白河義親 義親の生きる道 前編
結城家庶流白河家。奥州南部に割拠する勢力の一つである。この白河家に生まれた白河義親はいかに生きていくのか。そして最後に待つものは何か。
陸奥南部白河地方(現福島県)、ここを治めるのは関東の名門結城家の諸流白河家である。現在の当主は白河義綱といった。
義綱には子が二人いる。一人は嫡男の晴綱。もう一人は義親といった。この兄弟だが年が二十歳ほど離れている。親子といっても違和感のない年齢差であった。
というか実際そういう噂もあった。
「正直義親様は晴綱様の息子ではないのか」
「そうだな。年で考えれば義綱様より晴綱様の息子だと考える方が自然ではあるしな」
口さがないものは影でそう言っていた。しかし噂はこれだけではない。
「いや、実は義親様は顕頼様らしい」
顕頼というのは義綱の父、つまり晴綱と義親の祖父である。さすがにこの噂には反論も出た。
「それが事実なら顕頼様の晩年にできた子供ということになるではないか。さすがにそれは無理があるぞ」
「いや。実は義親様の母御は顕頼様の奥方に仕えていたそうだ。それが急に義綱様に下げ渡されたらしい」
「おいおい。それじゃあ顕頼様が孕ませたのを義綱様に渡したという事じゃないか」
「まあ噂だ。そもそも義親様の母御のことを知っているものがあまりにもいない。それこそ顕頼様の奥方に仕えていたという事だけだ。あとは若くて美しいと言われている。まあこれも噂だが。兎も角素性の分からん女らしい」
そんな噂を口々に言う家臣たち。中には義綱と晴綱は外交方針をめぐって不和であったが、これは義親の母をめぐってのことだという噂まであった。
無論こうした話を死んでいる顕頼はともかく義綱も晴綱も快く思わない。従って義親への態度にも自然と疑念が含まれていく。
「(義親は俺の子なのではないか)」
実際義綱も晴綱も覚えがあったし、顕頼が執心であったことも知っている。しかし真実を知る義親の母はもういない。義親を生んですぐに死んでしまったからだ。
こうした状況の結果義綱も晴綱も噂をはっきりと否定できなかった。そうなれば家臣たちも各々が自分の信じたい噂を信じる。
こうなってくると一番被害を受けるのは誰か。むろん義親である。義親は幼いころから好機と疑念の視線を受け続けた。しかしそれを父も兄もかばってくれない。
「私は誰だ? 」
義親は物心つく頃にはそんなことを考え始めていた。しかしそれに答えを出してくれる人物は誰もいないのである。
実の父親が誰か定かではないという状況のまま義親は元服した。尤も成人したといって周りの目が変わるわけでもない。義親は相変わらず好奇の目にさらされ続けた。そして何より義親自身が自己を定義できないでいる。
「私は母の顔も知らない。しかし父が誰かもわからない。一体私は何なのだ」
自分自身への不快感と白河家での居心地の悪さ。それらは義親を暗い性格に変えつつあった。
そんな時義親は父の義綱にこんなことを言われた。
「お前はこれより小峰家を再興するのだ」
小峰家とは白河家の分家である。いろいろあって断絶していた。義綱は義親にそれを再興しろと言い出したのである。
突然父が言いだしたことに唖然とする義親。しかし義綱は更に酷なことを言う。
「お前はこれより小峰家の人間となる。そうなれば分家の長として私や晴綱に仕えるのだ。もはや親子ではないと思え」
冷然という義綱。そこで義親は父の考えを理解した。
「(父上は私が成人したというのでいよいよ持て余し始めたのだ。そして兄上もきっと同じ考えのはず。噂がどうであれ私を白河の家においては禍根になるだろうからいっそ別の家でも継がせればいい。それが分家なら気兼ねなく家臣として扱えるからな)」
義綱や晴綱の思いもよらないことだが、義親はそうしたことを察せるくらいには聡明であった。もっともろくに義親のことを見ていなかったから当たり前なのだが。
ともかく義親は義綱の考えを理解した。そしてここで言いだした以上はもはや逃れることは出来ないのだろうということも理解する。
義親は一言
「承知しました」
とだけ答えた。その答えに義綱は満足げにうなずく。その後はこれでもかというほど簡単に話が進む。義親には小さいが城を与えられ領地も独自に付与された。
「一応の親としての務めということか」
このことに義親は何の感動も抱かない。この時点で義親は父や兄への情はなくなっていた。尤も向こうは初めからそう言う感情は持ち合わせていない。
「こうなれば私も覚悟を決めるぞ」
