朽木元綱 決断とは急にやってくる 前編
普通の人の一生で歴史の大事に関わるようなことはまずない。それは激動の戦国時代でもそうである。しかしふとしたきっかけで歴史の大事に関わる人もいる。この話はそんな大事に関わった男の話である。
近江国(現滋賀県)高島郡朽木。この地を治めるのは朽木家である。朽木家の歴史は長い。鎌倉時代に起きた承久の乱の頃に朽木の地を与えられて以来ずっとこの地を支配してきた。尤も大した広さではないが。
当代は朽木晴綱。取り立てて際立ったところのない男である。尤も領地を問題なく収めるくらいの器量の持ち主であったし、何よりも堅物すぎない程度に真面目であった。家臣たちとの関係も良好である。家臣たちも穏やかで野心家のようなものはいなかった。主従そろって
「この朽木の地を守れればいいか」
といった考えをしている。
さて朽木の地は近江にあって山城(現京都府)と隣接している地であった。また谷あいの地でもある。時は戦国時代。室町幕府は何とか残っていたが足利将軍家の立場は盤石ではなかった。そのため権力争いに敗れ京を追われる将軍も出てくる。そして晴綱の父の植綱の時代には時の将軍の足利義晴が逃げ込んできたりもした。その時植綱は義晴を手厚く保護している。これに義晴も感動したのか京に復帰してから朽木家を将軍の直属の軍事力である奉公衆に任じた。
晴綱も父の跡を継いで幕府の奉公衆になった。朽木晴綱という男は根が真面目だし旧来の権力への敬意も持っている。
「父から奉公衆の立場も譲られた以上、誠心誠意幕府に仕えなければ」
こうした考えのもとで晴綱は行動した。結果幕府とのつながりも強くなっていく。尤もこれで何か大きな権力を手にしたというわけではない。
やがて晴綱は義晴と敵対する勢力との戦いにも従軍するようになった。さすがにこれには家臣たちも不安がる。
「殿は戦がそれほどうまくない」
「左様。何か大事に至らなければいいのだが」
悲しいかなこの不安は的中してしまう。天文十九年(一五五〇)晴綱は敵対する勢力との合戦で戦死してしまった。享年三三歳の若さである。
「だから言わんことは無い。殿はいささか真面目過ぎたのだ」
思わず家臣の一人が言ってしまった。しかし周りの者はその通りだとうなずく。
さて主君が死んだ以上新たな当主を立てなければならない。晴綱には男子が一人いる。名を竹若丸といった。年齢は二歳。あまりにも幼すぎる。流石にいかがなものかとの声も上がった。しかし朽木家の一番の老臣がこう言った。
「だからと言ってほかの者を新たな主君にするわけにもいくまい。長子が相続するは古くからの習い。竹若丸君を置いて主君に相応しき者はいない」
家臣たちもなんだかんだ晴綱を慕っていた。動揺していたのは竹若丸の幼さのせいである。とはいえこんな意見が出たのだから皆便乗するかの如くこの意見に乗った。結果竹若丸が二歳で朽木家の当主になったのである。
二歳で当主になった竹若丸。もちろん政務などできないから家臣が代行する。幸い家臣に家を乗っ取ろうとか台頭して朽木家を牛耳ろうなどというものはいない。第一そこまでの野心があるならほかの家でやった方がいい。朽木家はそれくらいの家である。
そんなこんなで晴綱死後の朽木家は何とかうまくやっていけた。天文二二(一五五三)に家臣の三好長慶に追われた将軍の足利義輝が逃げ込んできたときも万事うまくやった。
家臣に追われた義輝からしてみれば、団結し幼い家臣を盛りたている朽木家に感動したようだった。
「竹若丸の代でも奉公衆の立場は保証しよう」
義輝はそんなことを言ってくれたが朽木家家臣たちの反応は微妙である。そもそも晴綱は義輝の父の義晴の戦に付き合って死んだのだから尤もなことだろう。しかし断るわけにもいかないから素直に受け入れた。その後義輝は京に戻っている。
そんなこんなで朽木家は特に問題なく生き残っていた。竹若丸もすくすく元服して育ち名を元綱とする。元綱は父親に似てなんとも地味で穏やかな人物に育った。
「我々としては朽木家を守れればそれでいい」
父親同様それぐらいの望みを抱いている。
それはそれとして永禄八年(一五六五)とんでもないことが起こった。将軍の足利義輝が家臣の謀反に会い横死してしまったのである。この時元綱は何もできなかった。というのも朽木がある近江北部の有力勢力である浅井家が朽木家を攻撃しようとしていからだ。
「こればかりは仕方ないと思うがどうだ? 」
「仕方ないと思います」
元網の質問に家臣はこう答えるのであった。そして元綱はこうも質問する。
