させるまでは手を組んでいた。しかし今川家が滅亡し徳川家と領地を隣接した今もはや手を組む理由もない。さらに徳川家と同盟を結んでいた織田家とも武田家は敵対を始めた。こうなれば武田家の侵攻が始めるのも時間の問題である。

「何とか信長殿と共に当たりたいものだが」

 信玄の動きが活発になるにあたって家康は同盟相手の織田信長に助けを求めた。しかしこの頃は信長も周囲に敵を抱えていて身動きの取れない状況にある。援軍はあてにできない。

 こうした緊迫した雰囲気を形原松平家も感じ取っていた。彼らは徳川家についていくと決めた身である。もし徳川家が滅亡するような事態になれば形原松平家もどうなるかわからない。

「ともかく戦の準備を進めなければ」

 家忠をはじめ形原松平家の人々は近く起きるであろう戦の準備を進める。一方まだ幼い又七は一体何が起こるのかと不安になった。

 又七は父の家忠に尋ねる。

「何か怖いことが起こるのですか」

 この質問に家忠はうなずいた。

「そうだな。とても恐ろしいものが来る。我々だけではどうしようもできないようなものが来る」

 それを聞いて又七は怯えた。

「一体どうするんですか? 」

 震えながら家忠に尋ねる又七。それに対して家忠はこう答えた。

「勿論我々だけでどうにかするわけではない。殿や家中の皆も一緒だ。だがまずは自分たちでできることをしなければならん」

「自分たちのできること? 」

「そうだ。それをすれば道は必ず開ける」

 そう言って家忠は自分の仕事に戻った。又七は父の言っていることはよく分からなかったが、父の強い言葉にとりあえず安心することができた。

 やがて元亀三年(一五七三)ついに武田信玄の侵攻が始まった。武田家の猛攻はすさまじく家康は直接対決で大敗を喫して敗走する。

 合戦は遠江の三方ヶ原で行われた。しかしそこで敗れた以上三河に侵攻してくるのは明白である。家忠はただちに準備を整えて武田家の侵攻に備える。しかし信玄の急病により武田家は撤退していった。

 ひとまず難を逃れる形原松平家と徳川家。やがて信玄が急死したこと知った家康は奪われた領地を奪還するため武田家に攻撃を仕掛ける。これに戦力を温存できた家忠も参加した。やがて奪われていた領地も回復する。

「これでひとまずは安心か」

 安堵する父を見て又七もほっとするのであった。

さて徳川家は最大の危機を乗り越えた。しかしまだ武田家は健在である。信玄の死後跡を継いだ武田勝頼は積極的に攻撃を仕掛けてきた。そして天正三年(一五七五)に三河に侵攻し徳川家の長篠城を包囲する。

 これに対して家康は信長に援軍を要請した。信長も武田家に大打撃を与える好機とみて援軍どころか自ら大軍を率いて出陣する。そして家康と共に武田家の軍勢と対峙した。武田家も長篠城を囲む砦に兵をいくらか残し主力を織田徳川家の連合軍に向ける。

 こうした動きの中で家康は重臣の酒井忠次に長篠城を囲む砦を陥落させるよう命じた。忠次は直ちに攻撃部隊を編成する。これには家忠も含まれた。

「主家の存亡のかかった戦だ。必ず成し遂げて見せよう」

 忠次は織田家からの兵を加え砦の攻略に向かう。そして家忠らの奮戦もあり砦は見事陥落した。そして武田家との決戦も大勝し見事先年の雪辱を果たしたのである。

 無事に生還した家忠は又七に言った。

「此度家康様は忠次様に重要な役目を任された。そして私はその役目の一部を任された。私の働きは此度の戦のわずかな部分でしかない。しかし皆が己のやるべき働きを成し遂げることが此度の大勝につながったのだ。又七よ。お前も己のなすべきことを見失わず必ずやり遂げるのだ。それができれば必ずや家も残り一族郎党平穏に暮らせるであろう」

 父のこの言葉に又七はうなずいた。

「分かりました父上」

 実際のところまだ又七にはよくわかっていない。もちろんそれは家忠にもわかっている。しかしいつかこの言葉を思い出してくれればいいと思う家忠であった。


 武田家との決戦を終えてから情勢は変わった。今まで防戦一方であった徳川家が今度は攻勢に転じる。尤も武田家も衰えはしたものの健在であり一進一退の攻防を繰り広げた。

 こうした中で又七も元服し名を家信とした。これで立派に成人したかかと思える。しかし家信は不満に思っていることがあった。

「武田家との戦は何度も起きている。しかし私の初陣がまだなのはなぜだ」

 実は家信はまだ初陣を済ませていなかった。これではまだ一人前とは言えない。

 家信は何度も家忠に懇願した。

「此度の戦は私も連れて行ってください」

 しかし家忠はなかなか許さなかった。

「お前は残り私の留守中の家をまとめるのだ。それができれば連れて行ってやる」

 こう言われてばかりである。

 不満を抱える家信。しかし父の言うことを改めて考えてみた。

「要するに私の今できることは留守中の父上の代わりを務めること。しかしそれだって初陣が済んでからできるのではないか? 」

 疑問に思う家信だがそれは呑み込んだ。そしてあえて父の言う通りのことをやってみることにする。

「父の留守を務める。これを完璧にやれば文句は言えまい」

 とはいえ家信はまだ若い。いろいろ経験不足である。そう言うわけで共に留守を務める老臣に色々と尋ねて奮闘した。老臣も若君が努力するのを喜ばしく思いいろいろと手伝う。そうしていると共に留守を務める家臣たちも家信を手伝い始めた。その結果家信は家臣たちと確かな信頼関係を築いていく。