この時の義親にとって自分が何者なのかということはどうでもよくなっていた。自分を取り巻く多くのものに不要と言われたようなものである。もはや自分の道を行くだけだと。義親は考えた。
こうして義親は小峰家の当主となった。そして父からつけられた家臣たちと共に城に入る。城はみすぼらしく義親につけられた家臣を失望させた。
「我々は義親様ともども追い出されたということか」
「なんという事か。義親様に仕えれば行く末は保証するといったのは何だったのだ」
口々に文句を言う家臣たち。義親がそばにいるのにお構いなしである。しかし義親はそんな家臣たちをしり目に悠然と城に入っていった。家臣たちは一瞬あっけにとられるがすぐに義親の後を追う。
やがて義親はその城の一番大きい、といっても大した大きさではない、部屋に入った。そして一番奥にどっしりと座る。家臣たちはそれにつられるように腰を下ろした。自然と義親の前に居並ぶようになっている。
居並ぶ家臣を前に義親はこう言った。
「私はいつか白河家を己のものにする」
家臣一同首を揃えて絶句した。だが自信満々に言う義親を見るとなんだか実現できるような気がしてくる。そしてそう考えたすべての家臣はいつの間にか義親の前に平伏していた。
義親が小峰家を継いだころ白河家の当主も晴綱になった。厄介な存在がいなくなったのでちょうどよかったのだろう。前当主の義綱はそれからしばらくして死んだ。
「兄上もせいせいしているだろうな」
晴綱と義綱が外交方針をめぐって争っていたのは前にも記した。主導権に関しては晴綱が握っていたものの、義綱もいろいろと口を出していたらしい。晴綱は相当疎ましく感じていた。そんな二人でも義親を追い出すことに関しては一致していたのはなんとも皮肉である。
さて完全に晴綱の代になったことで外交方針もはっきりしてくる。さしあたって晴綱が行ったのは会津の蘆名盛氏との同盟であった。蘆名家は強力な勢力を誇り周囲への影響力も大きい。晴綱は蘆名家との同盟で陸奥南部の動乱を乗り切ろうと考えていた。
晴綱は盛氏にこう提案した。
「私の弟にはまだ妻がおりません。ここは盛氏様のご息女を迎えて両家の縁を深めたく思います」
「ほう。弟に、か」
「は、はい」
盛氏に睨みつけられて晴綱はどもった。そもそも線の細い晴綱とどっしりとした体格の盛氏ではだいぶ風格に差がある。
それはそれとして縁組の話である。晴綱は現状蘆名家の力を借りたい。しかし陸奥南部の情勢は基本的に流動的であり、ほかにも伊達家や佐竹家など有力な勢力が存在した。その点を考えると晴綱やその息子などに蘆名家の娘をもらえば大きく干渉を受けることになる。その点義親なら安心であった。
「(今の義親は庶流の当主。一度は途絶えた家だ。最悪の時は切り捨てればよかろう)」
晴綱はそんなことを考えていた。追い出した上にこんなことを考えているのはかなりひどい。しかしながら非情な選択もしなければならないのがこの時代である。
そんなことをおくびにも出さず晴綱は言った。晴綱もひとかどの戦国大名である。それくらいできなければこの時代生きていけない。しかしそんな晴綱の考えは盛氏にはお見通しであった。そして盛氏はそのうえでこういう。
「よかろう。儂の娘をそなたの弟の嫁にやろう」
「あ、ありがたき幸せ」
晴綱は平伏した。そして笑い顔を見られないようにする。だがそれゆえににやりと笑う盛氏の顔も見えなかった。
こうして義親の知らないうちに結婚が決まったのであった。
後日義親は結婚が決まったことを知らされた。最初から義親に選択肢はない。
「まあそういうものだろう」
義親はあっさりと受け入れる。そして嫁入りはあっさりと進みめでたく義親に妻ができた。そしてこれをきっかけに盛氏は義親に接近する。
「これよりは儂を父と思うとよい」
優しく言う盛氏。しかしこれが本心ではないことは明白である。盛氏が娘を嫁にやったのは、義親を通じて白河家への影響力を強めることにあった。
それゆえ盛氏はこんなことも言った。
「娘はよい男に嫁いだ。義親は本来もっと大きな家の主になってもいいくらいの器量だからな」
まるで義親を煽り立てるような発言であった。もちろん盛氏は義親の複雑な事情を知っている。そしてそれゆえに晴綱に反感を持っていることも。それを踏まえて盛氏は義親が白河家で権力を握ること、あわよくば家督を奪うことを期待していた。そうなれば盛氏は白河家当主の義理の父親となる。となれば影響力も段違いだ。
一方の義親はこうした盛氏の行動を受け入れる。
「ありがたき幸せにございます。義父上様のご温情。心に染み入ります」
