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戦国塵芥武将伝  作者: 高部和尚
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有馬晴純 高来の屋形 後編

 交易と戦。そして養子縁組を活かして晴純は有馬家を大きくした。そんな晴純のもとに待望の報せが届く。しかしこれが有馬家に大きな影響を及ぼすのであった。

 天正十九年(一五五〇)有馬家の領内にポルトガル船が来航する。これに晴純は喜んだ。

「ついに肥前にも来たか。待ちわびていたぞ」

 ポルトガル船は以前より九州の薩摩(現鹿児島県)や豊後(現大分県)などに来航していたが、肥前にはなかなかやってこなかった。晴純はポルトガル船の情報は持っていたので歯がゆい思いをして来航を待っていたのである。理由はもちろん交易のためだ。

「新たなる交易は有馬家にさらなる富をもたらす。そうなれば有馬家の所領をさらに拡大させることも可能だ」

 晴純はさっそくポルトガル人と接触した。そして交易に関わる交渉を始める。ポルトガル人も交易が目的なので交渉は滞りなく進んだ。こうして有馬家はポルトガルとの交易を始める。

「さてどれほどの富を生み出すか。我らの飛躍にどれほどのものをもたらすのか」

 そんなことを考える晴純であった。

実際ポルトガルとの交易は有馬家にさらなる富をもたらした。それは晴純の予想を上回るほどである。それについては喜ぶ晴純であったが、ポルトガル船は富以外のものも有馬家に持ち込んだ。キリスト教である。

「最近異国の坊主が増えていないか」

 ポルトガル船はキリスト教の宣教師も同乗していた。彼らは寄港地でキリスト教を布教している。不思議なことにこれを受け入れる日本人は多かった。そのためキリスト教の信者は数を増やしていく。こうした人々はキリシタンと呼ばれた。

 一方でキリスト教を受け入れられない日本人もいる。晴純もその一人であった。

「古くからの神仏を信じず異国からの神を信じるとは。嘆かわしい」

 晴純はキリスト教を嫌った。しかし一方で息子の義貞がキリスト教に傾倒し始める。

「父上。異国からの教えは興味深いものばかりです」

 そうにこやかに言う義貞。そんな息子に晴純は言った。

「異国とは交易のみの付き合いだけでよかろう。要は戦に勝つ富が手に入ればいいのだ」

「しかし父上。異国の考えを理解せずに交易をうまく進められるはずもありません」

「それはそうだ。しかし異国の宗門に下ろうというのは話が違うのではないか」

「いえ。そうすることで異国、いやポルトガルとの縁も深くなるのです。父上も一度宣教師様のお話を聞いてみてはいかかですか」

「馬鹿を言うな! ともかく俺はキリスト教など認めんぞ」

 そう言って晴純は義貞の話を遮るのであった。

 ともかくキリスト教を晴純は嫌った。しかしキリスト教の存在はポルトガルとの交易には切っても切れぬ関係にある。ゆえに領内の布教については黙認する方針を取っていた。

「あの者共はいずれ有馬の家に災いをもたらすぞ」

 そう考える晴純であった。


 ポルトガル船の来航以来、益々交易は盛んになった。そのおかげで有馬家の領内はさらに栄える。一方で隣国の龍造寺家は新しい主君の隆信の下で力を増している。さらに豊後など複数の地域を支配する大友家が、肥前にも干渉をし始めた。これらの動きに晴純も危機感を持つ。

「何かしら手を打っておきたいが…… しかしどうするか」

 確かに有馬家の領内は栄えているし軍事力も強化されている。しかし龍造寺家をはじめとしたほかの家も色々と工夫して軍事力の強化に努めていた。そういうわけで隣国との戦力差は縮まっていない。また、大友家もポルトガル等との交易に力を注いでおり、有馬家以上の繁盛ぶりであった。