「皆のおかげで何とか父に任されたことを成し遂げられそうだな。やはり何事を成すのにも己一人だけではできないという事か。父上はこれを言いたかったのかもしれないな」

 家信なりに父の考えをそう理解していた。実際家忠はそうした側面を期待していた向きもある。

 ともかく家信は家忠の留守をちゃんと勤め上げた。家忠も家臣たちから話を聞きそれを認める。そして天正十年(一五八二)年明けに家忠は家信にこう言った。

「近々武田家の領地に攻め入るとのことだ。その時は家信もついてこい」

「本当ですか!? ありがとうございます! 」

 勇躍し喜ぶ家信。それゆえに家信を見て微笑む家忠の顔の生気が薄いことには気付かなかった。


 天正十年二月織田信長は武田家を滅ぼすため大軍を派遣し侵攻した。徳川家もこれに続き駿河(現静岡県東部)方面から武田領に侵攻する。

 家信はこの戦で待望の初陣を飾ることになった。しかしその表情は浮かないものである。

「初陣は嬉しい。だがなぜ父上がいないのだ」

 実はこの出陣にあたって形原松平家の総大将は家信ということになっていた。今度は家忠が留守を務めるという形になっている。

「今思えばこの所顔色が悪いようにも感じた。父上は大丈夫なのだろうか」

 そう不安がる家信。そんな家信に家臣の一人が言った。

「殿は少し体の調子が悪うございます。それゆえその代わりを務めるのはとても大事。まさしくやるべきことかと思います」

「それもそうか。兎も角父上が安心できる姿を見せなければな」

 そう言って家信は気分を切り替える。こうして家信初陣の戦いが始まった。とは言え武田家は激しい抵抗をすることもなくせいぜい小競り合いがある程度であった。しかしそれらも油断なく家信はこなしていく。

「着実に、己の務めをはたすのだ」

 こうした家信の若いながらも堅実な働きを上司にあたる酒井忠次も評価した。そして直接家信に言う。

「家忠の息子は年に似合わずしっかりしている。これなら形原の家も安心だな」

「ありがとうございます。酒井様にそう言っていただけて父上も喜ぶでしょう」

 恭しく礼を言う家信。それを見て忠次も満足げに言頷いた。

 その後徳川家は順調に兵を進め同様に織田家も瞬く間に武田家の領地を占領していった。そして武田勝頼は居城の新府城を放棄し逃亡する。しかし織田家の追撃にあい最終的に自害して果てた。これで武田家は滅亡したのである。

 徳川家は大きな損害もなく新たに駿河を領地に加えることができた。家信も無事初陣を成し遂げる。

「ともかくこれで父上も安心だろう」

 そんなことを考えながら領地に帰って行く家信。そのころ家忠は病の床に就いていた。その顔色はいよいよ悪い。

 家忠は家臣に尋ねた。

「家信は無事に帰ってこられたようだな」

「はい。そのようです」

「そうか。酒井様の覚えもめでたかったらしい。いよいよ安心できるな」

 そう言うと家忠の青白い顔に生気が宿る。そしてその表情は何かの覚悟が決まっているようだった。


 初陣を終え帰還した家信が見たのは病に侵され切った父の姿であった。これに呆然とする家信。

「(父上はここまで病に侵されていたのか)」

 そんな家信に家忠は言った。

「そんな顔をするな。それではこれより先形原の家を任せることは出来ん」

「しかし父上」

「しかしもない。見ての通り私の命はあとわずかだ」

 家忠ははっきりといった。その声色は力強く覚悟が決まっている。その声に家信は父がすでに死を覚悟していることに気づいた。

「(父上は死を覚悟されておられる。そして後のことを私に任せるおつもりなのだ。そんなときに慌てた姿を見せてどうする。父上を安心させねば)」

 家信は表情を引き締め強い意志で家忠を見つめる。それを見た家忠は満足げにうなずいた。

「それでいい。これよりお前が成すべきなのはこの家を守ること。そして家康様に尽くすことだ」

「はい。もちろんです」

「そうか。それが分かっているなら何も心配はいらんな」

 家忠は満足げな笑みを浮かべる。そしてこう言った。

「これよりはお前が形原松平家の主だ」

「はい」

 家信は力強くうなずくのであった。

 この数日後家忠は息を引き取った。何も心配することは無いといった雰囲気であったという。

「亡き父に代わり私が家を守って見せる」

 そう決意を固める家信。そんな家信に新たな時代の激動が迫るのであった。


 あまり知られていない話ですが松平家には多くの分家があります。彼らの中には本家の座を狙う者もいたりしました。しかし三河の一向一揆あたりを境に本家の家臣として組み込まれていきます。家康が松平家から徳川家に改姓したのも三河を掌握したのもそのあたりです。そう言う意味では徳川家康はここから戦国大名となったといえるのかも知れませんね。

 さて今回の話は半分ほどが家信の父の家忠の話でした。次からは完全に家信がメインです。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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