義親はむしろ自分から積極的に盛氏に取り入った。もちろんこれも義親の考えがある。
「(白河家の家督を奪うには小峰家の力だけではだめだ。何か後ろ盾が欲しい)」
小峰家を継いだ時から義親の目的は白河家の当主になることである。しかし小峰家の独力でそれを成し遂げるのは不可能に近い。協力者か後ろ盾が必要であった。そんなときに晴綱自ら後ろ盾を持ってきてくれたのである。
「(義父上が兄上の案を受け入れたのも私を利用するつもりだからなのだろう。尤も私としては白河家の家督を奪えればそれでいい。それは結果的に義父上の求める結果にもなるのだから本当に都合のいい話だ)」
むろん盛氏は義親のそうした考え気付いている。しかしわざわざ口に出すことではない。双方深く付き合っていれば、自分たちの目的が果たせるのだからこれ以上ないくらい好都合であった。知らぬは晴綱のみである。
「うまい具合に後ろ盾ができた。兄上には感謝しなければな」
そんな皮肉を言ってしまうほど義親にとっては理想的な展開であった。
盛氏という強力な後ろ盾を得た義親。しかし表向きは白河家や晴綱に忠実であった。白河家が行う各地での戦に従軍し戦果を挙げる。これを見て晴綱も喜ぶ。
「思った以上に役に立っているな。父上には感謝しなければならん」
尤も義親が白河家の為に戦うのは晴綱のためではない。目的は活躍することで白河家内での発言権を手に入れることにある。そもそも白河家が戦でつぶれるようなことがあっては元も子もない。
「私のものになるまで兄上には白河家を維持してもらわなければ」
活躍の裏で義親はそんなことを考えていた。そうこうしているうちに義親の白河家内での発言権は上がっていく。重臣たちも一目置くほどであった。こうなってくると晴綱の心中も穏やかではない。
「この所重臣たちは義親の顔色を窺っているようにも見える。まさかとは思うが大丈夫なのか」
ここにきて晴綱は義親に疑念を抱き始めた。しかしこの心労が祟ったのかこの頃から晴綱は病がちになってしまった。すると義親はますます白河家での発言権を強めていく。
「こ、これはいかんぞ」
焦る晴綱。何故なら晴綱の嫡男の七若丸はまだ幼い。もし自分が死んだら誰かが後見役になるだろう。そしてこういうときに後見役になるのは有力な一門である。現状それが誰かというと義親であった。そうなれば自分の息子はどうなるか。晴綱は焦った。その焦りのせいか晴綱の容体はますます悪くなった。
さらにこの時常陸(現茨城県)の佐竹義重が白河家に攻め込んでいた。坂東随一といわれた義重に晴綱は圧倒され領地を多く奪われてしまう。一時は佐竹家に有利な条件で講和するほどに追い詰められていた。
焦った晴綱は重臣を集めて誓わせる。
「自分に何かあったら七若丸を盛り立てること。二心になく尽くすこと」
これを誓わせた。しかしこのような行動自体晴綱は長くないといっているようなものだった。そしてすでに重臣たちの一部は義親と通じている。その重臣から義親に連絡が入った。
「晴綱様はもはや長くありませぬ」
そしてその通りになった。天正元年(一五七三)白河晴綱はこの世を去る。そして跡は息子の七若丸が継ぐことになった。そして後見役はもちろん義親である。
「これよりは私が白河家を取り仕切る」
この発言に白河家のだれも異論を唱えなかった。そして天正三年(一五七五)に義親は重臣たちと共謀し七若丸を追放した。そしてついに白河家の家督を継ぐ。
「ついにここまで来たか」
悲願を果たし感動する義親。しかし本当の戦いはこれからであった。
戦国時代歴史の古い家はいくつかの家系に分かれています。そうした家も基本的に本家と同じ苗字を名乗るわけですがそれだといろいろとややこしいことになります。そう言うわけでその分家の本拠地などから名前を取って区別します。今までもそうしたパターンはありました。(例えば扇谷上杉家は扇谷家。この話の白河結城家は白河家)今後もそうした方針で行こうと思っていますので何卒宜しくお願いします。
さて今回の主人公の義親ですが話でも分かる通り親がはっきりしていません。今回は白河家当主のだれかということにしましたが、当主とは血縁がなくただの親戚という説もあります。今回はそのあいまいなところを話しに活かし見てました。どうでしたか? 人によっては不快に思うのかなあと思います。ただ結果義親のバックボーンがよくできたのかなとも思います。兎も角白河家を手に入れた義親が今後どうなるのか。お楽しみに。
最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では