 こうした状況の中で晴純は考えた。

「いっそ思い切ったことをして人心や家中の空気を変えてみるのも手か」

 そう考えた晴純は天文二一(一五五二)に義貞や家臣を集めてこう宣言する。

「これまで俺が先陣を切ってことを成してきた。しかし俺もいい年だ。いい加減隠居して義貞にすべて任せようと思う」

 この発言にその場の一同皆驚いた。晴純は今六九歳である。とっくに隠居していてもおかしくない年齢であった。なのに隠居しないのは死ぬまで当主をやるつもりなのだろうと皆考えていたからだ。

 驚いた皆を代表して義貞が訊ねた。

「なぜいきなり隠居などと言い出したのですか」

「別に構わんだろう。それにさっきも言った通り俺も年だという事さ。それにお前ももう当主としてやっていけるだろう」

 この時の義貞は三二歳である。もはや一人前といってもいい年齢であった。そういう意味では晴純の発言もおかしいものではない。

 義貞は逡巡した後こう答えた。

「承知しました。これよりは私が有馬家を導いて見せましょう」

「その意気だ。皆も義貞に力を貸してやってくれ」

「「ははっ」」

 こうして有馬晴純は隠居した。ついでに名も仙岩と変える。隠居した後の仙岩こと晴純は驚くほど有馬家の運営から距離を取った。

「父上のことだからあれこれ言いだすかと思ったが。驚くばかりだ」

 義貞はあきれ半分にそう言った。確かにこの時代家を大きくした先代は隠居しても賢然たる影響力を持っていたものである。また家の運営について干渉する者も多かった。

 晴純は血気の盛んな人物でそれは年をとっても変わらなかった。だから義貞や家臣たちは晴純がいろいろと言い出すのではないかと気をもんでいたのである。しかし晴純は自分の屋敷で悠々自適な生活を送っているという。まさしく完全な隠居の身となって世間から隠れてしまったようである。

「要するに父上は疲れていたのであろう。だから突然隠居などと言い出したのだ」

 義貞はそう結論付けた。実際晴純は長い間有馬家を栄えさせるために戦い続けたのである。疲れ切ってもおかしくない。

「ならば父上がゆっくりお休みできるよう奮戦するのが私の役目だ」

 そう決意する義貞であった。


 義貞が家督を継いだ後の有馬家は晴純の時代より交易が栄えた。義貞は交易が有馬家の力の源であるということをよく理解している。そのため晴純の時代より積極的な交易を行ないさらなる富を築いた。

「思った以上に義貞はうまくやっているらしいな」

 晴純は人知れず息子の手腕に感心した。そして家督を譲ってよかったとも安心する。

「いよいよ俺も人知れず生きていくことになりそうだな」

 心の底からそんなことを考える晴純。ところが月日が経つにつれて気になる点が増えてきた。

 まず一つは軍事面である。確かに領内は交易で潤っていて有馬家に利益も還元されていた。しかしそれが軍事方面に活かされないのである。というのも義貞の軍事行動は鳴かず飛ばずの不振ぶりであった。そもそも兵を動かすことが少ない。

 一応義貞の方針としては

「力を蓄えて機を見て動く。そうすれば損害も少なく少ない労力で事も成し遂げられよう」

というものであった。穏やかで堅実な義貞らしい考えである。しかしそれが晴純にとって不満であった。そもそも晴純は果断をもって迅速に動くという戦略で勢力を拡大している。そんな晴純からしてみれば義貞は慎重に過ぎた。

「機を見るというがいくら何でも動かなすぎる。むしろ待ちすぎて機を逃しているのではないか」

 その点が晴純としては非常に気になっているのである。

 もう一つ気になっている点があった。それは最近有馬家の領内でキリスト教が盛んになっていることである。前にも記した通り晴純はキリスト教を嫌っていた。それでも交易の助けになるからと現役のころは黙認している。そう言うわけで晴純が当主の頃は領内にキリシタンは増えなかった。

 ところが義貞が家督を継いでからというのも、領内でキリスト教の集会をたびたび目撃した。そしてそこに集まる人数は日に日に多くなっているようにも見える。

「義貞め。何を考えているのだ」

 これに晴純は露骨に不満を感じた。まるで自分の言いつけを無視しているように感じられたからだ。

「あの者たちは災いをもたらす。必ずそうだ」

 晴純は一人そうつぶやいた。それは何か確信があってのことではない。しかし長い間戦国大名として戦い続けた晴純はそう直感している。そしてそれが真実になってしまうのであった。