「我々は浅井家に勝てると思うか」
「無理でしょう」
「そうか。ならばおりを見て下るべきか」
浅井家の攻撃が始まると戦闘もそこそこに人質を差し出して降伏した。これで朽木家は守れたのだから良しというのが彼らの考え方である。
永禄十一年(一五六八)朽木家に浅井家からこんな連絡が入った。
「我らはこれより足利義昭様を奉じて上洛する織田信長殿を助ける。貴殿らは別命があるまで待機すること」
これを見た元綱はさすがに戸惑った。
「知らない話ばかりだな。この義昭様というのは件の逃げ延びていた義輝様の弟君か」
「その通りです。しかし越前(現福井県)の朝倉義景殿の下に逃れていたと聞いていますが」
「そうなのか。しかしここに書かれているのは織田信長殿と書かれている。何でも尾張(現愛知県西部)と美濃(現岐阜県)を治めている御仁らしいが」
元綱は知らなかったが浅井家当主の浅井長政は先年織田信長の妹のお市の方を娶っている。つまりは婚姻同盟の関係にあった。朽木家も同盟の話は聞いていたがそこまで詳しく聞いていない。
「よくわかりませぬが義昭様はおそらく越前から美濃に移られたのでしょう。そこでその織田殿を頼って上洛することに決めたということなのでしょうな」
首をかしげる元綱に老臣はこう答えた。その答えに元綱はうなずくとこんなことを訪ねる。
「一応我らは幕府の奉公衆のままだ。だがそれだけに正統な将軍の後継が上洛するのなら手を貸すべきなのではないか」
義輝が謀殺された際それらを主導した勢力は別の将軍を擁立している。しかし様々な事情があってなかなか将軍に就任できないでいた。奉公衆であった元綱に新将軍への協力を要請する書状も届いたが浅井家の傘下に入っている都合上好き勝手は出来ない。とりあえず無視していた。
しかし今回は正当な後継者といえる人物が上洛しようとしている。まだ京や周辺地域には敵がいるだろうにだ。つまり問題なく上洛できるほどの軍事力が織田信長の下にはあるのだろう。そして浅井家もそれに協力するつもりである。ならば奉公衆である自分も馳せ参じるべきではないのか。元綱はそう思った。
この元網の質問に老臣は頭を悩ませた。元綱の言っていることは道理が通っている。しかしわざわざ浅井家から書状が届けられた。これは要するに余計なことをするなという意味とも取れる。
少ししてから老臣はこう言った。
「とりあえずは大人しくしていましょう」
「それでいいか? 」
「はい。妙なことをして睨まれてはたまりません」
「それもそうだな。しかし上洛が叶った時は流石に義昭様の下に参上するべきだろう」
「それはそうでしょう。その時は改めて幕府に仕えるという形を取りましょう」
「そうだなそれでいい」
とりあえず朽木家の方針は決まった。しばらくして信長は義昭を奉して上洛の兵をあげた。途中敵対する勢力の抵抗はあったがそれも難なく退ける。そしてあっという間に京に入った。
そして義昭が将軍に就任すると参上し改めて奉公衆に任じられた。ついでに浅井家との主従関係も改められる。
「幕府の奉公衆を家臣扱いは出来んということか」
朽木家は浅井家の傘下ではあるが家臣ではないという扱いになった。尤も朽木家の内情が変わったわけでもない。
「変わらずというのが一番いい」
元綱を始めとする朽木家の人々はそう考えている。取り立てて大きな何かを成し遂げようという意識が低い人々であった。
しかしこののち予想だにしない形で大変な決断を迫られることになる。
元亀元年(一五七〇)織田信長は越前の朝倉家の討伐に向かった。これについて理由は諸説あるがとりあえず元網の知ったことではない。
「信長殿というのはあちこちに戦を仕掛ける忙しいお方なのだな」
代々の領地を維持できればそれでいいと考える元網にとって信長の行動力は驚くべきものである。
それはともかく信長は朝倉家の討伐に向かった。ところがここで浅井家の裏切りにあってしまう。浅井家は朝倉家と懇意でありそれ故に長政は信長を裏切ったのであった。
これを聞いて流石に元綱も焦る。
「今度は織田家と戦をするということか。しかし義昭様は信長殿を信頼しているというし。我らの立場はどうなるのだろうか」
焦り悩む元綱。だがここでさらに元綱を悩ませる出来事が起きる。
「大変です殿」
今後の行動について元綱が重臣らと話し合っているところに別の家臣が駆け込んできた。
「どうしたのだ。何が大変なのだ」
元綱は家臣に尋ねる。すると駆け込んできた家臣はこう言った。
「織田信長様が参られています」
これを聞いて元綱及び家臣一同絶句する。