 晴純はかつて自分の息子たちを各家に養子に出した。その一人が大村純忠である。純忠はすでに大村家の家督を継いでいた。以降は従順に義貞を支えている。晴純の目論見は成功していた。

 しかしこの純忠の方針に不満を持つ大村家の家臣も少なくない。それでも純忠には有馬家の後ろ盾があり文句の言えない状況にある。さらに純忠が養子に入った後で大村家には男子が誕生していた。この男子は有馬家に配慮する形で他家に養子に出されている。むろんその当人にとっては不本意なことであった。

 そうした内側に問題を抱える大村家であるが表面上はうまくいっていた。そんな最中の永禄五年(一五六二)、純忠は自領の横瀬浦の港をポルトガル人に提供する。これはもちろん有馬家も了承していた。義貞としては弟の家も強くすることで戦力の増強を図ろうと考えたのである。

 この港の開放において純忠は宣教師に対していろいろと便宜を図った。

「宣教師からの評判がよくなればポルトガル船の来航も増えよう。そうなれば交易は栄えるはず」

 こういう目論見である。実際この方針は間違っておらず大村家の内政は劇的に改善した。一方で純忠は情報を得るためにキリスト教の宣教師たちと積極的に交流する。するとそのうちに純忠はキリスト教にのめりこみ始めた。

「何と素晴らしい教えなのだ。これは皆にも知らしめねばならん」

 そう考えた純忠はまず自身がキリスト教に入信した。そして大村領の領民たちにキリスト教を熱心に布教する。これは大成功をして大村家の領内にはキリスト教が大いに栄えるのであった。

 純忠は兄の義貞にも入信を進めた。

「キリスト教の教えは素晴らしいものです。それに交易の助けになります。ぜひとも兄上も入信を」

 義貞自身キリスト教には好意的であったのでこの提案を思案する。

「純忠もああいっているしな。しかし父上がどう思うか」

 正直義貞にはまだ晴純への遠慮がある。しかしこの所の様子を見てみるとどうやら本気で隠居しているようであった。

「もはや父上に遠慮する必要もないか」

 そんなことを考える義貞であった。

 一方の大村家では順調にキリスト教の布教は進んでいた。しかし一方で純忠はとんでもないことをし始める。

「我らの領地はデウスの教えの地である。邪教は皆追い出してしまえ」

 なんと純忠は領内の仏教や神道を弾圧し始めた。領内の寺社仏閣を破壊し先祖代々の墓まで打ち壊す。そして僧侶や神官への迫害も始めた。さらに迫害は領民にも及ぶ。純忠はキリスト教への改宗を拒否する領民を許さなかった。

「邪教を広めるものも惑わされるものも皆許さんぞ」

 純忠は僧侶や神官、改宗を拒否した領民たちの追放、殺害を行った。中には海外に奴隷として売られてしまった人々もいるという。

 この所業に大村家の家臣たちは戦慄し怒った。

「このようなことは許されん」

「そうだ。このままでは大村家は潰れる」

「その前に我らで何とかしなければ」

 もともと純忠に反発していた家臣たちは、領民たちの怒りを背に受けて意気をあげる。こうして大村家でくすぶっていた火種は燃え上がろうとしていた。


 純忠に不満を持った大村家家臣はついに実力行使に及んだ。彼らは本来の大村家の跡継ぎであった男子、後藤貴明のもとに集い横瀬浦を焼き払うと純忠らと徹底抗戦する姿勢を見せる。これに対し純忠は自分の側についた家臣たちと共に戦うのであった。

 こうして大村家が内紛を始めたころ、有馬家でも大きな動きがあった。事の始めは当主の義貞がキリスト教への入信を考え始めたことにある。この動きに家臣たちは動揺した。

「大村家の惨状をご存じないのか」

「そうだ。まさか純忠さまのように我らや民もキリスト教を信じるようにと言い出すつもりなのか」

 大村家で純忠が行ったことを知る有馬家の家臣たちは大きな不安を抱いた。そこで晴純に相談を持ち掛けることにする。家臣たちから相談を受けた晴純は怒った。

「あれだけ俺がいろいろといっていたのに何たることだ。あのバカ息子め。こうなったら隠居などしていられん」

 晴純はすぐさま行動に移った。まず自分に相談を持ち掛けてきた家臣たちを説得し有馬家の主要な家臣を味方に付ける。そしてあっという間に城を制圧し義貞を追い出してしまった。

「父上…… なんてことを。いや、すべては私の力不足か」

 義貞が嘆いたのは自分の力不足であった。兎も角義貞は屋敷に閉じ込められ代わりに晴純が当主に復帰するのである。

「まずは領内のキリシタンどもをどうにかするか」

 当主に復帰した晴純はまず領内のキリシタンたちを弾圧し迫害した。この頃はキリスト教の宣教師たちがいなければ交易に差し支えるという段階でもない。晴純は遠慮なくキリシタンを弾圧した。

「領内が安定すればまた打って出て見せよう。しかしその前に大村家の内紛をどうにかせねば」

 しかし大村家の内紛は純忠側が優勢になりつつあった。これに晴純は困る。

「純忠が勝つのはいい。しかしあのキリシタン狂いをそのままにしておくのもどうか」

 悩んだ晴純だが純忠からは有馬家の意向に従うという連絡が来たのでそのままにしておくことにした。しかし後藤貴明らはこの後も純忠への反抗を続けていく。

 とりあえずいろいろな問題は片付きつつあった。そう言うわけで晴純も領土を広げようかと考えるが情勢は大きく変化している。

「龍造寺家がここまで大きくなるとは」

 龍造寺家兼の跡を継いだ龍造寺隆信はすさまじい勢いで勢力を拡大して主家である少弐家を滅ぼしてしまった。その影響力はかなり強まっている。

「早く手を打たんと手遅れになる」

 永禄六年(一五六三)晴純は純忠と共に隆信の領地に侵攻した。ここで痛手を与えて勢いをそぐ目算である。しかしこの侵攻は失敗した。反撃してきた隆信の勢いに敗北しかえって有馬家が圧迫される結果となってしまったのである。

 しかし晴純はあきらめない。

「まだだ。まだあきらめん。俺は有馬家をさらに大きくして見せる」

 晴純は何とか敗戦の痛手を癒し再び攻めに転じようとしていた。しかし龍造寺家の勢いはそれを許さない。いかに交易による富があるとはいえ有馬家が昔日の勢いを取り戻すのは難しかった。

 そして永禄九年(一五六六)高来の屋形こと有馬晴純は死去した。享年八四歳の大往生である。しかしその死に際には無念しかなかった。

「俺はここで終わるのか。有馬家を強くしなければならんのに。でなければ龍造寺に負けてしまう」

 有馬家を巨大にした傑物の最期は悲嘆に満ちたものであった。

 この後有馬家は義貞が当主に復帰する。しかし勢力を挽回できず最終的には高来の一領主にまで転落してしまう。そして義貞の子の晴信の代には龍造寺家に降伏しその支配下に入った。

 その後有馬家は一応大名として存続し、様々な地を転封するも明治維新まで存続した。


 長崎にはキリシタンがらみの施設や遺構が多く残っています。これは義貞や純忠に加え義貞の子の晴信が積極的にキリスト教を受け入れた影響でもあります。晴純はキリスト教を嫌ったことを考えるとなんとも不思議な話です。またそう考えると有馬家の最盛期を築いた晴純の残したものはほとんどなくなってしまっているのかも知れません。そこは悲劇的ではあります。

 さて次の話の主人公はある有名な戦国大名の家臣です。そして戦ではなく別のもので功績をあげた人物になります。お楽しみに。

 最後に誤字脱字等がありましたらご連絡を。では

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