「え、越前で戦っていたのではないか」
「はい。ですがそこから逃れて朽木に立ち寄ったと松永久秀殿が」
「松永殿がか…… そうか」
松永久秀というのは大和(現奈良県)に領地を持つ武将である。今は幕府の家臣という立場でもあった。かなり知恵が回る人物だということも知っている。そして手段を選ばない人物であるとも。
「越前からなら朽木は京への抜け道になるな」
朽木は京から将軍が逃れてくることが多い土地である。それは隠れられるし京からも近いからというのが理由であった。近江の北半分を支配する浅井家の眼から逃れて京に入るにはかなり有効なルートである。
家臣はさらこう言った。
「久秀殿は殿とお話がしたいと」
「そ、そうか」
元綱は動揺したそれは久秀がどういう立場で話をしたいといっているかわからないからだ。
「(久秀殿は本気で信長殿を逃がすつもりなのだろうか。それともここで始末してしまおうと考えているのだろうか。その時は私にも片棒を担がせるつもりだろう)」
元綱が聞く限りでは松永久秀はそういうことができる男であった。さらに元綱が迷っているのは浅井家との関係もある。
「(今は主従であるかどうか微妙なくらいだ。しかし敵に回して攻撃されたらどうしようもない。その時、信長殿は我らを守ってくれるのだろうか)」
悩む元綱。その時ふと家臣たちを見ると同様に悩んでいるようだった。これを見て元綱は腹を決める。
「ともかく久秀殿と話そう」
話したうえでなにがしかの決断をしよう。それが一応主としての自分の役目だ。元綱はそう思った。
元綱は一人で久秀と面会することにした。久秀も一対一で話したいといっているのでそれを飲んだのである。
面会してそうそう久秀はこう言った。
「信長様は義昭様の命を奉じて朝倉を攻められた。これを背後から討った浅井の行いは幕府に対する謀反に等しい。ゆえにここで信長様を逃すのは幕府への正しき奉公にござる」
久秀は全面的に信長を支持する言動を取った。元綱の見る限り信長をここで討ってしまおうなどという考えは見受けられない。
しかし元綱には気になることがあった。
「久秀殿はなぜ信長殿を信じるのですか」
正直現状は信長に不利である。だがそれでも信長に味方するのは久秀なりに信長に味方する理由がるのだろう。元綱はそう考えた。
この質問に対し久秀はこう答える。
「信長様は幕府とうまく付き合おうとしております。ならば我らにもいろいろと得があるというもの」
要するに信長とうまく付き合って利を得よう。というのが久秀の考えらしい。そこには幕府への忠誠心のかけらもない。幕府も信長も利用できるものは利用してしまえという考えが透けて見えた。しかしそれゆえに久秀を信頼することができる。
「(ここまで知恵が回り利を考える男が味方に付くのならば我々もそうすべきだろう。我々もこの地を守れればそれでいいのだから)」
元綱は久秀にこう言った。
「信長様にこの地を己の領地同然に通られるようにと伝えてください」
「ほう。それはありがたいことです」
笑みを見せる久秀。元綱も一安心といったところであった。
「それでは信長様にお伝えしてきます」
そう言って久秀は立ち去ろうとする。するとふと思い出したかのようにこう言った。
「もし朽木殿が拒まれるのでしたら、信長様の弔いだけでもやってもらうつもりでした」
それを聞いて元綱の体から血の気が引いた。つまり元綱の返答次第では信長を殺すつもりだったという趣旨の発言だったからである。
久秀が悠々と去っていったあとで元綱はただただ絶句するのであった。
こののち信長は朽木を通って京に帰還した。そして体勢を立て直し浅井家との決戦に勝利する。以後暫くは膠着状態が続くことになった。
この時点で朽木家に別に異変はなかった。
「とりあえずあの時はあれでよかったのだな」
一安心する元綱であった。実際こののち暫くは特に何事もなく日々を過ごしていくことになる。しばらくは。
戦国時代に限らず名を遺す歴史上の人物は二通り居ると考えています。一つはその一生が日本などの国の歴史を大きく動かした人物。一つは何か重大な出来事に関わったため名を遺した人物。戦国時代で言うと前者は織田信長。後者は今回の主人公の朽木元綱といったところでしょう。今回の話の出来事がまさにそうで元綱の行動いかんでは日本の歴史は変わっていたと思われます。元綱は次の話ではまた大事に関わることになります。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では